しりとり

平 遊

しりとり

「・・・・怒ってる?」


日曜日の朝。

珍しく、自分で早く起きてきた夫が、リビングでコーヒーを飲んでいた私に、恐る恐る聞いてくる。


前の日。

つまり、土曜日。

彼は私との約束をすっぽかして、友人と飲んだくれて帰ってきたのだ。

久しぶりの、デートの予定だったのに。

楽しみにしていたのに。


彼の問いかけにどう答えるべきか、私はコーヒーを飲みながら考えた。


「ルンルンでは無いのは、確かね」

「ねぇ、反省してるから」


泣きそうにも見えるような情けない顔で、彼はリビングの入口に立ったままそう言った。

きっと、本当に反省しているんだと思う。

彼は本来、約束を破るような人ではないから。

きっと、強くもないお酒を、友人に勧められるままに調子に乗って昼間から飲みすぎて、うっかり忘れてしまったのだ。


「ラーメン食べに行きたい」


私の言葉に、彼の顔がパッと輝く。


「いいね、行こう!」

「うん」


しりとり。

単純な、言葉遊び。

でも、意外に頭を使う。

特に、こんな場面では。

相手から引き出したい言葉。

相手が欲しているであろう言葉。

最善の言葉の選択は、そう簡単なものではない。

様々な局面でしりとりで言葉を交わす私たちは、言葉選びに頭を使うせいか、ケンカをしても大事にはならない。

言葉選びをしているうちに、昂ぶった感情も、いつの間にか落ち着いてしまっているのだから。

いつも、こんな感じだ。

しりとりにしなければいけない訳ではないけれど、もう、クセのように、体に染み付いてしまっている。


彼が出かける支度をするのを待つ間、残りのコーヒーを飲みながら、昔を振り返る。


彼との付き合いの始まり。

それは、しりとりから始まったものだった。


**************


大学からの帰り道。

同じサークルのタツヤは、同じバスに乗り合わせると必ず私の隣に座る。

そして突然、それは始まる。


「しりとり」

「また?」


小さく頷く彼に、仕方ないなぁと私は頭を巡らせる。

仕方ない風を装ってはいたものの、彼とのしりとりは、嫌いではなかった。

駅までの時間が、物足りなく感じてしまうくらいに。


「りんご病」

「牛飼い」

「いがぐり坊主」

「ずいずいずっころばし」

「四股」

「木の葉」

「ハチミツ」


順調に続いていたしりとりが、止まった。

もう駅についてしまったのかと窓の外を見るが、駅はまだ先。

『つ』から始まる言葉など、いくらでもあるだろうに、彼は何故か難しい顔をして私を見ている。


・・・・まさかの、降参?

調子、悪いのかな?


そう、思った時。

彼がやっと、口を開いた。


「付き合ってください」


私の口まで、ポカンと開く


「・・・・え?」

「『い』だよ」


そう言って、彼は顔をうっすらと赤くし、じっと私の次の言葉を待っている。


「・・・・いいよ」

「よっしゃ」


満面の笑顔で、彼は小さくガッツポーズなどをしている。


・・・・もしかして、今までしりとりしてたのって、このため・・・・?


