第4話

 × × ×



 気が付くと、クララは俺の腕を抱いて歩くようになった。



 登校時も、帰宅時も、いっつもベッタリでかなり恥ずかしい。



「だって、だめだから」


「その言葉、正しい意味を俺に伝える気があるか?」


「日本語、難しいデース」


「いや、急になに?」



 ……季節は夏。



 セミの声がうるさくて、しかし、そうでなければらしくない。



 俺は、この騒がしさが好きだった。



「おはよう」


「おはよう、今日も朝から熱かったね」



 カナタの言葉が、気温の事を言ってるワケではないのはすぐに分かった。



 こいつの皮肉は、本当にムカつく。



「まぁ、うん」


「あれ、張り合いがないな。熱中症?」


「うるせぇよ」


「ははっ」



 そんなこんなで、あっという間に昼休み。



 今日からテスト期間だから、もう一コマで授業は終わりだ。



「ミヒロ、今季の記事はどうする? 去年は、花火特集だったけど」


「俺は、マイケル・マンを取り上げるよ。テーマは、熱くなる映画だ」


「いいね、俺もそこに乗っていい?」


「もちろん。なら、今日は『ヒート』を見ようぜ」


「最高傑作だ」



 俺たち映画研究部は、成果として映画のコラム記事とジャンルの歴史を連ねたペーパーバックを、四半期に一度提出している。



 部員全員で、5万文字程度。読書感想文との違いは、映画をちゃんと人に見てもらう為に本気で書かなければならない点だ。



 これが、高校生の文化研究会に出展される事で存続の価値を得るからこそ、俺たちはサブスクの金を学校に出してもらえている。



 実は、真面目に活動しているってワケ。



「マイケル・マンか。ならば、俺はマーティン・スコセッシでも纏めようか」



 ということで、放課後の部活。



 タクマ先輩に自分の企画を説明すると、そこに乗ってきてくれたのだ。



 まだ、一年は来ていない。



「いいですね。後で、『グッド・フェローズ』も見ましょう」


「女子的に、そういう映画を立て続けに見るのはキツイよ」


「イズミよ、あれは男の夢なのだ。沸々と湧き上がってくる感情を、止めることなど出来ない」


「でもダメ〜。女子チームもいるんだから、ちゃんと一本ずつにしてくださ〜い」



 超人のタクマ先輩だが、何故かイズミ先輩には弱い。



 多分、理論では感情に勝ることは出来ないと、諦めをつけているのだろう。



 その気持ち、よく分かります。



「なら、女子は何を見るのだ」


「ん? 別に、決まってないよ? みんなで決めるし、面白そうなのを調べるよ?」


「……な?」



 タクマ先輩は、苦笑いして俺に呟いた。



 恐らく、今年も俺たちが女子の分まで書くことになる。そう、言っているのだろう。



 まぁ、仕方ない。



「ところで、ミィちゃん」


「なんですか、イズミ先輩。その呼び方、止めてくださいね?」


「『ほーみたい』って、なぁに?」



 瞬間、ズギャン!と、雷鳴が体中に轟くような鋭い衝撃が俺を襲った。



「な、な、え? いや、なんすか? マジ、なんすか? 全然意味分かんないっすけど? あれすか? ビートルズか何かっすか?」


「あ、ミヒロがテンパってる」


「珍しいな」



 マズイ。この二人の表情は、何か面白い事が起きると予感している表情だ。



「一昨日にさぁ、偶然クララちゃんと歩いてるの見てさぁ。なんか、『ほーみたい』って言われてたでしょ?」


「わかんないっす」


「そしたらさぁ、ミィちゃんが路地裏でクララを――」


「はーーーーっ!?」



 俺には、カナタにすら秘密にしている事が二つある。



 一つは、俺は唐揚げにレモンをかけるのが好きな事。



 もう一つが、クララの魔法『ほーみたい』の事だ。



「なんだよ、ミヒロ。『ほーみたい』って」


「直訳すると、キツく抱いて、だな」


「マジですか? なに? お前、外でそんなことしてんの?」


「いやぁ、あれは凄かったよ。だって、クララが完全に蕩けてたもん」


「そういうのは、家でやった方がいいぞ。先輩的にも、少し心配だ」


「……いや、マジで違うんすよ。ほんと、勘弁してもらっていいですか?」



 『ほーみたい』は、クララが俺を従わせる為の言葉だ。



 正確に言えば、言葉自体に加えて、彼女がそれを口にする時の表情が俺を狂わせる。



 ……どうやら、俺は深層心理の奥底で、6年前に見た切ない表情にトラウマにも似た感情を抱いていたらしい。



 あの顔で頼まれると、何でもしてやりたくなってしまう。



 そんな衝動に、駆られるのだ。



「俺が言っても、いう事を聞いてくれるのか?」


「いや、そんなワケねぇだろ」


「ほーみたい」


「恥ずかしいから止めてな?」


「ほーみたい」


「ちょっと、イズミ先輩」


「クク、ほーみたい」


「タクマ先輩!?」



 余程、俺の反応が面白かったのか、三人はニヤニヤしながら言葉を連呼した。



 聞かせる効果はないが、背中の痒さと恥ずかしさを存分に食らわせる、呪い魔法としては扱えるらしい。



「や、やめてください」


「こんなにフニャフニャのミヒロを見れるとは、夢にも思わなかった」


「面白いな」


「かぁいい」



 机に突っ伏して悶えていると、件の魔法使いが部室へやって来た。



 マズイ、殺される。



「おはよう、二人とも」


「おはようございます」


「……ミヒロ先輩は、何をしてるんですか?」



 アーメン。



「罰ゲームで、激辛のシュークリームを食べたんだ」


「……え?」


「そうそう、タクマが友達から貰って来たから。ロシアンルーレットをね」



 なんだ?情けを懸けてくれたのか?



