あたしの隣の新卒ちゃん、片思いをしている様子
@KASHIMA3508
あたしの隣の新卒ちゃん、片思いをしている様子
「ねえ、好きなんだけど」
朝一番、出勤して来て自分のデスクに着いて、あたしの目に最初に飛び込んで来たのはこの”文字”だった。
「ほう……」
あたしは
大した名もない企業の総務部に勤める女子社員だ。大学卒業後入社したこの会社に勤めて早5年。今年の期首に
中小企業としてはそこそこ広さのあるオフィスの窓際が総務部のテリトリーで、経理部・管理部が事実上「島」を共有している。窓を背中に正面を向いた課長席と、その直線状に10個以上のデスクが対面して並び、この「島」を形成していた。
その中のひとつとして「島」を構成するあたしのデスク。自慢じゃないが片付けは割と苦手な方で、中央にでんと鎮座したデスクトップの周りには書類やら文房具やらが無秩序に散乱している。
そんなあたしの右隣の席にはひとりの女の子—―
今年入社して来た高校新卒の18歳だ。
「おはようです、
「……おはよう、
軽快にあいさつしながら、
タイトルは『今期の目標について』。
社長の訓示を始め今年の売上目標や利益目標がグラフを用いてつらつらと書き連ねられている。毎年同じ事が書かれていないか?、と思いながら一番下の確認欄に、回覧済みのハンコを押す。――と言うのがいつものパターンだったが……。
それよりも目についたのが、先の“一文”である。
印刷したかの様な丸みを
それだけではない――――
書面には、他にも「頼んだ資料まだ?」とか「仕事終わったら遊ぼう」などと言った文字が、様々なフォント、様々な色合いで、向きも大きさもバラバラに書き殴られていた。
無論、この回覧文書はあたしが目を通す前に、上司や同僚、後輩たちの目を通っている。こんな落書きがされていれば、大騒ぎだろう。
本来ならば――――
とりあえず、
彼女はにっこり
配属されてまだ数ヶ月の彼女のデスクはこざっぱりしていてそこまで念入りに掃除する必要性も感じないが……それでも
……そんな事してる場合じゃないと思うんだけどな。
どこかそそっかしい――まぁ今どきの娘である。
「ちょっと、手を貸してあげようか……」
あたしは独り言を
「
「はい?」
ブラウンの髪をはためかせ、
その肩を、ぽんっと軽く叩く。勢いに乗せて手につまんでいた”文字”を彼女の肩に押し付けた。
ぺったりとシールの様に張り付いた”文字”は、
「あ!」
「
「忘れてたでしょ?」
差し出された資料を受け取る課長。四十代後半の彼からすると、高卒で入った
「またやっちった……」
などと
あたしから見ても
まあ男受けが良いのも分かる。
「思い出して良かったじゃない」
黒い
ゆるふわ系の
……地味って言うな。
「
一応こちらは年上で、先輩で、なんなら今年からは上司の立ち位置でもあるので敬語も忘れないで欲しいところだが――
「でも
「え?」
あたしの言葉に
「え? ……じゃなくてね。
備品の発注! 見積もり取って『稟議書』起こしておいてねって言ったでしょ?」
「わ、忘れてましたぁっ!」
慌てて業者へ電話をかける準備を始める
今のところ、備品の発注が彼女にできる唯一のお仕事だ。
一通りの事は無難にこなせているが、忘れてすっぽかされる事もこれが初めてではない。
――ご多分に漏れずまだまだ学生気分が抜けていないご様子だ。
まあ、それはそれとして――――……
――――これが、あたしの“
人から人への”想い”を”
この”
例えば今の場合、課長が「頼んだ資料まだ?」と言うメッセージを
なので、他の「仕事終わったら遊ぼう」と言うのも、誰かから誰か――内容からして
まあ、こんな仕事に関係のない私信は放っておいて良いだろう。
放置すれば、時間とともにこの文字は消えて行く……。
さて、以上を踏まえて先の”一文”である。