「『や』だよ」


・・・・単に、しりとり好きなだけか。


嬉しそうに私に次を促す彼に、私は小さく笑った。


「やるの?まだ」

「だめ?疲れたかな?」

「なんだかね、たぶん」


ちょうどバスも駅に着いたため、しりとりはここで終了。

バスを降り、駅へと並んで歩きながら彼が言った。


「俺、さっきの本気だから。マキちゃんは?」

「・・・・うん、私も」


これが、彼と私のお付き合いの始まり。

後で聞いたところによると、私がハチミツ好きな事を知っていた彼は、私からの『ハチミツ』の答えをなんとか誘導しようと頭をフル回転させていたらしい。

『つ』が来たら告白しようと、決めていたという。

なかなかの、策士ぶりだ。


**************


「マキちゃん、どこのラーメン行く?この前行きたいって言ってたとこ?」


支度を終えたタツヤが、リビングに戻ってきた。


「そうだね、でもあのお店、ちょっと遠いんだよね」

「じゃ、車で行こう!車出してくるから、ちょっと待ってて!」


そう言うと、タツヤはあっという間にリビングから出ていき、また私は1人、リビングに残された。

残りのコーヒーも、あとわずか。

私は再び、昔を振り返り始める。


**************


「しりとり」


デートからの帰りの電車内。

タツヤはまた、しりとりを始めた。

付き合い始めてからもずっと、タツヤとのしりとりは続いていた。

さすがに、毎回では無かったけど。


「リベンジ」

「ジレンマ」

「マーメイド」

「度胸試し」

「時化」


ふっと、タツヤが窓の外を見る。

私には、タツヤの後頭部が見えている状況。


『けしき』とでもくるつもりかな?


そう思った時。


「結婚してください」


電車の音に紛れて、そんな言葉が聞こえてきた。


「・・・・えっ?!」

「『い』だよ」


ゆっくり振り返ったタツヤの顔は、少し強張っているように見えた。

緊張感が、私にまで伝わってくる。

たかが、しりとりのはずなのに。

私の次の言葉なんて、わかってるはずなのに。


「いいよ」

「よっしゃあ」


小さくガッツポーズを繰り出したタツヤは、緊張感から開放された、いつもの・・・・いつもより数倍嬉しそうな笑顔。


・・・・可愛い人。

なに、この可愛い人。

子供みたいな顔して喜んじゃって。


愛おしさが込み上げてきて、私は思わず呟いていた。


「愛してる、タッちゃん」



これも後で聞いたところによると、この頃のタツヤは、いつ『け』が回ってくるか、しりとりの度にドキドキしていたとのこと。

何回か、心構えが出来ていなくて、スルーしてしまった時もあったとか。

そういえば、プロポーズ直前のタツヤとのしりとりは、どことなくぎこちなかったかも?なんてことを思い出す。

ごめんね、タッちゃん。

私、全然気づいてなくて。


**************


「マキちゃん、行くよ!」


家の前まで車を回してくれたタツヤが、玄関口で私を呼ぶ。


「はーい!」


久しぶりの、ドライブデート。

結婚後も共働きの私たちは、日々の生活と仕事に追われて、一緒に出掛けてゆったりとした時間を2人きりで楽しむことが、なかなか出来ずにいたから。

私はウキウキしてリビングを出た。



「しりとり」


車を出すなり、タツヤが言った。

タツヤのしりとり好きは、相変わらずだ。

もう、昨日のことなどすっかり無かったかのような上機嫌な顔に、悪戯心が湧き上がる。


「離婚」

「えっ?!」


急ブレーキに、体がシートベルトに締め付けられた。

表情を無くして私を見るタツヤ。

表情どころか、血の気まで引いているように見えるタツヤの顔に、ちょっとやり過ぎちゃったなと、反省。

ごめんね、タッちゃん

それにしても、後ろに車がいなくて、本当に良かった。


「なんて、言わないよ」


はあぁぁぁ・・・・


長いため息のあとで、タツヤが再び車を走らせ始める。


「よろしくね、これからも」

「もちろん」


前を向くタツヤは、嬉しそうに笑って。


「・・・・ちょっと、短すぎない?!もう終わり?!」


不満そうに口を尖らす。


ちょうど赤信号で止まった車の中。

その尖った唇に。

私はそっと、口づけた。

ちょっぴりの反省と、愛を込めて。


キス。

好き。

キス。

好き。

キス。

好き・・・・


永遠に続く「しりとり(同じ言葉の繰り返しは反則だけど)」のように。

西から太陽が昇ったとしても。

もう一度生まれ変わったって。

手を繋いで、デコボコ乗り越えながら、私たち、ずっと一緒にいようね。

ね?タッちゃん。


【終】

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しりとり 平 遊 @taira_yuu

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