閑話休題:マカロン事変
「亜門先輩。私のマカロン、食べましたよね。」
先月入ってきた俺の唯一の後輩、
少し遡り、場所は同じゼミ室。他の生徒が五限目の授業を受ける中、学期末に提出する研究成果の作成の為、俺たちはこの部屋に集まっていた。
白木さんは端的に言うと金持ちなので、家にお菓子が余っているらしく、集まりの際はほぼ毎回、何かしらの手土産を持ってくる。ある時はマドレーヌ、ある時は最中、といった具合に。
今日はマカロンだった。しかもぴったり四つ。味は全てショコラだ。
しかし、無情なことに孤児院の出は彼女だけではない。俺もそうだし、ゼミ長の
「鉄君、コーヒー淹れて」
そう怜が言ってくるが、魂胆が見え見えで、もはや清々しいまである。
「お前、その間に俺のマカロン食べる気だろう」
黙って彼女は目をそらす。昔はそんな奴じゃなかったのに。長い貧乏生活で、心まで貧しくなってしまったようだ。
だが、俺はコーヒーがないと甘いものを食べられない。これもまた事実なのだ。甘味単体では、苦みばかり感じるようにカスタマイズされた俺の舌が拒否反応を起こしてしまうので、店に行っても必ず濃いめのコーヒーをセットでつけるようにしている。
怜は「どうせコーヒー飲むんだからついでに淹れてよ」というニュアンスを含ませそう言ったのだ。となると、変に断る理由もない。
俺は億劫さを隠そうともせずに立ち上がり、白木さんに聞く。
「飲むか?」
ちなみに葵はコーヒーが苦くて飲めないので聞かない。
「じゃあ、お願いします。」
電気ケトルに水を入れ、お湯を沸かす。蚊帳の外の葵は黙々とPC作業をしていたが、休憩とばかりに大きく伸びをして、白木さんに話しかける。
「白木さん、コーヒー飲めるのか?」
「はい。結構飲みますよ。それこそマカロンとか、甘すぎるものよりかは好きですね」
「へえ。すごいな。俺は苦くて飲めないんだ」
「ええっ。なんか意外ですね、お酒とかコーヒーとか濃いの好きそうなのに」
「はは、こんなに爽やかな青年を捕まえて。どこからどう見ても健康優良児だろ?」
「いや、それが逆に怪しいのよね。白木さん。」
と怜も続く。
「ええ。なんか、裏ではストレスをそうやって発散してそうなんですよ」
「葵って、私は健康です!って顔して校内を肩で風切って歩いてるものね。自己アピール強すぎてなんか胡散臭いっていうか」
入ってもうすぐ一か月。白木さんも、随分俺たちに気を許し始めているようだ。
「肩で風切って…あははっ…確かに、よく見ますね、その姿…ははっ」
と葵に遠慮なく体を震わせている。
すっかりいじられキャラが定着してきたゼミ長が、おどけて答える。
「鍛えすぎて、肩が勝手に風を切っちゃうのさ。俺という人間の大きさに空気の流れがついてこれないんだよ。よくあることさ」
「どっちにしろあまり印象はよくないがな」
俺達のやりとりに、白木さんは声を上げて笑った。
コーヒーを淹れ終わり、いざティータイム、といった所で、催す。なんと間の悪い。
「俺、トイレ行ってくるわ。先食べてていいぞ」
そう言って立ち上がると、葵が
「あ、俺も」
と呟くのが背中越しに聞こえたが、俺達に決して連れだって用を足す趣味はない。先にゼミ室を出てさっさと手洗いに向かう。コーヒーも冷めてしまうしな。
小便器で立って用を足していると、おそらく葵だろう。人が入ってきて、個室に入った音がした。なんだ、あいつ大の方だったのか。PC入力をやたらせかせかとやっていたのはこのせいだったのかもしれないと想像し、ほくそ笑む。
手洗い場で鏡に映る自分を見ると、暗く、人相の悪い顔をしていた。とても、今からマカロンを食べる男の姿ではない。あのお菓子は他のものと違って…なんというか、やたら明るいやつらが食べるイメージだ。マカロンの華やかさに全く似つかわしくない己の顔に、思わず苦笑した。
ゼミ室にカードキーで入ると、難しい表情で顔を突き合わせている女子二人。コーヒーにもマカロンにも手を付けていないようだ。
「どうした?」
不思議に思い聞くと、白木さんがこちらを向いて、呆れた声で言ったのである。
「亜門先輩、私のマカロン、食べましたよね」
まずは自分の椅子に座る。弁明はその後だ。
「ちょっと鉄君?何落ち着いちゃってるの。マカロン、勝手に食べたんでしょ。白状しなさい。」
と怜が心なしか楽しそうに言ってくるが、ひとまず無視して少しぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。
