第7話 暴飲暴食バカップル

 冬至を過ぎたとて、冬はまだまだ厳しい。人々は室内に籠りがちになり、温もりを求めて銘々の方法で暖を取る。ある者は暖炉の前に座り、ある者は毛布や分厚い衣服に身を包み、ある者は暖かい飲み物を腹に入れる。その一方で馬鹿どもは。

「「かんぱーいっ!」」

 昼間からアルコールで体を火照らせていた。


 馬鹿どもにも言い分はある。北大陸北西部に位置するシルバーウィング帝国は、冬の寒さが一段と厳しい。その為冬の始まりは備蓄品の追い込み需要で一定の依頼や納品需要があるものの、冬至の頃になるともはや無用な外出をして余計な備蓄消費を抑えようとする傾向がある為、依頼はもとより素材の買取市場そのものが極端に縮小するのである。もう少し南の国であればまた事情は変わってくるのかもしれないが、少なくともシルバーウィング帝国内における冬の経済活動は、まさに死と氷に支配された文字通りの「冬の時期」なのである。

 その為、シルバーウィング帝国は厳しい冬の時期を室内で過ごす事が圧倒的に多く、室内で暖を取る手段としての風習がいくつもある。そして冬に昼間から酒を飲むというのも、そんなシルバーウィング帝国では非常によくある、ありふれた風習のうちの一つなのである。


「かぁーっ、寒い日はストレート、これに限るね」シードルが琥珀色の液体の入ったグラスをこつんとテーブルに置く。馬鹿の一つ覚えの様にウイスキーばかり飲んでいるが、これにもきちんと事情がある。

 何てことはない、シードルは大多数の人々が愛飲し、酒の定番とも言えるビール類が非常に苦手なのだ。苦み、風味、喉越し、香りと、とにかく全てがこれ以上ないくらいにガッチリ噛み合ったように苦手で、一つも好きになれる要素がないのである。うっかりシードルに善意のつもりで「一杯奢る」などと言ってビールなんて差し出したものなら、「喧嘩売ってるのか」と突き返されてしまうだろう。そうやってビールから逃げるための酒を探して行き着いたのが、ウイスキーだったのである。宴の席で少ない量をゆっくり飲んでいたとしても不用意に飲め飲めと外野に絡まれる事もなく、自由なペースで飲んで楽しめるというのが彼にとって都合がよかったのである。

 そんな「逃げ」から始まったシードルとウイスキーの付き合いだが、愛飲し続けるのは素直に味や風味といったものに魅力を感じ、気に入っているからに他ならない。高い度数故にアルコール臭はやや強いが、その中にも華やかさを感じるのは酒好きだからだろうか。舌の上に乗せればピリピリと刺激し、口の中で膨らむような感覚を味合わせるその液体は、飲み込むと喉をガツンと熱するような温かさを広げる。そして脳を、もっと具体的には額の奥辺りを、漠然とした靄に包み込み、熱を持たせる。所謂酔いだ。

 度数の高いウイスキーが飲めるのにビールが飲めないなんて、と言われる事もたまにある。しかし、シードルにとってアルコールの度数がどうこうという問題ではないのだ。それ以前に「不味い」が来るので飲めないのだから。


 シュールリーもシードルに合わせるようにしてウイスキーばかり飲む。彼女もビールは苦手……というより、敵視していると言ってもいい。

 彼女とビールの因縁は深い。事の発端は彼女が4歳の頃、夏の終わりを告げるティダフラウ祭での出来事から始まる。

 当時の彼女は、シードルからもらったお気に入りのハンカチをいつも持っていたのだが、これを口に咥える癖があった。当然その日もハンカチを持っており、口寂しさを紛らわす為にハンカチを口に咥えていた。が、宴が開かれている広場にて事件は起こった。とある酔っ払いがついうっかり、テーブルでビールのジョッキを倒して、その中身をぶちまけてしまったのである。そして酔っ払いはあろうことか、たまたま近くにいたシュールリーから「嬢ちゃん、ちょっと借りるぞ」と言ってハンカチを奪い取り、そのハンカチでテーブルにこぼしたビールを拭き取ったのである。お気に入りのハンカチを突如奪い取られたこともギャン泣きする程の悲劇であったが、戻ってきたハンカチをついいつものように口に入れてしまった事で悲劇は加速する。

