Time is life 8
水曜と木曜も特に変わったことはなかったので軽く触れるだけに留めよう。3,4日目ともなるともう体が慣れてきたようで、体感時間短めで6クラスを打ち終えることができた。ルナはそれなりに会話してくれたし、俺も無口で数値を永遠と打ち込むのは苦痛なので話しながら作業できるのは気楽で助かった。だがしかし、作業が終わるとルナは何か適当に理由をつけて2日ともすぐさま鞄を抱え教室から飛び出して行った。1日目は「宿題が多いので早く家に帰ってきてやりたい」で2日目は「洗濯物を干しっぱなしなので早く帰りたい」だったかな。こうも露骨に嘘をつかれると嫌われているのではないかとちょっと不安になる。ルナが逃げるように帰って行った原因はやはり例の現象だろう。2日ともルナに逃げられた後、窓の外を見ると一人も人間はおらず、軽音部から漏れ聞こえてくるはずのギターの音も聞こえなかった。何が原因かは知らないが、ルナは放課後になるとあの世界を発動してしまうようだった。もうすっかり慣れてしまった俺はパソコンをのろのろと片付けた後に鍵を閉めて生徒会室を出た。だいたい片付けが終わる頃にはあの世界から抜け出して、いつもの日常へと戻る。3時間くらいは生徒会室にいたはずなのだが、2日とも時刻はまだ4時半にもなっておらず、電車が空いてて助かった。一駅分だけだけどな。
そんな感じで2日は終わった。もうあの世界にもすっかり慣れ、むしろ時間を有効活用できるので便利なんじゃないかと思い始めたりもした。ぜひルナには発動方法を教えて欲しいものだ。もっとも彼女自身意識して発動しているわけではなさそうだし、言及されるのを嫌っているようだから無理だろうが。
変わったことがあったのはそう、金曜日のことだった。俺はこの日から連日『超能力』ってやつに頭を悩ませるようになるんだ。
金曜日。その日は7限まで授業があったので午後4時過ぎに俺は生徒会室のドアを開けた。今日もまるでフランス人形のように整った顔をした同級生が椅子に座って本を読んでおり、この光景を見るのももう5度目だなと思いながら俺は古びたパイプ椅子を引き寄せ座り込んだ。
「もうすぐハロウィンだね」
椅子に着くやいなや夕霧ルナが唐突に話しかけてきた。
「もうそんな時期か。つってもまだ1ヶ月ぐらいあるぞ」
「1ヶ月だったらもうすぐじゃないかな。11月末ぐらいからクリスマスのイルミネーション始まるじゃん?」
そう考えればそうか。この国はクリスマスとかハロウィンとか、全く信じてもいない異国の文化に便乗してははしゃぐ傾向があるからな。まあ俺も嫌いじゃないけど。
「ところでハロウィンにカボチャのランプをともす理由って知ってる?」
「理由?…知らないなぁ。どうせたくさん収穫できたとか、ランプにしやすかったとかそこら辺の理由だろ?」
てっきりルナは答えを知っていてそういうクイズなのかと思ったが、
「うーん、なるほどぉ…。そういう考え方もあるのかぁ…」
と右手を首に当て、考え込んでいた。いや、知らないんかい。
「うん。ちょっと気になっただけ。図書館にそういう由来について書いた本があると思うから、調べたら教えるね」
そう言ってルナはにっこりと笑った。
そりゃどうも。まあカボチャのランプの理由なんて知ったところで何にも役に立ちそうにないが、知識はあるに越したことはないし、勝手に調べて教えてくれる分には特に損はしないからありがたく待っていることとしよう。
「さて、じゃあ今日も頑張ってお仕事しよー!」
部屋に入ったときから感じていたが、そう言って右手を突き上げた今日のルナは明らかに上機嫌に見えた。
それからパソコンを開き、小言を挟みながら砂埃にまみれたボロボロの紙とにらめっこすること体感で2時間ぐらい。3年生の前半がもうすぐ終わるかなという所で生徒会室のドアが開いた。
「ヤッホー!」
甲高いソプラノの声を響かせながら入ってきたのは俺をここに監禁した張本人である月原 葵であった。
「あっ、アオちゃん!」
「久しぶりねルナと、それから陸坊!」
久しぶりと言っても5日ぶりぐらいだろ。俺はいつも通り愉快そうな先輩の顔を見上げる。それと俺のあだ名は陸坊で決まっちまったのか?
