赤い糸が見えた (3)
茉莉香の話を佳奈から聞いた翌日、私は長谷川くんと下校が一緒になった。
約束をしたわけではなかった。部活を終えて校門から出たとき、彼が追いかけてきたのだ。
嫌な予感がした。時間が合えば一緒に帰ることは時々あったが、偶然を引き寄せる努力を互いにしたことなどなかった。
長谷川くんは追いかけてきたわりに特別な話を何も切り出してこない。普段なら何もしなかっただろう。だが彼があまりにも情けなく映り、私は仕方なく誘い水を向けてやった。
「どうかしたの」
「あ……うん」
「なに」
「あのさ、千恵は小木茉莉香さんって知ってる?」
「……知ってるけど」
「仲良い?」
思わず足を止めてしまった。この男の辞書に「デリカシー」という言葉があるのかを調べ、あるのならマーカーを引いてやらなければならない。色は真っ赤。
「いや、ごめん。そういう聞き方するものじゃないね。実はさ、小木さんに告白されたんだけど、断ったんだよね。それで彼女を泣かせてしまって……別にもう俺がどうこう出来るわけではないんだけど、どうしたら良かったのかなって考えてしまって」
明らかに私の雰囲気に動揺して、長谷川くんは急に早口で弁解した。
しかし、聞いてみれば実に彼らしいささやかな悩みだった。これを相談するために息を急き切り追ってくるとはいじらしい。
そんなの気にしなくていいよ。恋をするとね、色んな儀式が必要になるの。
軽口で励まそうと思った。
「どうして断ったの」
「え?」
「理由。断った。明るいし、可愛いじゃん」
全然違う言葉を口にしていた。
違う。私じゃない。
子どもの言い訳でしかない拙い言葉が咄嗟に頭に浮かんだ。
長谷川くんはゆっくりと考え込んでいた。いつの間にか、彼だけいつも通りの私たちに戻っていた。私たちの間にはまるで別の時間が流れている。
「理由かあ。結婚する覚悟が持てなかったからかなあ」
「え?」聞き間違えかと思った。「結婚する覚悟?」
「だって付き合って、そのまま上手くいったら結婚することになるわけだろ? そもそも小木さんのことよく知らないし、下手に付き合ったら悪いだろう」
長谷川くんはいたって真面目な様子で答えた。
「いや、その上手くいくかどうかを確かめるために付き合うんじゃないの?」
「まあ、それが一般的だろうとは思ってるよ。ただ楽しそうだから付き合うっていう派閥もあるだろうともね。でも俺は、やっぱり付き合うならその人のことを一番に考えたいって思うんだよな。一緒に幸せになりたいから付き合いたい、結婚したい」
「じゃあさ、まずは友だちからって言ったの? それが無いなら、それって相手に不誠実な気がするんだけど」
「……言えてない。駄目だよな、やっぱり。言うつもりだったんだけど、さっきの話をしている最中に泣かせてしまって、途中で終わっちゃったから」
状況を理解するまでには少し時間がかかった。
まさか、この話をしたと言っているのだろうか。告白してきた子を前にして。
それが誠実なのかどうかは自分に答えはないが、茉莉香は何の話をされているのかも分からなかっただろう。
「あー……やっぱおかしいよな。重いよな。うん、これは自分が変だと思ってるんだ」
住宅地を抜け、歩道橋を越えても彼はこっそり落ち込んでいた。
もっと気楽でいいとは思うものの、所詮自分も学生風情。加えて愛も恋も真剣に向き合っていないときた。それに、自分が慰めたいのかもよく分からなかった。
「……ねえ、もしさ、もし自分の結婚する相手が分かったら、どうする?」
目の前を歩いている派手な金髪をしたカップルを見ながら言った。二人で一つ、大して中身も入っていないコンビニ袋を持っていた。
「んー……どういう感じで分かるわけ?」
「未来の自分が目の前に現れて『お前は誰々と結婚するんだ』って言って去っていくことにしよう」
「あー……いいなあ、それ。めっちゃいい」
ゆっくりと息をはきながら長谷川くんは答えた。本当にそうだったらいいと思っているようだった。
