みずおと

常陸乃ひかる

It's sunny today

 メッセージをスルーするがある、普通の少年。

 彼は雨が好きという想いを隠しながら生きていた。


  ◎/●


 週末。

 天上は薄灰色の巨大カバーで覆われ、快活な恒星たいようが見えない。小気味良い。

 午後になると、国を支配しようとする天の恵沢けいたくと始まり、万物は抗うすべもなく無慈悲にひたされていった。

 教室の窓では、水滴が水滴に吸い寄せられ、ふたつひとつ、みっつひとつと合体してゆき、重力に逆らえず消えてゆく。心地良い。

 学校が終わると、少年は心模様と空模様を天秤にかけ、目的地をデシジョンできないまま見知らぬ道へ歩んでいった。ビニール傘を片手に迷いこんだのは廃れた住宅地で、一画に小さめの鎮守ちんじゅの森が現れた。

「こんなところに神社あるんだ」

 そうして鳥居の向こうへ吹き抜ける湿気に巻きこまれ、暗がりへ消えていった。


【5分で読書 だれにも言えない恋】


 一礼。

 木々の間から薄明りが下りてくる境内けいだい参道さんどうは一本で、日本のどこにでも存在する小規模な神社だった。鳥居を潜って左に、ガラス戸が閉じられた社務所オフィス。右手には手水舎ちょうずや絵馬掛えまかけ。正面には、流造ながれづくり本殿ほんでんが見える。

 少年は賽銭箱の前まで歩くと、そっと十円玉を落とし、すすけた白いすずを揺らした。低い音を耳に残しながら、探索気分で本殿の裏手に回る。と、そこには一尊いっそん地蔵じぞうが人目をはばかるように設置されていた。サイズは足を広げた大型犬くらいで、赤い帽子と赤いよだれかけを身に着けている。

水子みずこ地蔵か。ん……?」

 ただ、それ以上に目を引いたのは、膝をついて地蔵に両手を合わせる後ろ姿だった。人影はセーラー服が濡れるのもいとわず、右足のローファーは脱げかけ、左足のクルーソックスはめくれ、からす濡羽色ぬればいろをしたミディアムがえりに張りついていた。

 咄嗟に少年は『隔たり』を感じ、その場を立ち去ろうとした。

 が、その者は足音を聞き逃してはくれなかった。

「こ、こんにちは……?」

 のっそりと振り返ったのは、年下を思わせる顔つきだった。両手を地面につき、フラフラと立ち上がり、少年を見上げてくる。雨が分かつ距離で見据えた少女の顔色は青く、左に流した前髪を留めるセルリアンのヘアクリップはそれ以上に蒼かった。

