猫と僕とそれから君と

かずみやゆうき

第1話 猫と僕とそれから君と

「ただいま……」 


 静かな空間に乾いた声が響く。

 僕の帰りを待っていたのだろうか?今日もすずは玄関で寝そべっていた。


 彼女はゆっくりと立ち上がると背中を伸ばしながら大きなあくびをする。僕は彼女の頭を優しく撫でる。


「にゃっ」


 これはきっと、『遅いよ』なんだろうなと思いながらワンルームの部屋へ入っていく。彼女は僕の足に、時折尻尾を絡ませながらついてくる。


 スイッチを押すと暖色の灯りが必要最低限のものしかない殺風景な部屋を照らし出した。

 冷蔵庫の横に置いている彼女のお皿を見ると朝あげたカリカリは全てなくなっていた。


 彼女は周期的に食欲旺盛の時とあまり食べない時がやってくる。昨日も完食だったので、今は食べるモードなのだろう。

 僕は、冷蔵庫から彼女の大好物の猫缶を取り出すと、いつもより多めにお皿に盛り付け、ラップをかけレンジで七秒温める。

 美味しそうな匂いがしているチキンのジューシー仕上げという名のおかずの周りに、カリカリを入れる。


「にゃぁー」


 これは、『早く!』なんだろうななんて思いながら、「はい。お待たせ!」とお皿をおくと、すずは、もう一度「にゃぁー」と鳴いた後、喉を鳴らしながらご飯を食べ出した。


 僕は、彼女が機嫌良く食べている姿を微笑ましく眺めた後、皺が入りよれよれのスーツをハンガーに掛けると、シングルソファーにバタンと倒れ込んだ。



 いつのまにか眠ってしまったようだ。

 すずが僕の膝の上でくつろいでいる。彼女の身体は真っ白な毛に覆われているのだが、右足の下の方だけ黒い毛で、ハートマークの様な形を作っている。それが彼女のトレードマークだった。


 僕は両手で彼女の耳を優しく撫でる。「にゃっ」と短い声を上げる。きっとこれは、もっともっとなんだろうな。

 彼女は、頭や喉元ではなく、耳を触られるのが好きなようで、僕が耳を撫でると彼女は途端に目を閉じてうっとりとするのだ。


 スマホを見るともう十一時を過ぎていた。なんだか中途半端に寝てしまった。まぁ、明日は土曜日で休みだから良しとしよう。正直、お腹はあんまり減っていない。でも、最近痩せたんじゃない?と会社でよく言われるし、やはり少しは食べておいた方が良いのかもしれない。


 そう思った僕は、カッターシャツとスラックスを脱ぐと、着古したスェットに着替えコンビニへと向かうことにした。


 玄関のドアを開ける。

 その時、予想だにしないことが起きた。


 いつもは玄関で大人しく見送ってくれるすずが、ドアの隙間からすごいスピードで外に飛び出してしまったのだ。


「あっ、すず!!!!!」


 夜にもかかわらず大声で叫んだものの、すずは僕の方を見向きもせず、向かいの家の低い塀を飛び越えて見えなくなってしまった。


 確か、この古い一軒家には今は誰も住んでなかったのではないだろうか?

 以前は、老夫婦がこの家から出てくるのを何度か見たことがあったが、葬式の黒縁の案内板が玄関に飾られた日から、人の気配を感じることは一切なかった。ただ、小さな庭や玄関先の雑草は定期的に綺麗に刈りとられているので、誰かが時折掃除をしているんだろう。


 僕は、その家の庭に入って行きたい衝動を堪え、朝方まで、彼女が消えた辺りを中心に探し続けたのだが、結局、見つけることは出来なかった。


 部屋猫のすずは、きっと外の世界ではそんなに長く生きられないのではないだろうか?僕の不注意で彼女の命を縮めてしまった……。

 僕は、ベットに倒れ込むとこれまで感じたことのない喪失感と後悔で涙を流した。



 翌朝、日が昇ると、僕は再びすずが消えた向かいの家の塀へ近づいて行った。


「すずー!すずー!出ておいで!」


 僕はいつものように呼びかける。


 そういえば、彼女は、僕がトイレに入ろうとドアを開けると、その瞬間を狙って先に入り込んだ。そして、風呂を洗おうとした時も、クローゼットの扉を開けた時もそうだった。でも、玄関では一度もそんな事は無かったのに、、、どうして……。

 後悔先に立たず……。まさにその通りだ。

 

 僕は、懸命に呼び続けた。

 だが、彼女の姿は見えない。


 今度は大きな声で「すずー!!すずー!!」と叫ぶ。

 すると、古びたドアがカチャリと音を立てゆっくりと開いた。


「あのー、今、私を呼びましたか?」


 その家の中から、とても可愛らしい女性が顔を出した。

 僕は全く予期せぬ出来事に言葉を失っていた。


「あのー、、どうかされましたか?」


 もう一度彼女は、僕に向かって言葉を発した。

 僕は、体の力を抜くと、昨夜のことをできるだけ簡潔に話す。


 彼女は、「まぁー!随分お転婆さんなんですね」と言うとくすくす笑っている。

 僕は、昨夜からずっと悲壮感満載で、いたたまれない気持ちだったのに、何だか拍子抜けしてしまい、ついつられて苦笑いしてしまう。


「大丈夫ですよ。彼女はあなたの事が大好きみたいだから、すぐに戻ってきますよ」


 初めて会った彼女の言葉が何となく的を得ているような気がして、僕はほんの少しだけ気分が安らいだ。


「さっき、貴方が私の名を呼ぶもんですから驚いて玄関先に来たんですよ」

「えっ!?もしかして、貴方の名前は、、すずさんなんですか!?」

「はい。実はそうなんです。だから、さっき貴方からすずちゃんの事を聞いたらなんだか親近感が湧いちゃって……。可笑しいですよね」


 そう言いながら彼女はまた、小さくクスッと笑った。



 

 あれから一年が経った。

 結局、すずは僕のアパートには戻って来なかった。

 ただ、僕の隣には違うすずがいて、今も優しい目をして僕を見つめている。


 本当に不思議だ……。


 彼女は、良く食べる時とそうでない時があった。そして、チキンを柔らかく焼くジューシーチキンが大好物で、耳を撫でるとうっとりとして僕を見つめるのだ。しかも、右足首にはハート型の小さなあざがある。

 そう、、まるで、もう一人の彼女のように……。


僕は、彼女に呼びかける。


「すず、、大好きだよ」






「ニャッ」






 終わり




- - - - - - - - - - - -


如何だったでしょうか?

大好きなご主人と一緒にいたいあまり、すずが人間のすずになったのでしょうか?


猫の表情を見ると、人間っぽいと思う時があります。

今、貴方の近くにいる猫ちゃんももしかすると……。



拙い小説を書いています。

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