恋はもうすぐ始まっているのかもしれない。

夕日ゆうや

恋はもうすぐ始まっているのかもしれない。

 わたしには好きな人がいる。

 彼の名前は守屋もりや璃空りく

 わたしと同じ高校二年生。

『おはよう。かえで

「うん。おはよう、璃空くん」

 わたしと璃空は一緒に学校に通い、一緒に帰宅する。

 そんな生活が何週間も続いた。

「ねぇ。楓、誰と話しているの?」

「え。いや、なんでもない。ちょっと独り言」

 吉野よしの莉子りこが怪訝な顔を見せる。わたしは慌てて手を振り、なんでもないと言う。

「……そう、ならいいけど……」

 未だに納得いっていないのか、莉子はじっと目を向けてくる。

『俺たちの関係は秘密だからな。しょうがない』

 諦観に似た声音が耳朶を打つ。

 わたしはその言葉に返したかったけど、思いとどまる。

 ああ。やっぱり、わたしはおかしいんだ。

 好きな人と一緒に登下校できる。これだけで幸せなんだ。

 何週間も会話をしていたら、不思議と莉子が様子を見に来るようになっていた。

 周りの声も、わたしを心配しているようだった。

 わたし、普通じゃないんだ。

 そう思うには十分な時間だった。

『俺のことは学校では話すなよ。楓はそれでいいんだ。俺が間違っているんだ』

「そんなことない!」

 大声を上げてしまった。

 否定したかった。璃空くんのことを。

「やっぱりあなたおかしいよ……」

 怪訝な顔で応じる莉子。

「一度、病院に行こ? ね?」

 優しい口調になる莉子に、ぞわぞわとした悪寒が走った。

 わたしは病気なの? そうかもしれない。でも本能が否定している。

『楓。俺のことは忘れろ』

 そんなこと、できるわけがない。

 初恋なんだ。

 わたしの恋人なんだ。

 莉子の手を振り切って走り出す。校門をくぐるとわたしは真っ先に自分の席に向かう。

 もう誰も信じてはくれない。信じたくない。

《事故でお亡くなりに……》

 その言葉が脳内に反響する。

「璃空くん。わたしがおかしいのかな?」

 ぽつりと小さく零すと璃空は静かに首を振る。

『俺は幽霊だ。君のことが心配でとどまることを選んだんだ』

「なら、なんで手をつなげないの。なんで触れあえないの?」

 幽霊である璃空くんとは触れあうことすら叶わない。

 小さく呟くと、璃空くんも困ったように頬を掻く。

「楓ちゃん。どうしたの?」

 話しかけてきたのはチャラ男――もといくすのき宗士そうし

「やめておけって。そんな独り言女」

「いや、でも顔可愛いじゃん? けっこういい子だと思うんだよね。面白いじゃん」

 ウキウキした様子で話しかけてくる楠。

 わたしはあまり好かないタイプだ。

 やっぱり璃空くんのような誠実で優しい人がいい。

「次、音楽室だって、行こう。楓ちゃん」

「……」

 楠に無言で応じると、わたしは荷物を持って音楽室に向かう。

『俺、いない方がいいのかな』

「そんな悲しいこと言わないで!」

 わたしは廊下で大声を上げてしまった。

 でも、しょうがない。璃空くんが悲しいことを言うから。

「ほら。始まった」

「悲しいってどういうこと?」

 誰かが苦い顔をし、楠が訊ねてくる。

「え。いや、なんでもない……」

 わたしは誰にも言えない恋をしている。

 幽霊の彼氏と一緒にいるのだ。

『俺、成仏したい。生まれ変わって、また楓と出会いたい』

 そんなこと言わないで。

 ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。わたしの心を揺さぶるには事足りる言葉だった。

 音楽室で一人すすり泣く。

「メンヘラじぇね?」「マジかよ。めんどー」「彼氏が亡くなってから一ヶ月も経っていないって」「じゃあ、なに。彼氏のことで泣いてんの?」

 ざわつくクラスメイト。

「静かに!」

 先生が大声を上げると、わたしを保健室に行くことを勧める。

「だれか彼女を保健室に」

「はい、はーい。おれが連れていきますよ」

 そう言って前に出てきたのは楠だった。

 楠に連れられ、保健室に向かう。

「……おれもきついんだよ」

「え?」

 楠の漏らした言葉はどこか実感がこもっているように感じた。

「おれ、さ。ずっと楓ちゃんが好きだったんだ。でも、璃空がいただろ?」

 こくりと小さく頷く。

「おれ、璃空とも仲良かったけど、楓ちゃんのことをさかいに絶交しちゃって。おれガキだから」

 いつになく真剣な面持ちで零す楠。

「本気なの? わたしが好きって」

「ああ。でも、おれじゃあ、信じてもらえないかもね。あいつみたいに誠実じゃないし」

 楠は誰彼構わずに可愛いと言ったり、好きと言ったりしている。

 女遊びに慣れているイメージがある。

 でも実際のところはどうなのだろう?

