あぶくの月の住民たち

雨海月子

第1話 神酒の海の染色師

 どこの『町』でも、市場はいつだって賑やかだ。

「はい、確かに。……買ったものは袋と風船、どっちに詰める?」

「もう町を出るので、風船にお願いします」

愛想のいい店主に買った荷物を風船へ入れてもらいながら、私は見慣れない服の多い市場を見回した。あまり旅人の来ない町で、私の姿はひどく目立つ。

「その服、『神酒の海の町』から来たんだろう。たまにいるが、こっちにそんなに見るものなんてあんのか? そちらさんは月に名高い歓楽都市。『楽しいモノならなんでも揃う』が『神酒の海の町』の売り文句だろう」

「『楽しいモノならなんでも揃う』んですけど、こういう、私だけが楽しいモノは置いてないんですよ。それに新鮮な麦が欲しいなら、やっぱり麦を育ててるところじゃないと。この麦藁からなら、きっと綺麗な黄色が採れます」

「都会の考えはわからんなぁ……」

半ば呆れたような店主に「おまけな。途中で食っていくといいさ」と古き良きフリーズドライの乾パンも入れてもらった風船を抱えると、私は足早に市場をすり抜けていくことにした。早く戻らないと、仕事が残っている。観光はまた今度と決めて、宿の駐車場にバイクを取りに戻った。

「帰っちゃうのかい? 慌ただしいね、今度はゆっくり観光しにおいで」

「ええ、お世話になりました」

宿の人とあいさつを交わして、駐車場の機械に手首をかざす。私のことを静脈かIDチップで認識した旧式の機械が、仕舞い込んでいたバイクを出してきてくれた。念の為に張っておいたセキュリティフィールドにも私を認識させると、バイクの管理AIが起動する。

『ハロウ、マスター。休暇は終わりですか?』

「休暇じゃなくて仕入れよ。帰り道、ルート設定して。風船があるから、その分の重力調整も」

『かしこまりました』

大型の無骨なバイクは男性に好まれるものだが、荷物をたくさん載せられるので私はこちらを気に入っている。市場で買った荷物を入れた風船と宿屋に置いていた荷物を入れた風船をくくりつけ、出発。バイクを押して辿り着いた町の門には門番がいて、「お帰りですか」と声をかけてきた。

「ええ、申告通り1日の滞在を終えて、帰るところ」

「田舎だから、何もなかったでしょう。中央からは遠いですからね」

「でも、ご飯はおいしかったし、いいものも買えたわ。さすが、月の食糧庫ね」

月面にかつての海の名を冠したドーム都市を建て、地球を後にした人類が月に移住して数百年。合成食糧機で満足できなくなった人間は、農業をわざわざ復活させた。それに従事するのは、中央から離れて暮らすこういった地方ドームの人たちだ。ここで作るのも、ここでできたものを食べるのも、完全に娯楽に近いけれど。田舎だと卑下しているのは、中央から遠くてあまり最新のモノが入って来ないからかもしれない。公的に農業という産業が保存されている分、農民は地球時代の読み物のように貧しいわけではないからだ。

「…はい、手続き完了です。お帰りはそのバイクで?」

「隣のドームまでバイクでのんびり行ってから、列車に乗るの」

「そうですか。では、気をつけてお帰りください」

そう言った門番に見送られて、私は酸素供給ヘルメットを被りバイクに跨る。人工重力に満たされたドームを出れば、ふわりと荷台にくくりつけた風船が5/6の重力を失い浮き上がった。隣のドームまでバイクで行けば、直通列車で私の暮らす町に帰れる。この辺りの景色はドームを出ると荒涼とした砂漠になっていて、そんなところにも古いものが残されていた。

 それが怠惰なのかノスタルジーなのか、私にはわからない。でも、たまにはそんな景色も、悪くはないのだ。


***


「ただいまー…あれ、イリス来てたんだ」

「やっほーベルベット。今日戻るって聞いてたし、仕事見に来ちゃった」

住居兼工房である我が家に戻ると、幼馴染のイリスが遊びに来ていた。染色師という仕事を私に教えてくれた、気まぐれで享楽的な『神酒の海の町』の住人らしい親友だ。面白そうだと私に教えてくれた割に、すぐに飽きて訓練を投げ出した彼女は、染める様子を見に時々遊びに来ていた。昔は家の前で待ってることも多かったんだけど、作業に熱中して自分を疎かにするベルベットにはパーソナルAIの声がけではなく自分の力が必要だと説得され、パートナーでもないのに合鍵を持っている。

 今日のイリスは緑色の口紅をしていて、それは薄緑色の瞳によく似合っていた。彼女は気分で髪や目の色を変えるから、腕いっぱいのタトゥーを晒してもらわないとわかりにくいところがある。大方今日は、緑の口紅に似合う色を選んだんだろう。少し前からこの町では髪や目の色を変えられるアクセサリーが流行っていて、みんな好きなように色を変えていた。今はまだこの町だけの流行りだけど、多分、そのうち他の町にも広まるだろう。ここは、そういう町だ。流行りと遊びのグラウンド・ゼロ。目が回りそうなほど、いつもみんなが何かを取捨選択している。変わらないでいるものは、ほんの少しだけだ。

「町の外はどうだった? 面白いもの、あった?」

「外ってほど大袈裟じゃないわよ、近くの『危難の海の町』まで染料にする麦を買い付けてきただけ。実の入ってるのにしてきたから、後で何か料理に使いたいなって」

「うわいっぱい出てきた! これだけ買い付けられるって、ベルベット金持ちになったんだね」

風船から出してきた麦穂を見ての、親友の反応がこれだった。確かに、この町では天然の麦をわざわざ買おうとすると結構な値段がする。自分達で作ってないからよそから買うしかなくて、ドーム間輸送の費用に税などもかかるとなると割高なことが多いからだ。ただ麦や麦由来の品が欲しいだけなら、合成してしまう方が早くて安い。

「あそこの麦はおいしいって、私も聞いた。でもここで買うと高いからね……ドーム出るのも面倒だし」

「手続きは慣れだし、ドームの外を見てみるのも楽しいよ。バイクに乗るの面白いしさ、今度一緒に行ってみない? 仕事が一段落したらになるけど」

いつしかイリス専用になっているクッションの上に転がって、彼女は「でも……そうだね、一度くらいはどこかに行ってみようかな」と呟いた。

「今回ご依頼の黄色で布を染められたら、私の仕事はそこまでなんだけど、イリスは?」

「私は脳みそひとつで仕事してるから、いつでも平気」

「じゃあ、今度一緒に出掛けようね。どこにする?」

「まずは近くがいいなあ……あ、ほら隣の、『豊かの海の町』にあるっていう美術館ミュージアム、ちょっと行ってみたいかも。地球時代の美術品のレプリカが沢山あるっていう」

「『豊かの海の町』にはこっちとはまた違う料理が食べられるって言うから、それも楽しみだね。《資格持ち》の技能保存者の人の料理とか、食べてみようよ」

「またお金のかかりそうな……でも、楽しみだね。同じものを作ろうと思えば機械とかでいくらでもできるけど、せっかくだからね」

二人で楽しい話をしながら、麦わらと実を選り分けて染色の準備をする。地球時代の染色の資料は失われている者も多いから、こういった作業は結構手探りなのだ。

 鍋を赤外線で温めながら休日のことを考えたのは、地球の同業者も同じだったのかしら。ふと、そんなことを思った。

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