どうやら留学生美少女の古代サンスクリット語が分かるのは俺だけのようなので、彼女をクラスに馴染ませようと思います

浅見朝志

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「みんな知っての通り、今日から留学生がうちのクラスにくることになっている」


 ざわざわ。

 俺──田辺夢太郎の受け持ちのクラスの生徒たちがにぎやかになる。

 

 ──交換留学。

 

 これはいろんな学校でありそうな制度でありながら、なかなか実体験としては得難い機会だったりもするし、みんながワクワクする気持ちはよくわかるぞ。

 かく言う俺も自身の生徒として留学生を迎えるのは初めてのことだしな。


「先生~! 留学生って結局どこの国から来る子なんですかぁ?」

「ああ、それは俺も今朝ようやく学年主任から聞かされてな。インドから来る子だそうだ」

「えぇっ? インド? 先生インド語なんてしゃべれんのぉ~?」

「インド語なんてないぞ。あるのはヒンディー語だ。俺は大学でいろんな言語学を履修していたからな、ヒンディー語もちょっとならしゃべれるさ」

「おぉ~、先生頼もしぃ~!」


 ワイワイと教室が盛り上がる。

 分かる、分かるぞ。

 異文化交流って興奮するよな。

 

 それにしてももっと早い段階で留学生の情報がもらえたら歓迎の準備ができたのに。

 まあ学年主任のジジイにせこいパワハラを受け続けている身としては望むべくもなかったがなぁ。

 

「さて、その留学生だが今日はちょっと遅刻してるみたいでな。でももうそろそろ到着するころだと思うんだが──」


 コンコンコン。

 教室のスライドドアがノックされる。


「お、来たみたいだな。どうぞ、入ってください」


 ガラガラ。

 ドアを開けて、その先に居たのは……。


「え?」


 学校指定の制服ではない、鮮やかな桃色の衣をたすき掛けにした格好をした東南アジア風の、ピンク色の瞳がきれいな美少女だった。

 その子は無言でスタスタと俺の隣までやってきて、両手を合わせてクラスに合掌。

 

 ざわざわ。

 生徒たちがざわつく。


「え? 民族衣装?」

「合掌してるよ……」

「仏教?」


 ……おっと、いかんいかん。

 俺まで呆気にとられてしまっていた。


「そ、それじゃあ自己紹介をしてもらってもいいかな」


 留学生の少女にそう促すと、彼女は首を傾げた。


「……え? もしかして日本語分からない? じゃあヒンディー語とかでどうかな……俺ちょっとしゃべれるし。えーっと、『ナマステ、トゥマラ ナン キャ へこんにちは、あなたの名前を教えて?』」


「नमस्ते। मैं हूँ लक्ष्」

「……え?」


 ……え、何言ってるのかぜんぜん分からん。

 俺の耳が鈍ったか?

 

「もういっかい……ワンモア、プリーズ?」

「नमस्ते। मैं हूँ लक्ष」

「……」

 

 ぜんぜん分からん。

 ていうかこれ、ヒンディー語じゃなくね?

 ところどころ母音抜けてね?

 

 もしかして、サンスクリット語じゃね?

 

 この単語と発音の感じ、俺が大学時代に古代語を履修してたときにちょっとだけ習った古代インドで使われてたとされる古代のサンスクリット語じゃね?

 まさかの、5世紀に古代インド周辺で公用語として話されてた古代サンスクリット語じゃね?


「先生~! その子なんて言ってるんですかぁ~?」

「あ、ああ、うん。ちょ、ちょっと待って」


 クラスの生徒たちから翻訳をせっつかれる。

 しかしどうしたものか、ネイティブの古代サンスクリット語はさすがに分からんぞ?

 

 う~ん……。

 ……って、いやいや、古代サンスクリット語なんてありえんだろ。

 タイムスリップでもしてきたのか、ってありえない話になっちゃうし。

 

 そうだ、きっと俺が聞き取れないだけで、地方特有の訛りのあるヒンディー語に違いない。

 ならば……!

