Time is life 9

 翌朝、俺はいつも通り家を出て駅の改札を通り抜けた。今日は土曜日で普通なら高校生は休みのはずなのだが、うちの学校は生徒の為を思って云々という嫌がらせのような理由で隔週土曜日を登校日としており、やっぱり進学する学校間違えたかなと少し後悔の念を抱きながら電車を待っていた。何年後かわからないが将来就職するときは完全週休二日を絶対的な条件にしようと思う。土曜日だからか空いている電車に乗り込み、椅子に座り込んでスマートフォンを眺める。するとちょんちょんと肩を叩かれた気がした。ちらっと前に目線を動かすと目の前に立っていたのは相も変わらず優等生みたいな制服の着方をしたルナだった。

「りっくんおはよう」

「よう、朝会うなんて珍しいな」

「昨日遅くまで起きてたからちょっと寝坊しちゃって……」

そう言って少し微笑んだルナは確かに少し息が荒かった。どうやら電車に乗る前走ったと見える。

「ここ座るか?」

「ううん、もうすぐ着くから大丈夫」

そう俺の申し出を断りポケットから懐中時計を取り出した。葵が言っていたとおり本当に持ち歩いているようだ。手のひら大の丸い盤に鉄のチェーンが付いたすこし古そうな代物で、パッと見何か価値のありそうなアンティークに見えるのだが俺には全く美術を見抜くセンスがないので案外そこら辺のスーパーで売ってるような物かもしれない。

「この時計がちょっとズレちゃってて……。直したいんだけど今何時か分かる?」

そう言われたので俺はスマホの時刻表示を確認する。

「8時2分を回ったところだな。あと15秒くらいで3分になる」

「ありがとう」

ルナは懐中時計のクルクルと竜頭を回して時刻を調整した。ポケットに再びしまう時に見えた手首を確認してみたが腕時計はしていないようだ。毎回ポケットから時計取り出すのはなかなかに面倒と思うのだが、何か事情があるのかもしれない。

「りっくんも今日は寝坊したの?」

もうすぐ電車が駅に着くという時点で聞かれた。

「いや、俺は特に事情がなければ毎日この時間に登校してる」

「えー、遅くない?」

電車が停止したので立ち上がってドアをくぐりつつ俺らは会話を続ける。

「最初は30分前に登校していたんだが、なんというか、だんだん遅くなった。結局早く行ったところで机に突っ伏して寝るかスマホいじるかしないし、そしたら朝ギリギリまで布団で寝てた方が有意義に過ごせるんじゃないかって思うんだよ」

「確かにそれは分かるかも。朝は1分でも多く寝たいからね」

「そういう君はいつも何時に学校行ってるんだ?」

「私は大体8時前には学校に着くようにしてるよ。朝ご飯作る時間とかあるから起きるのは6時くらいかな」

とことん優等生だな。俺なんて8時直前に目が覚めることだってあるのに。始業時間は8時30分だから、もちろんそういうときは遅刻するが。

「生徒会役員は募金とか朝礼の準備とかで急に仕事が入ることがあるからなるべく早く学校に行くようにしてるんだ。私たちがいないと朝礼とか始まるのが遅くなっちゃうかもしれないから」

立派な心がけだとは思うが、そういうことを生徒にやらせる学校もどうかとは思うがね。学生の登校時間以前は教師が全部やれば良いのに。

「ふふ、それは一理あるねー」

なんて会話をしつつ俺らは改札を通る。定期券の範囲なので当たり前だが特に跳ね返されることもなくそのまま改札外へ出た。そういえばこの前はこの改札機が反応しないことで時間の止まった世界に迷いこんだ事に気づいたんだったな。まだ1週間ちょっと前の話だがなんだか結構前の事のように思える。


「そういやりっくん今日はお昼買わなくて良かったの?」

 駅を出て駅前通りを直進し、学校まであと1kmという地点までだらだらと話しながら歩いてきた時ルナが聞いてきた。忘れていた。今日は午後までポスター配りという仕事があるんだった。今から駅前のコンビニに戻るのは面倒以前に登校時間に間に合わないので帰りにコンビニ寄るか。もしくはポスター配りの途中にどこか飯屋に寄ってもいい。あの駅ほどほど発展してるしレストランの一つや二つぐらいあるだろ。それより俺はポスターを配るのにどれぐらい時間がかかるのかが不安だ。駅前の商店街とか結構な数あるし本当にアポなしで行って大丈夫なのだろうか。