ちょっと面白わね。
あたしは胸中でほくそ笑んだ。
ところでこの“
「
「はい青葉課長、何でしょう?」
「
「あ…………っ!」
ジト目で見上げて来る課長の視線に追われながら、あたしは大急ぎでパソコンを立ち上げた。
――――この”
◇◇◇
「ねえ、好きなんだけど」
「文面からすると女の子よね……」
ランチのサンドイッチを頬張りながら、あたしは回覧文書をひたすらに眺めていた。そんなあたしに対し、対面の席に座る男の同僚が、手にしたスマホ越しにチラチラと視線を向けて来るのを感じる。
「
「ええ、
「……そっか」
触らぬ神に
奇異なヤツだとでも思われたのだろう。
そんな事はどうでも良い。
あたしは、ひとり探偵ごっこを進めていた。
この“
もちろん、それはあくまで傾向として――と言うだけであり、例えば営業部のバリバリのキャリアウーマンは、これでもかと言うほどかっきりとしたフォントが“見える”し、その時の心情によっても変化する。
が、とりあえずは見た通り、この丸っこいフォントからして女の子が誰かに当てた“想い”と考えて良いだろう。
総務部は経理部・管理部と「島」を共有している為、全体としては12人の所帯だ。総合職とあって女子が多く、女8名男4名の構成。あたしを除くので候補の女子社員は7名。
更に候補を絞る事が可能だ。
現時点で確認印を押している女子はあたしを除いて2名。この“
その為に朝から回覧文書をキープし続けると言うはた迷惑な事をやっているのだ。
対象はあたしの同期である
しかし、海老沢は既婚だ。候補から外すべきだろう。
すると、メッセージの出し手は
次に受け手だ。
こちらの候補は3名。青葉課長、あたしの同期で目の前でスマホをいじっている
まず青葉課長はない。
回覧文書のスタート地点は彼なので、彼が
次に美空。あたしと同じ27歳独身。ただでさえ冴えない感じのサラリーマンだと言うに、
となると残るは
少々
この推論に不自然は無い。新卒の娘が同期あるいは先輩の男に惚れるのはお約束だ。そうならなかったあたしが言っても説得力は無いが、そんなものだろう?
こんな能力がなくても想像がつく答えに辿り着いてしまったが……
推理が納得の行く結論に
――そして、「ねえ、好きなんだけど」の“
あたしは思わせぶりに青葉課長の背後を回り、「島」の反対側に回り込んだ。青葉課長はデスクに突っ伏してご就寝中。美空はスマホゲームに熱中している。他も
――唯一、
そのまま、
「
「はい?」
「昼休みが終わったら、トイレの
「良いっスよ」
彼は経理部所属なのだが、この雑用に嫌な顔をする事もなく笑顔で引き受けてくれた。総務には青葉課長以外、男がいないので、
「あ、わたしも手伝う!」
にこやかに手を上げて立候補する
やはり、そう来たか。
「ダメよ。男の子じゃないと男子トイレ入れないでしょ……」
とあたしは一瞬考える様な素振りをして――
「いや、ちょうどいいわ!
じゃあ
「え……っ!
あたしの言葉にきょとんとした表情をする
「じゃあ、
丸っこいフォントの可愛らしい”
「え……あれ……、はい……??」
不思議そうな表情であたしの顔と
これは……どんぴしゃりの様だ。
「それじゃ、ふたりともお願いね」
笑いを
◇◇◇
数日後、想定外は思わぬところからやって来た。
「
はきはきとした口調で『稟議書』を渡して来たのは
「え……?」
「何か問題でも?」
「ああ……いえ! 何でもありません!」
あたしはきょどりつつ、何とか平静を装って彼女から『稟議書』を受け取った。
営業と総務は隣の部屋だ。
自分で直接渡しに行けよ!
と
それは別に良い。
問題なのは、その表紙に丸文字ででかでかと書かれた「今夜一緒に食事しよう」の文字。
当然、あたしの“
あいつ……こんな丸文字で表示される様なキャラだったのかよ……。
いやいや、そんな事はどうでも良い!