 俺はチョークを手にして黒板に自分の名前をヒンディー語で書いた。

 

夢太郎युमेतरो

 

 それから留学生にチョークを手渡して、俺の名前の書かれた下のスペースを指で示す。

 

「え~っと、『アパナ ナム リコゥここに名前を書いて』」


 コクリ。

 俺の言葉に留学生は頷いてくれた。

 

 よし、何をしてほしいのか伝わったみたいだぞ。

 そう。会話でのやり取りが難しいなら筆記でやり取りをすればいいのだ。

 口語でいくら訛りがあろうとも、さすがに文字にしてくれたなら俺にだって意味が分かる。

 さあ、書いてくれ留学生! 文字で、キミの名前を!

 

「…………」


 しかし、留学生は口を閉ざし、黒板を見つめたまま動かない。

 なんでだ? なぜ書かない。

 そこで俺はハッとした。

 

 これ、古代サンスクリット語だからじゃね?

 

 古代インドでも公用語と認められるまで、文字を持たず口語伝達が主なコミュニケーション手法だった古代のサンスクリット語を使ってるから文字が書けないんじゃね?

 名前を書こうにも用いる文字が無いから書けないんじゃね?

 

「……マジか」


 本当に古代サンスクリット語を常用しているの?

 まさかホントにタイムスリッパーだったりでもするのかこの留学生は?

 だとしたら……くそっ!

 これ以上のコミュニケーション手段が思いつかない……!

 これ、詰んだか?

 

 クラスの生徒たちもさすがに心配そうな表情を向けてくる。

 

「先生ぃ~? ちょっとぉ~?」

「お、お前たちはちょっと待ってろ」


 いまは生徒の相手をしてる場合じゃない。

 この留学生をどうするか考えねばならぬ。

 俺はクラス担任なのだ。

 たとえ古代サンスクリット語を話していようが、タイムスリップしてきて時空警察に追われている指名手配犯だろうが、このクラスの生徒になった以上はどうにかしてこの留学生をクラスに馴染ませてあげなければならないという使命があるのだ。

 そんな俺が挫けるわけにはいかない。

 

「よしっ。やってやるぞ……!」


 俺は自分の胸に手を当てる。

 そして留学生をまっすぐ見つめ、


「ユメタロー」

「……?」

「ミラ ナム ユメタロー ハェイ」

「……」

「ユメタロー。ミラ ナム ユメタロー ハェイ私の名前は夢太郎です

「……!」


 俺の言葉に、留学生はハッとしたように目を開いた。

 そして俺を指さして口にする。


「ユメタロ……?」

ハァンそう! イェ サイー ハェイそうです!」


 異言語コミュニケーションの基本。

 それは『分かりやすい体の動作ボディランゲージと共に、伝わるまで何度もしつこく同じ言葉を繰り返す』だ。

 

 正しく自分の名前を伝えられた喜びを嚙み締めつつ、俺は再び問いを投げる。


トゥマラ ナン キャ へあなたの名前を教えて?」

「ア……バーニニ。バーニニ」

 

 バーニニ!

 やったぞ!

 名前を聞けたぞ!

 バーニニっていうのか!

 

「クラスのみんな、彼女の名前はバーニニだ!」

「「「おぉッ! バーニニ!」」」

「仲良くするんだぞぉっ!」

「「「よろしくぅッ! バーニニ!」」」


 クラスのみんなの温かい歓声と拍手が教室を包んだ。

 心なしかバーニニもその雰囲気を嬉しそうに受け止めている表情をしている。

 しかし、バーニニか……。

 ん? バーニニ?


 それって古代のサンスクリット語を体系化した超有名文法学者のバーニニと同じ名前じゃね?

 

 古代インドにおいて古代サンスクリット語の祖であるヴェーダ語の主たる文法体系の1つを確立し、そののちに現代まで使われることになるサンスクリット文法学者としても広く名前を馳せた、日本でいうところの菅原道真的な超天才の名前じゃね?

