【短編】義肢の男が鋼のリングに立ち上がるまで。

京藻晴々

アーマードコロシアム

 二○七二年、午後十時。ニュートウキョーのマンションの一室。

 ゴミの散乱する薄暗い部屋を、チカチカと明滅する液晶テレビが照らしていた。

「決めたぁああ! ZPET社プレゼンツ『全日本ボクシング王者決定戦2072』ここに決着ゥ‼︎ 日本のボクシング界に新たに君臨するはキングバトー、馬頭良和だ‼︎」

「クソッタレ。何が王者だ、俺より下手くそだったクセに」

 興奮する実況者の声に悪態を吐き、テレビの前で酒を呷っていた青年は空き缶を投げつけた。

 色の抜け黒の混じった金髪に、落ち窪んだ目。筋肉質な上半身と、膝から先のない両足。

 車椅子に乗る彼の名は、不動飛鳥。かつて日本一のボクサーだった男である。


「くそっ、足さえあれば俺だって……」


 二年前、彼の乗る自動運転車が故障により事故を起こした。

 重傷を負った飛鳥は両足を失い、治療のために大きな借金を抱えることになった。

 自動運転車のメーカーを訴えたが、相手の弁護士にやり込められ、むしろ新たな借金を抱える始末。かつてはあんなに持て囃したオーナーもファンもスポンサーも去っていった。

 こうして全てを失いやさぐれた飛鳥は、酒に溺れるようになったのである。


「酒、酒……くそっ、さっきので最後かよ」


 飛鳥は新しい缶を探したが、すっかり飲み干していたことに気付く。


「……あああ! 酒が足りねぇ、めんどくせえが買いに行くか」


 飛鳥は舌打ちをして、玄関へと車椅子を漕いだ。

 コンビニからの帰り道。

 人気の無い高架下のトンネルで、飛鳥は声をかけられた。


「不動飛鳥。一度は日本史上最強のボクサーと謳われた人が、随分と落ちぶれたもんだね、お兄さん」

「あ? 誰だてめぇ」


 そこにいたのは、金髪と青い瞳を持つ少年だった。

上等そうな白いシャツと黒い短パンに身を包み、手には大きなアタッシュケースを下げている。幼なげな顔に妙に薄っぺらい笑みを貼り付け、ロリポップをタバコのように咥えていた。


「僕は檜木紀夫、ZPET社の人間だよ」

「ZPET社の社員? お前みたいなガキがか」


 ZPET社と言えば、誰もが知る大企業だ。産業ロボットから電動歯ブラシにいたるまで様々な電化製品を販売し、そのシェアは実に世界市場の四割を占める。ただの子供が入れるような会社ではない。


「ZPET社は実力主義だから、年齢なんて関係ないのさ。使えるなら何だって使う。それこそ、酒に溺れた元ボクサーでもね」

「んだと……」

「おおっと、別に喧嘩しにきたわけじゃないんだ。むしろ仲良くなりにきたんだから」


 そう言うと、少年はアタッシュケースを開いて見せた。

 中には一対の義足が入っていた。

 飛鳥の記憶が正しければ、今年発売されたばかりの最新ハイエンドモデルである。借金で金のない飛鳥には、手の届かない代物だ。


「もし僕の仕事を受けてくれるなら、これを前払いで差し上げよう。さらに、依頼を見事達成してくれたなら一億円差し上げちゃう! 借金3000万を返してもなお、しばらく遊んで暮らせる額だよ」

