第39話 砂浜

 水平線の彼方から、朝日がゆっくりと姿を現す。

 強い光が、輪郭のぼやけていた薄暗闇の世界を切り裂く。夜の空気が洗い流されて、浄化された風が俺とトーチカを優しくなぜる。

 キラキラと輝き始める広大な海。波の音は、静かでいて力強い。

 ただの夜明けを、世界の始まりなんて表現するのは大げさすぎる。けれど、こうして世界が輝き始める姿を目の当たりにすると、再び世界が生まれ変わったような、感慨深さがある。


「……海辺の夜明け……綺麗ですね」


 うっとりした様子のトーチカが俺に寄り添う。こうして並んで眺める夜明けは、一人で見るときとはひと味違うな。


「トーチカには劣るけど。なんて、昨日も言ったな」

「二回目くらいなら、まだ新鮮ですよ」

「……三回目じゃなかったっけ?」

「え? なんのことですか?」


 初回の分は、やはりなかったことになっているらしい。まぁ、そういうことにしておこう。


「少し歩こうか。向こうに砂浜もあったし」


 促すと、トーチカは抵抗なく俺についてくる。

 夜明けの町。一部の漁師たちは既に漁に出ているらしいが、まだまだこれから賑わっていくところ。

 夜と朝の境界線上はまだ静かで、こうして並んで歩くのも心地良い。


「レイリスの故郷でも、夜明けはこんな感じですか?」

「うーん、町並みはだいぶ違うよ」

「そうですか。海辺の町って、素敵ですね」

「天気の良い日はな。嵐の日には大荒れで、見ているだけで不安になるもんだよ。ただ綺麗なだけじゃないさ」

「そうですか……。嵐の海も、見てみたいものです」

「実際に目にすると引くぞー。海は怖いもんだ」


 話しながら歩いていると、砂浜に到着する。俺からすると見慣れた光景だが、トーチカは細やかな砂の地面を歩いておっかなびっくり。時折足を取られて倒れそうになるので支えてやる。


「そんなに歩きにくいか?」

「……ちょっとびっくりしているだけです。これくらい平気です」

「そうかそうか。手を離しても大丈夫そうだな」

「それとこれとは別です。手を離すのは嫌です」

「さよか」


 手を繋いで、さくさくと地面を沈ませながら歩く。

 俺が波打ち際に促すと、寄せては返す水面をトーチカが興味津々で見つめる。


「……この波、どこから来るんでしょうか? 何で止まらないのでしょう?」


 なんとまぁ、学者みたいな着眼点。


「……うーん、考えたことなかったなぁ。海ってそういうもんだと思ってた」

「そうですか。わっ」


 比較的強い波が来て、俺たちの足下を濡らしていった。見た目よりも幼い子供のようにトーチカが飛び跳ねるものだから、思わず笑ってしまった。


「な、何がそんなにおかしいんですかっ」

「おかしいっていうか、可愛いなぁ、と」

「ふん。砂浜なんて初めて来るんです。仕方ないでしょう?」

「おう。仕方ない仕方ない。んー、服が濡れたところでトーチカの魔法で乾かせばいいわけだし……」


 さっさと靴を脱いで、砂浜に素足をつける。海に濡れた砂の感触が懐かしい。


「トーチカも脱いだら? せっかくだし、海にも入ってみよう」

「……大丈夫ですか? わたし、泳げませんけど」

「そこまで深いところには行かないさ。っていうか、トーチカって泳げないのか」

「水に入る機会なんてありませんでしたから」

「ま、そんなもんか。とにかく、靴脱ぎな」

「……わかりました」


 トーチカが靴を脱いで、これまたおっかなびっくり地面に足をつける。


「うわぁ……なんかもにゅってしました」

「心配するな。体に害はない」

「それはそうでしょうけど……うわ、水が冷たいですね」


 波が足下を流れていく。そろそろ夏も近いけれど、まだまだ海は冷たい。しかし、凍えるほどではないし、気にせず海に向かって歩いていく。


「海って、なんだか生きてるみたいですね。波を見ていると、ずっと鼓動を続けているような気がします」

「海を生き物みたいに感じるのはよくあることだろうな。日によって表情をかえるし、海の中には生き物もたくさんいるし、生きていると思って間違いじゃないと思う」

「レイリスは、こういう世界で育ってきたんですね」

「まぁなぁ」


 しばし、無言で波の感触を楽しむ。こんなところで感じるのもなんだが、俺も大人になったものだ。海に入れば、衝動的に足で水を蹴ったり、一緒に来た人に水をかけたりしたもので……。


「うわっとっ」


 トーチカが隣で水を蹴って、勢い余ってすっ転びそうになった。俺がいなければ倒れていたぞ?


「大丈夫か?」

「……大丈夫です」

「まぁ、皆一度は通る道だ。たぶん」

「レイリスは冷静ですね」

「初めてじゃないしなぁ」

「……その冷静そうな顔、レイリスのくせに生意気です。わたしだけ妙にうずうずしてるのが気に入りませんね。ていっ」


 トーチカが手を離し、両手で水をすくって俺にひっかけてきた。


「うおっ。しょっぱいな、もう!」

「悔しければやり返してみてください」

「……いいだろう。海辺育ちの力を思い知れ」


 なんて言っても、そこまで海に慣れ親しんだわけじゃないけどな。

 童心に帰り、服が濡れるのもお構いなしでトーチカと水を浴びせ合う。

 いつしか服も髪も体も全身ずぶ濡れ。こんなの子供の遊びだと思うけれど、トーチカとならこんな時間も楽しい。

 幼稚な戯れはしばらく続き、最後にトーチカが俺に体当たりしてきて、二人で倒れて水しぶきを上げたところで終わった。

 トーチカはひたすら楽しそうで、その笑顔を見られただけでも、俺の人生大成功みたいな、そんな気分になった。

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『仲間』から『恋人』になったクォーターエルフの魔法使いがひたすら可愛い! そして、Aランクパーティーの円満解散を機に二人旅を始めることにした! 春一 @natsuame

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