第3話

 × × ×



 二週間後の放課後。



 俺は、アユミと二人で『バッドボーイズ』を見ていた。



 メインの俳優が、映画賞の授賞式で問題を起こし、結構話題になっていたのをふと思い出したからだ。



「やっぱり、マイケル・ベイの映像は臨場感がエグイ。カメラがグワングワン動く」


「ベイ・ヘムって言うんでしたっけ。こういう演出」


「お、よく知ってんな」


「まぁ、私も映画好きを自称してますし」



 俺たちだけの理由は、至ってシンプル。



 先輩二人は、受験勉強で忙しくなってきている。カナタは彼女とデートで、クララはクラスのファンたちに囲まれて中々抜け出せないから。



「来たぞ、名シーン」


「ここは、私でも知ってます」



 ラストの空港でのカーチェイスと結着。敵のボスに拳銃を突きつけると、血まみれになりながらグリグリされるカット。



 そして、エンディング。やはり、何度見ても面白い。



「これ、いくらくらいお金かかってるんですかね」



 気になるの、そこ?



「調べたら、1900万ドルだって」


「はぁ、凄いですね」


「でも、ホラー好きのアユミからすれば、制作費に価値を感じないだろ」


「まぁ、ホラーはセンスがモノを言いますからね。極論、音と闇の使い方が全てです」


「なるほど」


「大体ですね――」



 それから、エンドロールをBGMに、アユミは今の映画の在り方やトレンドに対して意見を述べた。



 彼女の映画知識は、かなりのモノだ。一年長く生きてる、俺とカナタに匹敵している。



「それに、これだって――」



 因みに、最強はタクマ先輩。



 あの人だけ、攻殻機動隊の世界みたいに脳みそにインターネットが繋がってるんじゃないかってレベルで、あらゆる知識を持っている。



 もっと因むと、イズミ先輩は自分の好きな映画しか見ていない。基本的にはニワカだから、また特別な存在だ。



「つまり、アユミは古き良きジャパニーズホラーが好きなのな」


「今は、そういう映画はインディーズでしか見られませんけど」


「仕方ない。考えなきゃ理解出来ないコンテンツは、現代じゃ金にならん」


「分かってますけど、納得は出来ません。だから、私はちゃんと映画館に見に行きます。ポップコーンとコーラも買いますよ」


「お前みたいなファンは、映画界の宝物だよ」



 そんな話をしていると、部室の扉が少しだけ開いているのに気が付いた。



 チラと目線を動かすと、低いところでクララが中を羨ましそうに覗いている。



「何してんだ、お前」


「……あたし、ホラー分からない。あと、何かイヤだった」



 こういう卑屈なところは、昔から何も変わってないようだ。



「分からなくたって、一緒に話そうよ。私、クララの話も聞きたいよ」


「ほんとに?」



 そして、クララはしずしずと部室に入って来て、アユミの隣にちょこんと座った。どうやら、アユミはクララを引っ張ってくれる存在らしい。



 姉御肌ってヤツだな。



「当たり前でしょ。もしかして、嫉妬してたの?」


「……うん」



 アユミの言葉に、クララはモジモジしながら頷いた。



 はっきり訊く方も、はっきり答える方もおかしい。



「バカ。友達の彼氏なんだから、仲良くしたいに決まってるでしょ?」


「確かに、そうかも」



 彼氏かどうかはさておき、そもそも部活の先輩だしな。



「付き合ったばっかだからと言って、変な事考えてないで、先輩は自分の事が一番好きって思えばいいじゃん。ですよね、先輩」


「まぁ、そうだな」



 答えると、クララの顔面が火を噴いたように赤くなった。



「……うん」



 世間を斜に見ている俺の特技は、口を開く相手の本質を見抜く事だ。



 アユミは、心の底からそう言っている。きっと、クララが好きで仕方ないのだろう。



「まったく。いっつも人に囲まれてるのに、誰より寂しがり屋なんだから。先輩も、ちゃんと見ててあげてくださいよね」


「悪い、気を付けるよ」


「はい、この話はお終い。クララ、棚の中から映画を選ぼう?」


「うん!」



 そして、二人はワイワイ言いながら何を見るのかを選び始めた。



 ……なるほど。



 何となく、クララのバグってる俺との距離感の理由が分かった気がする。