「……内容は?」

「やだな、ボクサーにやらせることなんて一つしかないでしょ」

「ボクシングか? 俺が引退してからもう2年になるんだ。もうリングに立つのは……」

「お兄さんが使えるかを判断するのは僕だ。で、お兄さん。やるの、やらないの?」


 飛鳥は黙り込み、少年を見つめたまま思案する。

 終わった選手に対して、あまりに高額な報酬。明らかに関わってはいけない類いの話だ。

 しかし、それを推しても喉から手が出るほど欲しいものが、飛鳥の目の前にあった。

 電動義足。多大な借金と入院費の為に諦めたもの。

 飛鳥の全ては脚とともに失われたのだ。ならば、あの義足が手に入ればこの生活も少しは上向くかもしれない。


「……分かった、受ける」


 飛鳥が頷くと少年はニヤリと笑みを浮かべた。


「そうこなくっちゃ。そうそう、自己紹介がまだだったね。僕は檜木紀夫。短い間よろしくね!」

 目隠しをされた飛鳥は、黒塗りの自動車に乗せられて、どこかの施設に連れて来られた。


「おい、どこに連れていく気だ」

「慌てない慌てない、もうすぐわかるさ。……ほら、ついた。もう目隠し取っていいよ」


 車椅子を押していた紀夫に言われ、飛鳥は鼻を鳴らして目隠しを取る。


「何だ、ここは」


 そこは巨大な闘技場だった。

ローマのコロセウムを彷彿とさせる円形の部屋だった。

壁際の観客席と思しき場所には無数のカメラが並び、中央の広場には金網に囲われたリングが設置されている。

 リングではパワードスーツを着た二人の男が戦っており、グローブをつけた拳で殴り合っていた。

 茫然とする飛鳥に紀夫は話し始めた。


「ここはアーマードコロシアム。いくつかの大企業が共同で運営する、秘密実験場だよ。ここでは、パワードスーツや電動義肢の性能実験や耐久実験のためによく使っているね」

「実験場? どう見ても地下闘技場じゃねぇか」

「資金調達も兼ねているからだよ。実験の様子を公開して、賭け試合やデスマッチも一緒に興行するのさ。商品の宣伝にもなるしね」


 紀夫が薄っぺらな笑みを浮かべて答えれば、飛鳥は鼻を鳴らした。


「ハン、いい趣味してんな。それで、俺は誰を倒せばいい?」

「白鯨社の代表選手だよ。そいつにうちの選手を全員駄目にされていてね。名前は馬頭良和、現日本王者のキングバトーさ」



 控室。

パワードスーツと義足を装着した飛鳥は、ウォームアップを終えると舌を打った。


「……くそっ、思ったより衰えていやがる」


 人工筋肉の補佐で幾分かマシになってはいるが、速さも瞬発力も拳の速さも全盛期の七割に満たない。

 現役時代はバトーに負けたことなどなかったが、日本王者となった今のバトーに勝つのは極めて難しいだろう。

 二年というブランク。その重さが飛鳥の体にずっしりとのし掛かってきていた。


「出番だ、出ろ」


 黒服の男に呼ばれ、飛鳥は拳をぎゅっと握り締めて会場への扉を潜った。

 リングには、白いパワードスーツを着た男が待ち構えていた。


「おい、おいおいおい! もしかして、飛鳥かよ!」

「……バトー」


 嘲り笑う眼前の男を睨みつけ、飛鳥は男の名を呼んだ。

 バトー。本名、馬頭良和。角刈りの黒髪に三白眼の蜥蜴のような顔立ち、筋肉質で背の高い肉体を持つ。

 赤いボクシングトランクスの上に、金属外骨格と炭素繊維製人工筋肉でできた骸骨のようなパワードスーツを着ている。

かつて飛鳥とボクシング界で覇を競っていたライバルであり、二年を経て日本ボクシングの頂点に立った王者だ。


「へっぽこZPET社が次にどんな奴を連れてくるかと思えば、足無し野郎とは。飛んだお笑い草だぜ」


 リングのポストに寄りかかって嘲るバトーに、飛鳥は鼻で笑った。


「俺が現役時代の頃の戦績、覚えてるかバトー。五戦五勝〇敗。脚がないくらいが、ハンデにはちょうどいいだろ?」

「……なめやがって、今度こそリングに立てねぇように潰してやる」


 バトーが青筋を浮かべて拳を構えたのに合わせて、飛鳥も拳を構える。

 天井から吊るされたスピーカーから、アナウンスが響いた。


「これより、白鯨社代表『馬頭良和』対ZPET社代表『不動飛鳥』の試合を始めます。種目はボクシング。十カウントを取られるか、バイタルデータから戦闘不能と判断された場合、ノックアウトとして勝敗を決めることとします。では、試合開始」