「えと、濡れてるけど大丈夫?」

「感情が……低空飛行」

「雨が降る前のツバメかよ」

 約四秒の第一印象ファーストインプレッションは、『文学的な少女』だった。つまり、『要領を得ない』という意味である。


 ふと視界に入ったのは、肌に吸いつく薄い生地だった。相手がどれだけ変人だろうと、未発達の妖艶ようえんだろうと、降水によってシナジーを得た官能は強烈である。

 少年は咄嗟に目を逸らし、

「風邪引かないように。それじゃ」

 同時に話も逸らしながら、区切りを探した。

「待って。あなた大人?」

 けれど、少女はそれも見逃してはくれなかった。

「そう、十八歳。お酒を飲んじゃいけない大人」

「大人は雨が好き? わたしは雨がこわいです」

 無垢な疑問に対し、少年は考えるフリをして、「俺は太陽が嫌い」と答えた。浮世には様々な恐怖症Phobiaがあるが、天候もまたそのひとつなのだろうか。

 これは英語を翻訳するほうがマシかもしれない。切り上げるタイミングを失った少年は、懇願こんがんを込めてスマートウォッチに何度か目を落とすと、

「良いですよ、大人。帰っても」

「催促したみたいで悪いね」

「それが大人」

 少女は察するように、ふたたび手を合わせ始めた。


  〇


 翌月曜。不快な快晴。

 放課後、あの神社に立ち寄ると今日は社務所が開いていた。少年は神職を横目に、本殿の裏手に回った。――期待がなかったと言えば嘘になる。

 そこには、Tシャツとキュロットを着衣した裸足のが水子地蔵に寄りかかっていた。乾いた髪が、先週とは異なる印象を与える。

「あ、金曜はどうも。学校休み?」

 驚きに任せて少年はどもった挨拶をすると、

「まーね。てかここって雨天営業中止なの、ヤバイよねー。あ、私は水夏みずかね。ざっくり言うと神社ここの関係者」

 地蔵の頭を撫でながら、過去に置き忘れてきたような自己紹介を返してきた。容姿も声質も先週のままだが、対応だけが激変している。

「どした? その顔、信じてなくない? オーケー、私になんでも聞いてよ」

 少女は襟を正すように直立し、話の転換を見せた。で厄介だったが、ここまでようキャラに変化されても対応に困ってしまう。

「賽銭やおみくじをキャッシュレス決済にしない理由は?」

「アレ、BtoCじゃないし。社務所しゃむしょ授与所じゅよじょならガンガン使えるよ」

「神職のモノサシって適当だな。じゃ、なんで雨天は店を畳むの?」

いわくツキだからね」

「その地蔵が関係してる?」

 少女の変化に戸惑いつつ、自然と始まった雑談。その流れで少年は、水子地蔵に目をやった。

「ウチは水子供養くよう専門じゃないよ。コレは例外」

 途端、少女の顔が曇ってしまう。その反応を察した少年は本能的に深入りを避けようと、話題を変えた。先週の反復もありつつ、ダラダラと親睦を深めた三十分ないし四十分。別の参拝客が水子地蔵の前にやってきたタイミングで、「そろそろ帰るわ」と切り出した。


「そーだ、名前教えてよ。大人の名前」

「孔子の『孔』に『晴れ』で、孔晴こうせいだよ」

「雨好きなのに名前は晴れててウケるんだけど」

 少年――孔晴が『雨が好き』と公言しない理由のひとつに、名前という後ろめたさもあった。水夏のように思いきり笑ってくれると逆に清々しいが。

 充実感を浮かべた孔晴が背を向けようとすると、

「あっ、コレ私のオゴリね」

 水夏が、なにかを投げるアクションを見せた。宙を舞ったのは、厚みのある小さな長方形で、受け取ったそれには黒字で『おみくじ』と印刷されていた。

「投げんなって」

「ふふっ、家で開けてね」

 ――それから晴れが続いた。

 日々の暑さに嫌気がさし、どうにも神社に足を運べず、おみくじを開く気にもなれず、梅雨入りに疑問を呈する一週間が過ぎていった。


  ●


 翌月曜。霧雨。

 グレースケールの日は自転車通学ができず、登校時だけ母親が車で送ってくれる。三つ年下の妹とともに別々の学校へ運ばれる感覚は、電車で会社に出荷される社畜のようで少し嫌気がさした。