 お気に入りのはずだったハンカチから押し寄せる圧倒的アルコールの悪臭、口に含んだ際の苦み、えぐみが、4歳児の小さな体に備わった感覚器を冒涜する。

 当然吐いた。そして倒れた。

 その後の事はよく覚えていないが、この一件以来そのハンカチはシュールリーの元に戻ってくることはなかった。

 これだけでも相当なトラウマものだが、以降彼女の人生でビールは毎回碌でもない事をしでかしてきた。シードルとのデート中にビールがかかって彼女のお気に入りのワンピースを汚してしまう事があったり、友人に貸した書籍がその父親が溢したビールによって水没したり、とにかくビールに関しては碌な思い出がないのだ。彼女がビールと敵対するのもやむなしと言えるだろう。

 要するに、彼女はビール以外の酒なら何でもいいのでウイスキーをシードルとともに飲んでいるのである。


「お待たせしました、揚げ芋とグリルチキンのセットです」ウイスキーをあおる二人の元に、フォカッチャが料理を並べる。

「おぉー待ってました! ありがとね!」

「いえいえ。それにしてもお二人ともお酒強いですよね。ウイスキーって度数結構あるから飲みづらいものだと思うんですけど」既にだいぶ減っているウイスキーのグラスを見ながらフォカッチャが言う。この分だとすぐにまたおかわりを注文するかもしれないと判断したのだろう。

「いや、そうでもないよ? 特にこの店で出してるウイスキー、多分ウィンガーウイスキーだよね? 甘めの香りがあって樽臭さが少な目って感じで飲みやすいし。これがファングスとか南の方のウイスキーだともう少し癖が強くなって、あんまりグイグイとはいけなくなる」そう言いながらシードルはウイスキーの入ったグラスをフリフリと見せびらかすようにして掲げる。

「まぁアタシたちはずっとウイスキーと言えばウィンガーって感じで飲んできたし、この味に慣れ親しんでるからっていうのもあるかもしれないわねぇ」そう言いながらシュールリーは早速揚げ芋に手を伸ばす。ホクホクと柔らかな湯気を立てる揚げ芋が瞬く間に数個シュールリーの胃袋へと消える。

「違いねぇ。前にテイルスウイスキー飲んだことあるけど、あれは熟成に使ってる樽がこの辺とは違うのか木材系の味が強めで俺はあんまり好きじゃなかったな。リザードテイル出身の連中からしたらまた逆も然りなんだろうけれど」

「へぇー……ウイスキーにもいろいろ種類があるんですねぇ。私からすれば全部似たようなものだと……」

「確かにあんまり飲んでないとそうなるかもしれないわねぇ。でもほら、興味ある事とかって自然と詳しくなっていくものだしね? アタシらはたまたまそれがウイスキーだったってだけよ。同じ酒でもビールなんかだとアタシったらまるで駄目だし」

「うん……ビールはアカン……全部同じように不味い……」シードルが露骨にテンションを下げる。そしてそれを振り払うかのように勢いよくウイスキーのグラスに口を付け、グイッと一気に飲み干す。

「嫌いなものの事を話すよか、好きなものに夢中になろうぜ! ってことでフォカッチャちゃん、ウイスキーもう一杯頼むわ!」


 二杯目のウイスキーが届いてからは、二人は暫く揚げ芋とチキンに舌鼓を打った。

 シルバーウィング帝国内では養鶏技術が確立されており、地域によって特有の飼育方法による細分化がなされ、ブランド化までなされている。

 ネズミの小皿亭で提供されているのは、その中でも肉の歯応えと脂の甘味に定評がある「アンガーブラウン」という品種の鶏だ。気性が荒く活発に動く品種で、その気性の荒さを利用した闘鶏なども盛んに行われている。

「やっぱさ、この皮だよ皮! パリッパリ! 油を吸わせたバゲットの上に乗せて一緒に食うともう最高で止まらんわ!」

「わかりみの塊しかない。皮の食感良いよね! チキンの柔らかな歯応えとの間にあるいいアクセントになってるというか」

 二人して口をもごもごさせていると、あっという間に揚げ芋の山が無くなる。バゲットの方もチキンの皮のおかげでもうすぐなくなりそうだ。しかし……。

「何てこった……。シュル、俺まだお腹いっぱいになってない」

「シー君、毎度思うけれどそんなに食べてどこに入ってるっていうの? ずっと食べるの見てたけれど、それで足りないって燃費悪すぎでしょ」シュールリーが笑いながらシードルにメニューを渡す。

「言っとくけど俺の胃袋にも限界があるからな? 無限に入るわけじゃないからそこは安心してくれ」そう言いながらメニューを受け取ったシードルは、しばしそれを眺めてはページをめくる。

「うわー、悩むな……。フライドフィッシュかミックスチーズピッツァか……。今の俺の中ではその二択だよ。どっちも食べたら絶対キャパオーバーするけど、どっちも食べてみたい。あー悩ましい!」

