第七膳 前半 『春の訪れと天ぷら』

 「ヨシ!天ぷらの用意が出来たぜ。」

オレの声に川で手を洗っていたアイツらが振り返って子どもん時のみたいな笑顔を見せた。

 

 奮発して胡麻油も椿油もたんと買ってある。

ネタも三人で選んだし、あとは衣を合わせるだけだ。今日は特別だからな、特別な秘密の衣でアイツらを驚かせてやる。

河原で一日いちんち限りの天ぷらの屋台だせ。

オレはうーんと伸びをして、空を眺めた。

いいねぇ。申し分ない青空だ。


 コイツらはオレの幼馴染みだ。

寅吉とテツ。

せえときからの遊び仲間で、寺子屋も剣術の稽古も三人一緒だった。

オレより3個年下の寅吉は、背はさほどじゃぁねぇが負けん気は強くてな、めったに怒ったりしねぇんだが怒らせると一等怖いっとぉこぇんだ。この辺じゃ知らねえ者はねぇ大百姓の倅で、春には八王子の立花ってお武家に養子にはいることが決まってる。寅吉はヤットウの腕も、アタマのほうも出来がいい。四男ってのが惜しいくらいだったから、いい縁だと思う。

もう一人はテツ。オレより一つ下。岩みてぇな体付きで岩みてぇな顔しちゃいるが、三人のなかで一番優しくてクソ真面目な奴よ。これまたゴッツイ指をしてるんだが器用でな、飾り物とか壊すじゃねぇか。子どもん時とかよ。テツはそれを上手いこと直すんだ。それを見込まれたのか、とうを二つばかり超えた年に大工の棟梁んトコに住み込みで入った。今はまだまだ大工見習いだが、あの年でもう現場へ連れて行ってもらってるってことは腕を買われてるってこったよな。

そして、オレ。与助。

ホントの名じゃねぇよ。与太者の与助さ。

矜持ばっかり高くてよ。鼻持ちならねぇ馬鹿な若造さ。家は貧乏な浪人暮らしで父親は手習いを教えてるんだけど、それだけじゃぁ喰ってけなくてさ。父親も母親も毎日内職内職。十三んときイヤ気がさして飛び出しちまった。その日から幼馴染みにゃ会っちゃなかった。

食いっぱぐれがなさそうだって理由で、両国の料理屋に転がりこんでさ。まぁ、そこそこ才はあるってんでいい気になって、挙句常連客と大喧嘩してよ。「いい加減にしろ。」って親方に怒鳴られて、店から蹴り出されちまった。

ちょうどその頃だったか。何の因果なんだか、江戸の外れでばったりテツに会っちまった。江戸はひれぇのによぉ。テツはオレの長屋にまで付いて来やがって、翌日寅吉まで連れてきた。

それからさ、たまぁに飯を食わせてやるようになったのは。


 まったくもって不思議なもんだな。人生ってモンはよ。料理する事、食べる事を楽しめる日がまたやってくるなんざ思いもしなかったぜ。

アイツらと六年ぶりに再会して、何度か飯を作ることになって。飯をかっ込むアイツらの嬉しそぉなつらを見て。もやもやとしていた気持ちがはっきりと熱を取り戻した。もっともさ、昔のような闇雲な思いなんかじゃねぇ。簡単に消えることのねぇ、静かぁな熱を持った炎だ。改めてオレは己れの望みを知った。

なんてこたぁねぇ。

美味しいものを作りてぇ、美味しいものを前にした笑顔が見てぇ。それだけだったのさ。ただそれだけが望みだった。

手の中の親方から譲られた包丁を眺める。近いうちに頭を下げに行こうと思った。またどやされて、蹴り出されるかもしれねぇけど。そうしようと思った。


 そんな折さね。寅吉の養子の話しが本決まりになったのは。なら祝いでもやるかって話しになったって訳だ。

だから、今回は特別な料理にしよう。

特別も特別、とびっきりの特別料理だ。


 「なあ、今日の晩御飯ばんめし、天ぷらにしようと思うんだが。

揚げたての屋台みてぇなやつ。な、どうだ?」

「いいねぇ。」大工見習のテツがゴッツイつらをクシャクシャにして笑う。

「魚屋の政んっとこに頼んどいてやろうか?」

「野菜ならうちの畑から抜いてこようか?」寅吉も嬉しそうに言った。

「あ、でも俺さ、俺、イカはダメ。」

「寅吉、オメエ好ききれぇがまだ直んねぇのかよ。」

寅吉はこの正月に元服したばかり。剃った月代が慣れないのか、何かあるとすぐにそこに手を伸ばす。面白くなってテツと二人して、寅吉の月代をわしゃわしゃと触ってやる。

「一人前によぉ。」

「寅吉のくせにになぁ。」

「ちょっとぉ、やめてよ。

前髪がなくなってからなんとなく寒いんだからさ。」

そうかそうかと、テツと剃った月代を手のひらで覆ってやった。こうやって馬鹿やってるとオレたち寺子屋ん時のまんまだな。


 こいつらに旨い天ぷらを食べさせてやりてぇ。いや、一緒に食いてぇんだ、オレは。

「海の幸に山の幸か。

よぉ、寅吉のイカのほかに食えねぇモンはなかったか?」  

こんなことをしゃべるのも楽しい。

作る方も食べるほうも楽しいと思える。今この瞬間のような、そういう店、やってみてぇな。そんな風ににやけていたら、テツと寅吉がオレをもみくちゃにしやがった。

「与の字、なににやけてやがるんだよ。」

「楽しいことですか?」

こんな風ににやけた表情が出てしまうのもまた本当に久しぶりのことだ。

「うるせえよ。

それより、なぁ、寅吉んとこの畑。今何が出来てる?」


 それから三人で昔よく悪さをした河原に向かった。即席屋台の場所探しだ。街道からは木立で見えず、川に近い平らな場所。なぁに馴染みの場所だ。お誂え向きの場所なら心当たりがあるさ。河原でも昔話に花が咲き、久しぶりに腹がよじれるほど笑った。

寅吉がお武家になっても、テツが棟梁になっても、たまにはこんな時間を持ちたい。そんな時間を持てるような店をオレはやる。心からそう思った。

オレは知らなかった。

これが三人で笑えた最後になるってことにさ。


 河原近くの百姓家の庭の梅が満開で、冬の終わりの白茶しらちゃけた風景に赤く彩りを添えていた。


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