「そうだったんですか。ミヒロ、運がないね」


「あぁ、まぁ」



 その時、邪悪な顔をしているカナタが視界に映った。



 ……違う。こいつら、俺を助けたんじゃない。



「な、ミヒロ。お前、ジャック・ニコルソンに追いつめられたシェリー・デュヴァルみたいな顔してたもんな」


「『シャイニング』ですか?」


「そうそう」



 これからも、このネタで弄るつもりでいやがるんだ。



『どうだ? お前から明かす事など、絶対に出来ないだろう?』


『こんなにおいしいネタ、すぐに手放すワケないじゃ~ん』


『諦めろ、ミィちゃん(笑)』



 そんな、三人の心の声が聞こえる。



 今日ばかりは、俺のこの才能を恨まざるを得ない。



「やべぇな」



 尽くす人間には、もう一つの側面があると思う。



 それは、人が本気で喜ぶ事が分かるのならば、人が本気で嫌がる事だって分かる、という事だ。



 スポーツやゲームだって、勝つためには相手の嫌がる事を実践するワケで。ならな、多くの戦法を知らなければならないのだから、これらの表裏一体は間違いないと思う。



 そういう意味で言えば、天才タイプのイズミ先輩はまだかわいい方だろう。



 だが、カナタとタクマ先輩は、絶対にヤバすぎる。下手をすれば、一生このネタで強請られかねない。



 ……ならば。



「なぁ、クララ」


「なぁに?」


「おいで」



 すると、クララは首を傾げた後に、トテトテと歩いてきた。



「ちょっと、緊張するケド」



 そして、俺は大きく息を吸い込んでから、キツくクララを抱き締めた。



「ミ、ミミミミミミ!?」


「なに……っ?」


「吹っ切れたか」


「ミィちゃん(笑)」



 もう、後戻りは出来ない。



「俺は、絶対におもちゃになんてならないっすよ」


「ミヒロ!? な、なにしてるの!?」


「もういいっすよ、俺はクララと結婚しますから。全然、弄られても恥ずかしくなんてないですから。な? クララ、俺と結婚するよな?」


「……しゅ、しゅる。しゅるしゅる、絶対しゅる」


「まぁ、そう言う事なんで。これからそのネタで弄ったら、あなたたちが恥ずかしがるハメになりますからね」



 すると、三人は顔を赤くして、苦笑いを浮かべた。



 はい、俺の勝ち。



「これは、予想外だった」


「ほ、ほらぁ。だから、やり過ぎは良くないのにぃ」


「この話、イズミ先輩が持って来たんですけどね」



 そして、体を離すと、クララはストンとベンチに落ちて。



「ぷしゅ~……」



 アホのように、口を開けて天井を見上げていたのだった。



「バカばっか」



 この狂乱の中、比較的冷静なアユミが、少し赤く、呆れたように呟いた。



 お前が居てくれて、本当によかったよ。



 × × ×



 夏休み。



 バイト、部活、バイト、部活、部活、バイト、部活。



 俺は、そんな日々を過ごしていた。



「ミヒロ、お昼ご飯出来たって」


「うん」



 プロポーズの日から、クララの束縛はやや落ち着きを見せている。