 クララには、確かに中学時代にも友達はいたが、それはあくまで憧れられる関係だったのだろう。



 おまけに、相手の喋る言葉を理解しようとして、自らの意見を述べる機会が無かったのだろう。



 だから、否定するタイミングを失うのだ。



「あ、『回路』が置いてある」


「これ、怖いの?」


「私も知らないけど、ホラーだって聞いてる」


「じゃあ、これにしよ」



 しかし、アユミは他と違った。



 何故なら、彼女は根底のところで俺やカナタに似ているからだ。



 ……自分が平凡であると、本当の意味で理解している。それが、俺たちの共通点だ。



 だから、普通の奴らのように嫉妬をせず生きていける。



 だから、特別な奴を特別扱いせずにいられる。



 だから、こんなにも映画というアンリアルな世界に惚れ込むのだ。



「これ、インターネット黎明期の話なんだ」


「麻生久美子、わっかいなぁ」



 クララを見れば、イヤでも分かる。



「よく分かんない。なんか、バーンって感じじゃないんだね」


「ん~、哲学?」



 彼女の可愛さは、異常だ。



 あんなの、才能以外の何者でもない。



「先輩、何か解説とかないですか?」


「ミヒロ~」



 しかし、そう言った才能を持つ者は、えてして孤独なモノ。



 そして、自分の才能に気が付けなければ自信を得られず、周囲との格差で生じる孤独に押し殺されていく。



 押し殺されて、自己肯定感がすり減っていく。



 その結果、ひょんな事で優しくしてくれた特定の人物に依存して、距離感をバグらせてしまうのだろう。



 クララは、間違いなくその典型だ。



 可哀想に。



「あれ、ミヒロ?」



 最も、幼い頃に引っ越してきて、おまけに俺と出会ってしまって。自分の美貌に、気が付くような暇も見つからなかったのが理由だと思うけど。



 ……じゃあ、俺のせいじゃねぇか。



「ごめん」


「え? 何が?」


「あぁ。いや、何でもない。間違えた」


「……?」



 思わず、謝ってしまった。アユミが居なければ、抱きしめていたかもしれない。



「さては、何かエッチな事を考えてましたね?」


「だったら何だよ」


「そう言うのは、二人の時にやってください。ねぇ、クララ」


「……ぅ」



 しかし、ハグが行われなかった事を、アユミのせいにするのはお門違いだ。



「バカ、んなワケねぇだろ。それよりも、回路をホラーだと思って見ると、思わず評価☆1を付けたくなるぞ」


「どゆこと?」



 彼女が居なければ、俺はクララという女を勘違いしたままだったからな。



「死生観がテーマなんだよ。おまけに、俺たちの世代が事件を見ても、『そりゃネットだもん』ってなる。はっきり言って、微妙だ」


「じゃあ、なんでここに置いてあるんですか?」


「ここが、映画部だからよ。そこに置いてあるのは個人の趣味じゃなくて、各時代のトレンドや往年の名作と呼ばれるモノだ。全部、研究対象なんだよ」


「なるほど、道理で知ってる名前のパッケージばっかりだと思いました」


「じゃあ、あたしたちが見て面白いのとかないの?」


「いや、安心しろ」



 そして、俺はプラスチックの棚から五つのリモコンを取り出した。



「我が映研は、アマフラ、ネロフリ、ヒュールー、ユーエクストにジーアニ。どんな映画でも視聴出来るように、全てのサイトをサブスクしている。もちろん、部費でな」


「す、凄過ぎる。本当に、入ってよかったです……っ!」



 驚愕するアユミの隣で、クララはでっかいハテナマークを浮かべて首を傾げていた。



「なんで? 一つで良くない?」



 まぁ、普通はそういう反応だわな。



 × × ×



 私事ではあるが、俺には『尽くす才能』があるんだと思う。



 その正体は、テクニックの類ではなく、もっと人間の本質的なモノ。そして、対外的でなく、無知へのコンプレックスにより自らの意志で行ってしまえる事。



 即ち、『孤立した過去』だ。



 俺やカナタやアユミを構成する、孤立した過去。それこそが、尽くす才能の根源なんだと考えている。



 大切な人を同じ目に合わせたくないという、否定的なポジティブの現れといえば分かりやすいだろうか。