「さっきも言ったけどさ、俺は付き合うとか結婚って、一番大切にしたい人を選ぶことのように思っちゃうから。この人を大切にするのが正解ですって教えてくれるわけだろ。神様が言ってくるなら、ちょっとそれはまた一考したけど、未来の俺が言ってくるなら……良いね」
言って、小さく溜め息をつく。視線は遠くを見据えたまま。あまりこっちは見てくれない。
「それで何だっけ。どうするかだっけ。え、どうするって何。結婚するんじゃないの」
「でも結婚するって決まってるから結婚するわけじゃないでしょ」
「うん? ……難しい質問をしてくるね。そんな気はする。ちょっと待って。考える」
口に手をあて考え始めた。真面目な人だ。こんな与太話に、真剣で。
「言われた人と結婚することは確定事項と考えていいの?」
「いや、誰かに言ったりしたら変わるかもしれないことにしよう」
「なるほど……もうちょいお待ち」
彼の分まで周囲に注意しながら横断歩道を渡る。焼肉屋の横の細い脇道を通過した。こぢんまりとした公園が現れた。学生のカップルが間隔を空けて二組座ってお喋りをしていた。私たちはああいうことはしたことがない。
「好きだったり好みのタイプだったら、多少積極的に色々アプローチするんじゃないかな」
長々と考えて、ありきたりな答えを長谷川くんは口にした。
「好きじゃなかったら?」
「そんなことある?」
「あるでしょ。好きじゃない、というか全然意識してなかったみたいな」
「あー……はいはい、なるほどね。幼馴染にありがちな」
「……まあ、それでいいか。そんな感じだったら、どう?」
「一緒じゃない? 意識した結果気になるなら、多少積極的にいく。マジ何も思わないなら何もしない」
「誰かに取られちゃうかもよ?」
「何も思ってないなら、気にならないでしょ」
彼は私の失ってしまった無関心を残酷なまでに晒していた。
非難するつもりで長谷川くんを見た。しかし、視線に気付きもしない。
私は上澄みの話だけがしたいのではないのだ。幸せになる方法よりも不幸にならない方法を求めていた。
「何で積極的にいくの」
「いくだろうなって想像だけどね。結婚するって言われた以上はね。正直、めっちゃ当たる占いみたいなんじゃないかって想像してます」
その時だった。唐突に今までずっと頭の後ろで霞がかっていたものが晴れた。
「あ、占い」
こんなに間抜けな声があるだろうかというくらい軽い声が出た。腑に落ちる、得心がいく、心が晴れやかになる表現なら何だって今の私にふさわしいだろう。
「めっちゃ当たるね。でも外れることもある」
「そっか。そうだね」
「おっと、どうやら迷える子羊を救ってしまったようだね」
「うん。うん。導かれた」
急に持て余すほどの元気が湧いてきて、気を抜くと頬が緩んでしまいそうだった。だから、私は全身でそれを発散させなければならなくなった。それで、柄にもなく軽やかな足取りで長谷川くんの前へ進み出ると、身体ごと振り返り彼を正面から見つめた。
「今度、イオンにクレープ食べに行かない? お礼に奢るよ」
「イオン? 遠いなあ。うーん……別にいいかな。大したこともしてないし」
「何でよ。占いでクレープが吉って出てたの」
「いや、俺占い信じてないし……」
「待って。そもそも長谷川くんの悩みからはじまってるんだから、長谷川くんが奢るんじゃない?」
「……いや、それは風水がよくないな……」
しばらくすると、いつの間にか分かれ道にさしかかっていた。
長谷川くんが軽く手を挙げる。それに小さく手を振って答えた。
じゃあまた。
うん、また明日。
別れの挨拶を交わすと長谷川くんとの距離はあっという間に開いていった。私は立ち止まったまま。
彼は、誰かと一緒にいないと歩くのがとても早い。
そういえば、私はいつからそれを知っているのだろう。
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