「理由」だけの関係

海沈生物

第1話

 その刑務所には雨が降らない。簡単な話である。それが、地下にあるからだ。俺は高額の給料に釣られてそこの看守をやっているのだが、思った以上に楽な仕事だった。同僚が言うには「週末以外は外に出ることができないからな」という話だが、元引きこもりの俺にとっては慣れたものだ。

 もちろん、全く大変じゃないのかと言われたらそうではない。この刑務所に収容されているのは、「異能力者」「魔法使い」「呪術師」「超能力者」などと様々な呼ばれ方をしている人外たちだ。無論本当に人外というわけではない。

 ここ数百年、人類の中には「人の思考を認知できる人間」が一年に一人か二人程度生まれている。その力を持った人類の多くは平和を望んでいるが、そうではない人間もいる。強大な権力を持った人間が権力に溺れるように、異常な能力を持った人間は能力に溺れる。その大半は強大な力を「正しく」使わなかった者として罰を受けるのだが、能力者にはそこに問題がある。それは、能力による脱獄である。

 要は、能力によって「都合の良い言葉」をもらって絆された看守が脱獄を手伝う危険性があるという話だ。そのため、俺たち看守は「思考を認知されなくする薬」を飲んでいる。そうすれば、もう絆される心配はない。


 今日も異能力者(一番カッコイイので、この名称を使っている)たちの檻へと食糧を運ぶ。大半の異能力者たちは長い地下生活の中で憔悴し、少しおかしくなっている者が多い。時々狂った末に自分の舌を嚙み切って死ぬ異能力者もいるが、もう慣れてしまった。死んでしまうぐらいなら、罪を犯さずに普通に暮らせば良かったのだ。そう思うことにした。

 最下層に行くほど「なんで死刑にならなかったんだ?」みたいな無期懲役の異能力者たちがいる。その中でも、俺はある男が気になっていた。その男の名は「不明」。身分から年齢までが不明であり、本人は黙秘権を行使して一向に言葉を喋る気配がなかったらしい。それなのに、そんな男が俺にだけ話しかけてくる。

 今日もご飯を檻の中に入れてやると、小犬のようにこちらへと駆け寄ってくる。


「よぉ、看守さん。今日もちゃんとご飯を運んでくれてありがとうな。そのまま、檻から出してくれたら嬉しいやけど」


「出しません、ってこれもう何百回目のやり取りですか」


「今日で記念すべき三百回目やな! どうせやし、僕を檻から出してシャンパンで祝おうや」


 見るからに胡散臭い語り口調の人間を、わざわざ出してやる馬鹿がどこにいるのか。出してくれそうな人間と思われているのが癪で仕方がない。いつか見返してやりたいが、その方法は今のところ思い付いてない。

 手を合わせて「いただきます!」と言って食べている姿は、やはりドックフードを食べている犬っぽい。礼儀正しい犬だ。俺もその場に腰を落ち着けると、食糧庫から取って来た「満足できるバー」の袋を開け、長方形型のそれを歯で噛み切る。甘ったるい味はいかにも健康に悪そうな甘い味がするが、効率よく栄養を取るためだ。食事なんて面倒な行為にかける時間を減らせるのなら、やむを得ない。そんな俺の姿を、檻の不明は変なものを見るような目で見てきた。


「看守さんってさ。前から思ってたことなんやけど、ようそんな食事で狂わへんよな。毎日こんな閉鎖空間で同じもん食ってたら、気分が落ち込んでくるとかないんか?」


「それ、同じことを同僚からも言われた。俺にはよく分からないが、多分それが正常なんだろうな。よく分からないが」


「看守さんも大概、”こっち”側やな。意識してないだけで、十分狂ってるで」


 こんな最下層で表情筋フル稼働して笑えるお前にだけは、言われたくない。そう言い返そうと思ったが、なんだかまともに取り合ってやっているようなのが癪なので、やめた。

 「満足できるバー」を食べ終えると、ちょうど不明もご飯を食べ終えたので引き上げてやる。やっぱり言動はいかにも適当そうに見える癖、食べるのは綺麗だ。大体の異能力者たちは出した分を食べなかったり、あるいはプラスチックのトレイを齧るといった奇行へ走るのに。やはり、最下層に収容されているだけはある。

 そろそろ上へと帰ろうと立ち上がると、「あぁ待って待って!」と大声をあげた。


「看守さん、そういえば名前なんて言うの?」


「知らない」


「知らないって。僕みたいなやつにも、”不明”ってあだ名があるのに? やったら、同僚からは何って言われているか教えてくれへん?」


「それもない。同僚からは”お前”とか”キミ”とか、そういう抽象的な呼ばれ方しかしたことない。もういいか?」


 何か言いたげな顔をしている不明を無視して、俺は看守室へと戻った。

 翌日、また同じようにご飯を渡しに行くと、なんだか様子がおかしかった。まさか昨日の今日で自殺をしたのかと思って中を覗いてみると、歯で指を切っていることに気付く。俺がやってきたことに気付くと、顔をあげ、いつものように駆け寄ってくる。


