第2話

 休み時間が始まると同時に、憂鬱な表情から解放された。数学の授業はノートを取るのが忙しいし、難しい数式はうんざりだ。教室は先生の退場とともに、賑やかになった。


 誰が開けたか分からないが、開いた窓から新鮮な風が入ってきた。夏希の冴えない頬を撫でていった。気持ちが少しすーとした。


 夏希は授業が終わると、自然と黒川くんの背中を見つめてしまう。また先生に怒られたな。ただでさえ教室のみんなにイジメられているのに、先生にまで目を付けられたら堪らない。先生の嫌がらせはしつこいからだ。しつこい奴は他にもいる。橋口たちだ。


 黒川くんは、数学の教科書とノートを英語の物と取り替え、既に次の授業に備えていた。橋口たちに睨まれたのは、ちょっとした運が悪かった。


 もうこんな事は止めてしまいたい。心でそう思っても、体は反対のことをしてしまう。


 朋美も時々イジメに加わる。彼女のは手加減無しの本気の意地悪をするから困る。黒川くんに恨みでもあるのか、鬱憤を晴らしたいのか。そう言う時、胸がちくりと痛む。


「黒川くん、また男子にいじられていたよ。少しは嫌だって叫べばいいのに。何も言わないから余計にやられる」


 学ランを取られて、お姉さんのお下がりを着てきた時、セーラー服を着てきたのは、黒川くんの必死の抵抗だと思った。


 もう黒川くんの所に、二三人集まって騒いでいる。

「黒川、英語の宿題見せてくれ」

 それは有無を言わせぬ命令口調だった。黒川くんは黙ってノートを隠そうとした。それを見つけて、橋口が乱暴にノートを取り上げた。


「おお、よく出来てるじゃないか。俺、一番に写させてもらうぞ」

 橋口はノートを行き成り丸めて、メガホンみたいに円錐形にした。それをバットのように振って、黒川くんの頭を叩いた。パコンといい音がした。黒川くんはやられっぱなしで、苦笑いを浮かべている。もう既に白旗を揚げて、降参状態なのに誰もそれを気にしていない。


「あんたたち、何やってるの?」

 夏希は黒川くんの席まで行って、三人の背中に呼び掛けた。

「夏希、お前もやってみろよ。黒川の頭、スイカみたいな音がするぞ」

 夏希は、橋口から丸めたノートを受け取った。一瞬、心臓がドキンと高鳴るのを感じた。が、それを押し切って、黒川くんの整った頭を丸めたノートで叩いた。当たっても痛くないように、力加減はしている。パコンと弾むような音がして、橋口たちは満足顔だった。


 胸がむずむずする。まるで自分の頭を、丸めたノートで叩かれたみたいだった。爆笑する橋口たちは、もう一度ずつ黒川くんの頭を叩いて喜んでいた。休み時間は短い。今はもうイジメる奴はいない。橋口たちは、宿題を写すのに必死だ。自分の机に行ってしまった。


 全然いい音しない。心臓が破裂しそうな音がする。もう止めたいのに。止めればいいじゃない。それができない。


「とろとろしているから、あいつらにイジメられるのよ。もっとシャキッとすれば。分かっているの黒川くん」

 黒川くんはうんとも言わずに、俯いていた。夏希は声には出さず、心の中で叫んでいたのだ。ノートがあったら、もう一度黒川くんの頭を叩きたくなった。


 この教室は残酷だ。誰も黒川くんを助けようとしない。完全に見て見ぬ振りをするか、イジメに参加するかだった。それにそれをイジメだと思っていない生徒も多い。軽い悪ふざけの類いに入る。黒川くんだって、相手にしてもらえてきっと楽しんでるよと、橋口はニヤニヤした。そんな事あるはずがない。それは夏希にだって、十分分かっていた。


 英語の時間、黒川くんは黒板の文字をノートに取らず、ぼんやりしていた。先生に当てられても、あたふたしてきちんと答えられなかった。でも、それには理由があって、橋口たちがノートを取っていったまま、授業が始まっても返さなかったのだと後から知れた。


「最悪。今日も黒川くん、はぶられてたよ」

「当然じゃない。掃除当番だったんでしょ。黒川くん、いじられキャラだから」

 朋美が、黒川くんのことなど全く気にしていないという目付きで苦笑いした。夏希は何となく胸がざわついた。


 この教室に神様なんていない。いたからって信仰のない者は、決して救われないだろう。


 この恋は実らない。そのイジメに不本意ながら参加しているからだ。もうイジメに加わるの止めようかと思うのに、周りが許してくれない。そう思っているのは、夏希の弱さだ。


 また橋口たちの黒川くんイジメが始まった。

「おい、黒川。罰ゲームだ。お前、好きな子いるのか答えろよ! いたら告白するんだぞ」

 黒川くんは、無言で小犬みたいに首を振った。夏希は知らず知らずのうちに口角を上げていた。黒川くんに好きな子なんていない。


 でも、それはとんでもない勘違いだった。女の子の中で一番嫌われているかもしれないのに、私は何を喜んでいるのだ。馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。馬鹿野郎と叫びながら、放課後の通学路で、夏希は川面に小石を投げ付けた。

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セーラー服男子の黒川くんはイジメられている つばきとよたろう @tubaki10

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