玉サバの治療

高黄森哉

塩水浴

 金魚が鱗を逆立てて、息を苦しそうにしている。松かさ病といって、死に至る病である。俺は腹が立った。腹が腹水病のように張る。なんで、俺が飼ってきた金魚は、どうしていつも病気に冒されて死ぬのだ。ぶちまけたい気持ちが溢れ、惨めさで浸された気分だった。どうも、むしゃくしゃする。いや、ぐちゃぐちゃする。


 赤く充血するのは金魚だけではなく俺もそうだ。こんな金魚ばかり俺のところに保織り込む、金魚すくいの神様を、金魚色に染め上げてやろうか。取っ組み合いが始まって、気が付いたら錦の残骸がそこら辺に転がっているのである。そのぼろきれは、元々神様だったものなのだ。


 むしゃくしゃするが、当たるものもないので、大人しくしていると、段ボールが目に入った。俺が子供の時にかった図鑑が入っていたはずだ。飼育と観察。この身もふたもない題名が自分のやり方の基礎になっていると思うとこれが与えた影響はとんでもなく大きい。


 俺が飼育した人間は数知れない。勿論、飼育と言ってもガレージに閉じ込めるわけじゃない。ただ、単に飼い慣らすということだ。そして、観察をする。そこで得た知識をつなげていくのである。数珠つなぎに群れる金魚、のドーナツ。


 俺は女を呼びたい気分になった。それは会社で飼い馴らした女だ。都合のいい時に呼べば来る。都合の悪い時に呼んでないのに来ることも多々あった。嫌な奴だ。金魚みたいな顔をしやがって。嫌がらせとしか思えない。俺が金魚に呪われているから、あの女は、嫌がらせのために金魚の顔をして俺の前に現れるのだ。きっとそうだ。そうにちがいない。


 つまり当てつけである。


 俺は電話番号を押した。そして、繋がった電話に向かってここに来るように要求した。女の声はあわあわしていた。きっと電話の向こうで、金魚のおちょぼ口が開閉を繰り返している。飼育している金魚のエラが開くたびに、その隙間からイカリムシが飛び出すことを思い出して、不快になった。そら、またやった。まただ。女が俺に金魚を …………。


 俺は図鑑を読む。ページを捲るたびに、眼をスパッと切りやしないか心配になる。一回もそうなったことはないが、用心するに越したことはない。眼を軽く切ったことは一度ある。学生の頃、後ろに回されたプリントが目を掠めたのだ。


 女が来た。それは丁度、金魚の飼い方が解説されている章を読んでいた時のことであった。金魚の病気は大抵は塩水浴で治るそうだ。俺は女を殴ることを計画した。塩水を集めるため。女の涙でいっぱいの金魚鉢に金魚を泳がして、可哀そうな一匹の魚類と、俺の鬱憤を解決する作戦。


 ここまで考えて、ふと思考が金魚に支配されていることに気が付く。金魚からはどうしても逃れられないようだ。無気力で、ランチュウのように浮腫んだ脳みそは、ふやけて鈍い。女は部屋に入ると、俺が何も言わずに突っ立っているので、じらされて水泡眼のようにほっぺたを膨らます。俺は考え事に沈み、まなこを上に剥く。まさに天頂眼のような表情だ。待ちきれない女が、俺に寄りかかると、スカートが土佐金の尾のように広がった。太った俺は今、玉サバだった。


 しょっぱい。涙におぼれていく。俺を逆立てていた鱗の病気が癒えていく。皮肉と虚勢でたっぷりの俺の容器が女の涙で満たされていく。夢心地で周りの景色が丸く、シャボンのような虹色の透明を見せる。夢の心地で水中で尾を振る。冴えた閃きが金魚の図形をもって浮上する。こうしよう。俺はいま、玉サ、バ。

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玉サバの治療 高黄森哉 @kamikawa2001

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