7-14

 ――負けた。あと少しやったのに。

 検量室での後検量を終えてから、俺の中で少しずつ、そんな思いが強くなっていった。

 初騎乗で初制覇なんて、できないことはわかってた。

 でも俺は、親父のために勝ちたかった。

 だから俺にできることはやったんだ。

 なのに、それなのに――。

「ちょっと芥川先生、これいったいどういうことだ」

 ふとダンスの馬主のだん会長の声が聞こえた。検量室前で、芥川先生に何か迫っている。

「俺はあんたを信じて、あんたんとこのお弟子さんに騎乗を依頼したんだ。そしたらなんだ。今年になって全然勝てないじゃないか。そんな騎手にウチの馬は任せられん。次走からは騎手を替えて出走させてくれ」

 ……は? 乗り替わり?

 じゃあ、俺はもうダンスに乗れないのか?

「お言葉ですが、失礼を承知で言わせていただきます。その要求は飲めません」

 芥川先生は団会長にキッパリとそう言った。

「なぜだ? あの馬は名馬になるための素質がある。でもそれを引き出せない騎手が乗ったんじゃあ、勝てるレースも勝てないだろ」

「だからこそです。たしかにダンスは聡明で操縦性もいい。他の騎手に替えたところで、いうことを聞かなくなる心配はないでしょう。

 だからこそ、私の弟子の成長には欠かせない存在なんです。だから、私の顔に免じてどうか、お願いします。これがイヤだと言うのであれば、他の厩舎に変えていただいてもかまいません。どうか、風早 颯也を乗せてください。この通りです」

 芥川先生はそう言って、壇会長に深く頭を下げた。

 あんな先生の姿を見るのは、俺は初めてだった。

「むう……」

 と、壇会長は困った顔をしてうなった。

「……わかりました。先生がそう言うのであれば、先生のお弟子さんで続投させましょう。ただし条件が。来年、四歳馬になるまでに重賞を一つも制覇できなかった場合、そのときは、今度こそ騎手を替えさせてもらいたい。つまり、期限は今年中までだ」

「ご理解ご協力のほど、感謝いたします」

 先生はそう言って、また深々と頭を下げた。

 その後で、壇会長は先生にえしゃくをして、クルリと向きを変えてから、どっかへと歩き去ってしまった。

 俺は先生のもとに歩みよる。

「あの、先生。すみません、俺……」

「颯也」

 先生のその言葉に、俺は思わず背すじがシャキッとした。

「はい」

 俺はそう返事をする。

「お前、負けないために負け続ける覚悟はあるか」

「はい?」

 先生の言葉に、俺は思わずそう聞き返した。

「あるのかと聞いている」

 先生はしのごの言わせない剣幕でそう聞いた。

「それは……、今の俺には、まだなんとも言えません。

 でも、俺は今すごく悔しいです。この悔しさを、もう味わわずにすむのであれば、俺はいくらでも全力でやります。それで負けるのであれば、俺はそれでもかまいません。

 これが覚悟と呼べるものかどうかは、俺自身もわかりませんが……」

 俺がそこまで言うと、先生はただ、

「そっか」

 とだけつぶやいた。そして続けて、

「颯也」

 と、また俺の名前を呼ぶ。

「はい」

 俺はまた返事をした。

「強くなったな」

 その言葉を聞いた瞬間、どうにも俺は、自分の感情をおさえることができなかった。

 目から涙があふれてくる。

 ぬぐってもぬぐっても、俺の感情があふれることを止められなかった。

 俺が先生にそう言ってもらえたのは、今日が初めてのことだった。

「泣くな、お前。男やろ。覚悟の決まった男っちゅうのは、そんな言葉で一喜一憂なんてせえへん。何を言われても、ドッシリとかまえておれ。それが本物の覚悟っちゅうもんや」

 俺はなみだをぬぐいながら、先生の目を見て、

「はい」

 とだけ返事をした。

「颯也、もう一度聞く。お前には、負けないために負け続ける覚悟があるか」

 先生は気迫のこもった声で、俺にそう尋ねた。

「……なかったとしても、つかみとってみせます」

 俺はようやく収まってきた涙をぬぐいながらそう答える。

「よし。じゃああさってからは特訓や。お前のその覚悟とやらを、俺に見せてもらおうか」

 先生は少しイジワルにニヤけながら、俺にそう言った。

「押忍。よろしくお願いします」

 俺は自分でもビックリするほどの声でそう叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファンファーレ 菅原 諒大 @r-sugawara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