20(終) 幸福
――さて。
俺たちは猫頭の女神さまの映し出した映像を観ている。映し出されているのは、都内のホテルのレストランだ。ちなみに俺たちはホームセンターのペットホテルに預けられている。
きちんとした服装のオーヤマ氏と、珍しくかわいいワンピースを着たあさみちゃん。向かいには、あさみちゃんの叔父さんと、そのパートナーのきれいな身なりの男性がいる。
「あさみちゃんにちゃんと好きな人がいてよかった。大学のころは勉強しかしていなかったから……」
あさみちゃんの叔父さんはそう言って笑った。
「お、叔父さん。黒歴史開陳しなくていいでしょ……とにかく、わたしはこのひとと結婚して、東京で働こうと思ってるんだ」
「東京で? あの街じゃだめなのかい? せっかく自分の動物病院を持てたのに」
「ワンオペでなんでもやるのが無理だって最近分かってきた。忙しすぎて理由がないと料理もできないよ。それにチカさん――大山親康さんは、東京で音楽活動することになったの。叔父さんも聴いたことあると思うよ、ヴィジュアル系わんにゃん体操」
「へえ、あれを作ったのかい?! 脳が焼ききれると思いながら見ないではいられないやつだったっけ。りゅうちゃんも好きだったね」
「うん。ショーパブでよく歌ってたから」
すっと料理が運ばれてくる。なんだか見たことのないおいしそうな魚料理だ。
「きみは、あさみちゃんと結婚して、それで幸せかい?」
「は、はい! ……俺……僕の両親はいわゆる毒親というやつで、家族と幸せに過ごしたことがないんです。でも、あさみさんとなら、ずっと欲しかった幸せな家庭が築けると思います」
「……あさみちゃんも、相当な境遇から這い上がってきた人だから、互いに気持ちが分かるかもしれないね。両家顔合わせは望むべくもない……か」
「それは本当に申し訳ないです」
「いいんだよ。私だってあさみちゃんの親でもなんでもない。ただの叔父だ。あさみちゃんの母親は閉鎖病棟にいるし、父親は蒸発してしまった」
「叔父さん、親康さんとの結婚、許してもらえる?」
「許すもなにも、それはあさみちゃんの自由だよ。ただ、不幸にならないために、よく価値観をすり合わせたほうがいいと思う。人間の価値観は簡単には変わらないけれど、相手の価値観を理解することはできる」
「価値観を……すり合わせる」
「しばらく、東京でアパートを借りて二人暮らししてごらんよ。あさみちゃんはそのあいだに仕事を探せばいいし、親康くんも仕事に慣れる必要がある」
「そう、ですね」オーヤマ氏はそう答えた。
みんなでゆっくり、高級ホテルのレストランの食事を味わいながら、あさみちゃんの家族とあさみちゃんとオーヤマ氏の会話は続く。
「えっ、『灼熱の人形』って、叔父さんの作品……叔父さんとかいってすみません」
「叔父さんで構わないよ。こんな近くに読者がいて嬉しいなあ」
「あれ、中学のころ夢中で読んでました。朝読書の時間っていうのがあって、それだけが楽しくて中学に行っていました」
「それは嬉しい。中学生が読むにはちょっと描写がどぎついけど……」
「読みながら大人になった気持ちになっていました」
あさみちゃんの叔父さんはハッハッハと笑った。
あさみちゃんは見たこともないおいしそうな魚料理をもぐもぐしながら、
「叔父さん、わたしには著作を一つも読ませてくれなかったよね」と笑う。
「そりゃあ姉から預かった子供に、ギラギラした男の野望の本を読ませるのはどうかと思ったんだよ」
「ねえ、二人はどこで出会ったの?」
あさみちゃんの叔父さんのパートナーがそう声をかけてきた。
「あさみさんの動物病院に、猫を連れて行ったんです。オスの茶トラの兄弟で、ヤスハルとマスタツって言うんですけど」
「ヤスハルとマスタツ。大山くんだからかい?」
「そうです。で、あさみさんにはずいぶん助けてもらって」
