第3話: 迷子の迷子の……
震えながらも語り始めた3人の幽霊だが、その中身は、現時点ではゴールへたどり着けるようなモノかどうかの判断は出来なかった。
……話を簡潔にまとめると、だ。
まず、3人の幽霊は互いに友人同士であり、生前からの付き合い。死んでからも3人一緒なのは、(おそらくは)同じタイミングで……つまり、一緒に行動していて死亡したから。
つまり、この車に居たのは……単純に、この3人の死因が車の事故死であり、その時乗っていた車がコレとのこと。
先ほど伊都が声を掛けて駐車場へ入るのを思い留まらせた、あの幽霊と同じく、何かしらの意図があってココに居るわけではない。
気付いたらココにいて、気付いたら自分たちが死んでいる事を自覚して、気付いたら……伊都たちが駐車場に入って来た……とのことだ。
ちなみに……事故死したのは駐車場ではないらしい。
ここより少しばかり離れた場所での酒酔い運転から来る事故死。この駐車場に車を止めた覚えはないが、気付いたら……この場所に居た。
先程、伊都たちにやろうとしたのは、ただ驚かしてやろうと思っただけで、殺そうとかそういうつもりはなかった……とのこと。
(……どうでしょうか、人を引きずり込む霊魂は、平気で嘘を付いて騙したりもしますから)
一通り、彼らの話を聞いた伊都は……正直、彼らの話をそのまま鵜呑みにするつもりはなかった。
というのも、霊魂(要は、幽霊)となった者は、基本的に生前のように思考を働かせる事は出来ない。
肉体という枷から解き放たれた事で、心が自由になっている。すなわち、やりたかった事を自覚なく行っている場合が多い。
つまりは、理性無く本能のままに動いてしまう場合が多々あるのだ。
おかげで、感情を読み取れる伊都でも、その幽霊が本気なのか本気だと思い込んでいる嘘なのか、見分けが付け辛いのである。
そして、悪霊となってしまった霊魂もまた、己が悪霊になっているという自覚が薄い。自分が何をやっているのかすら、分かっていない場合が多い。
自覚無く、恨みに辛みに妬みを溜め込み増長させてしまった影響だろう。
ただし、これは一概に悪いとは言えない。何故なら、そうしなければ、ほとんどの霊魂はそのまま霧散してしまうからだ。
言うなれば、霊魂となった者たちはみな、必死なだけ。
よほど強烈な意志なり未練なりが無い限り、日なたに残された水溜りに如く、徐々に意識は霧散し、やがては……と、なってしまう。
それから逃れる為に、結果的に悪霊になってしまう……というわけだ。
もちろん、悪霊だとかそれ以前の問題で、未練等が薄く、始めから悪霊などにはならない場合もある。
地縛霊だったり、憑依霊だったり、色々な形で別のモノに憑り付く事で、結果的に逃れる場合もある。条件さえ揃えば、ある程度の期間は自我を保ったままの状態になる事が出来る。
いつぞやの、『鳥かご』も、そうだ。まあ、アレは本当に様々な要因が重なった結果ではあるけれども。
とはいえ、魂が半分残るという異例中の異例に加え、『鳥かご』という留まれる場所が無かったら、とっくの昔に自然成仏するか、最悪消滅していただろう。
その時と同様に、この車が結果的に『鳥かご』の役割を果たしてくれているおかげで、彼らは悪霊に堕ちずに済んだ……というわけだ。
……まあ、伊都がこの場に居なかったら、間もなく悪霊化していただろうけど……と、そこらへんは、ひとまず横に置いといて、だ。
「幾つかお聞きしたいのですが……貴方たち、何時から此処に居るのですか?」
彼らの説明では足りていない情報を得る為に、伊都は質問を続けた。
もしかしたら、この異常な空間に関するヒントが得られるかも……と、思ったから……が、しかし。
『何時からって……そりゃあ、ちょっと前ぐらいかな』
