あやかし逢瀬

やよ

『あやかし逢瀬』



「ううっ、今日も遅くなっちゃった……」

 草木も眠る丑三つ時。

 真宵まよいひとみは、がっくりとしながら夜道の帰路に着いていた。

 就職し、東京で暮らしはじめて2年。研究職で毎日忙しく、一人身の身軽さも手伝って遅い帰りがよくある。今日のように、仮眠を取っているうちに日付が変わり、慌てて研究所を出てくることも多かった。

「仮眠前に夕飯食べておいただけ、良かったのかもしれないけど……」

 時間が時間だからか、周囲は暗い。

「ホント、真っ暗……。東京とは思えないくらいだよ……」

 不思議と、光があっても暗い感じがした。街頭のあかりもビルの灯りもたくさんあるはずなのに、そういった、人工の光では照らすことのできない〝何か〟に周囲を取り囲まれている気がして、ひとみは肩を震わせた。

 こういう道を、〝何かが出そう〟と、言うのかもしれない。

 寒いわけでもないのに、体が芯から冷えそうになる。

「は、早く帰ろうっと――」

 パンプスのかかとをカッ、コッ、と響かせながら、早歩きへギアチェンジさせようとしていたところ――。

今晩こんばんは」

「ひゃいっ!?」

 背後から声をかけられて、飛び上がりそうになった。

 驚いて後ろを振り返ると、知った顔だ。

 ひとみはホッと胸を撫で下ろした。

紺夜こんやさん! こんばんは。またお会いしましたね」

 ひょろりと高い背に、優しい微笑み。肩からショルダーバッグをかけた、ひとみと同年代くらいの青年が立っていた。

 思わず凝視してしまいそうなほど、整った顔立ちをしている。

 紺夜は、穏やかな声で話しかけてきた。

「お仕事帰りですか? 今日も遅いんですね」

「はい。また仮眠室で寝込んじゃって……」

「ふふ、女性の一人歩きは危ないですから、ご一緒しましょうか」

「あ、はい! ありがとうございます」

 そんなこんなで、ひとみと紺夜は並んで歩き出した。

 顔見知りで知り合い、ではあるけれど、ひとみは紺夜のことをよく知らない。

 なんの仕事をしているのか。どこに住んでいるのか。

 ひとつだけ確かなことは、紺夜も帰りが遅い仕事をしている、ということだ。

 そのため、この時間、この道で遭うことが多い。

 思い返してみると、この時間、この道以外では会ったことがない。

 しかし、紺夜が言うには、ふたりは幼い頃に一度だけ会っているという。

「ひとみさん、お仕事忙しいみたいですね。夕飯はちゃんと召し上がりましたか?」

「あははは……、一応、研究室でカップラーメンを……」

「そういうのは、あまり体に良くないですよ。感心しませんね」

「はい、反省します……」

 心底心配そうに眉根を寄せる紺夜は、ひとみよりずっとしっかり食事を摂っているようだ。

 その割にひょろりとして細身だけれど、隣に並ぶと、やはり男性なのだとわかる。

 それに、周囲が暗いせいではっきりしないけれど、おそろしく綺麗な顔立ちをしていた。

 明るいところだったら一緒に歩くのがおそれ多くなるくらい。

 これだけ暗くて、互いの顔も見えにくいから、堂々と隣りあって歩けるようなものだ。

「ひとみさん、どうかしましたか?」

「いっ、いえっ、その、紺夜さんって綺麗だな~って……」

(私、何言ってるんだろ!)

「すっ、すみません」

 ひとみの慌てようがおかしかったのか、紺夜がくすくすと笑った。

「謝ることはありませんよ。でも、ぼくくらい、普通じゃありませんか?」

「そんなことありませんよ! 私、紺夜さんほど綺麗な人、見たことありません! 芸能人でも、めったにいませんよ!?」

「そうですか?」

 おかしいのが止まらないのか、紺夜はまだくすくすと笑っている。

 けれど、お世辞ではなかった。本当に、紺夜ほど美しい人をひとみは見たことがない。こんな喩え方、失礼でとても口には出せないけれど……人とは思えないほど・・・・・・・・・妖しい美しさを持っていると思う。

「ひとみさんだって、十分可愛らしくて魅力的だと思いますよ」

「えっ!? あ、ありがとうございます!?」

 お世辞返しかもしれないがそんなことを言われたので、ひとみは面食らった。

「それに、とても優しい。困っている相手はなんであれ、放っておけないような……ね」

 不意に、紺夜がひとみの目を覗きこんできた。

 弱い月明かりが紺夜の髪に反射して、艶やかな紺青こんじょう色の髪がキラキラと輝く。瞳の色は、森を思わせる濃い緑色。長いまつげに縁取られて、妖しく光る……。

「そ……それって、私が紺夜さんと初めて会ったときの話ですか……?」

 ひとみは、紺夜の眼に、翡翠の勾玉のような古い香りを嗅ぎとってほうけながら訊ねる。紺夜は、肯定するようににこりと笑んだ。



 初めて紺夜に声をかけられたときに聞いた、昔の話。

 まだ、ひとみが小学生低学年だった頃のことだ。地元の神社のお祭りがあった夜、出店が多く並ぶ道端で、泣きながらうずくまっている子供がいた。

 周囲には大勢、人がいるのに、まるで見えていないかのように、誰もその子のことを気にしていないようだった。ひとみは同じ子供ながらハラハラとして、誰かその子に声をかけてくれないだろうかと気を揉んでいたのだが、誰も手を貸す様子がないようだったので、意を決して自分が話しかけた。