「君も猫が好きかい? 私はもう歳だから動物と暮らすのは諦めているんだが」
「叔父さん、いまはシェルターで若くない犬猫を引き取れるから、それで犬猫引き取って飼えばいいじゃん。叔父さんの家には猫がいないと」
「うん……エルゴが死んでしまってから、何年もうじうじ悩んだからねえ……そうだね、飼い主を探している犬猫、考えてみよう。りゅうちゃんは犬猫、好きかい?」
「好きだよ。特に猫が好き。和彦さんと暮らし始めて、おうちに猫の写真があるなあって思ってたけど、あの子がエルゴ?」
「そう。賢くて優しい猫だった。コギト・エルゴ・スムって言葉から名付けたんだ。われ思う、ゆえにわれあり。そういう言葉」
「エルゴは本当に優しい猫だったんだよ。突然中学生のわたしがきても、怒らなかったし嫌がらなかった」
しばらく和やかに猫の話をして、それから、
「まあ、私はこの結婚を大いに祝福するよ。でも互いに理解しあうのを忘れちゃいけない。いっかいこっちで暮らしてみてからにしたほうがいい」
「分かった。チカさんはそれでいい?」
「それでいいもなにも、事務所からはさっさと東京に来いって言われてる。明日はアパートを探さなきゃ。ペット可のところ」
「そうだね。オーヤマブラザースも幸せにしなきゃいけないもんね」
デザートになにやら華麗なケーキとコーヒーが運ばれてきて、オーヤマ氏の新しい家族はそれをぱくぱく食べた。
会話は穏やかで、誰も声を荒げたり否定したりすることはなかった。
これが、オーヤマ氏の望んだ、幸せな家庭なのか。
猫頭の女神さまはそこで映像を切った。そして俺たちに言った。
「すばらしいです、ヤスハルにマスタツ。あなたがたは見事に飼い主を幸せに導きました。あなたがたはこの先、ぐうたらして過ごしても許されます」
はあ。ぐうたらしてる猫って、ねこねこネットワークに許された猫なのか。
次の日、あさみちゃんが先に帰ってきてペットホテルから俺たちを引き取った。なんだかんださみしかったので俺たちはあさみちゃんに思いっきり甘えた。
あさみちゃんは閉院の準備をコツコツと始めた。大型機材や看板の処分にはけっこうお金がかかるようだ。窓に、「近いうちに閉院します」と貼り紙をした。その日、この間の雑種犬が抜糸にきて、なんで閉院するのかと飼い主の老人に聞かれたあさみちゃんは、
「結婚することになって、ここから離れちゃうので」と答えた。老人はおめでとう、と喜んだ。
ヤのつく自由業のひととちいくんも来た。スナックのママと金剛丸くんも来た。閉院の理由を話すとみんなおめでとう、と言ってくれた。だれも責める人はいなかった。
農場の衛生管理のほうも事情を話してきたらしい。お祝いに大量のトマトをもらったようだ。
夕方、オーヤマ氏から連絡がきた。こういう部屋を契約した、と言って送られてきた画像を覗き込む。わりと広めで、台所や風呂やトイレも新しく、ベランダも広々としている。
あさみちゃんは「いいじゃん! いつから住める?」と返信した。オーヤマ氏は、「いつでも。あした家具とか機材とか取りに戻るから、その時一緒に来なよ」と返信してきた。
「……よし」
あさみちゃんは気合いをいれて、大型機材の引き取りを依頼した。次の日、業者が来て、看板や診察台、レジなんかを撤収していった。
あさみちゃんとオーヤマ氏は、幸せな結末にたどり着いた。いや、ここがスタート地点かもしれない。しかし、そこに至るまでの過程は、ここまで書いたとおりぐねぐねしていた。
きょうも、オーヤマ氏は三村さんとテレビ出演である。あさみちゃんは大きな動物病院に勤務していて、きょうは早番ということで朝早くから仕事だ。
そして、俺たちは、猫なのでひたすらぐうたらするのだった。
吾輩ハ転生者デアル 金澤流都 @kanezya
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