セーラー服男子の黒川くんはイジメられている

つばきとよたろう

第1話

 夏らしい浅黒い肌にショートカットの、目元の柔らかな黒川くんは、近頃セーラー服が馴染んできた。紺色に白の三本線の入った上着に、ひらひらのスカートと白い靴下が似合っている。しかし、馴染んできたのは、セーラー服ばかりではない。このクラスの黒川くんへの悪質なイジメも板に付いてきた。


 みんな黒川くんを嫌っているのではない。取り扱いに困っているのだ。黒川くんは、このクラスの中でイジメてもいい子に分類されている。それを思うと、夏希は胸が冷たくなる。冷たくなるが、夏希はクラスの流れに逆らおうともせず、むしろイジメに参加している。


 流れに逆らおうとすると、あっぷあっぷして溺れそうになって苦しくなる。


 夏希の中には、二人の夏希がいる。


 朝の教室の中程にある席に、誰が持ってきたのか分からない、水仙の花を挿した花瓶が置かれている。それもすっかり花は枯れ葉になって、下を向いている。それが黒川くんみたいに見えた。


 時間通りなら、あと十秒で走りながら教室に入ってくる。教室の扉が開いた。夏希はそちらへ振り向く。教室中が一斉に注目している。黒川くんが額に汗して、顔をしかめながら現れた。みんなが着席している席と席の間を、急ぐように真ん中の席に向かった。


 ああ、最悪だ。どうせ何時もの橋口たちのイタズラだろ。


 黒川くんは自分の机の前で、一瞬呆然と立ち尽くした。この世に存在しない物を見ているような目だった。しかし幾ら立っていても、何も解決しないことは分かっていた。仕方なく椅子をごーと引いて座った。追い打ちをかけて、クスクスと忍び笑いが教室に起こった。


 夏希は自分の机に花瓶を置かれた気分になって、その枯れた花を乱暴に抜き取って、くしゃくしゃと握り潰したいような衝動に駆られる。


 黒川くんは枯れた水仙の花瓶と睨めっこしながら、ホームルールを受けた。夏希は黒川くんのすらりと伸びた背中を見ながら、彼が泣くというより、何かを必死に堪えているような顔をしていると想像した。


 友達の朋美がダイレクトメッセージを寄越してきた。

「また黒川くん、やられてるよ。今日のは、特に酷いな。花瓶の意味分かってやってるのかな?」

 夏希は、「橋口やり過ぎ。でも仕方ないか。黒川くんだもん」と返事をした。


 朋美とは、このクラスになって席が隣になってから話すようになった。毎日話し、一緒に行動する。一方、黒川くんとは幼馴染みだった。中学校の頃は、映画に行ったり、遊園地に行ったりもした。夏希はホラー映画も観覧車もジェットコースターも好きだった。黒川くんは怖い映画も高い所も苦手だった。でも無理をして、夏希に付き合ってくれた。その時も何かに堪えるような顔だった。


 黒川くんがいつからイジメられるようになったのかは、はっきりとは分からない。でも、イジメが酷くなったのは制服を盗まれてから、黒川くんが代わりにお姉さんのセーラー服を着てくるようになってからだと思う。蟻が昆虫の死骸に集るように、黒川くんの四方八方からイジメをしている。


 洗面所の鏡を見ながら、自分の嫌いなところを上げてみる。目袋が膨れているところが、黒川くんにちょっと似ている。


 今朝は薄くファンデーションを塗ってみた。黒川くんは気付いてくれるだろうか。きっと気付きもしないだろう。


 休み時間流行っているのは、スマホのゲームと黒川くんイジメだ。心は反対なのに、口から出てきたのは意地悪な言葉だ。私もみんなと一緒に黒川くんをイジメている。


 やられたからって気持ちが分かる訳ではない。やられたらきっと自分より、弱い誰かにやり返してしまうだけだ。


 黒川くんをイジメたい訳じゃない。みんながやっているから、私もやるのだ。誰も黒川くんをイジメなければ、私は黒川くんをイジメないだろうか。ちょっとそれは違う。


 この頃黒川くんは休み時間、疲れたように机の上に伏せて眠っているから詰まらない。ペンで背中をつついても、なかなか反応が返ってこない。

「起きろよ。寝ているんじゃない。詰まんないだろ」


 黒川くんは、毎晩バイトで疲れているのだという噂だ。うちの学校バイト禁止じゃなかったけ。みんな塾通いで、バイトしている子は、黒川くんの他は誰もいない。それでも、落ちこぼれというほどではない。みんなはクラスにいる落ちこぼれを許さなかった。


 昔はこうじゃなかった。好きなことも言えたし、私がフライドポテト好きなことも分かって、半分残した黒川くんのをすっと差し出してくれた。私は喜んでそれに手を伸ばし、口に頬張った。


 チャイムが鳴ると、教室のみんなは、もうこの授業は金輪際受けたくありませんといったように、教科書をバタンと閉じた。それは数学の先生が黒川くんのセーラー服を注意しようとした時だった。が、それも授業の終了とともに止めにして、それではと言ってそそくさと教室を出て行った。


「黒川、また怒られてんの」

 誰かが教室の静寂な雰囲気を混ぜ繰り返して、笑いが起こった。それは、どこか冷淡な失笑に近かった。この頃は、黒川くんにみんなどこか、どれだけ酷い嫌がらせをできるか競い合っている節がある。


 校庭の落ち葉を大量に、黒川くんの靴箱に入れてやった。黒川くんがそれを見て、どんな顔をするのか見物だ。

 幾ら落ち葉を集めてきても、枯れ木に花は咲かなかった。


 体がチクチクする。痛いのは、私の胸だ。どうして私は素直になれないのだろう。でも、この状況を変えることは濁流に逆らうようなものだ。周りの流れに従っていればいい。ちょっと頭を働かせれば分かることだ。

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