「うぅん…体育祭の時はみんな貼ってくれたし大丈夫だと思うよ。もう何年もやってるから事情話すだけでどこのお店も受け取ってくれたし」

「ふぅん……」

そもそも商店街にポスター貼って本当に効果があるかは懐疑的だ。元からうちの文化祭に来ようと思っている人にはポスターなんて必要ないと思うし、こんなポスターを見て辺鄙な場所にある高校の文化祭に行こうと思う人は果たして何人いるのか。

「アオちゃんが言うには、買い物に来たおばさんとかが見て、中学生の子どもを連れてくるってことは結構あるんだって」

そうなのか。俺が中学生の時は高校の文化祭に行ってみようなんて思いもしなかったな。もし受験前にここを訪れていればこの長い通学路の存在を認知し、志望校を変えたかもしれないのに。

「私も受験前は2回ぐらいしか来たことなかったな。こんなに朝歩くとは思わなかったよ」

そう言ってルナは笑った。いや、苦笑というべきか、諦観の笑みというべきか。


 その後、遅刻スレスレで俺たちは校門をくぐった。ルナはこの時間に登校して来る生徒がそれなりにいることを初めて知ったようで、お嬢様が下界の現実を知ったような顔をしていた。別に校則に定められている登校時間内に登校すれば遅刻扱いにはならないから、俺を含め皆時間を有効に使う合理的な人間たちなのだと俺が言ったら「でも5分前行動したほうがいいんじゃない?」と不思議そうな顔で言われた。ごもっともです。

靴を履き替え、他の生徒の流れに乗り廊下を早歩きで移動する。

「また後で、生徒会室でね」

そう言ってルナは小さく手を振って1年2組の教室へ入っていった。

適当におうと片手を上げて挨拶した後、俺も6組の教室に急ぐ。30秒遅れて遅刻扱いされたら勿体無いからな。

「よっ陸!」

6組の扉を開ける直前、背中をポンと叩かれた。振り向くとそこには隣の席の水泳部員がいた。朝からこんがり焼けた顔に爽やかスマイルをしている。こんな憂鬱な土曜日によくそんな顔ができるな。羨ましいよ。

「カノジョか?」

教室に入り隣り合って席に着くなり茶化すように聞いてくる。

「誰が?」

「ほら、2組の夕霧さんだよ。さっき一緒に歩いてたろ?先週はわざわざこの教室まで会いにきてたし——」

「そんなんじゃねえよ。ただの知り合いだ」

そう見えたなら光栄だ……というセリフが脳内に浮かんできたが、言わなかった。

「ははっ!冗談だよ冗談!でもねぇ、陸が彼女と一緒に登校できるほどの”知り合い”になるなんて意外だな」

意外とは?

「知らないか?生徒会のかぐや姫ってあだ名」

いや全然。かぐや姫?竹から生まれたのか?それとも月から来た宇宙人なのか?

「まさか。ついこの前ちょっと聞いた話なんだけどね、彼女は全然人と口を聞かないらしい。話しかければ愛想笑いしてくれるけど、話には全然乗ってくれない、読書好きで無口なミステリアスな少女!接点を持とうにもまるで暖簾に腕押し、糠に釘!告白された回数も1,2回じゃないらしい!でも絶対にOKしない……って噂だよ」

だからかぐや姫か。確か1学期の最初の方に古典で竹取物語を扱っていたから影響を受けたのだろう。誰が名付けたのかは知らないが、安直なネーミングだ。もっとも、竹取物語じゃかぐや姫は求婚を明確に拒否せず、無理難題を押し付けてやんわりと拒んでいたからちょっと違う気もするが。それにしても彼女はそこまで無口な方だったか?それなりに会話してくれる普通の女子生徒って感じだと思うが。

「しかしそれがまた気になる!普段彼女は何を考えているのか、何をしているのか」

前のめりになりながら演技臭く熱弁していた水泳部の野郎はそこで脱力して椅子にもたれ込んだ。

「——って、少なくとも彼女と同じクラスの水泳部のやつはそう言ってた。僕はあんまり興味ないけどね」

そいつが一方的に惚れてるだけだろ。安直なネーミングも2組の誰か知らん男が付けたのだろう。

「さあ、そこはわからないけれど、同じクラスのあいつですら仲良く慣れていないのに、接点のない陸が話す仲になれたのが意外って思ったんだ。陸だってあまり人と話す方ではないだろう?」