「陸君って言うのちょっと言いにくいからいいじゃない。”く”を続けて言うのってなかなか難しいのよね。それで、仕事は順調に進んでる?もし終わらなそうだったらちょっとぐらい手伝ってあげるわよ」
「残念ながら今日の分はもうあと10人くらいで終わるところだ」
「え?もう終わるの?あら、早いわね~。ルナの進捗はどのくらい?」
「私ももうすぐ終わるとこ」
ルナはパソコンの画面を葵の方に回して見せた。画面には3年4組の女子の持久走タイムがずらっと入力されている。
「ええっ?!」
葵が大げさに体をのけぞらせながら歓声を上げる。
「本当?!あら…本当に入力できてる…。すごいじゃない!月曜日までパソコンなんて全く触れなかったのに。まさか筋金入りのパソコン音痴がここまで上達できるとは思わなかったわ」
「んむぅ…それ褒めてないでしょ」
「いいえ、褒めてるわ。今までかたくなに紙と電卓を使っていたルナがまさかパソコンを弄れるようになるなんて。本当にビックリだわ。陸坊、あなたがここまでルナにパソコンを教えたんでしょう?やるじゃない!見直したわ」
「そりゃどうも」
と言っても本当に初歩の初歩を教えただけだけどな。でもルナの飲み込みが早いのは事実で、電源の付け方が分からない所から5日で表計算ソフトをある程度弄れるようになったのは上出来だと思う。
「それじゃ、私が手伝うことはなさそうね。終わり次第帰っていいわよ」
そう言ってわずか来室3分で葵は背中を向け軽いステップでドアに向かう。その背中にルナが思い出したかのように声をかけた。
「あっ!待って!アオちゃん待って!」
「どうしたの?」
「いや、その、今日新作の日なんだけど、帰りに行くって約束…」
「約束…?」
葵は首を傾け目線を天井に3秒ほど向けていたが
「あ~、あの新作の話ね。今日だったの。私てっきり来週かと思ってた」
「え~…」
「ルナごめんねぇ…。今から私会議なのよ。それが終わってからならいけるんだけど…」
「それって何時…?」
「大体終わるのが6時過ぎかな。もしかしたらもっと長引いちゃうかも」
「ええ~…それじゃ売り切れちゃうよぉ…」
ルナは肩を落とした。全く話が分からないが、どうやら葵が約束を忘れていたらしい。
「ほんとにゴメン。また今度時間作るからさ」
「それならいいけど……」
葵は胸の前で小さく手を合わせて謝罪の意を示していた。珍しく本当に申し訳なさそうな顔をしている。話がよく分からんのでその姿をボーッと眺めていたら、葵と目が合い、その途端彼女は一瞬でニヤニヤ顔にフォルムチェンジを果たした。
「ちょっと待って。それならちょうどいい坊やがいるじゃない。ここに」
「え?」
「陸坊、今日これから家に帰って暇?」
「暇だが」
「今日財布持ってきてる?」
「もちろん」
「家はどっちの方?下り?上り?」
「上り」
「じゃあ決まりね」
「何が?」
もっと目的語を多用してくれ。
「アオちゃん、それは、その…ちょっと」
ルナが口を挟んできた。
「あら、嫌だった?」
「嫌じゃないけど…」
「たまには私以外の人間と出かけるのも大切よ。それとも1人で行く?」
「ううん、2人の方がいい…」
「それじゃあ決まりね。と言うわけで陸坊よろしく」
「だから何が?」
「ルナの付き添いよ。この会話の流れで分からなかった?」
いや全く。会話の中に名詞が入ってないもんだから何一つ理解できなかったね。もっと主語述語をはっきりした文章を書かないと国語の先生にダメ押しされちまうぞ。
「なんでもいいけど、私の代わりに帰る途中にルナにくっついてくだけよ。特に仕事とかじゃないから安心してちょうだい。じゃあ私はもう会議に行くから。なんかあったらメッセージちょうだい。じゃあね」
そう言って葵は軽い足取りでドアの外に消えていき、もう一度ひょこっと戻ってきて俺の顔に向かって小声で「めったにない機会かもしれないんだから楽しんできなさい」と声をかけウィンクをした後もう一度ドアを出て行った。なんなんだあの先輩。
バタバタバタといった足音が遠ざかってから俺は首をルナに向ける。
「で、どこに行けばいいんだ?」
「えっと、駅の中に行きたいお店があって、アオちゃんと行く約束してたんだけど……」
あいつがいけなくなって俺が代理にかり出されているってわけか。
「やっぱり迷惑だよね。また今度アオちゃんが大丈夫なときに行くから今日はいいよ……」
「いや、別に俺で良ければついて行くけど?」
さっき今日じゃないとダメみたいな事も言ってたし、どうせ俺は暇だし、たまには隣駅まで行くのも悪くはないだろう。
「ほんと……?じゃあ早くしないと売り切れちゃうから、急がないとね」
そう言ってルナはにっこりと笑った。
それからルナは猛スピードで仕事に取りかかった。俺は横目で彼女の真剣且つ小綺麗な顔を捉えつつ、一体どこに行くのだろうと考えていた。駅の中と言ってもどちらかというと地元のデパートみたいな物が併設されているだけであり、彼女が葵と共に行きたい店がスーパーであるわけがないので、あらかた本屋とか文具屋とかそういう類いだろう。この子は真面目そうだから、一緒に参考書を選んで欲しいとかに違いない。俺でもいいところを見ると勉強に関するものではなさそうだが。もしかしたらパソコンに関する本かもしれないな。そんなもの買わずとも俺に聞いてくれれば教えるのに。
その20分後、彼女は俺の何倍ものスピードで入力を終え、超特急でパソコンその他をしまい、俺をせかしながら第二生徒会室から出た。部屋から出た瞬間耳に校庭隅のプレハブ小屋から漏れ聞こえてくる軽音楽部の下手っぴな演奏が耳に入ってくる。もう2時間半ぐらい経っているのに窓の外ではまだ太陽が沈んでいないところを見るとやはり今日も時の流れが止まっていたらしい……が、今日のルナはそんなことは気にせず、小さい歩幅ながらせかせかと足を動かし早歩きで職員室へ行き、鍵を返してからそのまま数十秒で玄関を出た。いつもはのんびりしたような性格なのに今日はどうしたのだろうか。そこまで参考書が重要か。
せかせかと歩きながらルナが話しかけてくる。
「もうすぐ文化祭だけど、りっくんのクラスはなんのお店やるの?」
「文化祭か。えーっと、なんだっけな。確か迷路兼お化け屋敷みたいな話をしていたな」
つってもクラスのうるさい奴らが勝手に騒いで勝手に決めただけのことであり、俺には人を怖がらせる才能も迷わせる才能もないので特に役職に手を上げなかった結果、何をするわけでもなくただ成り行きを見守る傍観者と化しているがな。
「お化け屋敷かぁ。怖いのは苦手だから行けないなぁ」
ルナはそう言ってふふっとうっすらと笑みを浮かべる。
来なくて結構。来たところで俺はいないし、多分面白くもないと思うぞ。まだどんな迷路にするのかもどんなお化けを登場させるかも決まってないんだ。このまま行けばそこら辺のビデオ屋から短編ホラー映画でも借りてきて上映することになるかもしれん。
「それで、ルナの所は何をやるんだ?たこ焼き屋とかか?」
「たこ焼きもいいけど、うちは喫茶店だって。でもなんのコスプレするか決まってないから困ってるの」
「コスプレ?別に喫茶店でコスプレする必要なんてないじゃないか。変に特徴をつけるより普通の喫茶店として営業した方が客の入りはいいと思うけどな」
「でも仮装大賞を狙いに行きたいんだって。男子がすごい張り切ってるの」
「仮装大賞?」
「あれ?知らない?伝統の仮装大賞の話」
聞いたことはないね。
「そっかー……。あのね、うちの文化祭って毎年10月の最終土日、つまり31日前後だから、それってハロウィンと重なるでしょ?だからうちの高校の文化祭には1クラス1仮装として完成度を競う仮装大賞って言うのがあるの。それが毎年クオリティが高いって地元の人たちからも注目されてて、みんな仮装大賞を目指して手の込んだコスプレをしてくるんだって」
「へえ、初めて聞いたなその話」
確かにクラスの女子がお化けの衣装がなんとかとか言っていたような気がする。
「最近はネット通販でコスプレ衣装は手に入っちゃって個性がないから、クラスのみんなで手分けして縫ってくるらいしよ。去年の大賞はアイドルのコスプレだったんだけど、ちょー完成度高かったなぁ~。写真見せてもらっただけだけど」
コスプレね。まあやりたい人がやりゃあいいし、俺には関係のない話だ。と言うか自分の仮装を他人に堂々と見せられるほど自分に自信を持っていることに俺は感心するぜ。
俺はそう考えながら一歩分前を歩くルナの横顔を見てふと
「しないのか?」
「え?なにが?」
「だからコスプレ。しないのか?」
「し、しないよ。だって恥ずかしいし……似合わないし」
「そうか?かわいいし似合うと思うけどな。喫茶店だったら例えば…メイドとか——」
と、言って俺は我に返った。しまった。何を俺は言ってるんだ。そんな変態じみた台詞をなぜ口走ってしまったのか自分でも分からないが2秒で明らかに失敗だったと理解した。ほら、ルナが耳を赤くしながら「そんなことないよ」と小さな声で否定してきた。これはやっちまったかもしれん。急いで言い訳しなければ。
「あー、いや、今のはそういう意味ではなくてだな。そのー、たまにはコスプレしてみるのも楽しいんじゃないかという意味で……あの、その……」
何がそういう意味だ。どういう意味だよ。やっぱり何言ってるんだ俺は。もう黙っておこう。こういう時は無駄にしゃべるより沈黙が場を沈めてくれると俺は思う。というか期待している。
それから先はあまり会話が弾まず、二言三言話して沈黙が場を包むような事の繰り返しだった。その間、俺はあたりを見回して誰かに見られていないかを観察するのに熱心で、いや特に何かやましいことはないが、なんだか誰かに見られていないかが妙に気にかかっただけなのだが、とにかく二人とも競歩大会の予選に出場した高校生のように黙々と早歩きで歩き続けた。
そこから駅に着き、電車に乗って目的地のルナの最寄り駅まで着くうちに妙に背中を流れていた汗は引っ込み、気まずい雰囲気も薄れてきた。とりあえずさっきのことはなかったことにしよう。
電車に乗ること10分弱。俺らの住んでいる市では一番大きな私鉄の駅にやってきた。といっても2つの路線が交差しているだけの駅であり、駅前は駐輪場やシャッターの降りた商店や寂れた不動産屋ばっかりだけどな。改札を降りててっきり本屋のある左の方へ歩いて行くのかと思っていたが、ルナは右に曲がり、階段を降りてそのまままっすぐ進んだ。
「ここ」
そう言って立ち止まったのは、なんてことのない有名コーヒーチェーンだった。
「……?ここが?」
学校での言動からして今日行かないといけないみたいな感じだったが、こんなどこにでもあるチェーン店ならいつでも来れるじゃないか。
「これがね、今日発売なの」
ルナが目を輝かせながら指さした先には『パンプキン フラペチーノ』とあった。確かに日付は今日からで、なくなり次第終了とある。
「私ここの期間限定メニューを絶対飲むようにしてるんだ。でもいつもすぐ売り切れちゃうからアオちゃんと初日に来てるの」
ふーん、そうだったのか。てっきり参考書の棚にへばりついてあーでもないこーでもないと中身を吟味するかと思っていたから、何だか肩の荷が下りたぜ。ジュース飲むくらいなら誰にでも出来る。でも誰かと一緒じゃなければ行きたくないと言うのはよく分からんが。
店内に入ってまず店員に注文を聞かれる。ルナは特に考える様子もなくすらすらと「この期間限定のパンプキンをアイスで、トッピングはキャラメルソースとホイップ1.5倍にして、大きさは、うーん、じゃあグランデで」と言った。
え?なんだって?ちょっと何言っているか分からなかったんだが。まるで魔法の呪文のようだ。店員も確認しますとか言って全く同じ内容を繰り返している。どうやらこの人も魔法使いらしい。
「お連れ様はどうしますか?」とその魔法使いがさわやかなスマイルをこちらに向けてきた。どうしますかっつったって俺はここに来るのは超久しぶりだし、前回も頼み方がよく分からずブラックコーヒーを飲んだ覚えがある。いきなりあんな呪文を唱えさせに来るのはちょっと無理があるんじゃないか。……と、5秒ほど悩んでから俺はこう言った。
「同じ物をひとつ」
1分後に店員から渡された結構デカいカップにはオレンジ色のジュースが入っており、その上にはホイップクリームがこれでもかと乗っていた。とりあえず適当なテーブルに向かい合わせで座った後、ストローに口をつけてみる。うん、甘い。
「んん~おいしい~」
目の前ではルナが満面の笑みを浮かべていた。この笑顔、どっかでみたことあるなと思ったら初めて会った際に俺のメロンパンを食べたときに見せた笑みと同じものだ。それからルナは目を蘭々に輝かせながらこのカボチャの甘さがホイップクリームと合っているだとか、キャラメルとカボチャの甘さの種類が違うだとか、嬉々としてこの飲み物のおいしさについて語っていた。よっぽど好きらしい。甘党なのかもしれない。正直俺は他のメニューを飲んだこともなくただ甘いカボチャジュースにしか思えないのだが、彼女が楽しそうにしているところにそんなことを言うのも野暮かなと思い、相づちをずっと打っていた。
それにしてもここまで楽しそうなルナは初めて見た。いつも愛想笑いこそしているが、それは本人が気を遣っているだけの姿であり、本当はこんなにキャピキャピした子であることは今この場に居る俺しか知り得ない情報なんだなと少し嬉しくなる。相づちを打ちながら彼女の長い睫毛を眺めていたら目が合った。途端に目をテーブルに落としてしまう。
「ん?どうしたの?」
「あ、いや何でもない。…ん?すまん、ちょっと電話だ。ちょっと待っててくれ」
俺のスマートフォンが丁度いいタイミングでブルブルと震えた。席を立ち店から出てスマートフォンの画面を確認する。知らない番号だ。誰かに携帯の番号なんて教えたかな…と3コールぐらい逡巡していたが相手がいつまで経っても電話を切らなかったので遂に出てみた。
「はいもしもし?」
「やっと出た。もしもし?陸坊の携帯であってるわよね?」
「なんだ、月原先輩ですか」
「何よいきなり敬語で堅苦しくなっちゃって。あなたもしかして電話口だと性格変わるタイプ?やめてよー変な感じするから」
「あーすいません。で、なんで俺の携帯の電話番号を?」
「もちろん調べたに決まってるじゃない。生徒会って言うのはね、生徒の個人情報やらなんやらにも簡単にアクセスできるのよ。天才ハッカーもビックリね」
なんちゅう生徒会役員だ。生徒の皆さん、あなたの個人情報が危ないですよ。
「俺の電話番号を勝手に調べたのは別にいいが、何か用でも?」
「ルナとはちゃんとカフェに着けた?」
「え?ああ、今ちょうど来たところだが」
「そう、良かったわねー。デートよ。初デート。うちの高校の何人もの男どもが妄想し、そして諦めた夢のルナとのデートをあんたは今ちょうど体験してるのよ。もうちょっと涙を流して喜ぶとかしたらどうなの?」
なーにがデートだ。たかだか二人でジュースのみに来ただけじゃないか。それがデートの定義に当てはまったら世の中の男女が歩いただけでデートだぞ。
「あら、その通りよ。世の中ね、男女が歩いただけでデートなのよ。周りがデートだと思えばそれはれっきとしたデートなのよ」
はあはあ、そうですか。一体何だその適当な理論は。世の中の学者さんには早くデートの定義を作っていただきたいね。
「そんなことはどうでも良くって、ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い?」
「明日土曜授業あるでしょ?それで午前中で学校終わるじゃない?」
「ああ、終わるな」
土曜授業の日か。思い出すだけで憂鬱になってくるぜ。なんで明日も学校に行かねばならんのか甚だ疑問だ。そこまで学力に言い影響を与えるとは思えないんだがな。
「で、一応聞いておくけど明日の午後も暇よね?」
「俺も一応聞いておくが、まさか明日もあの部屋でパソコンとにらめっこをさせられる訳じゃないよな?土曜ぐらいは休ませてくれよ」
「確かに明日も仕事をお願いしたいけど、いつもみたいなやつじゃないわ。ただポスターを配って欲しいだけよ」
「ポスター?」
「あと一ヶ月もしないうちに文化祭でしょ?その宣伝ポスターが出来たから生徒会で手分けして配ることになってるの。それでルナにはあんた達が今居るあたりのお店に配って欲しいんだけど、やっぱり一人だけじゃ危なっかしいから陸坊にも手伝ってほしいわけよ」
「配るってここら辺のお店片っ端からか?そんな無償で広告を出してくれる店なんてそうそうないだろ」
「それが結構あるのよ。ほら、うちの高校って一応市内では一番頭いいじゃない?だから「あの高校の生徒さんなら」ってオーケーしてくれたりするの。数ヶ月前にルナと体育祭のポスターを配ったから、配り方とかの詳細はあの子に聞いてちょうだい。それで、やってくれるわよね?」
明日の午後ねぇ…。まあ当たり前のように用事は何もないし、ポスター配りならどうせ1,2時間あれば終わるだろうし、そのぐらいなら。
「そう、じゃあ明日よろしくね。授業終わったらポスター受け取りに生徒会室に来てちょうだい」
「了解。あ、それからもう一つ聞きたいんだが」
「何?」
「なんで調べてまで俺の電話に連絡を寄越したんだ?直接本人に電話かければいいじゃねえか」
「ルナのスマホにかけてみたんだけど出ないのよ。あの子スマホあんまり使ってないというか、使いこなせないから電話に出ないことが多いのよ。どうせ鞄の奥深くに閉まってるんだわ。全くなんのためのスマホなんだか。知ってるかもしれないけど、ポケットに懐中時計仕込ませているようなアナログ人間なのよあの子」
「へえ、そいつは初めて聞いたな。懐中時計なんて持ってんのか。今時持ってる高校生なんて初めて聞いた」
「ん?陸坊、今ルナと一緒じゃないの?」
「いや、電話するために店出ているだけだ」
と答えつつ、俺は例のカボチャジュースだかカプチーノだかを手に持ってきていたことに気づいた。これじゃテイクアウトしたみたいだな。
「それはちょっと早く戻った方がいいわ。あの子を一人にしちゃダメよ」
そんな小学生じゃないんだし、過剰に考えることもないんじゃないか。一応高校生だぞ。
「それは思っているんだけどね、あの子を一人にすると面倒なことが多いのよ。ほら、早く戻った戻った。ルナに明日の件伝えておくことを忘れないでね。それじゃ」
ブツッと音が鳴り、通話が終わった。全くせわしない先輩だ。面倒が多いとかなんとか言ってたからもう席に戻るかと俺はスマホをポケットしまって前を向いた瞬間——気づいた。
見渡す限り俺以外誰も居ない。
「はぁ~~」
俺は大きく溜息を吐く。またこの世界か。もう片手では数えられないほど経験したので耳に何も音が響かない違和感とか、世界そのものの不思議さには慣れたものの、駅に誰も居ないという違和感には慣れないな。どうせルナが発生源なんだから早いとこ合流して移動しよう。時間が経てばどうせ元に戻るだろう。
無人のカフェの入り口から店内に入る。分かっていたことだがカウンター内に立っているはずのさわやかスマイル店員も窓際に座ってパソコンをいじっているはずのサラリーマンも誰も居なかった。……が、
「ああ、居た」
数分前に俺が席を立った時と全く同じようにルナが座っていた。彼女はこちらに気づくと
「あ、りっくん。やっと戻ってきてくれた。えっと……その――」
ルナはこちらを見て少し安堵したような顔を見せたが、先ほどのジュースを飲んでいる時に見せた笑顔は消え、困惑というような表情を浮かべていた。また気まずいと感じているのだろう。
「あ、いや。別に何も言わなくていい。俺もコレになれてきた。もうちょっと待てば元の世界に戻るんだろ?」
俺はそう言って元の椅子を引き、スッと座り込む。気にするようなそぶりをするから彼女が暗く考え込んでしまうんだ。せっかくさっきまで最上の笑顔でカボチャジュースを楽しんでいたのだから、俺が原因でその状況を壊してはいけない。全く意に介さないようなふりをしよう。
「あのね、りっくん。そうじゃなくて……。その席には……あっ、やばっ——!」
ルナがそうブツブツつぶやいた瞬間、耳にざわざわという駅の雑踏が聞こえてきた。お、どうやら元の世界に戻るらしい。今回は結構早かったな。……と俺が考えていると、同時に両膝の上に何やらとてつもなく重い物体がドンッっと乗ってきた。と同時に目の前が暗くなる。
「う、うおおおおおおおおお!?!?!?!な、な、なんだこれ?!?!」
途端に素っ頓狂な声を出して驚く俺と同じくして、俺の膝の上に現れた謎の超重量級物体も「うっぎゃあ?!ウエェェエ?!?!」
と俺以上に言葉にならないような悲鳴を上げ、飛び上がり俺の膝の上から転がり落ちた。なんだなんだ?!
驚愕で激しくなる鼓動を抑えつつ目の前の床をみると、学ランを着た男が床に腰を抜かして座っていた。その後ろには同じ格好をした男が2人、これまた同じように目を見開きたじろいでいた。
「あれ?!あんた?!いつの間に???え?……え?……誰も座ってなかったはずなのに???」
と地面にへたり込み続けている男が口をパクパクさせながら何やらつぶやく。3人の視線は俺と俺の座っている椅子に集中していた。まるで俺がいるのがおかしいと言ったような目線と口調である。なんだよその目は。俺だっていきなり膝に落ちてこられて死ぬほどビックリしたんだぞ。俺を宇宙人を見るような目で見るんじゃない。
とりあえず深呼吸をしてみる。そして未だに口をパクパクさせている学ラン高校生とルナを見比べ、なるほど、なんとなく状況を把握してきた。多分この男は俺が席を離れ、なおかつルナと俺があの世界へ入り込むまでの数分にこの椅子に座ったのだろう。そしてあの世界の中で俺がこの椅子に座り、そのまま元の世界に戻ってきちまった。この男から俺たちがどのように見えたのかは分からないが、この様子を見るに椅子に座っていたはずが一瞬のうちに見知らぬ男が椅子と自分の間に現れたように見えたのだろう。そりゃ腰を抜かして驚くに違いない。なるほど、あの世界で人が本来いる場所と被るとこうなるのか。
鼓動が収まるのを数秒待ってから、俺は未だに口をアホみたいにあんぐり開けている男3人に指を向け、ルナに問いかけた。
「えーっと……知り合い?」
ルナはすぐさま首をブンブン横に振る。なるほど。さっきなんかテンションが低そうだったのは知らない男3人組に話しかけられたからだったのか。ふーむ。
「あの…えっとーー……」
男3人組は皆同じ制服を着ていた。その学ランの胸元についているえんじ色の校章バッヂには見覚えがある。確かここから上り方面に3駅ぐらい行ったところにある男子校の校章だ。ここら辺では生徒の素行が悪いと評判の高校である。俺はそのアホ3人組に話しかける。が、こういう場合はなんて声をかけたらいいのだろう。
「その、なんか驚かせてすみません」
とりあえず謝っておこう。それからルナと3人組を交互に見ながら
「あの、何か彼女にご用ですか…?」
「い、いえ、何でもないです」
「空いてる席がなかったんで、その……」
「そ、それじゃ失礼します」
と3人は何かゴモゴモ言いつつ足早に店から出て行った。カフェにいる客の視線は俺らに向いていたが、その目が出て行く学ラン連中に向けられ、彼らが店から出て行くと先ほどと同じように何ら変わりないカフェに戻った。一瞬困惑したような顔でこちらを見ていた店員も新たに店に入ってきた客にさわやかな笑顔を振りまくことを再開し、窓際に座って迷惑そうな目をこちらに向けていたサラリーマンも首をパソコンの方へ戻してキーボードを打ち始めた。
なんだったんだあいつら。椅子を引いて座り直し、ルナに事情を聞いてみる。
「なんかあったのか?アンケートとかか?」
「そんなのじゃなくて…。なんというか、ナンパ?みたいな」
「あー、なるほどね、ふーん」
なんとなくナンパかなーとは思っていたがな。それにしてもこの時代に3人組でナンパするような輩がいるとは思わなかったね。
「うふっ…ふふふふふ」
窓ガラスの外を足早で去って行く滑稽な3人組の後ろ姿を見ながらルナが愉快そうに口元を抑えながら笑った。
「なんか面白いね」
釣られて俺も笑う。
ひとしきり笑った後、俺はすっかりぬるくなったカボチャジュースを一口のみ、スゥーっと深呼吸をひとつする。
「そういえば、さっきの電話誰からだったの?」
「ああ、あの電話か。ポスターばらまけって言う葵からの電話だった――」
その20分後、俺たちは空になったドリンクカップをごみ箱に捨て店を出た。俺は隣の駅に置いてある自転車を取りに行かなければならないのだが、隣駅って言っても1kmもないぐらいの近さなので、歩いて行くことにする。ルナも家が同じ方向だというので2人で東口から北へ歩き始めた。
ルナは、ここの新作は2か月ごとに出るとか、毎回その季節に合った飲み物になってるとか、まるで金をもらった回し者のようにべらべらと良さをしゃべっていた。そのフランス人形のような整った顔が笑みをたたえながら楽しそうに話している様子は話の内容が一切頭に入ってこないほど可愛かったことは言うまでもない。
「でね、そのチョコレートフラペチーノが……聞いてる?」
「ん?ああ、聞いてる。栗とチョコレートの話だろ?」
「ぼんやりしてどうしたの?あっ……私の話つまらなかったかな。だったらゴメンね」
「いや、決してそういうわけじゃあないんだ。その、ちょっと考え事してて」
俺は適当にごまかす。
「考え事?なんか気になったことでもあった?私の顔になんか付いてる?」
そう言って口周りをルナは手で探り始める。気になることか。そりゃもちろんあるさ。というかずっと気になっていることだが。それはもちろん例の無人の駅だとか時間が遅くなる現象だとかここ数日で体験していることであるが、それを話すと彼女は途端に憂鬱になるようだし、俺だって何度もしつこく聞いて嫌われるなんて事はしたくないのでもう何も聞かないことに決めていた。だから気になることがあったかなんて聞かれても俺はそのまま特にないと答えるべきなのだが、先ほどのカフェでもまた体験したし、何だかあの世界に遭遇することが多くなってきているようであるし、やはりここまで正体不明の怪現象に巻き込まれると俺の中の好奇心は探りを入れたい気持ちでいっぱいになる。
俺が今まで彼女といて味わった不思議体験は「無人の駅に迷い込む」「時間の流れが異常に遅くなる」の2点だ。コレは紛れもなく今まで体験したことのない現象であるし、明らかにルナが何かしらに関わっていると言えるだろう。別にそこまで困っているわけでもないが、単にこの不思議現象について気になるのだ。
放課後にあった時からそうだったが、今日はルナの機嫌が妙に良さそうだし、このタイミングでなら聞いても普通に教えてくれそうな感じはする。いやでも俺は今後もマラソン大会の手伝いやらでこの子と顔を合わせるんだし、明日だってポスター配りが待っているわけで、そこでしつこく問いただして嫌われでもしたら大変だ。「……しかしだ」俺の中の好奇心が反論をする。俺だってある意味勝手に巻き込まれている被害者で、そのぐらい問いただす権利はある。ちょっと聞いてみるだけなんだ。そんなに怒ったり嫌われたりもしないだろう。だから聞いてみるんだ俺。ほら、口を開け。
「……あーその、なんだ。気になってる事って言うのは、さっきのカフェでの件で。ほら、また俺たち以外誰もいない世界に迷い込んだだろ?それがやっぱり気になっててさ。だからちょっとだけ教えて欲しいんだ。いや、嫌なら答えなくてもいいし、そんな真剣な話ってわけでもないんだ。ただの世間話だよ世間話」
歯切れの悪い俺を見てルナはふふっと笑った。おや、この前とは違う反応だ。
「絶対に誰にも言わない?」
俺は首を縦に振って肯定する。
「ホントに?」
少し怪訝な顔をしてもう一回聞いてきた。
「誰にもしゃべらないよ。マジで秘密にする」
「じゃあちょっと教えてあげるね。……教えてあげるって言っても私にもよく分からないし、どこから話せばいいんだろう——」
「あの現象ってのは、キミが意図的に起こせるヤツなのか?その、例えば「時間よ遅くなれ!」みたいな」
「そんなのじゃないよ。私が気づかないうちにそうなってる」
ルナはそう言って空を眺め、何かを思い出すような顔をした。
「私があの現象に初めて遭遇したのは確か2ヶ月前くらい。1学期が終わって数日経った後に、真夜中に出かけたことがあったんだけど、その時に初めて気づいたの。最初に不思議に思ったのは家から15分くらい歩いたのに車にも誰にもすれ違わなかったことで、いつもなら交通量の多い道だから車は結構通っているしランニングしている人にもすれ違うからおかしいなーって思ってた。それでコンビニに入ってお客さんも店員さんも誰もいないところを見て初めて気づいちゃった。私,それがすんごく気味が悪くて、急いでコンビニから走って家に帰ったの。ちょうどこの道をずっと走って」
確かに俺らが今歩いている道は線路沿いに沿って延びている結構大きな通りで歩道も広い。さっきから自転車に乗った主婦が俺たちを追い抜いていく。
「家に帰って時計を見たら多分20分くらいは出かけてたはずなのに家を出た時から全く時間が進んでいなくて、それでコレは悪夢なんだって思った。私って怖いもの苦手だからその日はすぐに寝て、朝起きたら本当に夢だったんじゃないかって感じがしてたから、特に気にしてなかった。それが初めてアレにあった時かなぁ」
「それから2日後くらいにもう一回遭遇して、確か閉館ギリギリだったから10時前だと思うんだけど夜遅くまで図書館で本を読んでて、ふと顔を上げたら司書さんとか新聞読んでいるおじさんとかみんないなくなってた。それから結構頻繁にあの現象に遭遇するようになって、いつの間にか迷い込んでることがあるの。初めはまだ夢じゃないかって思ってたけど、周りに人が戻った時には本当に夢の中で動いた場所に立っているし、物を動かしたりすると動かしたままだったからこれは夢じゃなくて本当のことなんだって分かった。それからしばらくしてお母さんに言ってみたけど全然信じてくれなかったし、精神病とか言われて怖くなって色々本で調べてみたんだけどこれは私しか経験しない幻想か何かだって確信したわけ。でも本当に病院の精神科…?とかに行くのは怖かったからずっと誰にも言わずに黙って過ごしちゃってた。で、それから2ヶ月ずっと悩んでいる時、目の前に現れたのが…
そう言って彼女は俺を見上げた。
「君」
目があった彼女はまた前を向いて歩きながら続けた。
「あの日は久しぶりの朝で、あ、あの現象は朝か放課後に起こることが多いんだけど、それで久しぶりに朝遭遇したなぁってちょっとビックリしてた。時間が経つか遠くまで歩くと大体は戻るんだけど、その日は朝だし歩くのも面倒だったから早く終わらないかなーって座ってたら目の前に君が現れたの。初めて人に遭遇したからあの時は本当にビックリしたんだよ」
確かにあのとき睫毛の長い目をぱちくりさせてあり得ないとか言ってたな。
「それからは君も知ってる通り」
「毎回放課後にあの部屋に押し込められると発動することか?」
「そう、私が一人で体験していた時は学校で遭遇することはなくて、大体放課後の駅とか図書館とか家に帰る途中とかだった。だから君と出会って学校でも遭遇するようになったのはなんかおかしいというか…あ、ごめんね、りっくんがおかしいとかそういう意味じゃないんだけど……。でもやっぱり君があの世界に入れるのと学校でよく遭遇するようになったのはなんか関係があるんじゃないかなぁって」
そう言ってルナは数秒黙った。俺らが歩いている歩道すぐ横の道路には車が何台も大きな走行音を立てて走り、高架化されている私鉄の線路は急行列車が通過するリズムの良い音を上から浴びせてくる。そうか、俺は彼女が原因だとばかり思い込んでいて、それは正しかったわけだが、彼女は俺にも何かしら原因があると考えているのか。確かに俺と会うようになってから学校でも遭遇するというのはなんらかの因果関係があってもおかしくはない。だが断言するが、俺にはなんの特殊能力もないただの人間のはずだ。……はずだと俺は思っている。
「なんか、ゴメンね」
彼女は目を地面に向けながら声を小さくして言った。
「ここまで話してあれだけど、やっぱりこれは私の幻覚じゃないかなぁって思うの。だって普通じゃあり得ないし、最近になっていきなり起こり始めたから。だから変な話してゴメンね。頭おかしい子だなって思ったでしょ、全部忘れて」
「そんなことはないと思う。俺だって経験したから分かるけど、アレは幻覚とかそういうもんじゃあない……多分。あんなにリアルな感触は普通じゃあり得ないし、第一あの世界でパソコンに入力したことがきっちり反映されてるじゃないか。幻覚なんかじゃないよ。だから君は自分のこと病気だとかそんな言うことはないし、頭おかしいとかでは絶対ない。それでも君が幻覚を見ているというのなら、俺も幻覚が見えてることになるだろ?そしたら俺たちは同じ幻覚仲間だ。2人仲良く病院にでも行こうぜ」
「……。幻覚仲間……。ふふっ、良いね。いつ病院行く?」
「え?すぐ行く気なのか?ちょっと調べてから……それに幻覚じゃないってその……」
「うそうそ、冗談だよ冗談」
「で、ですよね~……」
ルナは一言三言話しただけで元気を取り戻したらしく、また温厚そうな笑顔に戻っていた。どこか哀しそうな顔をしていたのは俺の見間違いだったか…。
「今のところ、身体とかには影響ないみたいだし、このままもうちょっと放置してても良いかもね。君が後から私と同じ体験をできたように、もしかしたら誰かまた別の人があの世界に入ってくるかもしれない」
「ああそうだな。他に世界には入れる人がいるかは分からないけど、現状特に困ってる事はないから放置するのには賛成だな。生徒会で大量の仕事押しつけられてもすぐに終わらせられるし、結構助かってますよ」
まあ、外の人間から見たらってだけで、実際作業している時間は変わらないんだが、早く帰れるってだけでもありがたいもんさ。それに、ルナみたいな女子に言ってもどうせ分かってもらえないので口では言わないが、実を言うと時を止めるとか時を遅くするとか、昔父親から貸し与えられた漫画の登場キャラが持っていた能力を連想させ正直ちょっと興奮している自分がいる。あの劇中で悪役が止められた時間は確か10秒位だったと思うが、俺とルナはそんなチャチなもんじゃあない、何時間も止められた時の世界で動いているのだ。これに興奮しない少年漫画ファンはおるまい。まあ、実際に時を止められる能力なんてファンタジーでもSFでもあるまいに、本当に存在していると信じ込んだわけじゃないが。じゃああの現象はなんだと言われるとそれはそれで返答に困る。やっぱり幻覚…いやあの感触は決して幻覚じゃあ……。ダメだ、議論が振り出しに戻っちまう。
「りっくん……?」
頭の中でまた俺が議論をしているとルナが顔をのぞき込んできた。
「ああ、いや、何でもないよ」
「そう……あ!そうだ」
そう言って彼女はちょうどT字路の端で立ち止まり、「ちょっと待ってね」と自分の鞄の中をごそごそやり始めた。
「あ、あった」
と取り出したのはなんてことはないスマートフォンだった。2年前のモデルだが全く傷がついている様子はなく、ほとんど使っていないであろう事は見ただけで分かる。
「それでね、りっくんは私と一緒にいない時……家とか通学途中とかにアレに遭遇したことある?」
「ん~、今のところないな」
考えてみれば常に近くにルナがいたな。だから俺はルナに原因があると思い込んでいたわけだが、ふと考えてみるともしかしたら俺が時を止めているのかもしれない。……いや、なんだそのイタい厨二病みてーな発想は。俺はもう16歳だぞ。そんな幼稚な考えからは卒業してしかるべき年齢なはずなのだが……。
「もしかしたら今後お互い離れてても遭遇するかもしれないでしょ?その時に連絡取れる方が便利かなーって思って……。それで、その、連絡先を教えて欲しいんだけど」
「あーなるほど、別に良いよ。LINEと電話番号でいいか?」
「うん、それで大丈夫」
「あー……でも、あの世界で携帯って使えるのか…?」
「……確かに……」
「まあでも、とりあえず交換しとくか」
「そうだね」
ということでスマホのタップすら怪しいルナに俺の連絡先を教えて、なんとか登録してもらった。ちなみに彼女のアカウントアイコンはちゃっかり今日飲んだパンプキンジュースの写真になっていた。いつの間に撮っていたんだろうか。
「なんかあったら、ここに連絡してもいい?」
「ああ、もちろん。もっとも繋がるかは不明だけどな」
「ふふっ、繋がると良いね」
彼女はそう言ってまたその整った顔を笑顔にしてから
「私の家、ここ曲がったところだから、今日はここでさよならしても良いかな?」
「おう、分かった。じゃあ月曜日——じゃなかった、明日ポスター配りがあるんだっけな。だるいけど明日もよろしく」
「あっ、私も忘れてた……。それじゃ明日も生徒会室に集合だね。バイバイ」
「おう」
そう言ってルナは手を振りながら歩いて行った。
正直言うとその後ろ姿が消えるまで見続けていたかったが、俺は次の交差点の端にある駐輪場に向かうべくまっすぐ歩き出す。それにしても今日は彼女の本音が聞けたようで良かった。話をして分かったがあの現象に関して俺がこれ以上知れる事はないし、もう考えつくこともないだろう。アレは正直もう未知なる錯覚としか言い様がない全く謎だ。解決の方法も分からなければ原因すら分からないが、でもまあ、今のところは特にそこまで気張って解決方法を探す必要もないかと思い始めている。ルナも俺もそこまで困っているわけではないし、もちろんいきなりあの世界に放り込まれるのは気味が悪いが現状何も身体には問題なく、このまま様子見で良いんじゃあないだろうか。もちろん、これが長々続くようだったら精神科に行かねばならないが……。
ともかく、起こったことはあるがままに受け入れ、その世界の中で生きることを俺はこれから信念にして高校生活を過ごしていこうと思う。その方が何も考えなくて気が楽だ。時間が止まったのであれば動き出すまでじっとしてれば良いっていうただそれだけだ。
それにしても、今日のルナは普段とは違ってよく俺と会話してくれたな。あってから昨日まではなんというか愛想笑いというか、社交辞令的に俺と話して笑っていたように見えたが、今日は彼女の心からの感情と接することが出来たと思う。これからマラソン大会まで確かあと1週間か。1週間もずっと社交辞令的な会話されても困るし、今日は仲良くなるのに一歩前進したのではなかろうか。
いや別に、彼女と特別お近づきになろうとしているわけではなく、ただ単に2週間過ごす女子とはある程度気兼ねなく話が出来る間柄になっていた方が良いのではないかという、ただそれだけだ。あの葵はデートだとかなんとか抜かしていたが、決してそういう関係を連想していたわけではない。ただ……、今日のパンプキンジュースを飲み学校では見せなかった笑顔をした彼女の姿は俺の頭の中に誰にも見られないよう大切にしまっておこうと思う。
T字路で別れてから5分ぐらいでいつも使っている駐輪場に来た。一駅歩いてきたわけだが駅間が短いせいかそこまで時間はかからなかったし、たまには運動がてらこうやって歩くのも悪くはないかも知れない。最も、毎日高校までかなりの距離を歩かされているんだが。
荷棚に教科書の入っていない軽い鞄を積み込んだところでスマホが通知音を鳴らした。見ると早速ルナからで
『今日は色々ありがとう。明日もよろしくね』
とあった。
なんて返せば良いのか分からなかったから『おう』とだけ答えた。
ついでに右上に表示されている時刻を見た。ちょうど6時を過ぎたぐらいだった。周りの空はオレンジに染まり,ちょうど黄昏時だ。もう9月も下旬なので吹く風が涼しい。「冬服タンスから引っ張り出さなくちゃな」と思いながら俺は自転車にまたがり、家を目指した。
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