第5話 取り返しがつかないこと

 数日後。伯爵は十名以上の執事とともに日本にいた。


 宮司から買い取った山の山頂。冬山は凍える寒さだ。


 若い執事は、伯爵が乗る車いすの後ろに立っていた。


 間もなく日が落ちる。


 山中には全く明かりがない。執事たちは、発電装置を使ってライトを灯した。


「こちらがお話した、本物の『ヨモツヒラサカ』でございます」


 土地の所有者だった宮司が腰を低くして伯爵に語りかけた。


 2メートルほどの鳥居の前に、巨大な尖った岩が突っ立っている。


 木造の鳥居は簡素で、相当に古いものに見えた。


「私が案内させていただくのはここまで。この土地はもう伯爵様のもの。どうされようとご自由です」

 

 それを最後の言葉にして、宮司はそそくさと山を下って行った。


 先祖の土地を、自分の代で手放したので居心地が悪いのだろう、若い執事は思った。


「伯爵様……」


 鳥居をじっと見つめる伯爵。経験豊かな老人は、本物か否かを見極めようとしているように見えた。


「日が落ちるまで待とう」


 伯爵の指示のあと、十名の執事は休憩に入った。


「伯爵様、もしよろしければ、これをお召し上がり下さい」


 若い執事は、プラスチック・ケースを開けて差出した。


「果物か?」


「桃というものです。日本人が好んで食べる果物でございます」


 伯爵はフォークに刺した桃を口に入れる。


「甘くて美味いものじゃな。国に帰るときに買って帰ることにしよう……帰られればじゃが」


 三十分後、周囲は完全に暗闇となった。伯爵一行の周囲だけが煌々と明るい。


「その岩が扉、鳥居が門ということじゃな」


「そう解釈できます」


「岩にロープを掛けて、引き抜いてくれ」


 伯爵の声が少し震えている。寒さのためか、緊張のためかは分からない。


「……本当によろしいのですね。ヨモツヒラサカは伝説によると、死者がいる黄泉の国と現世をつなぐ扉。真実なら大変なことになります」

 

「構わん。心が強く揺さぶられるならな」


 執事たちは、尖った岩に太いロープを掛けた。若い執事は、伯爵の脇で見守る。


「せーの、せーの……」


 十名の執事が、同時に力を込める。ビクともしない。


 さらに力を込める。


 ガガ……。小さい地響き。岩が少し揺れたように見えた。


 さらに力を込める。


 ガガガガ……。


 今度は明らかに岩が動いている。


「もっと力を込めろ! そうすれば倒れる!」


 伯爵が執事を叱咤しったする。


 ガガガガガガガガ……ドーン。


 岩は手前に倒れた。執事たちはやれやれと一息つく。


 鳥居の入口が丸見えになった。その先はライトの光が届かない漆黒の闇。


 皆、その吸い込まれそうな闇を、無言で見つめる。


「……何も、起こりませんね」


「シッ!」


 伯爵が唇に指を当てる。


――カサカサ……


 暗闇の向こうから何かが擦れるような音。草の音か。


「な、何か光っています」


 蛍のような小さい点のような光。それが、一つ、二つ……。どんどんと増えていく。


――ガサガサガサ……


 地面の草を踏む足音。確実に何かいる!


――ギュツギュルギュル


「ひっ、ひいーーーーー」


 執事の一人が腰を抜かして倒れた。


 出てきたのは小さい鬼のような異形いぎょう。目は光、口からよだれを垂らす。


 まさに魑魅魍魎ちみもうりょうが、十体ほど鳥居をくぐって歩み寄ってくる。


「は、伯爵……」


 若い執事は伯爵に視線を移す。


 膝上でプラスチック・ケースを固く抱えた伯爵の瞳は、予想に反して爛々と輝いている。


――グギギャーーーー


 異形いぎょうたちは叫び声を上げると同時に、周囲の執事たちに飛び掛かった。


 バキバキバキ……。骨が砕け、肉が飛び散る。


「なぜ、ワシらは襲われん?」


 周囲を冷静に見ていた伯爵が、若い執事に問いかける。


「桃……の効果かと思われます。黄泉の国の化け物は桃が苦手と伝承にありました。お守りがわりにお持ちしたのです」


「ハハハハハ! さすがワシが目を掛けていただけのことがある」


「おかげで、この心揺さぶられる情景をしばらく楽しめる」


 執事を食い荒らした異形いぎょうたちは、山道を下っていく。


 鳥居からは途切れることなく湧きだしている。


 異形いぎょうたちは、伯爵と若い執事の周囲を避けて山道へ向かっていく。


 若い執事は、これほど楽しそうな目をする伯爵を見たことがなかった


 どのくらいの時間、経っただろうか。


「これをお前にやる」


 突然、伯爵は首にかけていた紐を外して、若い執事に渡した。


「金庫の鍵じゃ。屋敷も金庫の中身も全部、お前にやる。好きにするがいい」


「……」


 若い執事は、伯爵の意図が読めずにいた。


「お前にお願いがある」


 異形いぎょうの群れを見る伯爵の瞳は少年のような輝きを保っている。


「桃を持って、山を下りろ」


 そういって、膝に置いていたプラスチック・ケースを差出した。


「そんな事をしたら伯爵様が……」


 異形いぎょうの群れが途絶えた。


 すると、鳥居の奧の暗闇からか細い女の声が聞こえた。


「ワシは、ここで良い。次に出てくる奴は桃じゃ追い払えんようじゃぞ」


――私に恥をかかせましたね……振り返るなと言ったのに……。


 姿は見えないが、暗闇の向こうに何かがいる。


 これまでの異形いぎょうとは比較にならないほど凶悪な何か。


 若い執事の足は、無意識に震えていた。


「行け!」


 伯爵の怒声で我に返った若い執事は、桃を抱えて走り始めた。


 振り返ることなく走る。


 背後からは、伯爵の笑い声が響き渡っていた。


* * *


 若い執事は、山の下にある小さい村にたどり着いた。


 明かりは灯っている。しかし、道は荒れて物が散乱している。


 若い執事は、一軒の家を覗いた。


「ぐ……ぐふっ」


 室内の惨状に、若い執事は嗚咽した。


 骨が砕かれ、肉が食いちぎられた遺体。


 若い執事は、取り返しがつかないことをしてしまったと悟った。


 『多くの人間の心を揺さぶる扉』を開けてしまった。


 『恐怖』という人の心を激しくゆさぶる扉を。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大金持ちの大失態【5話完結】 松本タケル @matu3980454

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