 ゴング代わりの電子ブザー音がなる。それと同時にバトーが仕掛けた。

「死ね!」

 一瞬にして距離を詰めたバトーが拳を放つ。

 それを飛鳥は防御を固めて、その一撃を受け止めた。


「お、重い!」


 靴がずりずりとリングを滑り、装甲で受け止めたはずの腕がビリビリと痺れた。

 想像を超えた威力に驚愕する飛鳥へ、観客席から紀夫の助言が飛ぶ。


「お兄さん、受け止めちゃダメだよ! 機械で強化された拳の前じゃ防御なんて自殺行為だ!」

「先に言え、馬鹿!」

 飛鳥が怒鳴る間にも、バトーは絶え間なく飛鳥を攻め立てる。

 ジャブにフックに右ストレート。立て続けに繰り出される連撃を、飛鳥はフットワークと体の捻りで凌ぎ続けた。

 何とかクリーンヒットは避けているが、飛鳥の体には着実にダメージが溜まっていき、ジリジリとコーナーポストへと追い詰められていく。

「オラオラ、打ってこいよ。殴らなきゃボクシングじゃねぇだろ!」

「チッ……!」

 バトーの猛攻に防戦を強いられ、飛鳥は舌を打つ。

 決して反撃の隙がない訳ではない。

 飛鳥の経験とまだ残されたセンスが、その隙を見出していた。

 しかし、そこに差し込むには『脚』がついて来なかった。

 二年のブランクと、義足ゆえの反応速度の遅さが、文字通り飛鳥の足を引っ張っていたのだ。

「くそっ、本物の足なら……しまった!」

 ほんの一瞬、集中が途切れる。

 飛鳥が我に帰ったころには、眼前にバトーのグローブが迫っていた。

 衝撃。

 殴り飛ばされた飛鳥は地面へと叩きつけられる。

 明滅する視界、燃えるような顔面の痛み、つんざくような耳鳴り。

 飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止め、飛鳥はリングロープを掴んだ。

「ぐお、おお……」

 痛みに呻く飛鳥はリングロープを支えにして、なんとか立ち上がる。

 しかし、そのダメージは深刻で、もはや飛鳥は一歩も動くことができないだろう。

 そんな襤褸きれのような姿を見て、バトーは大仰に肩をすくめた。

「おいおいこれで終わりかよ? 二年前もこれなら足を失わずに済んだのに哀れなやつだぜ」

「……今、何つった?」

「二年前の事故はな、俺がやったのさ。車屋に金握らせてよ、お前の車に細工させたのさ。ごめんよ、飛鳥……こんな無様な姿を晒すくらいなら、ちゃんと殺してやればよかったぜ!」

 勝利を確信したバトーの嗤い声が、会場に木霊する。

 しかし、飛鳥は不敵な笑みを浮かべた。

「……そうか、俺はラッキーだったわけだ」

「何だと?」

「あの事故で全てを失ったと思っていた。だが違った、俺は掴んでいたのさ。テメェをぶん殴るための拳とチャンスをよ!」

 そう啖呵を切った飛鳥は、拳をバトーに突きつけ、宣言する。

「一撃だ、一撃だけでお前を潰す」

「くはっ、死に損ないが。お前にできるものかよ!」

 バトーが拳を構えて猛然と迫る。

 対して飛鳥はだらりと腕をして棒立ちになり、その拳を見極める。

——ここだ——

 バトーの拳が放たれる寸前、飛鳥は膝から力を抜いた。

 飛鳥の身体が後方へと倒れていき、バトーの拳が空を掻く。

 そして後頭部がリングマットにぶつかる寸前、電動義肢のバランサーが稼働して、飛鳥の身体を強引に引き起こした。

「うおおおオラァああ‼︎」

 曲芸じみたスウェーを成功させ、その勢いのままに右ストレートを放った。

二年の車椅子生活で鍛え上げられた全身のバネとパワードスーツの人工筋肉が爆発的なエネルギーを生み出して、バトーの顔面に炸裂した。

 炸裂。轟音が会場に響き渡り、衝撃に吹き飛んだバトーが金網に叩きつけられた。

「……7、8、9、10。K.O。ZPET社代表、飛鳥選手の勝利です」

 合成音声が勝敗を告げると同時、飛鳥は拳を突き上げた。

 ★

 黒塗りの送迎車から降りて、飛鳥は辺りを見回した。

 朝焼けに染まるビル街、行き慣れたコンビニ。

 二本の足で立ってみる景色は、見慣れているはずなのにどこか新鮮に見える。

「報酬の一億だけど、お兄さんの口座に振り込んどいたから後で確認してみて」

「ああ、わかった。ありがとうな、紀夫」

 車の窓から顔を出す紀夫に頷くと、飛鳥は礼を言った。

「その賞金は契約を履行しただけだよ、礼はいらないさ」

「それだけじゃねぇ。バトーに借りを返せたし、またリングに立てた。お前のおかげで昔の自分を取り戻せたよ」

 そう言って飛鳥が頭を撫でると、紀夫は顔を赤くしてその手を払い除けた。

「……やめてよね、子ども扱いするのは。柄じゃないんだ」

 紀夫はそう言うと、車のAIに発進するよう指示を出した。

「じゃあね、お兄さん。もう酒に溺れるのはやめなよ、見るに耐えないからさ……ファンとしては」

 紀夫はそう言うと車の窓を閉めて、去っていった。

 飛鳥はしばらくキョトンとしていたが、やがて小さくなっていく車に大声で呼び掛けた。

「ああ、もちろんだ!元気でな、紀夫!」

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【短編】義肢の男が鋼のリングに立ち上がるまで。 京藻晴々 @kyoumo8080

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