 

 え~マジで……?

 ……。

 

「まあ、いっか。偶然の一致だろうしそんなに気にすることでもないよな……っと、そうだそうだ。忘れるところだった」


 俺は教壇の引き出しに置いておいた各科目の教科書ワンセットを取り出した。


「バーニニ、これが君の教科書だ」

「……」


 フルフル、とバーニニは首を横に振った。

 そして自分の持ってきたカバンを指さした。


「え? もしかしてもう自分で用意してきたのか」

「……」


 コクリ、とバーニニが頷いて、ゴソゴソとカバンを開けて何かの本を取り出した。

 ん? なんだかとても装飾の派手な本のようだが……。

 いや、これって……?

 

 マハーバーラタじゃね?

 

 西暦で4世紀のグプタ朝で公用語になったサンスクリット語を用いて編纂へんさんされたインド2大叙事詩じょじしのひとつで、インド神話を構成する超重要文献のマハーバーラタじゃね?


「ちょ……え? なんでマハーバーラタ?」

「……?」


 バーニニ、首を傾げながらもう1冊取り出してきた。

 もしやとは思ったけど、そっちはやっぱりラーマーヤナじゃね?

 インド2大叙事詩のもうひとつで、ヒンドゥー教徒の間ではもはや聖典扱いのラーマーヤナじゃね?

 

 え、それらが教科書代わりなの?

 どういうことなの?

 

 ヒンディー語とは語感の異なる古代サンスクリット語を話すのといい、教科書代わりの古代インドの歴史的文献といい、バーニニさん、ホントに古代インドからやって来ましたみたいな感じなんだけど?


 冗談抜きで、タイムスリッパーなんじゃね?

 

「フフッ」

「……え?」

「アハハハっ!」


 バーニニが突然、笑い始めた。

 

「ごめんなさい先生、実は私、日本語もしゃべれます」

「え、えぇっ⁉」

「ちょっとしたジョークのつもりだったのですが、思った以上に先生ががんばってくれたので、つい持ってきたネタを全部披露しちゃいました」

「な、なんだよ……そういうことか」


 バーニニのネタばらしに、クラス中が暖かな笑い声で包まれる。


「本当にびっくりしたよ。まさか古代のサンスクリット語を話されるとは思わなかったからさ……」

「えへへ、スミマセン!」


 バーニニはてへっと舌を出し、教科書1セットを受け取ると、それから窓際の一番後ろに用意した席へと歩いていく。

 

 まったく、人騒がせな留学生だな。

 でもこの分ならきっとクラスのみんなと打ち解けるのも早いだろう。

 その心配がなくなったのはよかったな。

 

「さて、それじゃあHRの時間も無くなっちゃったし、さっそく授業を始めるぞ~。みんな英語の教科書を準備しろ~」


 みんなが教材の準備をする中、窓際のバニーニは安らかな表情を浮かべていた。

 やはり初めて教室に来るにあたってそれなりに緊張していたのだろう。

 つつがなく自己紹介を終えられてホっとしているに違いない。

 バーニニは手を真上に、うーんと伸びをした。

 

 ニョキリ。

 その背中からもう2本、腕が伸びていた。


「……⁉」


 はい……?

 え? CG?

 いやいや、そんなばかな。ここは現実だ。

 っていうか、美少女、4本の腕、桃色の衣装ってさ……。


 ラクシュミーじゃね?

 

 ヒンドゥー教の女神の一柱で、4本の腕を持ち、蓮華ピンク色の瞳と衣をまとって誰をも魅了する美の女神、ラクシュミーじゃね?

 

 バーニニは俺に視線を合わせるとニッコリほほ笑んだ。




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サンスクリットっていう語感が良かったので書いてみました。

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どうやら留学生美少女の古代サンスクリット語が分かるのは俺だけのようなので、彼女をクラスに馴染ませようと思います 浅見朝志 @super-yasai-jin

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