 イメージだけで語っている気もする。

「ははは。そう。そうだよ。おれは自分をごまかすために色々と言ってきた。だから軽い奴、って認識なんだろう?」

「うん。楠くんは軽いひと、ってイメージ」

「やっぱりな。でも、俺の好きは君だけだよ。信じてほしいね」

「信じられないよ」

 そう言って保健室にたどり着くと、わたしはベッドの上に寝転ぶ。

「じゃあ、またあとで」

 楠はそれだけを言い残し、立ち去る。

 案外良い人なのかもしれない。

 でも、わたしは……。

 そういえば、璃空くんはどこに行ったのだろう?

 ここにはいないみたいだけど。

 いつも璃空くんを探しているわたしに気がつき、ゆっくりと目を閉じる。

《俺、成仏したい。生まれ変わって、また楓と出会いたい》

 そう言い残して消えた璃空くん。

 もしかしてもういないの。成仏してしまったの?

 それは悲しいよ。辛いよ。やめてよ。

 ずっとそばにいて。


 放課後になり、わたしは一人でトボトボと帰り道を歩いていた。

「よっ。楓ちゃん」

 この軽い感じ楠だ。

「どうしたの? 楠くんは別の帰り道でしょ?」

「知っていてくれたんだ! ありがと」

 底抜けに明るい顔で応じる楠。

「……」

「……」

 そのあと、言葉に詰まる二人。

「璃空くんがまだ生きている、って言ったら驚く?」

「え!」

 わたしは意地の悪い笑みを浮かべていたと思う。

 実際にはもう死んでいて、魂だけの存在になってしまったというのに。

「それなら仲直りしたいな。おれも璃空のことが好きだよ、って」

「それ知ったら璃空くんは喜ぶよ。何度も後悔していたみたいだから」

 寂しくてそう零すが、同時に消えてしまった璃空に僅かばかりの苛立ちを覚える。

 家に帰ると、ベッドに倒れ込む。

 昼寝をたくさんしたせいか、あんまり眠る気にはならない。

「璃空くん……」

『よんだ?』

 璃空くんが開けっぱなしのドアから入ってくる。

「え。成仏していなかっただんだ! 良かった~」

『よくないだろ。俺はいつまでも楓の足かせにはなりたくないんだ。新しい恋を知ってほしい』

「そ、そんなの無理よ! わたしには璃空くんしかいないもの!」

 気がついていたら、叫んでいた。

 弟と両親はまだ帰っていない。

『分かっている。ひどいことを言っているって。でも、楓は幸せになってほしいんだ』

「それで璃空くんのことを忘れることなんてできないよ! わたしのたった一人のヒーローだもの」

 自分で言っていて、恥ずかしい気持ちになり、目を逸らす。

『そう、思ってくれていたんだな。でも、俺には無理だよ』

「どうして? このまま一緒にいてくれてもいいんだよ?」

 そうこのまま幽霊として一緒に。

『ごめん。この世は血と肉を持った者の世界だ。俺は場違いなんだ。魂だけの存在はこの世にいてはならない。俺はそろそろ消える』

「妄想でもなんでもいい。わたしは璃空くんが好きなの。だから一生そばにいて!」

『ごめんな。俺、もう行かなくちゃ』

 すーっと消えていく璃空くん。

「楠くんが、ずっと好きだったって」

『そっか。仲直りして良かったんだな』

 悲しげに零す璃空。

 ドンドン透明になっていき、わたしは勢いで抱きつく。

 空をつかむ感覚に、やはり彼は死んだのだと痛感する。

「最後にお別れのキスをして」

 わたし、何言っているだろう?

『いいよ』

 そう言って近づく璃空くんの顔。

 すっと触れあった唇――でもそれもすり抜けてしまう。

『キスできないね』

「うん」

『ごめんね』

「そんなことないよ」

『愛している』

 そう言って完全に消える璃空くん。

 わたしは嗚咽を漏らし、その場で泣き崩れてしまった。


※※※


 墓参りに訪れたわたしと楠くん。

 璃空くんは本当に死んでしまった。それが悔しいし、悲しい。

「楠くん。付き合わせてごめんね」

「いや、おれも来たかったんだ」

 墓参りを終えると、わたしと楠はバスに乗って帰る。

 たったそれだけの関係。

 そのまま一緒に遊ぶことも、食事をすることさえない、男としてすら見えていないかもしれない関係。

 それでも、わたしは心地の良い安堵感を彼に感じた。

 恋はもうすぐ始まっているのかもしれない。

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