『どうしたの? だいじょうぶ?』

 驚いて顔を上げたのは、紺色の浴衣を着た、自分よりひとつ下くらいの男の子だった。

『おとうさんとおかあさんは? はぐれちゃったの? おねえちゃんと、さがそうか?』

 男の子は、首を横に振った。

『……みんなが、仲間に入れてくれないんです。〝おまえは違う〟って、いって……』

 仲間外れにされて、置いていかれたんだろうか。しょげた姿が可哀相で、なんだか放っておけなかった。

『じゃあ……わたしといっしょに遊ぶ?』

 男の子は、濃い緑色の瞳をパッと輝かせた。

『――いいんですか?』

『うん! いっしょに遊ぼう!』

 ふたりの子供は手を取り合って、祭りが終わるまで、ずうっと遊び続けた。

 それが、ひとみと紺夜の出会いだったという。

 確かに、ひとみにも幼い頃、神社のお祭りで男の子と一緒に遊んだ記憶があった。けれど、そうなった経緯はおぼろげで、それが紺夜だったという確信もない。

 けれど、紺夜は確信していた。

 ひとみの右手に、特徴的な〝痣〟があるからだ。

「私の右手にある、この痣……」

 右手の親指の付け根辺りに、花のようにも、火のようにも見える赤い痣がある。

 生まれたときからあったという。目立つ場所にあるわけでもないので、家族と友人以外はあまり知らない。

「紺夜さんは、これを覚えていたから、私に声をかけてくれたんですよね?」

「はい」

 泣いている自分に声をかけて、一緒に遊んでくれた、優しいお姉ちゃん。

 繋いだ手にあったその赤い痣は、幼い紺夜の目に焼きついたのだろう。

 再会できたことに嬉しくなって、声をかけてしまったのだという。

 それから、帰る時間が重なると、一緒に帰るようになった。

 いつも、こんな遅い時間帯だけれど。

「私は、はっきりとは覚えてないので……それだけで送ってもらうのも、なんだか申し訳ないですね」

「いいんですよ。ぼくが好きでやっていることですから」

 他意はないとわかっていても、異性からそんなことを言われると、少しドキリとする。

(いやいや! こんな優しくて素敵な人が、私みたいなパッとしない人間を気にしてくれるわけないってば)

「……でも、気をつけてくださいね。夜道は危ないことが多いですから。――……ぼくは、この時刻でなければ普通に歩けないけれど――……あまり遅くならないように、気をつけてくださいね」

「えっ? ――はい、ありがとうございます。気をつけますね」

 途中の声は小さくてよく聞こえなかったけれど、ひとみは頷いた。確かに、今の世の中、女性の夜の一人歩きは危ない。

(だから、紺夜さんは私を見かけると声をかけてくれるんだよね。……私より、よっぽど紺夜さんのほうが優しいと思うけどな)


 ――パチッ!


 突然、背後で、静電気が起こったような音がした。

「?」

 ひとみが足を止めて振り返ると、紺夜にも聞こえたのか、同じように立ち止まって背後に目を凝らしている。

「紺夜さん、今、何か聞こえませんでしたか?」

「えぇ……あぁ、街頭の灯りの音かもしれませんね。ほら、時々ジジッとか音がしませんか?」

「あ、切れかけのときとかですね。ビックリした。何かのスパーク音かと思いました」

「行きましょうか。帰りがもっと遅くなるといけませんから」

「はい」

 歩き出したひとみの後ろで、もう一度、紺夜は背後を振り返った。

 そこには、夜が生み出したものでも、街頭の灯りが生み出したものでもない、異質な〝闇〟が、うずくまっている。

 紺夜は薄い唇を開いて、言った。


「……ダメですよ。いくら彼女が〝える〟からって、ちょっかいをかけては」


 ざわり、と、紺夜の髪の端が闇に流れる。

 闇の深いこの時刻、暗がりや闇夜がもたらす不安や恐怖を媒介にして、〝この世にあらざるもの〟の動きが活発になる。ただの人であっても囚われそうになる闇のなか、紺夜の姿が視えるひとみのような人間・・・・・・・・・・・・・・・・・は、より狙われやすい。

 だから、紺夜はずっと彼女を見守ってきた。彼女が地元にいた学生時代も、就職してからはこの都会でも。厄介にも、現代のあやかしたちは、都会の方が多い。その数だけなら、辺鄙な場所よりもずっと多いかもしれない。――この街は、闇が濃いから。

「紺夜さん――? 帰らないんですか?」

「――今、行きます」

 にこりと応じて、紺夜はひとみの後を追う。

 たとえ、生まれた土地から離れて精気を失っても、孤独のなか手を差し伸べてくれた彼女を可能な限り守りたい。

 そのためなら、何度でもあなたに逢いに行く。

 あのときと変わらない、優しい笑顔を目印にして――。







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あやかし逢瀬 やよ @futsukaduki

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