 つまり、これは世にも珍しい、な才能なのだ。



 一方で、ならば普通よりも『尽くされる才能』というモノもある。



 そして、その正体もまた『孤立した過去』なのだ。



 どれだけ窮屈でも、孤独になれなかった不幸。疎外される事を許さない、卓越した長所による副産物。



 これが、心の臨界点をネガティブに振り切ったとき、天才は尽くされる才能を発揮するのだろう。



 ……しかし、なぜ、俺はいきなりこんな話をしたのか。



 それを説明するには、三日前まで時間を遡る必要がある。



「ミィちゃん、最近お店に来てくれないね」


「もう、十分手伝っただろ。俺が見てなくても、お前は一人でやれる」


「信用してくれてるの?」


「そんなとこ。つーか、ミィちゃんは止めろって」


「やぁだ」



 昼休み、俺は隣のクラスのスミと屋上で話をしていた。



 スミは、とあるメイド喫茶で働く女だ。黒髪のツインテールと猫目の丸顔で、如何にもって感じのオタクっ子。



 街を通りかかった時、偶然その店の面接前に緊張している姿を見つけて、元気付けたのが関係のきっかけ。



 一年の時は、同じクラスだったからだ。



 以来、スミは俺に接客の術を試すため、頻繁に店に通うように頼んだ。指名も入って、一石二鳥というワケだ。



 そんな紆余曲折の末、今では立派なメイドとなって、おまけにステージで踊ったりもしている人気者となった。



 だから、俺は4月になってから彼女の店に行っていない。



 もう、俺の力は必要ないと判断したからな。



「……来てくれないの、あの子がいるから?」



 スミが、唐突に呟いた。



 どうやら、クララはこの一ヶ月で学校中に名前を轟かせてしまったらしい。



 多分、俺との偽の関係も。



「まぁ、そんなところ」



 理由は違えど、答えは誤魔化さない。クララにもスミにも、失礼だ。



「ふぅん。まぁ、本当にかわいいもんね。ボク、この前初めて見たけど、ちょっとビックリしちゃったもん」


「ありゃ、別格だよ。天から貰ったとしか思えん」


「……自分の彼女のこと、ずいぶんノロケるんだね」



 しまった。確かに、そう受け取るに決まってる。



「そ、そりゃな」



 でも、引き返せない。行くところまで行こう。



「ミィちゃんは、ボクの事が好きなんだと思ってた」


「そういう事も、あったかもな」


「でしょ? だって、呼んだら絶対に来てくれたし。というか、ボクってめっちゃかわいいじゃん?」


「そうだな」


「んふふっ。だから、放っておいてもいいって思ってたのに。……失敗したなぁ」



 スミは、遠くの街を眺め、口を尖らせながら呟いた。



「でも、ボクよりかわいかったら、仕方ないよね」


「別に、そういう理由じゃねぇけどな」


「じゃあ、なんで?」


「あいつ、お前より一人ぼっちだから。俺が側にいてやんねぇと」



 勿論そんなワケはないが、本心だ。



 矛盾は、自覚してる。



「……じゃあ、ボクは先に戻るよ」



 寂しそうだが、何も聞かないのが情けというモノ。



 俺は、きっと彼女の気持ちを知っていたから。



「あぁ、仕事頑張ってな」


「うん。そのうち、彼女と店においでよ。また、『ユメカワ☆黒いゼリーinあま〜いミルクコーヒー』、作ったげるから」


「あぁ、そうする。『しゅきしゅき♡ココアパウダー』も、たくさん振りかけてくれ」


「あはは! ……うん、それじゃね」



 そして、スミは俺に一瞬だけ抱き着いて、屋上から出ていった。



 これが、俺と彼女の結末だ。他には、何もない。



 ……問題は、それを見ていた生徒がいて、更にそいつがクララの知り合いだったことだ。



「ということなんですけど」


「心配するな、先輩に任せたまへ」



 スミとの浮気を疑う噂は、すぐに解決した。タクマ先輩に手伝ってもらって、広がる前に火を消す事が出来たからだ。



 しかし、それでも許してくれない存在が一人だけいた。



 言うまでもない、クララだ。



「ミヒロって、やっぱりモテるんだね」



 そして、今は火消しが終わった夜。



 俺は、クララに問い詰められているのだった。



「物の見方による」


「なんで、デート相手がカナタ君しかいないって言ったの?」