「ちょっと生徒会に何日か用ができて知り合っただけさ。本当にただの知り合いだよ」

「生徒会に用?陸、なにか悪いことしたのかい?早く片をつけておいた方がいいよ。文化祭が終わったら三者面談だ。親の目の前で怒られたくはないだろ?」

「そんなのじゃない。俺は臨時の生徒会員として雇われて——」

俺が反論しようとしたところでチャイムが鳴り、担任の染谷教諭が教室に入ってきた。珍しく自分自身で出席確認をするらしい。土曜授業はなぜか帰りのクラスルームがないので、顔を見るのはこの15分だけだ。日直が号令をかけたので水泳部員との雑談はそこで打ち切られ、俺は号令に合わせて適当に礼をした。正直土曜日なんだからさっさと帰りたい。

 しかし、午後はポスター配りがあるのだった。面倒ではあるが、頼まれてしまったからには真面目にやるしかないだろう。教室で催眠術のような授業を聞くよりは楽しいと思う。

それにしても、かぐや姫か。確かギリシャ神話では月の女神をルナと呼んだはずだし、あながち悪いネーミングではないのかもしれないなと思いながら俺は古典の教科書を開いた。


 放課後は体感時間早めにやってきた。なぜかというと4限に体育があり、俺はクラスメイトが校庭を走り回っている中、見学者用のベンチで本を読んでいただけで終わったからだ。骨折もたまには役に立つ。余談だが、体育の授業にはたとえ見学でも全員体育着に着替えなければならないという謎のルールが存在する。俺も例外ではなく今日は朝から制服の下に体育着を着込み、別に何も運動しないのにいちいち休み時間に着替えをしたのだった。これが曲者で、左腕がうまく動かせないためなかなかに時間がかかる。おかげで俺は四限が終わり皆そそくさと帰っていく中で一人のそのそと着替えをする羽目になった。

「陸、まだ着替えているのかい?」

肩にバッグをかけた水泳部員が話しかけてくる。

「知らないかもしれないが、右手だけでワイシャツのボタンを閉めるのって案外難しいんだぞ」

「ふーん。それにしても陸の身体細いねぇ。そんなんだから骨折するんだよ。もし鍛えたいのであればいつでも僕に言ってくれ。すぐに水泳部に入れてあげるから。それじゃお先に」

余計なお世話だ。俺はこれでも筋力不足を感じずに生きていられるから問題ないさ。まあ、骨折はしたが。


 結局もたもたしていたら10分弱も終業時間から遅れて生徒会室に着いた。今日は元倉庫の第二ではなく、普段から生徒会が使っている方の生徒会室だ。

「あ、陸坊。ちゃんと来たわね」

部屋には先日と同じように生徒会長と3年2人、月原 葵と高竹。そして夕霧ルナが入り口付近に立っていた。みんなの前でリクボーとか呼ぶのはやめてほしい。

「もうあらかたルナには説明したけど、あなたにも簡単に教えとくわね。まず配るのはルナが持っているポスター30枚。アポは取っていないけど、大体店頭で話せば受け取ってもらえるわ。適当なお店を探して配ってちょうだい。その際は一緒に校長の文書を封筒ごと渡して」

ルナの足元には丸く筒状にされたA2サイズのポスターが袋の中に入れられて置いてあった。30枚も入ってるのか。思ったより多いな。

「出来るだけ余らせてほしくはないけれど、どうしても余ったら持って帰ってきてちょうだい。他の地区用に回すわ。配ったお店はちゃんとメモしておくこと」

へいへい、わかりましたよ。

「アオちゃん、配るのは体育祭の時と同じでいいの?あの時は30もなかったと思うんだけど」

「あれ?そうだっけ?……うーん、そしたら適当に新しいお店開拓しちゃって」

うーん、本当に適当だ。ずさんという意味で。見ると葵と高竹も同じように肩からポスターの入った服を下げている。

「俺たちももちろん配りに行くさ。体育祭の時より人が少ないからな、ちょっと一人当たりの担当枚数が多くなった」

目があった高竹が囁いてきた。

「どうせあんまり効果はないと思うから気楽にやってくれ。配ったということに意義があるんだ。それよりも熱中症には気をつけろよ、一応これも学校所属中の活動ってことになるから病院に運ばれたら顧問を呼び出ししないといけないからな」

「ああ、わかってるよ。それよりお前はどこに配りに行くんだ?」

「俺は今から自転車に乗って市内の公民館や小中学校にポスターを渡しに行くんだ。移動距離はざっと20kmくらいにはなるだろうな。最近体が鈍っていたからいい運動になるぜ」