「見てみ! 昨日一晩中悩んだんやけど、これ!」


 語彙力の無くなったオタクかと思いつつ、紹介したがっているものを見てやる。血文字で書かれた「未明」という文字。どうしてこの名前にしたのかとご高説していたが、無視してご飯を檻に押し込んだ。「真面目に聞いてるんか!?」と怒っているのを無視して、今日も「満足できるバー」の袋を開けて齧る。俺の冷たい反応を見ると、さすがに引き下がったらしい。いつものように食事をはじめた。


「でも、”未明”って良いと思わへん? 僕の”不明”とセットで」


「お前と俺はそんな良いセットじゃない。せいぜい、子ども向けの”ラッキーセット”だ」


「それ、セットであることは認めとるやん? 気に入ってもらえて幸いやわ」


 気に入ってない、なんて否定しても無駄なことは明らかだ。否定も肯定で、肯定はそのまま肯定になる。厄介な論法に巻き込まれたと思った。ただ、全く気に入っていないわけではない。

 経歴が”不明”な男と、感情が”未明”な男のセット。異能力者をカッコイイと思う人間なのだ。それの「カッコイイ」に惹かれなくはなかった。今日も食事の食べ方は丁寧だった。ただ、珍しくサバの味噌煮を残していることに気付く。


「このぐらい、食べられないのか?」


「あー違う違う。それは僕らの”ラッキーセット”記念のプレゼントや。こんな檻の中やと、僕の血か食べ物ぐらいしか渡すものがないやろ? 前者はもらっても仕方ないやろうし、消去法でそれってわけや」


 これでも栄養を考えて食事は作られているのだし、全部食べ切ってほしいのだが。とはいえ、善意を無視するのも忍びなかった。手掴みで食べてやると、「豪快やなぁ」と嫌味なのか褒めているのか判断に困る反応をされる。

 俺は汚れた手をハンカチで拭くと、どうせだしとハンカチを投げてやる。


「これは俺からのプレゼントだ。まさかとは思うが、それで脱獄はしないでくれ」


「さすがにハンカチで脱獄は無理や。それに、今脱獄したら未明くんと話すことができなくなってしまうからなぁ。でも、ありがとう。……大切にするわ」


 本音なのか噓なのか。だから、こういう男は苦手だ。いっそ、俺にも異能力者みたいな「人の思考を認知できる」能力があれば判断が楽なのだが。その日もまた看守室へと戻った。

 翌日、俺は妙な夢を見たせいで痛む頭のまま、不明の元へやってきた。しかし、姿がない。ちょうど近くで他の異能力者たちにご飯を与えていた同僚がいるので尋ねると、どうやら”自殺”してしまったらしい。昨日の今日で、そんなことがありえるのか。死体は安置室にあるというので、急いで向かった。

 死体安置室は冷凍庫のように寒い。だが、今はそんな冷たさはどうでも良くなっていた。情を持っていたわけではない。ただ、「理由」を知りたかった。どうして、俺に話しかけてくるのか。俺を利用するためなのか、あるいは本気で懐いていたのか、それとも他に理由があるのか。それを俺に教えてくれない内に死なれるというのは、なんというか、困る。それを情と呼ぶのか、あるいは別の何かなのかは分からない。それでも、死んでいて欲しくなかった。

 死体安置室に並ぶ死体たちの顔を、一つ一つ確認する。だが、どれも知らない顔ばかりだ。どれも興味がない顔ばかりだ。ついに、最後の一つとなった。俺は荒い息を整えると、顔にかかった布を退けた。


「……違う」


 それは全く知らない女の顔だった。明らかに俺の知っている不明の顔ではない。あの子犬っぽい顔ではない。状況が理解できずに小首を傾げていると、背後から肩を叩かれた。反射的に振り返ると、左頬を人差し指で押しすぼめられる。そこには、”生きた”不明の姿があった。


「檻の外では、初めましてやね。僕が不明や」


「そんなこと分かっている。というか、なんで」


「なんで死のうと思っていた、やろ? いやー正直、もう地下生活は飽きてんか。だから、脱獄しようかと思って、ちょっと特殊な手を使って死んだフリしてたんよ」


「……そうか。だったら、さよならだな。死んだ人間の脱獄を止める気はない」


「待って待って! 未明くんはそれで良いんか? このまま変わらない日常を続けて、それで退屈やないんか? その……僕が行ってしまって、悲しくはないんか?」


 悲しくはない。それは言わずもがなの事実だ。俺にそんな情はない。ただ、そこには「理由」があった。この不明という人間の、底が見えない本性を見極めたいという気持ちがあった。知的好奇心のほとばしりが、そこにはあった。


「悲しくはない。だが、お前が行くと俺は正直」


「寂しいんやろ? 分かる分かる、僕は異能力者やからな。未明くんの心なんて、透け透けやで」


 やっぱりここに残ろうか。無言で立ち去ろうとしたが、身体を張って止められてしまう。俺はくしゅんとくしゃみをすると、不明を振り払う。


「分かった、分かった。お前に付き合ってやる。だが、俺はずっといるわけじゃない。”理由”があるから、お前の元にいる。それが解消されたら、そこで関係性は終わりだ。分かったな?」


「分かっとる、分かっとる。未明くんと何回もご飯食べてるからな。そういう変なところは把握済みや」


 「とりあえず、ここからの脱獄やな!」と嬉しそうな背中。果たして、雨の降る地上へと無事に辿り着くことはできるのか。だが、この男ならどうせ未明までにここを出られる。そんな不明な確信を俺は抱いていた。

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