「鉄君?」
と怜が頬を膨らませ覗き込んでくるので、目をそらしながら答える。
「バカバカしい…そんな訳ないだろ。トイレ行ってきたんだぞ。いつ俺がマカロン盗んで食べるんだ」
「でも、無くなったのはマジなんですよ!ほら」
そう言って白木さんが自分の皿を見せてくるが、何の証拠にもなっていない。
「ほら、と言われてもな。大体、お前ら何してたんだ?なんで目の前のマカロンが無くなったことに気付かなかったんだよ。」
二人は顔を見合わせると、一枚の紙を俺の前にスライドさせてきた。ギフトやお歳暮によくついてくる、商品やパティシエを紹介するもののようだ。
「これを天音崎先輩と見てたんですよ」
「そう。でもほんの数十秒よ。その間に無くなってたんだから、びっくりしたわよ」
俺はまだ、この件に猜疑心だらけだった。なんなら、二人で結託して俺をからかっている可能性の方が高いとまで思っていた。
紙から二人に目を戻すと、予想外に真剣な面持ちでいる。うーむ。もし、仮に本当なら妙な話ではあるし、少し考えてみるのもありかもしれない。
葵がトイレから帰ってきて、さっきの俺と全く同じやりとりを強いられている。
「いや、俺もトイレ行ってたんだよ。鉄郎と一緒さ」
行き詰まる話に、白木さんも怜も首をひねって、俺の方を見る。
「亜門先輩、どういうことだと思います?」
「鉄君、少し考えてみない?」
俺はわずかなため息をつき、話しを進めることにした。
「分かったよ。どうやらドッキリでも無さそうだしな。」
「こんなしょうもないドッキリしませんよ!」
どうかな。お前らなら、やりかねないと俺は思ってるが。
「まず、トイレに立った俺と葵が犯人として挙がるわけだが、俺達はお互いに潔白を証明できる。」
そう切り出して葵を見ると、鷹揚にやつは頷く。
「ああ。なんせほぼ連れションしたからね。俺は鉄郎が用を足すのを見たし、鉄郎は俺がトイレに入ったのを見てるよ」
「そうですよね…」
白木さんは微妙なリアクションをとる。男の先輩のトイレ事情という、なかなかに気持ちの悪い話だから致し方ない。でも俺達だって話したくて話してる訳じゃないし、このケースならセクハラに該当したりはしないよな?
「物的証拠は…まあ、何も用意できないが、互いに白だ。これはもう認めてもらうしかない」
「ええ、分かりました。それは認めますよ」
やけに返答が早い白木さんは、間違いなく話を先に進めたがっている。
「じゃあ、次に検討すべきなのはお前ら二人だが、これを証明してもらうため今からクイズを出す。このマカロンを作ったメーカーの名前は?」
二人は先と同じように顔を見合わせる。そして「せーの」と小さく掛け声して、
「「池袋銘菓。」」
と同時に答えた。
俺は商品紹介の紙を見て言う。
「正解。ってことは、二人でこの紙を見ていたことは間違いなさそうだな」
頷く二人。
「ああ、あの池袋銘菓なんだ!って思ったわよね」
「はい。自分で持ってきといてアレなんですが、高級品だなーって二人で。」
俺は池袋銘菓なるメーカーは一切聞いたことが無いが、示し合わすでもなく答えが一致するなら同じ紙をみていたことはまず本当なのだろう。
「なら、可能性は一つしかないだろ」
俺が言うと、白木さんと怜が身を乗り出してくる。だからやめろと何度も。
「謎が解けたんですか先輩!」
「犯人は誰なの鉄君!」
「落ち着け!……単純だ、俺以外の誰かが嘘をついてる。それだけだ。白状して楽になっちまえよ」
思考を放棄した俺の答えに、ゼミ室は色めき立つ。
「ちょ、ちょっと先輩!適当なこと言わないでくださいよ!」
「そうよ!それに俺以外ってどういうこと⁉言っとくけど、この中だったら鉄君が一番怪しいんだからね⁉」
「そうだぜ鉄郎!」
さっきから葵の様子がおかしいことに俺は気付いていた。が、根拠がどうしても見つからない。確かに俺はこいつがトイレに入ってくる音を聞いたし、手洗いに向かう廊下でも足音や気配は確実に感じていた。
「やれやれ…面倒なことになってきたな」
俺を取り囲んでぎゃあぎゃあ騒いでいる三人を視線から外そうと、再び商品紹介の紙を手に取り、開いた。
俺達の前にあるのはショコラの薄いこげ茶色をしたマカロンだが、写真にあるショーケースには原色鮮やかな色とりどりのマカロンが並んでいた。成程、女子が好むわけだ。写真映えもするし、アクセサリのような可愛さと気品がある。俺や葵のようなむさ苦しい面の野郎には、やはり似合わない代物だ。
…………!