 放課後。

「――また来た。暇人ですか」

 三回目の来訪。水子地蔵の前でしっとり濡れた少女は鼻で笑ったあと、

「随分と年下女子の扱いに慣れてるんですね」

 皮肉のように目を細めてきた。

「てるてる坊主に『輝輝坊主シャイニングボーイ』って名づける、変な妹が居るから」

「キラキラネーム……」

 天候で性格が変わる面影が魅力的で――少女にほだされてしまえば割を食うとわかっていながらも、ひたすらに足を運んでしまう。

「そんなに暇なら……次は、秘密でも教えてあげますよ」

 変人同志、濡れながら雑談する時間が心地良かったのだ。


  ◎


 翌日。曇天で持ちこたえた天気。

 水子地蔵の前に足を運んだが、少女の姿はなく、しばらくしても人声は生まれなかった。雨か快晴にしか現れないと知り、四回目にしてすれ違いの寂しさを覚えた。

 一度えなかっただけで、もう二度と逢えない気がした。

 もし連続で逢えなかったら、と思うと余計に足が遠のいてしまった。


  〇


 七月上旬。

 梅雨は明けていないのに、晴れが続いた。空のどこを見ても、雨の気配は感じられない。こんな日に神社で逢えるのは、

「ヘイ孔晴! おみくじ、なんて書いてあった?」

 陽キャラにチェンジした少女である。

「ごめん、別のカバンに入ってる」

「見ろよー!」

 言われて思い出す長方形。孔晴のは、こういう形でも発揮されてしまう。

「曇りの日は居ないんだな」

「んー? まーね」

 話が続かない。それほど、おみくじに固執しているのか。改めて謝罪しようと水夏の横顔を見ると、

「ねえ。この地蔵どう思う?」

 自らセンシティブな内容に言及してきた。

「誰かがわざわざ設置したみたい」

「そっか……」

 ほどなく沈黙が訪れ、普段は鬱陶うっとうしく感じる蝉時雨せみしぐれ依存いそんした。秋までずっと間をつないでくれと。

「十五年前ね……ここの神社の娘が、双子をはらんだの。コレはその時のモノ」

つらかったろうな」

「合掌してる水子地蔵は、死んじゃった赤子を母親の代わりにいつくしんでるの」

「けど、間違いなく母の想いだよ」

 それぞれ、人が生まれてこなかった背景がある。が、誰が悪いわけではない。それを悪とする世間から逃れる方法のひとつとして、水子地蔵があるのだろう。

「……また来るよ」

 次、雨が降ったら思いきって聞いてみよう。

 水夏と同一人物だと思っていた少女に。


  ●/〇


 スノーノイズのようなフィールド。

 梅雨はもうすぐ明けるだろう。


「思いつめた顔ですね」

 水子地蔵の前で切り出す少女。手を合わせ、目をくれて。


「それ、あんたに関係する地蔵なんだろ?」

 深入り上等。彼の胸中だった。


「ねえ、大人。減胎げんたい手術って知ってます?」

 少女の質問。降水を切り裂くまっすぐな目だった。


「いや、初耳だわ」

 初めて聞く言葉。けれど少年は、意を察していた。


「そっか……」

 一拍置いた少女。秘密を語ろうとする間だった。


「十五年前。双子を宿した女は、冷雨れいうの降りしきる六月に……堕胎だたいしました。理由は体力的、経済的の両面。その結果、二月にわたしが――瑞希みずき

 真実が語られると、孔晴が用意していたロジックはすべて雨で流れてしまった。

「え、逆だった……?」

「理由はわかりませんが、雨が降るとわたしの耳には水音のような声が響いてくるんです。特にこの時季は顕著けんちょ。もしかすると、それが妹の声なのかも」

 雨が怖い――初対面の時に語られた言葉こそ真意だったのだ。

「母だって断腸の思いだったはず。誰も悪くないのに……」

 不意に雨が強まり、

「どうしてわたしなんでしょう?」

 震える声が調和した。


 孔晴は行き詰まった思考の末、独善のように解決法を探ろうとした。

「実は俺、ここであんたによく似た少女に逢ったんだ」

「それが……妹?」

「確証はない。けど、気持ちひとつで未来が変わるかもしれない。一度、晴れた日にここに来てみないか」

 破れかぶれで手を差し出す孔晴。迷っていた瑞希だったが、汚れた手を制服で拭いてから、恐る恐る伸ばしてきた。そうして絡まったのは雨が混じった冷たい手――だが、それを邪魔するように風が吹き過ぎていった。不幸にも風雨でバランスを崩した瑞希は、手を滑らせて尻から水溜まりに落ちてしまった。