そうかい。高竹は外見は熊のように太って見えるが、そのほとんどは中学生の時に野球で身につけた筋肉らしく、今回の仕事はそれを買われてのことだろう。本人も嫌がる様子はないから適材適所といったところだろう。いやしかし20kmも市内を駆けずり回るとは、ご苦労なこった。同じ教育委員会に所属している学校なら郵送で送りつければいいのに。それに比べれば俺とルナは商店街を歩くだけだから楽かもしれないな。日陰も多いし。

「それじゃ、私は地元の葉枝市に配りに行くから何か問題があったら電話して。竹クンも私の連絡先知ってるわよね?…うん、LINEで大丈夫。……ようし、それじゃみんな、暑いけど頑張るわよ!おー!」

「お、おー!」

葵が右手を空に突き出すと、ルナも勢いに乗せられて同じ挙動をしていた。

全く、面倒な仕事を引き受けてしまった。でも、まあ、受けてしまったからにはやるしかないな。出来るだけ早く終わらせよう。腹も減ってきたし。


 それから俺とルナは「自分の分の校長からの文書を印刷し忘れた」という葵を置いて駅へと向かった。丸めてあるポスター30枚は思ったよりは嵩張るので2人で均等に分けて持つ。ポスターは美術部が描いたもので、デカデカと「心躍る体験を!」と書かれたキャッチコピーの下にうちの高校の制服を着た男女が笑顔で立っており、周りにはカボチャやらデフォルメ化されたキョンシーなどの類が配置されている。なかなかの出来だとは思うが、このキャッチコピーはいかがなものか。そんなに期待値上げて大丈夫なのだろうか。

 それにしても今日は暑い。いくら風通しの良い素材で作られているとは言え体操着を制服の中に着込んでいるんから、汗が噴き出てくる。それに比べルナは意外と暑さへの耐性があるようで、「暑いね〜」などという割には汗ひとつかいていない。変温動物かなのかもしれない。

 昼下がりの電車の中は涼しかった。しかしその快適な時間はたった10分で終わり、俺たちは目的地である駅のホームへと降り立つ。

「さて、どこから配るんだ?」

俺にはノウハウが全くないから配布場所は全てルナ頼みになる。

「うーん、前の時はまずこの駅に渡したかな。ほら、改札のところに駅員さんがいるでしょ?」

駅構内に貼り付けてもらうってことか?そういう場合って私鉄の本社の方に問い合わせなければいけないのではないかな。まあしかし、前回大丈夫だったというのだから受け取ってくれるのだろう。

「あの、その、すいませぇ〜ん……」

有人改札の窓口からルナが声を出したが駅員はやってこなかった。今の時間は駅の利用者が少ない時間で、どうやら駅員さんはバックスペースに引っ込んでしまっているようだ。ルナの声は華奢というか、大声を張り上げているつもりでも絶対的な音量としては小さい方に当たるので聴こえないらしい。

「すみませ〜ん!ちょっとお話があるんですけど〜!」

俺もルナの後ろから声を出してみる。高竹のように地声の音量が大きいわけではないが、少なくともルナよりは大きな声が出せたと思う。すると、奥の方から白髪混じりの頭に帽子を乗せた駅員さんが「はぁい?」とやってきた。

「あ、あの……!私、北高校の生徒で生徒会の夕霧と申します、えーと、その今お時間よろしいでしょうか?」

人の良さそうな駅員さんは俺たちの制服を見てにこやかに挨拶をしてくれた。

「ああ、北高の生徒会さん、いつもお世話になってます」

「あ、いえ…こちらこそお世話になってます」

ルナはぺこりと頭を下げる。つられて俺も会釈をする。

「この前の信号トラブルの時はみんな遅刻にはならなかったかい?ちょうど登校時間に足止めして悪かったね」

「いえ、とんでもないです。あの時は高校までご連絡ありがとうございました」

それなら俺にも覚えがある。ちょうど2週間ぐらい前の平日の朝に電車が止まったことがあって、これは遅刻確定だなと思ったら私鉄側から高校に電話をかけて便宜を図ってくれたらしく、遅れて登校しても遅刻扱いにならなかったことがあった。本当は1時間で復旧したらしいが、俺はいっそ遅れるならと3時間くらいファストフード店で時間を潰して4限に登校し、あたかも電車のせいで遅れたかのような言い訳をした……というのはここでは黙っておこう。

「それで、えっと……今回はこのポスターの件でお話があるのですが……」

ルナはどちらかというと人見知りの方だと思うし、実際今もいつも以上に声が小さめだが、意外にもしっかりと受け答えができている。それに比べて俺はというと、ルナの鞄とポスターを持ち、後ろでボサっと突っ立っているだけだ。俺、必要?

駅員さんはそんな俺の持つポスターたちを見て

「文化祭かい?もうそんな時期になったんだ。1年経つのは早いね」

と笑った。

「それで、今年ももしよろしければポスターの方を掲示していただければと思うのですが…」

「もちろん。そうだな……何枚だい?」

「えっ?何枚……。うーん、何枚がよろしいでしょうか」

「そうだな……。各ホームに1枚づつ、コンコースに1枚、改札横に1枚、定期券売り場に1枚で合計5枚は貼れるよ」

おお、そんなに貼ってもらえるのか。一気に6分の1も引き受けてくれるとは、これは大変に助かる。駅員さんの気が変わらないうちに俺はポスターの中から5枚を取り出し窓口に差し出す。

「じゃあこれ、5枚です」

「はいよ、じゃあ貼っておくから、後で確認してみてね」

「よろしくお願いします」

俺は軽く頭を下げる。それじゃ用は済んだし次の場所に配りに行くとするか。

「あ、りっくん、手紙手紙!」

そうルナに言われて思い出した。そういえば校長から手紙だか文書だかを渡さないといけないんだった。確かお礼と文化祭への招待メッセージが書いてあると葵は言っていた。俺は30も束になっている封筒から1つを取り出し、これも駅員のおっちゃんに渡す。5枚受け取ってくれたがこれは1枚でいいだろう。


 駅を後にした俺らは駅前の繁華街に片っ端から声をかけることにした。繁華街と言っても小さなレストランや商店が並んでいるぐらいだからそこまで広くはない。肉や魚屋と言ったような個人商店に配っていくのかと思ったらルナはいきなり駅前の銀行の支店へと入っていった。

「体育祭の時も受け取ってくれたから大丈夫だと思うよ」

という言葉通り、窓口の人はにこやかにポスターを受け取ってくれた。ふと壁を見ると『地域掲示板‼︎』と書いてあるボードに地元中学校の吹奏楽部のコンサートポスターなどが貼ってあった。なるほど、銀行も地域貢献としてこういったことをやっているのか。勉強になる。その後、メガバンクと地銀の支店合わせて5店舗に1枚づつポスターを配り、早くも3分の1を配り終えてしまった。思ったよりかなりハイペースで減っていく。これはありがたい。

 ずっとルナが交渉役で俺が荷物持ちってのも申し訳ない気がしてきたし、2人で一緒に配るってのはだいぶ効率が悪いので、隣り合った店には2人分かれて交渉することにした。ルナが以前配った店舗の情報に基づき、駅前にあって中学生の頃極々たまに行っていたパン屋、饅頭二つをタダでくれた和菓子屋、店主のガラガラ声のおっさんが名物な肉屋などに配った。変な足ツボマッサージもやっている整骨院に入るのは少し勇気が必要だったが、ここもすんなりと受け取ってくれた。

 どのお店もこれまで何年もポスターを掲載してくれていたようで、非常にスムーズに受け入れてくれて大助かりだ。葵が簡単な仕事と言った時は正直疑いしかなかったが、実際その通りだったので後で謝っとかねければならんな。


 そんな感じで特に見返りも提示せずポスターを配り続け、残り5枚となった。

「5枚も余っちゃったね。この前は25枚だったから増えた分だけど、どうしようか」

どうしようと言われてもなあ。駅前にある店には大体配ったと思うから、あとはちょっと離れた場所まで足を伸ばすしかなさそうだな。

「あ、ホールとかどうかな?ほら、あそこにある」

ルナがホールと呼んだのは駅から5分程度の場所にある市が運営する市民コンサートホールのことだ。この辺りの市では一番大きいホールらしく、そこそこ有名なアーティストなどもたまに来たりしているらしい。市内の公立中学校はもっぱらあそこで合唱祭をやるので、俺たちにとっても馴染みは深い。確かにあそこなら図書館も併設しているし、数枚は引き受けてくれそうだ。

 ということで俺たちはそのままホールまで歩いていって、暇そうにしている受付の女性にポスターを手渡した。それなりに広い施設なので、あわよくば5枚全部引き受けてくれないかという期待は裏切られ、2枚だけしか貼れないようだったが、それでも貰ってくれるだけありがたい。