「お前ら、ちょっと聞いてくれ。犯人が分かった。」
俺がそう言うと、まるで第七感を使ったみたいにピタリと三人は停止した。特に女子二人は、俺を驚愕の表情で見ている。
「単刀直入に言うぞ。葵、お前だな?マカロンを食べたのは」
葵は爽やかに笑って答える。
「おいおい、さっきも言ったじゃないか。俺達は互いに白だって分かってるはずだろ?」
「ああ、俺もお前の足音を聞いたし、確かにお前は俺とほぼ同タイミングでトイレに入った。けど、思えば引っ掛かる点がいくつかあった」
「さっき白木さんに、俺と連れションしたって言ったな。けど、冷静に考えると、お前は俺と違って大の方だったから個室に入ってたじゃないか。決して連れ立って用を足したわけじゃないから、その言い方は不自然だ。」
「なら、どうして個室に入ったことを隠すような言い方をしたのか。恥ずかしがるような奴じゃないってのは周知の事実。ということは、俺が”葵は個室に入った”と認識することはお前にとって都合が悪いから、という可能性が浮上することになる。」
全員が、黙って俺の話を聞いていた。白木さんも、トイレ事情の話だというのにさっきと違って真剣な様子。
「では、その、都合の悪い事実とは何か。さっきトイレで手を洗う時、俺の顔がやたら暗く見えて、”これじゃマカロンと釣り合わないな”と思った。けど、あの暗さは葵が個室に入ったにも関わらず、個室の電気がついていなかったからだったんだな。」
「この高校のトイレの個室は、節電の為かしらんが便座に座らないと電気が点かない仕組みになってるのはお前らも知ってるだろ?葵は、俺が出ていって、二人が紙に目を取られた一瞬に、白木さんのマカロンを盗み、トイレで用は足さずに個室で立って食べた。これが真相だ」
ここまで一息で言い切る。後は、生徒会長の弁明を待つばかりだ。静寂を、犯人が割った。底抜けに明るく。
「いやー、流石鉄郎だ!白木さんあんま好きじゃないって言ってたし、俺だけ働いてたからいいやと思って盗っちまった!ちょっとした悪戯心だ!すまん!」
片手を立てて謝ると、ゼミ長はまさかの逃亡を図った。ゼミ室をダッシュで出ていく。
被害者はあっけに取られていたが、すぐに我に返って、追って部屋を出ていく。
「ふざけんなゼミ長ー!待てー!」
バタバタと足音が遠ざかっていく。くだらない事件だったが、なんだか昔の葵を思い出した。あいつは、孤児院にいたとき、間違いなく悪ガキで、こういった小さい悪戯をよくしていたものだ。
「なんかこの件…葵、小さい時に戻ったみたいだったわね。」
俺は吹き出す。
「はは、怜もそうか。俺も思った。クソガキだったころのあいつみたいだ」
怜も目を細めている。
「白木さん、私達に心を随分開いてくれてるけど、逆も然りだったみたいね。」
「そうかもな。」
仲もまあ、大枠でみれば深まったということで、これにて一件落着。静かになった部屋で俺と怜は、白木さんには悪いがゆっくりマカロンを味わった。
セブンスセンス~第七感~ @hamyanen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。セブンスセンス~第七感~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます