青なる救済

海沈生物

第1話

 出会いは「救済」だった。生まれた村は異端審問が盛んな村であり、生まれつき片目しかない私はもちろんその対象となった。ただし、異端であったとしても殺人は許されていなかった。なので、私は暗い地下室へ軟禁された。毎朝七時に位の低い細身の女性によって残飯が支給される。その時、部屋はドアから差し込む黄金の光によってほんの少しだけ明るくなる。私はその光に恐ろしいほどの魅力を感じた。あのドアの向こうには、いまだ見たことがない光の世界がある。希望とはまた違った、もっと胃が疼いて肉体が熱くなる感覚があった。

 そして、長い地下生活は唐突に終わりを告げた。村の外から来た人々によって村が焼かれたのだ。地下室で寝ていた私は奇跡的に助かった。ただ、それは村を焼いた者たちに発見されなかったという意味ではない。村を焼き終えて撤収しようと思っていた内の一人が、この地下室に入って来たのだ。顔は灰色の物体で覆われているので分からないが、目の部分だけが怪しく光っていた。その目の色は、光と同じ金色だった。

 目が覚めると、奇妙な柔らかさの上にいた。土よりも柔らかいものに驚いて転げ落ちかけたが、二本の手で受け止められた。指先が背中に触れた感触にまた身体を飛び上がらせると、ケタケタと笑われる。


「そこまで驚かなくても良い。それはただの布団という寝るための道具さ。……それにしても、キミって本当に軽いね。よくこんな身体で今まで生きてきたもんだ」


 まるで奇妙なものでも取り扱うように触れてくるのに、つい両手で突き飛ばしてしまう。尻餅をつく彼女の姿を見て自分の行為の意味を理解すると、口で上手く酸素ができなくなる。倒れたままの彼女はその姿にまたケタケタと笑った。


「キミと違って、私は丈夫だからさ。そんなに簡単には死なないよ」


「でも、でも、でも」


「ふふっ、キミの方が先に死にそうだ。深呼吸でもしたらどうだい?」


「すみません。……でも、私を子ども扱いしてませんか? 一応、私は成人しているんですが」


「あぁすまない。あまりに低身長だから、てっきり五歳児ぐらいかと」


 さっきのことを忘れて頬に一発パンチを入れようとしたが、片手で受け止められる。「冗談だよ、冗談」と笑っていたが、その笑みにイライラがまた走る。それをまるで察知したかのように、懐から包み紙の中の丸っこくて青い物体を出してきた。


「食べていいよ」


「食べ物なんですか?」


「これは冗談じゃないってば。飴って甘い食べ物」


 眉に皺を寄せて疑いつつ、渡されたものを口に含む。咀嚼しようと思ったが異常に固い。あんまり本気を出したら歯の方が折れてしまいそうなので、どうしようもなく舌の上で転がす。なんだか不思議な味が舌の上に広がっているが、これが正しい味わい方なのか。小首を傾げていると、女は無言で頭を縦に振ってくれた。いつの間にか、彼女も同じようなことをしている。

 

「美味しいだろ? 小腹が空いた時によく舐めていたんだけど、看護師さんから”医者としての自覚あるんですか?”ってめちゃくちゃに𠮟られちゃってさ。それからは、アレルギーが大丈夫な子どもにこっそりあげることにしてる」


「……よく分からないですけど、それって看護師さんって人にまた叱られるんじゃないですか?」


「いいんだよ。𠮟られたら、また反省して止めたらいい。それで医者を辞めさせられたら、そこまでだよ」


 彼女は着ていた白衣をばっさりとたなびかせると、それじゃあねと去って行く。風のような人だったなと背中を見送りつつ、金色の目の人を思い出す。あの人もここへ来てくれるのだろうか。あるいは助けた人間なんて興味がなく、また他の村を焼きに行っているのだろうか。金色の目を思い出す度、なんだか胸がモヤモヤする。考えれば考えるほど、頭がこんがらがってくる。顔が熱くなって身体中がこそばゆくなる。もう、本当に気持ち悪い感情だ。布団をこっぽりと被ってしまうと、胸のモヤモヤが止まらないままに眠りへ落ちた。


 次に目が覚めると椅子の上で、なぜか私の皮膚は灰色の物体に置き換わっていた。自分の身体であるはずなのに、自分の身体ではない感覚。その気持ち悪さにその場で吐くと、周囲にいた黒服の人たちが一瞬で掃除をしてくれる。この肉体は一体何で、私は一体これから何をさせられるのか。その疑問に言葉として返されるよりも先に、天井が開き、四方八方から光が差し込んでくる。眩しさに目を細めていると、周囲からは歓喜の声が聞こえてきた。その声によく耳を澄ましてみると、「機神様! 機神様!」と言っていることに気付く。黒服の一人が私の隣で跪くと、ニコッと気味の悪い笑顔を浮かべる。


