第七膳 後半 『春を待つ天ぷら』

 下拵えも一段落ついて、あとは特別な衣の用意だ。

「さぁて。」と顔を上げると、二人が大騒ぎしてやがった。

天つゆに入れる大根をおろしていたテツが濡れた両手を振り回すもんだから、隣でメゴチに竹串を打っていた寅吉が嫌がって立ち上がったらしい。その拍子に手だかナンだかが当たって魚が全部地面に落ちた。アイツが悪い、コイツのせいだと。

「おいおい。子どもじゃねんだからよ。」

寅吉の苦手なイカと交換で道の途中の梅の見事な百姓家ひゃくしょうやで汲ませてもらった桶いっぱいの井戸水を取り分けて、土の付いた魚を黙々と洗ってざるに上げる。


 竹串を打ったメゴチ、キス、エビ、アナゴと殻ごとのハマグリ。

ハマグリはよ、ちょいと細工してあるんだ。一度身を外してよ、一個の貝に酒で洗った身を二つ入れてあるのさ。そいつを貝殻ごと揚げるんだ。身がなくなっちまったハマグリには白魚を入れてある。どうだい。いい天ぷらになりそうだろう。ギンポがあればいいんだが、あれは端午の節句にならねとな。

揚げ物のほうは、寅吉の所からのニンジン、ゴボウ、ハス、キクナ。十分じゃねぇか。


 「ヨシ!天ぷらの用意が出来たぜ。」

オレの声に川で手を洗っていたアイツらが振り返って子どもん時のみたいな笑顔を見せた。


 「さぁて、衣だ。」

二つの丼にうどん粉と井戸水を入れると、テツと寅吉が早速混ぜようとするから

「ちょっと待て。」

と、荷物の中から風呂敷に包まれたざるをさも大事そうに出して見せた。

「生みたての卵だ。」

「卵?そいつも天ぷらにするのかい?」

「殻ごとですか?」

不思議そうな二人の顔をじっくり見やってから、おもむろに卵を割る。

ふたりから驚きの声が上がるのを小気味よく聞きながら、白身を片方の丼に、黄身をもう片方に分けて入れた。

「何すンだよ!勿体ねぇ。」

殻に残った白身を舐めたそうにしてテツが言った。

「知らねえのか?金ぷら、銀ぷらだぜ。」

「え?両国柳橋んとこの?噂に聞くあのアレか?」

「おうよ。噂に聞くあのアレさね。」

さすがに大工のテツはよく知っている。目を丸くしている寅吉に「今流行りの高級座敷の看板料理だ。」と説明を始めた。

そうさ、普通の天ぷら屋は衣に卵なんざ使わねえ。卵はたけぇからな。町の屋台ならなおのことだ。

「一串、十六文貰おうか。」

「与之さん。そりゃ取り過ぎだよ。蕎麦と同じ値段じゃないか。」

「与の字、いくら卵が入ってるからって言ってな、屋台の四倍はねえだろう。」

やいのやいのと五月蝿うるせぇこった。

二人の声に、油が爆ぜる音が重なる。


 「さあさあ、四の五の言わず食ってみろ。頬っぺたがとろけて地面に落ちちまうぜ。」

『金ぷら』は黄身入りの衣を薄くまとわせて、椿油であっさりと。

『銀ぷら』は白身入りの衣を厚めにつけて、胡麻油でこっくりと。

「揚げたてをよ、大根おろしを入れた天つゆにチョイっと浸して食ってくんな。

どぉでぇ。」

二人とも食べる方に夢中になって黙っちまった。


 テツは次から次へと頬張って、喉に詰まらせたのか急に咳き込んだ。

「おいおい。慌てんじゃねえよ。」

竹筒の水を差しだしてオレはヤツの背中を叩いた。

「誰も盗りゃしないさ。ゆっくり味わって食えよ。」

「うん、うん。」

そう頷くものの、ヤツはまたがっつき始めた。

かたや寅吉はってぇと、なんとも上品なもんだ。それでも串に伸ばす手は止まらねえ。たまにオレを振り返って、目をきらきらさせやがる。