宛先は――――本人が言っていた通り、
――これは、意外……!
確かにあたしがかおりから書面を預かったりすることは
あたしが
いずれにせよ――。
「これは……可哀想な事をしちゃったかしら……」
思わず廊下でひとり、頭を
あたしの“
それが当人の望む方向であれば良いが、本人の意志にそぐわない場合は、良からぬ方向へ
「やばいなぁ……。
預かった『稟議書』に視線を落としつつ、軽率な行動だった事を反省しながら自分の「島」へと戻る。
……そー言えば『稟議書』で思い出したが、
「島」には相変わらず、青葉課長、美空主任の他同期・後輩らいつもの
そして
「
「了解っス」
「よろしくね」
渡し際、ペりぺりと「今夜一緒に食事しよう」の文字を引き剥がし、彼の背後をすり抜け様に貼り付ける!
「……ってあれ? これ、間違ってるっスね」
「どこが?」
「ホントだ。年度が去年の
「しゃーない。出し直してもらいますか!」
「良いじゃない。
「冗談じゃないっスよ! かおり……あ、いや
貼り付けた”
「あ!」
唐突に声を上げたのは対面の自席で何やら作業してた
「ついでにこれもお願いです~!」
立ち上がる勢いで小柄な
「ねえ、好きなんだけど」
「…………」
どうやら忘れず作業を進めていた様だ。その事は感心だが……
差し出された『稟議書』を
「ちょっと!
「え……っ! いや、わたしはちゃんと
いかにも予想外、と言う表情でこちらを見つめて来る
だが、あたしにそんな嘘は通用しない。
ばっちり”
今どきの子らしく怒られ慣れていないのか、
「まぁまぁ……。ちょっと忘れてただけだよな、
「はぁ……?」
すかさず後輩のフォローを入れる
あんたも女の子にそんな気の
……いや、もしかしたらあたしが先日貼り付けた“
かおりと
「と……とりあえず、
「そーっスね……!」
「あ、
さっき
……え? 自分で持って来いって? ……仕方ないなぁ……!」
ガチャリとやや乱雑に受話器を置く。
「じゃ、ちと行って来ます」
「いってらっしゃい」
ため息つきつつ
「ねえ、……
ぽつりと
「何?」
上司に対して「ねえ」はないだろ、と思いつつ、それよりも先程自分の頭越しに『稟議書』を回そうとした
「
「はぁ!?」
予想外の反応に、あたしも
何を言い出すんだ、この小娘は!?
「ほら、今も仲良さそうにしゃべってたし、
こちらから視線を逸らし、ぽつぽつと呟く
……そー言う風に見られてたのか、あたしは……?
「ないない!」
あまりに的外れな話に、あたしも半笑いで首を横に振って否定する。
あたしはこの”
「あたしと
「そうなんですか?」
うむと
変な方向に話を持って行かれてしまったが、これは逆にチャンスである。
あたしは
「それに
「え!? そうなんですか……!?」
「ウワサではね」
今しがた知ったばかりの情報を、さも前々から気付いていたかの様に伝える。
「何か、意外な組み合わせですね~……」
これで、この子も
「さ! そー言う話は
◇◇◇
「ねえ、好きなんだけど」
「『稟議書』のチェックお願いです~」
「…………」
『稟議書』の紙面にもはや見慣れた一文。
以前に比べればやや小ぶりで、申し訳なさそうに紙面のすみっこに寄っているが、しかしはっきりと書かれていた。
そのあたしたちに向かって、いつかと同様にデスク越しに『稟議書』を突き出して来る
ほぼあたしと
さて、どちらに向けて差し出されたものだろう? と
しかし、“
「いい加減にしなさいよ!」
あたしは思わずきつめの口調で、
そこまで語気を強めたつもりはなかったが、自分が思っている以上にきつかったらしい。隣でスマホをいじっていた美空が、びっくりした様にこちらを振り向く。
「何度も言わせないでね!? 『稟議書』を起こしたらまず直接の上司であるあたしに見せること!」
「え……っ! ち……違います!
