第2話 電脳都市の色彩売り
からん、ころん、と涼しげなSEと共に、夕暮れに染め上げられた通りに女が現れた。
彼女は色を売って歩くから、そこでは色屋と呼ばれていた。色覚に優れた目を活かして様々な色を作ったり、売ったりしているという。そのレシピは秘密で、誰も知らない。
小瓶に封入された『色』を購入して所有権を自分に移せば、その色をどこの何に使うかは購入者に一任される。自分が所有しているものであればどれにでもいくらでも使えるから、皆、小瓶を一つか二つは持っていることが多かった。
「色屋さんだ!」
「今日は何の色を持ってきたの?」
女は駆け寄ってきた子供たちに微笑んで、小瓶のいくつかを見せた。第三電脳都市オレンジ通りはその名の通りオレンジ色の道が走る通りだったが、今はその一角に他の色彩が広がろうとしていた。
「今日は夕焼けの隅っこに、桜の花の粋。海の欠片に、砂浜の切れ端を持って来ましたよ」
そうやって小さなホバーが空中で止まり、小瓶の画像がいくつも投影された。月に移り住み、そこからさらに人類の一部が電脳世界で暮らすようになって十数年。最初は老齢や病気によって元の肉体の維持が苦しくなった人が逃げ込む《彼岸と此岸の境目》だった町も広がり、今となっては複数のサーバーで運営されるもう一つの世界となっていた。
自分のアバターは課金やくじ引き、本人のセンスによっていくらでも改造ができる。だが、色については一定の制限がつけられていた。NPCであることを示すための色があるし、完全に肉体を放棄した住人と一時的に顔を出している訪問者を区別するための色もある。だが色屋の売ってくれる色は、それらの縛りからは自由だった。厳密には使用制限がない色の範囲で、魅力的な色を売ってくれている。不定期に電脳都市の様々な場所に現れる色屋は、電脳都市の外の訪問者達にも「色屋の売る色なら安心して使っていい」と太鼓判を押されていた。
「ねえ色屋さん。初めてあなたに会ったのだけれど、あなたのセンスで色を選んでくれたりはできるのかしら?」
そう声をかけられて、色屋は少し小首を傾げた。色屋の拡張現実が導入された視界には、相手のパブリック情報がもちろん見えている。登録名は「クロエ932」、分類は「訪問者」。現在のアバターは初期設定の成人女性型から全パーツそのままで、電脳都市での犯罪歴もないことは白と銀のブレスレットが示していた。
「色診断ですか? ええ、お時間をいただけるのでしたら。他にもお客さんはいらっしゃいますから、つきっきりとは行きませんが……好きな色や候補の色がいくつかあるのでしたら、まずそれをお持ちください。今回も色は多く持ってきておりますから」
「でも、ずっと瓶を持っていたりするようじゃ、他の人の迷惑には――ああ、そうか。ここは電脳都市だったわね。小瓶をいくつ持っても重くないしかさばらないし、在庫切れの概念もない」
「ええ。とはいえ、カバンへの保持が有効なのはこのワゴンから半径50mの範囲だけです。それより遠くへ行ってしまうと、万引き防止のためにカバンの中身を削除する規定となっています。染めた色も自動で削除されます」
物の概念が外と比べれば少し曖昧な電脳都市では、明確にルールを定めておかなければその所有権もたちまち曖昧になっていく。そう説明する色屋の横で、すでに買う小瓶を決めた客がレジを通していた。住民たちが金の腕輪を通すと、ガラスの割れたような硬質な音を立ててクレジットの数字が空中を移動する。クロエ932以外の訪問者達の銀の腕輪は、まだ大量に並べられた小瓶の前でうろうろとしていた。同じようなアバターで電脳都市に来ている人は複数いたので、同じ顔がいくつも並んでいる。そこにこれから個性を与えるのが、色屋の色なのだ。今は皆、プリセットの凡庸な顔立ちに茶髪茶目と中肉中背な体格をしている。ここから、個性が生まれていく。
「色屋さん、これよりももう少し濃い紫はないの?」
「禁色規定に入りますので、それが一番濃い色になります」
「ふーん、そっかぁ……」
小瓶には一つ一つタグがつけられていて、それぞれに色屋がイメージしたらしい言葉が付与されている。『#高貴なる貝紫/紫』『#夕暮れの水平線の隅っこ/橙』『#桜の花びらの根元/桃』『#太陽に透かした木の葉/緑』……
「これらの色の名前は、どうやって決めているの?」
「大図書館の本を参考にしていますね。図鑑や写真集がありますから、しっくり来た色と言葉をこうして結びつけています」
クロエ932が浮かび上がった小瓶の画像のひとつをタップすると、透明な水色に満たされていた小瓶の中身の色が変わった。タグに表記されていた文章は『#薔薇の花びらに浮かぶ露/赤』。ただ赤のカラーコードを指定するだけでは出せない、綺麗な色が出てきた。
「赤……いえ、少し色が薄いみたい。これを髪か目に使ってもいいかもしれないし、一回カバンに入れてこうっと」
同じ赤だけでも種類が沢山あるのが見えて、クロエ932は楽しくなってきた。赤、青、紫、白、黒……といった大枠の色がタグの隅についているが、タップしてみるとそれらは皆違った色合いを見せた。
客として訪れている人々を見回してみれば、直感なのかあっさりと決めてレジに向かう者と、同じような色合いの小瓶をいくつか並べて悩むものの二種類に大きく分かれていた。
