第六膳 後半 『思い出のハンバーグ』

 じいちゃんはかあちゃんが使っている四角な包丁と違って、小さいけれど先のとんがった包丁を出しくれた。これはここでお手伝いするときの僕用の包丁だ。

土間の横のかめにまな板を渡すと、僕にちょうどいい高さになる。じいちゃんは肉と玉ねぎとキャベツと赤いのを流しに置くと、僕の足元で七輪に火を起こし始めた。

「ねぇ、じいちゃん。

洋食屋してたときも七輪でやったの?」

「いや、あっちの竈でやってたさ。」


 「えーと、まずキャベツを細く線みたいに切る。」

じいちゃんから渡された小さな包丁は、その重さだけで大きなキャベツをストンストンと切った。今は不揃いだけど、今度家で作る時はもう少し細かく切ろう。

「玉ねぎをな、小さく小さく刻むんだ。

目に染みるからな、箸を咥えとけ。」

じいちゃんに言われて箸を咥えて玉ねぎを切るけれど、咥えていても涙が出る。手を切らないように肩口で涙を拭きながら丁寧に頑張って小さく切った。

真っ赤な丸い変な匂いのするものはトマトと言うらしい。これもじいちゃんに言われたように切る。切ったら丼に入れておく。


 七輪から炭に火がついた匂いがしてきて、パチパチと炭が弾ける音が聞こえてきた。

「伊作、肉も切るぞ。

こいつは脂が回ったら野菜みたいには切れんからな、叩くんだぞ。」

「うん。」

じいちゃんの言うことはよくわからなかったけど、肉は叩けばいいらしい。心配になったのかじいちゃんが一度見せてくれたから、あとはひとりで出来た。

「こっちはじいちゃんがやっといてやる。」と、七輪の上の土鍋でじいちゃんが玉ねぎの半分と赤い不吉なトマトを煮込んだ。最初は青臭い変な匂いだったのに、だんだん美味しそうな匂いになるのが不思議だ。

木の鉢に肉と玉ねぎ(「本当は炒めるんたがな。」ってじいちゃんは言ってた)と好い匂いの茶色ナツメグの粉と塩も入れて手も腕もだるくなるくらいねる。そうすると赤い色だった肉がなんだか白っぽく桃色になった。

「伊作、うまいぞ。」

じいちゃんが誉めてくれて、僕はお腹のあたりがふわふわって嬉しくなった。


 七輪の上を鉄の鍋に替えて油をたらりとしたら、いい香りがしてそれだけで美味しくなるってわかった。じいちゃんと丸めた肉だんごに、白いこむぎこをまぶして鍋に並べた。

ジリジリ焼ける音と美味しい匂い。


 焼ける間に、じいちゃんといろんな話しをした。

じいちゃんはペルリが来た次の年に下田で生まれて、あんせい(安政)の大地震のとき家と舟と母ちゃんと兄ちゃんを津波に取られたらしい。乳飲み子だったじいちゃんは他所にやられて、僕の年にはもう奉公に行ってたって。頑張って修行をして、「つきじのせーよーけん(築地精養軒)」ってとこでやっと働けたのに、銀座の大火事でお店が焼けてしまってそれで横浜にきた。ばあちゃんとはこっちで働いてた「れすとらん」で出会ったんだって。それから「れすとらん」を辞めてばあちゃんと一緒に洋食屋をやってたんだそうだ。ハンバーグステーキもたくさん焼いたんだって。

なのにこの前の(関東)大地震にばあちゃんを取られたって言った。お客さんにはお店をもう一度ってたくさん言われたけど、そんな気持ちも一緒に取られたって。

僕はなんにも言えなかった。


 「焼けたな。」

じいちゃんのしわしわな手が目の前を横切って、鉄鍋の肉だんごをキャベツの乗った皿に移した。白いキャベツと茶色の肉だんごに真っ赤なソースがかかると、急に美味しそうになった。じいちゃんを見上げると

「伊作、よくやったな。」

って、笑ってくれた。

僕は誇らしくて、嬉しくて、ちょっと泣いた。


 出来たハンバーグステーキは、白い壁の異国の窓のそばで食べた。

明るい色の羽織のかかった椅子は僕には低すぎたけど、じいちゃんが座布団を折り畳んでくれてちょうど良くなった。

じいちゃんが、ギヤマンのランプの横の写真は地震で死んだばあちゃんの写真だって教えてくれた。

ギヤマンに若いばあちゃんの笑顔が映って、揺れていた。



***************


明治政府は公式の応接料理をフランス式と定め、日本人コックは洋食を学ぶならフランス料理を身に付けることが基本であった。


当時日本人コックがバイブルとしていた料理書

エスコフィエの"Le guide culinaire"

モンタニエの"Larousse gastronomique"

どちらにも、牛挽肉を固めて焼いた料理が「ハンブルク風ステーキ」として載っている。


築地精養軒ホテル

欧米賓客を応接出来るレストランとホテルとして1872年(明治五年)に開業した。

ただ不運なことに、同年銀座の大火によって焼失したが、その年のうちに再建され当時の日本では最高の洋食を提供する店として高い評価を得た。


関東大震災

1923年(大正12年)9月1日発生した関東大地震によって南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害。死者・行方不明者は推定10万5,000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となっている。


安政の大地震

江戸時代後期の安政年間(1850年代)に、日本各地で連発した大地震。

下田では4軒を残して841軒が流失、30軒が半潰、99人が流死した。


近況ノートにハンバーグの写真があります

https://kakuyomu.jp/users/9875hh564/news/16817139554758660780

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