「このホール、久しぶりに来たな。多分1年ぶりくらいか」

入り口を出て俺がなんともなしに呟くとルナは驚いたような顔をした。

「えっ!?りっくん図書館とか行かないの?」

「中学校の時はこの近くに友達が住んでいたからたまに来てはいたけど、3年で受験勉強始めてからは多分一回も来てないな。図書館だったら隣駅に小さいけれど分館があるだろ?高校生になってからはそっちにたまに行ってる」

「そっか、りっくんいつもはあっちの駅だもんね」

庇の影になっている場所を出ると夕方の強い西日が顔にかかり、思わず目を瞑る。

「ああ……そういや——」

手を顔にかざし目を開けると、ホール前の道路を挟んだ向こうに見覚えのある建物が見えた。

「腹減ってないか?」

ちょうどホールの向かいの雑居ビル。1階にはコンビニが入っていて2階に俺が中学生の時にたまに行っていたレストランがある。ここ数ヶ月はこの近くにすら来ていなかったから忘れていたが、休憩にはちょうどいい場所だろう。昼飯を食べていないのでそろそろ何か口にしないと腹が減って倒れそうだ。

ルナはポケットから懐中時計を取り出して一瞥し、

「そうだね、まだ時間あるし、ちょっと涼みたいかも」

と眩しそうに目を細めながら言った。

 コンビニの裏にある目立たない階段を登り店内に入ると、甘い香りと涼しい空気が俺たちを包む。そこまで大きくはないこのレストラン「白いくつ」は中学生の時に友人に隠れ家的お店として教えてもらった。レストランと名乗ってはいるが、一番力を入れているのはケーキらしく、喫茶店のように飲み物とケーキだけを頼む人の方が多い。そうルナに説明すると、彼女はケーキのメニューをとても真剣に見つめた上で、ショートケーキとアールグレイを注文した。ジャズが流れる店内は、9月なのにまるでサウナのような外とは打って変わって涼しい。

「こんなところにお店があったなんて知らなかったよ。ほぼ毎日横通ってたのに。……わあ、これ美味しい!」

やってきたショートケーキを頬張りながらルナが言う。苺がふんだんに使われた大きめのショートケーキはクリームの口触りがよく、スポンジケーキの甘さも控えめで、友人とよく来ていた時は俺もかなりの頻度で注文していたことを思い出す。

「入り口が目立たないからな。いい場所なのにもったいないよ」

俺は同意しながらトマトとモッツァレラのスパゲティを口に入れる。ここはパスタも美味い。


「そういえば、まだ配り終えてなかったね。それ」

食事も済み、店内で優雅に涼んでいた俺は、ルナがポスターを指差したことで生徒会の仕事に駆り出されてきたことを思い出す。そうだ、今日は別に2人でレストランまで食事しにきたのではないのだった。

「あと3枚か。もう配る当てがないな。今日はこの辺でいいんじゃないか」

「そうだね。もう日が暮れてきたし」

ルナは振り向いて自分の後ろにある窓の外を眺めた。強かった日差しは赤く染まり今度は西日としてルナの肩越しに俺の目に差し込んでくる。少し眩しい。

「残ってもいいってアオちゃん言ってたし、3枚は学校に持ち帰ろうか」

まあ、あんなに大量にあったところからここまで減らせたのはかなり頑張ったほうだろう。高竹が今どうしているかは知らないが、少なくともあいつよりは効率的に配ることもできた。何せ駅前半径500m圏内でほとんど配ったんだからな。

 優雅な空間と雰囲気にしては安いスパゲティ代を入り口横のレジで払う。レジにはケーキのショーケースが併設してあって、持ち帰り用のケーキがずらっと並んでいる。ルナはショーケースを眺め、帰りに買って行くかどうかを迷っていたようだが「暑いから傷んじゃうかも」と言って諦めていた。

お釣りの小銭を受け取り、店のドアを押そうとした時、ドアに花火大会のポスターが貼ってあることに気づいた。この花火大会はもう1ヶ月も前に市役所近くの一級河川の河川敷で行われたから、おそらく剥がし忘れだろう。

「あの、すみません——」

俺はちょっと立ち止まって、肩から下げていたバッグからポスターを一巻取り出し、ダメもとでレジにいた店員さんに事情を説明してみた。

すると意外にも店員さん(店長だったようだ)は快くポスターをもらってくれた。頼んでみるもんだな。

これで余りは2枚。月曜に学校に持って行くのも面倒だし、2人で1枚づつもらって配り終えたことにしてもいいかもしれない。



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放課後ミラージュ - 超能力少女との過ごし方 イムハタ @Imht

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