「うーん、これとこの青じゃどっちが似合うかな……」
「俺はもう決まったから、先に会計して待っているよ」
「あーっちょっと待ってくれ、どっちの青が次の目の色に似合うと思う?」
「俺の好みだと左だな。『#ブルー・ダイヤモンドのファセットに射しこんだ光/青』って言葉も、かっこよくて好きだ」
楽しそうに会話する、友達らしい訪問者と住民の少年二人組。鏡を見ながら自分の髪の色を何種類も試す、訪問者の女性。中にはペットの犬につけるつもりだったのか、抱き上げたペットの首輪を何色も変えてはしっくりくる色を探している男性の住民もいた。
「何色がいいかなー、おもちー」
『にゃー』
「お前は何色も似合うから迷うなあ、いっそ全部買うかなあ」
色屋の女は会計を確認したり、客の様子を楽しそうに眺めたりしていた。時折決めかねたお客の「色屋さーん」という声には「はーい」と対応しているが、それ以外は基本的レジの傍に控えていた。そうやって無言で立っている姿は電脳都市のNPCや外の接客ロボットのようなものだが、金と白の腕輪をつけていると言うことは電脳都市に暮らしている人間、のはずだ。事実、色屋のワゴン傍を通り過ぎて行ったモップの清掃員は、腕輪をつけていないNPCだ。住民も訪問者も腕輪を外せないし、NPCが腕部にアクセサリーをしているとしても規定によりデザインは必ず違うものをつけることになっている。
「先ほどから随分をお悩みのようですが、何でお悩みですか?」
他の客が出たり入ったりする中、ずっと何種類かの小瓶をカバンに入れながら悩んでいたクロエ932に色屋が話しかけた。試している途中だったようで、その声に顔を上げた彼女の髪も目もすでに色が変わっていた。今は髪を『#薔薇の花びらに浮かぶ露/赤』に決めていたものの、目の色は左目が『#七月に咲いたラベンダーの花房/紫』、右目が『#正午の夏空の薄いところ/青』に設定されている。服や靴の色は、まだ変えていないようだった。
「髪はこの色に決めたけれど、目の色に悩んでいて……弄っていたら左右別々の色にできたので、つい。でも、左右同じ色にするのもいいなと思うと……決められなくて……」
せっかくの機会なのだもの、と呟くのは、彼女が外からお金を払って電脳都市に遊びに来ている身の上だからだ。彼女の肉体は指定の施設で管理されていて、意識だけが電脳都市にダイブしている。
「元のクロエ932様の色を再現したい、などはありますか?」
「いえ、せっかくなので元の私とは全然違う色にしたいなと。けれど、好きな色は何色もあって、近い色合いを試しているところで。色屋さんは素敵なタグをつけて、沢山の色を売っているでしょう? それを見て試しているうちに、段々わかんなくなってきちゃったというか……」
「なるほど、そうでしたか」
リクエストを承認してもらって、色屋がクロエ932のカバンに入れられた色の小瓶のリストを確認した。青と紫の二種類がいくつも並べられていて、赤は今髪を染めているひとつだけが入っている。
「青と紫がお好きなようですが、細かく言うとどのような色が好きですか?」
「うーん、青は色の薄い、水色っぽい色が好きかな。紫は……アメジストくらいの色合いが好きなのだけれど、沢山あるのを見ていたら目移りしちゃって」
色屋の手の中に、リストにあった瓶がいくつか実体化した。それらは乱暴に言ってしまうとどれも青だったが、その中には確かにかすかな差異がある。
「ここは電脳都市。物理的な肉体の制約に縛られないという点では、外よりも自由な町です。昔はこういった電脳体を作るのは技術的問題が大きかったようですけれど、今はそんなこともありません。この店で色を買っていけば、クロエ932様が所有しているものであればなんでも染められます。だから、そうですね……どうしても決められないなら、前時代的な『直感』なんてものを信じてみるのもいいと思います。色はひとつあたりそれほど高くありませんから、いっそ全部買ってしまわれるか……やはり違う色が欲しいとなったら、色の所有権をご友人と交換するか、また私のお店に来てくださればいいと思います」
そう言って柔らかく笑みを浮かべる色屋の言葉にクロエ932は頷いて、少し考えこんだ後に二本の小瓶を決めた。
「いったんこの三本をください。服や靴は、この後で友人と一緒に新しいものを買うんです」
「わかりました。では、その腕輪をレジに当ててください」
クロエ932が他の人達がしてきたのと同じように腕輪をあてて会計を済ませた後、所有権の移った三本の小瓶をカバンから取り出した。半透明のディスプレイから髪、右目、左目に色を設定して、改めて彼女は自分の姿を鏡に映す。
「ねえねえ、色屋さん。私のこの姿、似合う?」
「ええ、とっても――いってらっしゃいませ。機会がありましたら、またのお越しをお待ちしております」
色屋に一礼された彼女は、新しい色をまとって歩き出した。外の世界ではもう写真や画像の中にしかないような自然にあふれた、データで構築された景色の中を。
あぶくの月の住民たち 雨海月子 @tsukiko_amami
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