「金払って会いに行くのは、デートじゃないだろ」


「デートじゃなくても、その為にバイトまでしてたんでしょ? 尽くし過ぎだし、もっとタチが悪いよ」



 確かに。言われてみれば、まぁまぁ異常だ。



「じゃあ、どうすれば許してくれるんだ?」


「そういう聞き方、ズルい」



 言うと、クララはそっぽを向いて、英語でブツブツと独り言を言い始めてしまった。



 要約すると、『あたしの方がずっと前から好き』だ。



 この発言こそが、俺が思いを巡らせる原因となったワケ。



「昔と違って、ある程度は分かるぞ」


「……そうだった」



 一応、イギリスのお国柄というモノを調べてみたのだが、どうやら女の恋愛の傾向として、本命でない相手からのスキンシップに異常な嫌悪感を示すらしい。



 要するに、今回のハグは許しがたい出来事である、という事だ。



「でも、他にもある」



 話を聞くに、離れている間のレインのやり取りが遅いのも、結構イライラしていたらしい。



 少しでもレスポンスが遅ければ、信じたくても浮気を疑ってしまうとの事。



「不安になっちゃう」



 なんとまぁ、同じ島国なのに恋愛との向き合い方が正反対な事だ。



「悪いけど、あんまりケータイ触らないんだよ。知ってるだろ?」


「でも、イヤ。我慢出来ない」



 こういうピュアで意志の強い部分が、イギリスの女王文化を成立させているんじゃないかって、そんな事を思った。



 是非、現代の淫らな大和撫子に、淑女のを教えてやって欲しい。



 きっと、イケメンに怯える純情男子の多くが、その布教に救いを感じる事だろう。



「じゃあ、何か言ってみなよ。お詫びに、叶えてあげるから」


「……えっ?」



 素っ頓狂な声。言い方を変えただけなのに、ずいぶんと間抜けだ。



「えっ? じゃないよ。お前の願いを、何でも叶えてやると言ったんだ。悲しい顔、すんなよ」



 俺は、『喜ばせたい』が信条なのだから、全てにおいて正直だ。



 昨今は、シャイで皮肉屋な男が多いらしいけど。尽くしたがる男は、回りくどい事はしないよ。



「ほら、言ってごらん」



 正面に座って目をジッと見ると、クララは白い肌を真っ赤に染めて、小さく膝を抱え塞ぎこんでしまった。



「だ、誰にでも、そういう事を言ってるんでしょ?」


「そんな事はない、尽くす相手は選ぶ」


「でも、そのスミさんって人にも、同じことを言ったんでしょ?」


「昔の話だ」


「……酷いよ。あたしが、一番好きなのに」



 面倒くさい奴。



 だが、この面倒くささこそが、尽くされる理由ともなる。



 普通なら、大人気なくて恥ずかしがったり、気を使って隠したりするだろうからな。



 まさに、才能だ。



「クララ、これだけは分かって欲しいんだが」


「なに?」


「俺は、真剣だよ。結婚する相手には、一生尽くすつもりだし。お前を見極める為に、しっかりお前を見てる」


「……うん」


「それが特別視じゃないっていうなら、少し切ないよ」



 言うと、クララは指を噛んで顔を伏せた。



 しかし、やがて。



「ほーみたい」



 そう、顔を上げて呟いた。



「あ?」


「ぷりぃず……」



 悲しんでいるのか、喜んでいるのか、よく分からない半泣きの複雑な微笑。



 この表情、どこかで。



「……あぁ。それ、Hold me tightって言ってたのか」


「うん」



 そうか。



 あの日から、ずっと待ってたのか。



 ……そりゃ、本気で怒るわな。



「屋上の事は、フェアじゃなかった」


「そうだよ」


「ごめんな」



 そして、俺はクララを包み込んで、強く抱き締めた。



 激しく、息を呑む声が聞こえた。



「……やだ」


「許してくれるか?」


「だめ」



 その否定が、もっと強くして欲しいという願望であることを察せるのは、俺に尽くす才能があるからなんだと思う。



 だから、更に。



「んぅ……っ」



 華奢な体が軋むまで、俺はクララを強く抱き締めた。



「お願い、一番にして」



 俺がクララの願いを叶えたのは、これが初めての事だった。

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