「ちょっと前? それ以前は、何処に?」
『何処って、ずっとだよ。俺たち、気付いてからずっと車の中にいるし、走らせてもいないけど……』
「それは、本当ですか?」
そう念押しすれば、間違いないと彼らは一様に頷いた。その表情には、人を騙そうとする気配は感じられなかった。
(……嘘は感じ取れませんね)
同様に、伊都は3人からも嘘の気配……伊都を騙そうとする感情も感じ取れなかった。少なくとも、伊都が見た限りでは、彼らは全員、事実をそのまま話していると判断した。
とはいえ……この場には、相談できる相手が2人も居る。わざわざ、独りで判断する必要もない。
なので、伊都は早速傍の二人にも尋ねた。
とはいえ、彼女たちは限定的に霊視出来る状態ではあるが、声まではハッキリ聞き取れなかったようなので、伊都から再度説明する必要はあったのだが。
「……いや、それはおかしいよ。だって、そこで事故が起こったって話……私は知らないもの」
そうして、一通りの説明を終えて、少しの間を置いた後。
代表する形で質問に答えていた彼の言葉に異を唱えたのは、地元かつ此処で暮らしていている涼風であった。
「都会じゃ別だろうけど、ここみたいな田舎ってどっかで事故が起こると翌日には話が広まっているの。例えば、どこそこの家で火事が起こったって話が、翌日の夕方ぐらいには私の耳にも入ってくるぐらいには」
「……つまり?」
「3人も事故死したぐらいの大事故なら、私が知らないわけがない。昨日今日ならともかく……」
「ふむ、なるほど」
たしかに、軽く手足を負った程度の負傷ならともかく、3人も事故死するような大事故であれば、そうだろう。
と、なれば、彼らが自覚無く(あるいは、意図的に)嘘を付いている可能性が出て来たが……そこで、ふと、伊都は……先ほど、舞香たちが呟いていた『とある事』を思い出した。
「ところで、貴方たちが乗っているその車……非常に古い車らしいのですが、貴方たちはそういう車が好きなのですか?」
伊都としては、特に何かを狙って尋ねたわけではない。
ただ、舞香たちが不思議に思っていたから、この際だし聞いてみよう……その程度の感覚であった。
『──はあ? 何言ってんの? コレ、CMでバンバン流されているぐらいの最新の新車だよ? オンボロ扱いするの、止めてほしいんだけど』
だから……『俺たちで金を出し合って買ったんだけど』と、少しばかり不機嫌になった彼らから、そんな事を言われた伊都は……正直、困惑した。
何故なら、彼らの発言にも嘘の感情が読み取れない。本当に、彼らは自らの車が最新かつ新車であると思っているからだ。
しかし、仮に彼らが真実を告げているとなると……今度は、舞香たちが嘘を付いているか、勘違いをしている事になる。
けれども、二人が嘘を付いているようには思えないし、感じない。改めて尋ねてみれば、2人からは「いや、やっぱり古いよ」と断言された。
……こうなると、伊都としては判断出来ない。
何故なら、伊都には車のことなどサッパリ分からないからだ。
というか、バスとトラックの区別すら怪しいところがある伊都に、判断しろというのが間違いなのだ。
「ん~、分かった。とりあえず、これ見たら分かるよ」
それを見て、色々と察したのだろう。
スマホを片手にササッと操作を行った舞香は、表示された画面を伊都に見せた。そこには、伊都が目にしている……眼前にあるソレとは形も雰囲気も異なる車が映っていた。
さすがに、映像で出されると分かりやすい。詳しく聞けば、それは舞香曰く『昭和の車』らしい。
理由は不明だが、舞香たちにはそんな感じの車に見える。伊都の目には、日常的に道路で見掛ける車の類似品のように映っている。
これは、いったい……?