最後の一串になった時テツがしみじみと言った。

「いっぺんにこんなにたくさん天ぷらを食っちまったら、お天道さんのバチが当たるんじゃねぇか?」

そうだな、いつもは仕事の合間に一本か二本食ってるだけだもんな。

「いいんだよ。今日は祝いだ。」


 川を渡る風はちぃと寒かったが、なぁに火の側だ。

せせらぎの音、鳥のさえずり、友達の喜ぶ顔。そんなもんが後押ししたんだろうな。

オレはさっき心に決めたことを口に出しちまった。

「なぁ、オレな。頑張ってさ。いずれさ、暖簾分けしてもらうわ。

そん時はよ、オマエら儲けさせてくれよな。」

「応よ!任せときな!」

「勿論です!与之さん、何度だって通いますとも!」

「あははは。期待してるぜ。」


 気持ちいい青空の下、天ぷらのいい香りに友達の笑い声。

最高の一日だった。


 ああ、最高の一日だったよ。


 あの日から、十年。


 ああ、そうだ。もう十年だ。

あの時「勿論だ。俺がみんなに触れて回ってやる。」

そう言って笑ったテツは、のちに伝習隊にとられて東軍(幕府軍)として蝦夷まで行っちまった。

「天ぷら屋ですか?本当に?またこれを食わせてくれる?」

そう聞いた寅吉は養子に行ってすぐ八王子千人隊に編入されたものの、隊自体が早々に西軍(官軍)に恭順。甲府鎮撫府支配下に置かれて。その後いったい何処に行かされたのか。


 あれから十年。

明治の世になっても、天皇さんが江戸に来ても。

みんなの頭から丁髷が無くなっちまっても。

オレはアイツらが帰ってくるの待っている。

今も両国で料理屋をしながら、ずっと待ってんだ。


******************


上方の「天ぷら」

 魚のすり身を丸めて油で揚げたもの「はんぺん」

江戸の「天ぷら」

 江戸前の海や河川で採れた魚介類に衣を付けて油で揚げたもの

野菜を揚げたものは「あげもの」と呼んで天ぷらと区別していた。


屋台の天ぷら(江戸)

 今よりも大きいネタを串に刺し、注文を受けてから水と小麦粉で作った衣をつけて油で揚げる。揚げたてを天つゆにくぐらせてその場で食ベていた。値段が高かったので衣に卵は使用しなかった。

油が大量に入った鍋を火にかける天ぷらは屋内では禁止され、屋台で商うしかなかった。


御座敷料理「金ぷら」「銀ぷら」

江戸両国柳橋の深川亭文吉が創始者

流行の金ぷらのつくり方が後世に伝わりその後、大正、昭和初期にかけて、小麦粉と卵を使った衣が一般的になった。


伝習隊

幕府の勘定奉行小栗忠順の主導で創設され、士官、歩兵、砲兵、騎兵連隊教育がフランス軍顧問団によって(伝習)された。旗本の応募はほとんど無く、兵士には、博徒・やくざ・雲助・馬丁・火消などの江戸の無頼の徒が集められた。

号令はすべてフランス語で行われ、当時最新鋭の装備を誇っていた。

江戸開城時、大鳥圭介に同行した伝習隊の一部が脱走。

大鳥圭介を総督(隊長)、土方歳三を参謀として部隊を再編成した。

宇都宮、北陸・会津と転戦、最後は五稜郭へ向かった。



八王子千人隊

日光勤番、甲州街道・日光街道(日光脇往還)の整備、蝦夷地警固と開拓、八王子及び周辺地域の治安維持を職務とする江戸幕府の役職「八王子千人同心」が慶応2年(1866年)組織変更に伴い名称変更。

早い段階で新政府軍に恭順。

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