わたしはちゃんと
相変わらず見え見えの嘘を言う
あたしにはしっかりと“
「……ほら、見てみなさい!
表題は間違えてるし、金額の計算も違っているじゃない!
だからまずあたしに見せなさいって言ってるの!」
しどろもどろの
「もう一度やり直しなさい!」
びしっと『稟議書』を突っ返す!
さすがにしゅんとした表情で、黙って受け取る
あたしはそんな彼女を尻目に自席に戻る。
……正直、焦っている自覚があった。
これ以上、
その後、あたしの心配を
何度かふたりでやり取りがあり、その度にあたしはびくびくしていたが、彼と彼女が何の書類をやり取りしようが、そこに何の“
その様子を見て、あたしは心の中でほっと息を吐く。
どうやら
元はと言えば、これはあたしが
余計なお世話以外の何物でもない。
時折やらかすのだ。
“見える”と言っても、たかだか10文字程度の極めて簡素な一文で見えるに過ぎず、その前後の文脈まで読める
時間が経って冷静になるにつれ、酷いことをしたのは自分だと言う気持ちが強くなり始めた。勝手に自分で失敗してそれを取り
……後で謝らなくちゃなぁ……。
正直あまり仕事に手が着かないまま時が過ぎ、時刻はまもなく終業時間。
残業して仕事を終わらそうと頑張る者、周囲の仲間としゃべり始める者、早々に帰宅準備を始める者……。
「それじゃ、お先に失礼します」
「お疲れ様ー」
やっぱ気付いていなかったのはあたしだけか……?
特に
……やっぱ、日中怒った事でへこんでいるのだろうか?
「……
「はいっ!?」
余程想定していなかったのだろう。あたしの声かけに飛び上がって反応する
「あ……、ごめんなさい!
集中しててびっくりしちゃった……!」
「驚かしてごめんなさいね……」
あたしは一拍置いてゆっくりと言葉を続けた。
「あのさ、
「いえいえ! わたしも
小さな頭をペコリと下げて、
”
ならば、普通に合わせるべきだろう。
この話はもうそれでおしまいだ。
「ところでさ」
あたしは自分にそう言い聞かせる為にも、話題を変えた。
「さっきから悩んでいる様だけど、分からない事でもあるの?」
「えっと……、『稟議書』直そうと思ったんだけど、あれこれいじってる内にわけ分からなくなっちゃって……」
「どれどれ?」
座席に座ったままあたしは、
「これくらいなら、直してあげるわよ」
「お前ら残ってないでさっさと帰れよ~」
などと言いながら帰宅して行く青葉課長に「これ終わったら帰ります」と気のない返事を返しつつ、さくっと『稟議書』を直す。
「わぁ、ありがとうです!」
ぱっと笑顔を作ってお礼を言う
「どういたしまして!
さぁ、さっさと作って帰りましょ?」
「はい!」
焦るな焦るな。また失敗するから……。
などと思いながら一部
「それじゃ
「はいよ」
それを受け取って――――
「…………」
――――あたしは言葉を失った……。
「……
よく見たら日付もおかしいし……」
「ええっ! またやり直しっ!?」
その彼女の手を、あたしは静かに制した。
「いいわ。また
「……分かりました」
がっくりと肩を落として
その彼女の肩にそっと手をおいて、あたしは
「そんな事してると時間なくなっちゃう!
実はさ、
「ホントですか!? 嬉しいです~!」
「もうさ、どうやってお詫びしようか今日一日ずっと考えていたんだから!」
これは嘘。
今、気持ちが変わったのだ。
「それじゃ、帰る用意するから待っててくださいね!」
「急がなくていいわよ」
ばたばた帰り
準備ができた
「口ではっきり言ってくれれば良かったのに!」
引っぺがしたところで、貼り付ける場所がない”
――――この”
「ねえ、好きなんだけど」
――おわり――
あたしの隣の新卒ちゃん、片思いをしている様子 @KASHIMA3508
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