改めて浮き彫りになる不可思議な現象に、伊都は首を傾げた。精神年齢数百歳にもなる伊都としても、初めて体験する現象に、困惑するしかなかった。
『……あの、それってなんすか?』
加えて、そんな伊都の混乱に拍車を掛けたのが……心底不思議そうにスマホを見つめている、彼らの反応であった。
……説明を受けた直後の反応は割愛して、結論を述べよう。
彼らは、スマホを知らなかった。いや、それどころか、スマホという単語はおろか、携帯出来る電話(少し、違うけど)が存在していることすら、知らなかったのだ。
(……有り得ない。ならば、彼らは数十年近く現世に留まっていることになる)
そう、有り得ない事だ。この、不思議では済まされない有り得ない状況に……伊都は、思考を改めた。
と、いうのも、だ。
幽霊というのは、時間の感覚に疎くなる傾向にある。
しかし、あくまでも程度の問題であり、さすがに年単位にも渡れば、己が異常な状態にあるという自覚が芽生えてくる。
完全に悪霊へと堕ちてしまえばその限りでもなくなるが、彼らはまだそこまでではない。つまり、まだ彼らには時間の感覚が残っているはずなのだ。
そんな彼らが、スマホを知らない。それどころか、携帯電話の存在すら知らず、3人ともが初めて見ると口を揃え──あ、いや、まさかコレは!?
「──舞香さん! 涼風さん! 急いで此処を出ますよ!」
瞬間、伊都の脳裏をとある可能性が過った。
と、同時に……伊都は変化に気付いた。
(車が──変わった!?)
いつの間にか、伊都の目に映っていた車も変化していた。おそらくは、舞香たちに見えているモノと同じモノが、伊都にも見えるようになっていた。
そして……変化はそこだけではない。これまた何時の間にか、この駐車場内に満たされていた不可思議な気配が、ごく自然的に霧散していっていた。
それは、薄まっているのではない。
むしろ、逆だ。外から、入って来ている。これによって外との高低差が無くなり……すなわち、内と外との違いが消え去ろうとしている……あ、まずい!
(──まずい! 急がなければ!)
これは、非常にまずい。二人に説明をしている暇などない、一刻も早く、一秒でも早く此処を出て元の世界に戻らねば、此処に取り残されてしまう。
故に、伊都は2人の身体を押した。背後で、『え、あの、いきなりどうした?』彼らの困惑する声が聞こえたが、構う余裕はない。
しかし、この時……伊都の突然の行動に、舞香と涼風の反応は分かれてしまった。
舞香は、伊都を信頼している。だから、伊都が声を荒げる時は、相応のナニカが起ころうとしているのだとすぐに察した。
なので、突然の事ではあるが、真剣な物言いに対して疑問を挟むことなく、舞香は伊都の指示に従って走り出そうとした。
しかし……涼風は違った
まあ、当たり前だ。衝撃かつ濃い経験をした舞香とは違い、伊都との付き合いなんて半日も無いのだから。
「ちょ、いきなり何よ、説明ぐらいしてよ!」
それ故に、反射的にたたらを踏んでブレーキを掛けた。これのおかげで、舞香も思わず足を止めた──だから、伊都はさらに涼風の背を押した。
「とにかく走って!」
「ええ? 急になによ」
二度押された涼風は、ようやく走り出す……が、その動きは遅く、小走りといった感じだった。
「急いで、速く!」
だから、さらにグイグイ背中を押す。けれども、それが反感を生むのか、涼風の足は思いのほか進まず。
「ちょ、分かった、走るから、押されたら危な──」
その結果……間に合わなかった。
急かし、急かされるがまま、駐車場の外へと出た伊都たちを出迎えたのは……つい少し前に通って来た、昼間の熱気が立ち昇るアスファルト……ではない。
似ているが、違う。何処が違うのかと言えばすぐには説明出来ないが、何もかもが違っていた。
立ち並ぶ電柱もそうだが、立ち並ぶ家々の外観が明らかに違う。木造住宅が多く、来る前には見掛けなかった電話ボックスがあった。
そして、臭いが違う。ガス臭いというか、土臭いというか、空気が違う。現代のソレとは、明らかに違っている。
そのうえ……人通りの数が、あまりに違っていた。
来る前は人通りなどまるでなかったのに、何時の間にか居る。しかも、1人や2人ではない。パッと見た限りでも……100メートルの間に、数十人ぐらいは見受けられる。