「アタシも少しは手伝うから両方頼んでみる? と言っても流石にアタシは普通のか弱き乙女だから、シー君ほど入るってわけじゃないけれど」予防線を張りつつシュールリーが提案する。体系的には彼女の方が食べそうな気もするが、シードルに比べると普段のカロリー消費が圧倒的に少ないのだ。当然、その分食事量も一般人並みの量で済む。

「言ったな? 揚げ物とチーズでどっちもカロリー爆弾だからな? 後で悲鳴上げても一切責任取らないからな? 乗った」シードルが済みませーんと右手を挙げて追加のオーダーを取った。


「お待たせしました、ミックスチーズピッツァです」

 テーブルの上に乗せられたのは、チェダーチーズ・カマンベールチーズ・モッツァレラチーズの三種類が使用された、トマトソースのピッツァである。直径にして20㎝程であろうか、まあまあの大きさである。窯で焼いた熱がまだ残るホカホカの仕上がりで、ピッツァの生地特有の少し粉っぽい独特の風味ある香りが食欲を掻き立てる。

「うっほぉー! こいつぁ美味そうだ! さっそくカットしていくぜ」

 シードルは一緒に運ばれてきた小皿の上に乗せられたピザカッターを手に取り、十字に二回切った後、更に二回切込みを入れて八等分にする。

「いただきまーす!」

「じゃあアタシもいただきまーす」

 二人はピッツァを一切れ取ると、ぱたりと二つ折りにして畳み、そのままぺろりと口の中へ一口で放り込んだ。この食べ方だとチーズが引き伸ばされることなく、効率的に食べる事ができるのだ。

「うーん、いい! いろんなチーズが混ざり合ってて濃いね! これまたウイスキーが進むわぁ」ピッツァを飲み込んでからシードルがまたもウイスキーをグイグイ行く。中々のハイペースだ。

「トマトソースがいい感じの酸味でチーズのくどさを中和してるのがいいわね。あと生地のパリパリ感も最高!」シュールリーもシュールリーでピッツァを飲み込んだ後にウイスキーをあおる。それを見てシードルの理性が何かを感じ取ったのか、ふと気付きを得たような表情になる。

「っといかんね。ついつい美味いものがあると酒が進み過ぎてペースが早足になりがちだわ。そろそろチェイサー入れないと。すいまっせーん、こっち水貰えますかぁー?」

 シードルやシュールリーが酒に強いのは、この部分にある。酔っぱらったとしてもちゃんと合間合間に水を飲み、ペースを乱さないようにするのだ。


 運ばれてきた水を適度に飲みつつミックスチーズピッツァを楽しんでいると、ようやくフライドフィッシュがテーブルに到着した。何気なくテーブルに登場したこのフライドフィッシュであるが、海産物であるこのタラが内陸地であるスパロウウィングの街にて提供できることも、ひとえに冷却魔法による輸送技術の発達のおかげである。

「あぁー揚げたてのいい匂い! さっき揚げ芋食った後だけど、それとはまた違う揚げ物の匂いがしてたまんねぇなぁ!」

 さっそくシードルがナイフをフライドフィッシュに突き立てる。サクッサクッと軽快な音と共にブリンと姿を現したその白身は、衣に使われたものとは違う、魚が本来持つ繊細な旨味を持つ脂分をたっぷり含んでおり、切られた箇所からじゅわあーっと一気にそれらが溢れ出る。

「あぁー、良い! タラ美味い! 白身最高! 衣の油に負けてないしっかりとした味わい!」一口食べただけでオーバーな程のリアクションで味を表現されて、食べられたタラもさぞ食品冥利に尽きるといったところだろう。

「ふふふっ、ホントシー君美味しそうに食べるよねぇ」

「そりゃそうよ。美味しく食う事は食われた食材への最大級の感謝の形の表れだし、それを調理した人への感謝にもつながる。美味い飯を美味しく頂くって、馬鹿程当たり前だけど超大事な事だぜ」そう言いながらもまたシードルはザクザクと白身のフライにナイフを突き立て一口大にし、ひょいと口の中に入れる。食が止まらないとはまさにこの状態の事だろう。

「中々に良いこと言ってるようだけれど、それって単純にシー君が食いしん坊だっていう事だよね?」

「そうだよ」

 一拍置いて、二人の笑いが響き渡る。何とも他愛のない馬鹿な男女二人によるやり取りであるが、まぎれもない幸福感がこの場には満ち足りている。

「よっしゃ、良い感じに腹も膨れてきたし……」

「そろそろお開きにする?」

「えっ」

「えっ」

 数秒の間。フリーズした二人の時間を切り崩したのはシードルの方だった。

「俺、締めにデザートでも頼もうかと思ったんだけれど」

「まだ食べるの? いや、そりゃー"デザートは別腹"とはいうけれども」

「事実それを見越しての食事配分だし……」

「し、シー君……何て恐ろしい子……!」シュールリーは雷が落ちたような顔をして驚くばかりであった。


 かくしてテーブルに並べられたのは、シードルが締めに注文した冷凍されたカットフルーツの盛り合わせである。柿、瓜、リンゴ、オレンジ、ブルーベリーと、色鮮やかなラインナップで、それぞれが固すぎない程度に絶妙な温度で凍らされている。

