糸の色を望むなら
香枝ゆき
第1話 16歳 高校生 春
いつもと同じ日常を、変えたかったのかもしれない。
「俺とお前がデキてるって話回ってるらしいよ」
長い付き合いの友人、浜坂淳平が、分かりやすいくらいに動揺する。
「……え?」
そこにある表情はただ純粋な問いかけだ。
「淳と俺が」
「!?!?!?」
まずは机の上に積み上げようとしたプリントの山は滑り、ばら撒かれた。次に淳が盛大にバランスを崩す。ここまで焦るとは思っていなかったけれど。
俺は一定のスピードで印鑑を押し続ける。部屋には二人だけだった。
いつもどおり。
「いや、そっち彼女いるじゃん」
「うん、その彼女が教えてくれた」
淳は拾い上げたプリントをまた落としてしまう。
「まー休み中もでてきて生徒会仕事やってるし?生徒会のメンバーが全員で、今ここにいる男二人だけで、二人っきりとか普通だし?」
――生徒会会計。兼書記。兼副会長の浜崎海里と、生徒会長の浜坂淳平。この二人がデキているといううわさが、腐女子を中心にまことしやかにささやかれているらしい。
「ちょ、その言い方」
みるみる顔が赤くなってきている。くるくると変わる表情を見ているのが楽しい。
「BL?」
「やめろお!」
彼女いない歴=年齢の淳は、今にも泣きそうだった。
創作物や性的指向としてのBLには理解があるものの、自分は守備範囲外。彼女ができる時期が遠のきそうな噂なんて、ごめんこうむりたいに決まっている。
もうすぐ高校二年生だというのに、淳には今まで浮いた話の一つも出ては来なかった。
「てか、彼女そんなオタクだったっけ?違うじゃん」
「あ、中身オタクだから、隠れオタク。……ワカは腐女子気味なとこあるけどさ、わりと本気で言われてマジびびった」
「マジびびったとか言うわりには顔色ひとつ変わってないわけですがそれは」
「あー、はんこの位置がややずれる程度にはきてるよね」
心にもないことを言い、自分の分の仕事を終わらせる。
淳に渡した書類には、さきほど押したはんこ……生徒会印が数ミリ右上がりに押されていた。
大丈夫だとは思っていたが、やり直しを言われることにはならなかった。
諸事情あり、
各部活・委員会の予算折衝準備、行事スケジュールの作成、新入生歓迎会の準備。やらなければいけないことはまだまだある。
淳はボストンバックを漁っていた。
時間は午後3時。そろそろお茶をいれてもいいかもしれない。
「おやつでも食べる?」
言い出した淳も気分転換をしたかったのだろう。出してきたコンビニの袋からはお菓子が見えている。ただ、あえてボケているのかと思った。
拾いに行くほかはない。
「え、ポッキー見えてるんだけど、この流れでそれ出すってどうなの。ポッキーゲームするの?」
「するわけないだろ!」
中庭の鳩が飛び去った。
湊山高校生徒会執行部は、立候補制至上主義を貫いている。生徒会役員には、学年にかかわらず、なりたいと言えば基本的になれる。最盛期には30人ほどが籍を置いて活動していた。らしい。
反対に言えば、立候補がなくとも無理に候補者を擁立しない。もっというと、規約には生徒会執行部の下限、上限人数の規程も存在しない。裏目にでれば、今みたいに、一人何役もこなさなければならない事態が発生する。
先生から目ぼしい誰かに生徒会入りを打診する動きは今後もなさそうだ。
「なあ、なんで生徒会入ったんだっけ……」
淳がぐったりと机につっぷしている。
流行りの曲を詰め込んだベストアルバムは、全てのトラックを再生し終わり、液晶の点滅が繰り返されていた。室内のデッキでCDを流していたが、わざわざとり変えたり、また再生ボタンをおすのも面倒くさいのだろう。
作業BGMを流すのは、ただテンションをあげるためのもので、2人ぼっちが気まずいからだとかいう理由はない。現に今淳がぼやくまで、心地いい沈黙がおりていた。
生徒会入りした理由。
答えるまえに、俺はタンブラーに沸かした緑茶を注ぐ。
沈黙が耐えられない、環境音楽が絶対的に必要な関係性でもない。
「淳は先輩たちが楽しそうだったから、っていう理由だよね」
ただ、自分の理由は答えたくない。
「そう、それだけど!」
どーんと怒りのあまり長机を叩く。
タンブラーの中、緑茶に波紋。
「こぼれるだろばか」
紙くずを投げた。いつものように、するりとかわした。
「ってかさ、俺いなくなったら多分まわらないよ」
「カイの上から目線、腹立つけど同意」
……新規役員立候補者ゼロに終わった昨年秋の選挙後。
役職につけるのは、俺と淳しかいなかった。
お通夜のような役職決めの際、引退した先輩たちや先生から、それとなく期待の目が向いていたのは感じていた。けれど、淳が会長にふさわしい。それ以外のことはなんでもするからと、断固拒否を貫き通した。
ぐびっと飲んだ緑茶が目を冴えさせる。淳は袋菓子を開けていた。
ポテチの匂いが室内に充満する。
湊山は本日時点で三学年の合計が18クラス、生徒数609人だ。
この規模で二人の生徒会なんて、ブラックもはなはだしい。
部活も塾も行ってないから平日毎日残って休日も出る。このやりかたと、フォーマット作成、パソコンでの作業を効率化してぎりぎりだ。
「ぶっちゃけ、このまま僕ら抜けたあと空になったらどうすんの」
「さすがに生徒会規約改正されると思うけどね。この状態もそもそも異常だから」
異常といいつつ、自分が積極的に現状を打破しようと動いていないことを、誰も気づいていなければいい。
生徒会室は、淳といられる時間なのだ。
壁には生徒会執行部、先代メンバーの写真がかけられている。あの人たちのように、学校を良くしようだとか、そんな高尚な思いは微塵ももたずにここにいることにまったくためらいがないわけではない。
もちろん、熱意溢れる先輩たちに触れて、ちょっとは自分の役に立つことをやろうという気持ちにはなった。
ただ、三年生が抜け、数少ない二年の先輩もどさくさにまぎれてやめたとき、心のなかでガッツポーズをしたのは事実だった。
自分達のあとに、誰も入ってこなかったことも。
「あー、春から誰かこないかなあ」
「そーだねえ」
ポテチの減りは、思ったより遅い。
糸の色を望むなら 香枝ゆき @yukan-yuki
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