恰好とて、誰一人として、これまで見掛けて来た服装ではない。
言うなれば、レトロだ。悪く言えば、古臭いといった感じだろうか。現在よりもレトロな恰好をした老若男女……いや、割合を見る限り、若者が多い。
これも、来る前には無かった光景だ。そして、この光景はどうやら……伊都だけでなく、舞香と涼風にも見えているようで。
「…………」
「…………」
絶句……そう、絶句だ。
自分たちの身に降りかかった異常な状況を前にして、完全に言葉を失ってしまっていた。ぽかん、と大きく開かれた唇は、閉じる気配がなかった。
……しかし、その唇もすぐに閉じる事となる。
何故なら、そんな二人を前に……これまたレトロを感じさせる車が通っていったから。その車より吐き出される排気ガスは強烈で、二人は堪らず、むせた。
それが……結果的には、気付けにでもなったのだろう。
風が吹いて、排気ガスが流れた後……おもむろに、歩道の端へと寄ると。
「……ここ、何処?」
そう、思わずといった様子で……舞香が呟いたのであった。
当然ながら、その疑問に答える者はいなかった。
だって、伊都ですら、ここが何処なのかが分からなかったからだ。
とりあえず、ありのままを伝えるのであれば、眼前の光景は正しくレトロであった。
一昔前の映画に出て来る光景そのままが、伊都たちの眼前に広がっている。
……走っている車もそうだが、歩いている者たちの恰好もレトロだ。
普通に考えれば、そんな恰好をしている者たちの方が浮いてしまうところなのだが……今だけは、逆。ジロジロと、通り過ぎる者たちの視線が、二人へと注がれていた。
おそらく、それは服装だけが理由ではないだろう。
涼風も可愛い顔立ちをしているが、舞香は別格だ。
モデル顔負けのスタイルは、嫌でも通りすがりの者たちの視線を集め……堪らず、二人は伊都の背中へと回った。
……。
……。
…………しかし、それで問題が解決するかといえば、そんなわけもない。
とりあえず、存在感が薄くなるようにと二人に軽い術を掛けた伊都は……振り返り、駐車場を見やって……一つ、息を吐いた。
何故かといえば……そこにはもう、何の異常も見られない、車で満杯の駐車場しかなかったからだ。
すなわち、この光景と合致する駐車場だ。
パーキングの機械は見当たらず、自販機とて見当たらない。先ほどまでとは、明らかに細部が異なっていた。
そして、先ほどまで駐車場を満たしていた、異質な気配も消えていた。少なくとも、伊都の目には……何の変哲もない駐車場にしか映らな──っと。
眺めていると、駐車してある車の一つが動き出した。他と同じく、レトロチックな車だ。
とりあえず、邪魔にならないよう出入り口より少し離れる。
少し後に、ゆっくり出てきた車は……ピタリと止まると、窓が開かれ──あっ、と全員が目を見開いた。
「か~のじょ、こんな所で立ち止まってどうしたの?」
何故なら……車を運転していたのは、つい先程まで伊都が詰問していた……幽霊三人組の内の、1人であったからだ。
後部座席には、他の2人も乗っている。先ほどまで伊都と話をしていた事など記憶にないのか、まるで初対面のような態度であった。
いや、おそらくは……今の彼らにとっては、初対面なのだろう。それを察した伊都は……そっと、舞香たちを庇う形で前に出る。
──人と待ち合わせをしているので、お構いなく。
そう、話せば、彼らは……一様に頬を緩ませると、「すっぽかされたんじゃないの?」ニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべて話し掛けてきた。
……。
……。
…………ああ、そうだった。そういえば、生前からこんな感じだったと読み取っていたことを、すっかり忘れていた。
一つ、溜め息を零す伊都を尻目に、彼らの視線が……伊都の背後に隠れている、舞香と涼風へと向けられている。
服装の違いこそあるが、二人とも美人だ。
同じく美少女ではあるが、見た目からして子供な伊都と比べたら、そりゃあ視線は2人へ向けられるだろう。
伊都が間に挟まっていなかったら、車から降りて話し掛けてきそうな勢いだ……というか、このままだと降りて来そうだ。