「不思議だよなぁ。こう見るとただ凍らせただけなのにめちゃくちゃ美味いんだよなぁ、フルーツって」凍った柿を一切れ口に入れつつしみじみとシードルが言う。

「アタシは冷凍フルーツの不思議よりもシー君の体の不思議の方が気になるよ。長年付き添った仲だけど、永遠に解き明かせる気がしない」シュールリーは完全に呆れている。

「そんな寂しいこと言うなよー。ほら、シュルにも少しやるからさ」

「……まぁ、ブルーベリーくらいならちょっとだけ」それでも少しもらうあたり、シュールリーもシュールリーである。

「思うんだけどさ、俺がこれだけ食えるのに太らねえっていうの、体温維持に殆どエネルギーを使っているからなんじゃないかなって」

「どうしたの急に。嫌味?」シードルの唐突過ぎる話題がシュールリーの脇腹に刺さる。その脇腹はややふくよかであった。

「いやそういうのじゃなく。俺も聞きかじった話でしかねえんだけれどさ、ヒト類って体温の維持に結構なエネルギーを消費してるんだってさ。で、俺有翼人じゃん? 翼まあまあデカいじゃん? だからデカい分表面積が広がって冷えやすいから、体温の維持コストが上がってんじゃねえかなって」

「えー? その理屈だったらアタシの方が痩せてて大食いじゃないと辻褄が合わなくない? シー君の翼羽毛じゃん。超あったかい。けどアタシ皮翼だよ? ウィングウォーマーが無いとさーむい寒い。体温維持だけじゃシー君ほどヒョロくはならないよ」

「あー……いや待てよ、夏場は? 俺夏場は逆に羽毛が熱籠ってめっちゃ暑いけど」

「……皮翼から熱を逃がすからそんなに熱くないです、はい」

「ほらぁー、やっぱ体温維持だって。良かったじゃん、永遠に解けそうにない謎が解けて」

 しかしシュールリーは腑に落ちてない。

「でもシー君より食事量少ないのに太ってる有翼人いるじゃん。やっぱおかしいってシー君の体」

「それは……」反論できなかった。シードルは見事謎の存在になってしまった。

「くっそぉー、教えろぉ教えろぉ! 何でシー君なんもしてないのにそんなに痩せてんだぁ! 人の気も知らないでさぁ、ずりぃぞ、アタシに教えろぉ!」

「うっるっせっ、知らねえよ! 俺だってわかんねえことをどうやったら教えられんだよ! そもそもシュルは無理して痩せんでもよろしい!」

「またそう言うー。このデブ専ー」

「ちげぇし! てかシュルデブじゃねえだろ」

「じゃあ特殊性癖持ちー」

「変態性が上がってるからやめろぉ!」

「へーんーたい! へーんーたい! シー君ドスケベへーんーたい!」

「歌うなぁ!」


 完全に収拾がつかなくなってきた。いよいよアルコールが脳をポンコツ化(もともと結構なポンコツであるとは言ってはいけない)させて酔っ払いモードのようである。

 これ以上馬鹿どもの醜態を見せつけるわけにはいかないのでダイジェストでお送りするが、吐いたり店内で潰れたりすることはなく、きちんと二人の自室まで戻る事が出来たことだけは酒飲みとして立派な所だろう。だがそれで結構限界が来てしまったらしく、互いにベッドに倒れ込むようにしてそのまま寝入ってしまった。健全と言えば健全である。

 おや読者諸君何か残念そうだな。変な期待をしていたようだが、この二人は馬鹿どもである。過度な期待をしない方がいい。


 いずれにしても、冬は続く。

 しかしそんな冷たく厳しい季節であっても、人々の、特にこの馬鹿ども二人の間には、温かなものがしっかりとともっているようだ。

 人は、冬を生き延びる術を持っている。

 バカップルの人生は、苦難をそうとは思わせぬほどに希望に満ち溢れたものとなるだろう。


 なお翌日、頭痛と嘔吐感を抱えシジミ汁を飲む有翼人とサキュバスがネズミの小皿亭にて発見された。

 せっかくきれいに締めようとしたのに台無しである。

 本当にこの馬鹿どもは……。

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空飛ぶバカップル 子供戦車 @ChildChariot

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