第10話

 男は大きなため息をついた。

 血に塗れた石畳の地。大きな生き物だった何かの上に座る武士の如きその人物は感嘆に浸る。


「長かった」


 男の脳裏には初めて野望を誓ったあの日が過ぎる。



 それはまだ男が幼かった時、焼ける村を背に母の手に連れられて逃げたことだ。

 あの怪物が彼らを追い、見つかりそうになった時。母は言った。


「絶対に音を立てないでね。お母さんは大丈夫。だから……強く生きなさい」


 草陰に自分を隠して母は去る。

 大きな悲鳴が聞こえた。何か硬いものがゴリゴリと擦れる音がした。汚い水滴が滴る音がした。そしてようやく何もかも居なくなり少年は草から身を出し、堪えても溢れる涙を流して森を歩いた。


 母の亡骸を見た。知ってる死体を見た。知らない人間たちの屍山血河しざんけつがを見た。その中を少年は何も飲まず食わずで日と夜を跨ぎ歩いた。


 いよいよ空腹や喉の渇きによる限界で少年は倒れ意識を失った。


 次に目が覚めたとき。猿に助けられていた。

 倒れた自分を運び、水を飲ませてくれたらしい。目覚めたと分かると猿はキャッキャと喜び自分から離れた。そして今度は果物を持ってきてくれた。


「くれるの?」


 そう問いかけると猿はキキッと鳴いた。

 持ってきてくれた果物を一掴みして食べた。


 涙が出てきた。久しぶりの食事に生きてる実感が湧いた。そして同時に悲しみが押し寄せた。


「許さない。僕の村を滅茶苦茶にして……父さんも……母ざんも!! 駆逐してやる……あの鬼どもに復讐してやるぅ!!」


 今でも覚えている。天にも登るほどの甘さを。母が山から取ってきてくれたその実の柔らかい甘さを。

 それを口に含んだ時、俺は復讐すると決めたのだ。



「母さん、やったよ。鬼どもに復讐……出来たよ」


 男は虚しく空を見た。鳥が飛んだ。二、三羽飛んだ。それだけだ。どんなものを見ても心にあるのは鬼を駆逐したという万感の思いだった。


 あの時、俺は助けられていなければ復讐に辿り着かなかった。あの猿が助けてくれなければ。

 そして、故郷の桃を口にしていなければ復讐など思っていなかっただろう。


「私に力をくれたのはきっと……あの桃だろう」


 何となくそう思った。そんな気がする。勿論猿の、いや、相棒の猿助が居なければ生きてさえ居なかった。だがあの桃を食べ、家族の笑顔を思い出せなかったら鬼を倒す野望など考えなかったかもしれない。

 何となくそんな気がするのだ。


「おーい、全部集めたぞーー!」


 金銀財宝を乗せた荷台を運んできたのは後に加わった犬多坊、荷台を引かず横で歩いてる女性はおきじ


「早く来なんし。皆待っておる」


「分かったーーー!」


 その言葉を聞き返答すると近くにいた猿助が駆け寄り男の肩に乗る。そして笑顔でキキッと鳴いた。


 男は立ち上がり、地面に突き立てた刀を取って納刀。そのまま荷台に向かって歩いた。


 これは一つの桃の話である。

 何の力もない桃が木から落ち、川を流れ、猿に拾われ、とある一人の男の口に運ばれる。

 たったそれだけだが、されど運命を変えたお話である。






最終話 「桃だろう 二」

 ー完ー

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一貢で語れる日本昔話 ナンプラー @namplar

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