……本当に、生前から全く変わっていないのか。
ある意味気が抜けるというか、何というか……いや、伊都だからこそ、そんな事も言っていられるが、本来は怖い状況である。
少なくとも、ただお喋りに終始するようには見えなかった伊都は……滲み出る苦笑を堪えると、そっと……両手を合わせ、印を組むと。
『北に
その呪文を言い終えると共に印を解き、北・南・西・東の順で十字を切った。
──その直後、彼らの反応はガラリと変わった。
まるで、今しがたの記憶をスパッと抜かれてしまったかのように、ポカンと呆けた様子で、しばし目を瞬かせた後。
「……おい、どうした?」
「え、あ、いや、すまん、ボーっとしてた」
後部座席に座っている彼らに声を掛けられて、我に返ったのだろう。
先ほどとは異なり、少しばかり忙しない様子で道路へと出ると……そのまま、何処かへ走り去って行った。
……。
……。
…………しばし、気配が遠ざかっていくのを確認した伊都は……さて、と舞香たちへと振り返った。
「舞香さん、涼風さん……もう分かっていると思いますが、ここは先ほどまで私たちが居た世界ではありません。おそらく、別の世界か……あるいは、異空間の可能性が高いと思われます」
「……そう、なの?」
恐る恐る……そんな感じで問い掛けてくる二人に、伊都はハッキリと頷いた。
「正直、私にもここが何処だかは分かりません。しかし、脱出する方法は必ず有ります。なので、不安でしょうがお気を確かに……強く、己を律してください」
「……分かった」
はっきりと告げれば、二人は……不安そうに、視線をさ迷わせた。しかし、それ以上のパニックを起こす気配はなかった。
……良かった、ここで暴れられたら殴って気絶させているところだ。手加減はするが、しばらく鈍痛が腹部に残してしまう。
下手に騒いだところで事態が好転するわけでも、助けが来るわけでもない……それを判断出来るだけの冷静さが、まだ残っているようだ。
とはいえ、それは2人の精神が強いからではない。
単純に、独りでこの場に居なかったからだ。
仮に、この状況で独りだけになっていたら、恐怖と不安に怯えて、その場から動くことすら出来なかっただろう。
加えて、この場には伊都が居る。何やら、目の前でよく分からん術を使って彼らのちょっかいから逃れる事も出来た。
そのおかげで、舞香も涼風も必要以上に怯えることもなく、冷静に伊都の話に耳を傾けるだけの余裕がまだあった。
「……では、まずは寝床を探しましょう」
二人の顔を見て、様子を確認した伊都は……改めて、今後の方針について提案を出した。
「え、脱出じゃなくて?」
すぐにでも、脱出方法を探るのだとばかりに思っていたのだろう。
思わずといった様子で飛び出した涼風のその言葉には、信じられない、そう言わんばかりの感情が込められていた。
……まあ、そう思うのも無理はない。
けれども、そう思ったところで出来るわけではない。無言のままに、伊都が視線で促せば、二人は首を傾げながらも振り返り……再び、言葉を失った。
何故ならば……先ほどまでソコに有ったはずの駐車場は消え去り、代わりに……小さな川が流れていたからだ。
「えっ……ええっ!?」
川の広さは、せいぜい3,4メートルぐらいだろう……いや、そんな事よりも、驚いた二人が慌てて駆け寄る。
しかし、駆け寄ったところで景色は何も変わらない。サラサラと、けして綺麗ではない小川を前に、二人は……呆然とするしかなかった。
……まあ、そのまま何時までも呆然とさせている暇も余裕もない。
二人の頭を叩いて正気に戻した伊都は、改めて二人の顔色を見やってから……話を切り出した。
「御覧の通り、すぐに脱出する術が見つかれば良いのですが、現時点では私にも分かりません」
「……うん」
「それに、お二人とも、気付いていないようですが疲れております。兎にも角にも、安全な場所を確保しておく必要があるでしょう」
「……それは、さっきの男たちみたいな感じに絡まれないため?」
「平たく言えば。拠点とまでは行かなくとも、安心して寝られる場所を確保しておかないと、体より先に心がまいってしまいますから」
そう、現時点で伊都が真っ先に危惧するのは、舞香と涼風の体力……すなわち生命、二人の生存についてである。
というのも、舞香と涼風は普通の女の子である。
長年の修行と神通力によって、それこそ数百日近くの絶食を可能とする伊都とは、根本から条件が違うのだ。
加えて、二人はココに至るまでに相当の汗を掻いている。
今はまだ、不安と緊張から喉の渇きを感じてはいないのだろう。しかし、それも限界に達すれば、耐えがたき渇きとなって二人を襲う。
そうなれば、危険だ。このまま、水すら取れない状態が24時間も続けば、動けなくなってしまう可能性が高く、脱出する前に二人が力尽きてしまう。
故に……伊都は、脱出の調査よりも先に、二人を休ませる事を最優先させる事を選んだ。
(幸いにも、気配からしてここは『
根の国とは、すなわち
伊都の言う食物を取り入れるというのは、『
そして、『黄泉竈食い』をすれば最後、その者は生きたまま黄泉の国の住民になってしまい、二度と現世には戻れない。
──伊都が真っ先に黄泉の国であるかどうかを警戒した理由が、ソレだ。
いくら伊都とて、『黄泉竈食い』を治す手立ては持ち合わせてはいないし、治せるという話を耳にした覚えはない。
だからこそ、『根の国』の気配を感じない時点で、伊都は真っ先に2人を休ませる事を選んだわけである。
……ちなみに、『黄泉竈食い』とは、あくまでも黄泉の国のかまどで煮炊きしたモノを食べる事を差す。
つまり、ただ黄泉の国のモノを食べるだけでは完全に黄泉の住民になるわけではなく、黄泉の世界にある竈で煮ることが……と、話を戻そう。
「……ちなみに、この景色に見覚えは?」
駄目元で尋ねてみれば、やはり、二人は首を横に振った。
まあ、これで分かるのであれば、こうまで不安を覚えたりはしないだろう。
はてさて、困った事態になったぞ……そう、伊都は首を傾げ……ふと、視線を感じて……振り返った。
「あっ」
そこで、伊都は……思わず目を見開いた。
何故なら、視線の先。道路を挟んだ向こう側の歩道に……居たのだ。見覚えのある、少女の姿が……っ。
「……キョウコ、さん?」
ポツリと零した、伊都の呟き。
それは、他人の空似でなければ、依頼人のタマ子に憑いていたはずの……彼女のお姉さんである『キョウコ』であった。
不思議な事に、キョウコには実態がある。
幽霊ではなく、ちゃんとした肉体がある。
だが、それは有り得ない。だって、あの時に見たキョウコは間違いなく霊体であり、死者のソレであったからだ。
仮に、そう仮に、存命だとしても。
その実年齢は、タマ子より年上……若々しくあっても、お婆さんに該当する姿をしているはずだ。
「いったい、これはどういう……」
と、そんな伊都の呟きが届いたのか、それとも偶然かは不明だが……キョウコ……そう、キョウコにしか見えないその少女が、不意に伊都へと顔を向けた。
──瞬間、ビタリと彼女は動きを止めた。
あまりに唐突なソレに、思わず伊都もピクッと肩を震わせた。実際にキョウコの姿が見られない舞香と涼風は、そんな伊都の反応を不安そうに見つめていた。
(あっ、これ私たちのこと、知っていますね……)
心の中で、伊都は確信を得る。
さて、どう伝えるべきかと、伊都が2人に構うよりも前に……キョウコが動いた。
小走り──というよりは、全速力か。
大した事のない距離を、わざわざ駆けてくるわけだ。それも、全速力で。
必然的に、立ち止まれずにキョウコは伊都の傍を通り過ぎ……呆気に取られている二人を他所に、慌てて伊都の前へと戻ってきたキョウコは。
「あ、あの、貴女は、もしかして……」
「……おそらく、キョウコさんの思っている通りかと」
「──あ、ああ、あああ!!」
冷たい両手で……肉体ではあるけれども、生者のそれとは思えないくらいに凍えきった小さな両手で、伊都の手を掴むと。
「良かった、これで帰れる! お願い、貴女しか頼れる人がいないの!」
子供とは思えないぐらいの、必死な形相をグイッと伊都へと近付け。
「私を──私を、『歩道橋』の向こうへ連れて行って!」
そう……懇願したのであった。
伊都はかく語りき ―忘れ去られた歩道橋― 葛城2号 @KATSURAGI2GOU
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