 約束通り、二人でスミの店にも遊びに行ったが、彼女たちの相性は意外にもよかったようで。



 メイド服を着て、記念撮影をしていたりもしていた。



 まぁ、彼氏的には仲良くしてくれて本当によかったと思ってる。



「午後はどうするの?」


「何も考えてない。偶然、予定が無くなったんだ」


「じゃあ、一緒に映画、観にいこ?」


「そうだな」



 俺たちの会話を、かーちゃんは興味無さそうに聞いている。



 淫らな関係にならなければ、それでいいらしい。



 因みに、俺はまだ童貞だ。



「そんじゃ、行ってくる」


「行ってきます」


「はい、あまり遅くならないようにね」



 蝉の声は、今日もうるさいが、ずっと耳に音が入っていると、何も考えなくて済むから楽でいい。



「何観る?」


「考えてない。映画館に行って、やってるのを見よう」


「じゃあ、ヒューメックスに行くの?」



 ヒューメックスは、宇田川町にあるワンシアターのカフェみたいな映画館だ。



「その通り」


「じゃあ、終わったらアイス食べよ?」


「お前、ほんと好きな」



 そんな会話をして、クララと手を繋いだ。



 この暑さの中、しがみ付かれるのは結構辛いからな。



「来週、あたしの家に来てくれるんだよね?」


「その旅費の為に、バイトしてるワケだからな」


「んふふ、うへへ」


「なんだよ、気持ち悪いな」


「嬉しいから」



 少しくらい、感情を隠す言葉を覚えろというのに。クララは、ビックリするくらいその努力をしない。



 まぁ、俺の減らず口とバランスが取れてると言えば、そうなのかもしれないけど。



「……やっと着いた」



 電車を乗り継いで、渋谷。



 この人ゴミの中で、スクランブル交差点を渡るのは本当に苦しいが、あそこが俺のお気に入りの映画館の一つだから仕方ない。



 それに、ワンシアターだと逆に迷わなくて済むし、暇潰しにはもってこいなのだ。



「涼しいね~」



 チケットを二枚買って、中へ。静かに座って、何も映っていないスクリーンをボーっと眺める。



 このまま、上映が始まってもボーっと眺めて。終わったら、近くのカフェでアイスを食べながら、二人で映画の感想を話す。



 これが、俺たちの日常だ。特別な事なんて、何もない。



 ただ、二人でいるだけ。



 そんな関係が、心地いい。



「ねぇ、ミヒロ」


「ん?」


「これこれ」



 そう言って笑うクララの顔は、少しだけ悪い顔だった。



 ……まぁ、俺もすぐに気が付いたよ。



「分かってる、後でな」


「えへへ、うん!」



 そして、彼女はテーブルの上にチケットを置いて、俺の手に自分の手を重ねたのだった。



 映画のタイトルは、例の魔法の言葉だった。

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【中編】ほーみたい -俺だけを殺す彼女の魔法- 夏目くちびる @kuchiviru

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