「聞こえますか、聴衆の声が。これは機神の再誕を喜ぶ声です」


「機神って、なに……なんですか?」


「機神は神です。我らの未来を導く演算をその御霊で行い、人々を平等に殺し救済する。素晴らしい神様(システム)なのです!」


「ど、どうして私である必要性が……っ」


「貴女である必要性はないです。ただ、素性不明かつ”付加価値”のある、都合のいい存在が貴女だけだった。それだけの話です」


 天井が閉まっていくと、世界は暗闇に閉ざされる。しばらくして赤色の光が灯ると、周囲にいた人々は去って行く。部屋の中には私の肉体だけが残されている。改造され、もう二度と元に戻らなそうな肉体。どこまでも冷たい灰色の肉体に顔を埋めると、ただ頬に幾筋も涙を伝わせる。救済などこの世に存在しなかったのだ。

 灰色の電気が消える。私は死んだように布団の上に倒れると、そのまま目をつむった。


 それからの日々は虚無だった。私の意思とは関係なく肉体は世界を演算し、人々へ死と生を振りまく。より良い世界を作るため、より良い未来を作るため。そんな大義名分の元、私の心だけが擦り減っていく。それでも狂わずにいられたのは、地下室での長い生活があったおかげだろう。それは同時にあの生活へ逆戻りしたことを意味する。前よりも自由であり、部屋の中なら歩き放題だ。ご飯にも困らないし、何なら食べる必要すらない。ただ、本質的には地下室と大差ない。虚無であることに変わりはなかった。

 そんな日々が続いたある夜のことだ。眠らなくても良い身体なので起きていた。もちろん思考すれば辛いことは確実なので、何も考えずに過ごしていた。そんな時、天井を突き破って人が入って来た。一体何事かと虚無の世界から顔を上げると、あの医者がそこにいた。前よりも若干老けている姿に年月を感じていると、私の両肩に触れてきた。


「キミ、無戸籍の患者から随分出世したね。機神になるなんて」


「貴女こそ、ドアじゃなくて天井を突き破るなんて進化したと思う」


「神の器になれば冗談を言えるようになるのか。いや、本当に成長だね」


 ケタケタと笑っている姿に、本質的な変化の無さを感じる。それでも、虚無とはまた別物だ。彼女と話している間は胸がまたモヤモヤする。変わってしまった肉体でも、その感情にだけは変化がなかったらしい。私がメタリックな唇を噛んでいる姿を見ると、顎を掴み、両目で片目を捉えた。その瞬間、私の身体に電流のような気持ち悪さが走る。それは、そこに見えたのは。


「なんで、貴女が……」


「やっと気付いた? 私はキミを助けた騎士。そして医者でもあり、キミを神の器として”差し出した”悪魔でもある」


 黄金色の目。その色は私の「救済」の象徴だった。とても恐ろしいほどの魅力を持ったものだった。けれど、今。金色は「救済」ではない、何かに変わった。もっとおぞましいもの。救済という言葉の奥に潜む、全てを飲み込む強烈な悪意。彼はケタケタと”悪魔”のように笑う。


「私はね、ずっと昔からこの国が嫌いだった。人為的な運命を生み出す神を尊敬し、死ぬことに対してなんら疑問を抱かない国民どもが嫌いだった。だからね、キミを地下室で見つけた時に可能性を感じた。私がこの国を絶望から救える。永遠のように続く絶望からすることができる。そんなことを、ね」


 私がパンチをすると、彼女はその顔面で受け止めた。かつては軽かったパンチは、いつしか重いものへと変わっていた。機神なんかになったせいか、あるいは時間が経てばいずれそのようになる運命だったのか。垂れた鼻血を拭うと、彼女は今まで見たことがないような微笑みを見せる。それはとても穏やかで、優しいものだった。


「今、私はキミを殺せる立場にいる。私はキミが機神になる過程において、あるバグを付与しておいた。今日この日、私とキスをしたら物語を書くバグをね」


「もう十分、苦いですよ」


「ふふっ、そうだね。……それで、キミは自ら死にたいかい? それとも、私に殺されたいかい?」


「機神に殺される可能性は?」


「ない。なぜなら、私は数時間後に死ぬ運命を書かれているからだ」


 この人は、本当に。胸のモヤモヤが収まっていく。こんな肉体を持っても尚、演算することができていなかった問題が、今解けた。私は彼女に近づいていくと、まだ垂れている鼻血を舌先で掬った。……甘い。とても甘くて、でもほろ苦い。

 私は金色ではなく、青色を見る。いつか私が生まれた時のことを思い出す。両親は私の瞳を、コバルトブルーだと気味悪がっていた。だから、片目を切ったらしい。それでも残った片目も切られようとしたが、ちょうどそこへ一人の騎士がやってきて、止めてくれた。その人の名前や顔は記憶にない。ただ、私の記憶には同じ青の瞳が見えていた。天から射す金色の光に包まれて、しっとりとした青が見えたのだ。だから、私は。


「貴女が私の救済であるのなら、私もそうだから。だから……」


 ドアが開いて黒服の人たちが入ってくる。喧騒なんて無視して、私は彼女の唇を奪った。

 そうして、私たちの「救済」はここに成った。

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