「っ、やっぱり無理です……!」

「でも、このままじゃ心身が壊れるって!」

「妹を供養し続けるのがわたしの役目! 許されないんです!」

 髪に跳ねた泥も、爪の間に入りこんだ土も気に留めず、震える体はふたたび乞うように手を合わせてしまう。

「水夏……どっかで見てんだろ! 出てきてくれよ!」

 ――もはや自分では救えないと、ついに孔晴は吹っ切れて、懇願のように声を荒げていた。茫然と見上げてきた瑞希なんて構わず、ひたすらに。


 彼の咆哮に呼応するかのように、あるいは彼女の呪いのように雨雲が割れた。

 淡く日光が下りてくると、

「もー、うるさい」

 の生き写しのようなが、水子地蔵の裏からひょっこり顔を見せた。当然、瑞希が衝撃を受けないわけがなく、地面を這いながら孔晴の後ろに隠れてしまう。

「居たんだな」

「私の家だし」

「なんで瑞希に固執するんだ? やっぱり恨んで――」

「私が悪者わるもんなの?」

「違う、そうじゃない。けど、瑞希が苦しんでるのは事実なんだ」

「その子が勝手に受信してるだけでしょ。てか、生まれてこなかった私の声が聞こえるってどうなの? エビデンスベースの現代人が聞いて呆れるし」

 こうして言葉を交えているのは、パラドックスの化身だ。現代において、存在証明が不可能なだけに、孔晴は返す言葉を失い、得体の知れない少女に言い負かされてしまった。

「そんな言い方……」

「――もう良いです! 痛みを分け合うのが双子の宿命なんです! だから……」

 突如、盤面を制圧したのは、過呼吸のような諦観だった。責める相手も、許しを請う相手もわからず、瑞希の顔からいくつもの水滴が伝っていた。

「っ、そうだよな……悪かった、首突っこんで。もう関わらないから、せめて瑞希を開放してくれないか? 見てらんないんだよ」

 救いたい人物が遠い存在になってゆく。痒いところがわからず、全身をかきむしって痛みだけが残るような虚無感が、孔晴の懇願を生んだ。例え相手が瑞希を狂わせている根源だろうと、頭を下げてでも解決したかった。


 水夏が顔を逸らした、

「ったく、高校生って意外に賢くないなあ。おみくじ見た?」

 ぶっきらぼうに言い放ちながら。

「いや、見てないけど今はそんな――」

「バーカ! 早く見ろって! ホラ、ふたりで!」

 途端の清々しい罵詈ばり

 孔晴は面食らい、カバンの奥から細かく折りこまれたおみくじを取り出し、しゃがみこんで瑞希にも見えるように開いていった。

「え、これ……」


  水夏ノ恋神籤

  第三五番 ヤバいくらい大吉


 【水夏的恋歌】

  雨音や 想うふたりは マジの恋

  鎮守の森に 別れを告げて


  待人 雨の日

  願事 とりま叶う

  学問 留学推奨

  争事 水夏は敵じゃない

  病気 治してやれ

  失物 コレ


「初めから?」

 孔晴の顔は熱くなり、そっぽを向いた瑞希の口元は緩んでいた。

「だから早く読めっつったの。その子、昔からここで泣いててうるさいし、最近は孔晴のことばっかブツブツ……。わかったら連れてって? いくら励ましても、私の言葉は水音にしか聞こえないし」

 水夏の想いを握りながらも、孔晴は堂々と未読スルーしていたということか。

 ――いや、わかりにくい。

「さて、邪魔者は退散っと。私は……風に消ゆる雨だから」

「待っ――」

 謝罪や感謝や当惑のちゃんぽん。胸中を整理して一言だけ伝えたかったが、水夏は斜を向くと、眉を落としてほくそ笑んだ。その全身からは水滴が溢れ、人型の水しぶきになって四方に飛び散ってしまった。

「ぶへっ……あいつ水の塊だったのか」

「げほっ! は、鼻に入った……」

 それを正面から食らったふたりは、顔を見合わせて溜息をついた。残った雫は夏風に運ばれ、木々がシャラシャラと見送っている。


「人間が破裂して、体液が飛び散りましたね」

「言い方がグロい。というか俺が早く気づいてれば……」

 その表現はさておき、孔晴は罪悪感から深々と頭を下げた。

「大丈夫、これからの人生のほうが長いですから。それにこんな話、誰も信じない。誰にも言えないなら、酒の肴になるまで黙ってましょ」

 瑞希はびしょびしょの髪からヘアクリップを外すと、それを水子地蔵の前に置いて、前髪を奔放に振り乱した。自らの足で歩こうとする様は、立派な大人である。

「ねえ、大人は――あ……孔晴はこの神社の名前知ってます?」

「いや、気にしてなかった。なんて名前?」

「晴天神社と書いて『晴天サニー神社』です」

「なんでキラキラネームなんだよ」


「結局あの子の言葉は聞こえなかった、けど想いは伝わった。なので……」

 境内の外へ向かう途中、瑞希は言いよどみ、顔を背けながら手を伸ばしてきた。

「当分、雨に濡れるのは御免だな」

 やがてふたりの雨水は吸い寄せられるように掌で重なった。

 全身を乾かす夏空を仰ぎながら。


                                   了

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みずおと 常陸乃ひかる @consan123

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