第6話 新人冒険者とバカップル
フラウチル祭から一夜明けた翌日、スパロウウィングでは今シーズン初の降雪を観測するなど、冬がいよいよ本格化し始めた。時折凍て風が容赦なく吹き付け、顔等の無防備な個所に冬の洗礼を浴びせかける。
「寒い……サブサブ……」ネズミの小皿亭を出てすぐにその洗礼を浴びたシードルは、思わず翼で身を覆う。室内の空気によってしっかり暖められた羽毛は保温性能抜群であるとはいえ、この寒さでは冷えていくのも早いだろう。
シードルは羽毛である為まだいい。問題は皮翼のシュールリーである。
「あーもう嫌んなっちゃうわ! 何か一気に冷えてきてない? フラウチル祭が終わったからってチルレクイエム本気出し過ぎだし!」
ぶるるっと体を震わせるシュールリーは、ぴったり皮翼を体に密着させている。そしてその皮翼もまるでそこだけ別の生き物になったかのようにフルフルと小刻みに振動している。所謂シバリングである。
そう、シードルの羽毛に覆われた翼とは異なり、シュールリーの翼は皮翼であるが故に体毛がほとんどない。顔と同じく素肌を晒しているのである。
「それに乾燥してきて指先や翼の先がちょくちょく
「うー、シー君温めてぇ」シュールリーがシードルの背後からガバッと抱き着く。ここだけ見ればラブラブカップルのイチャイチャしたやり取りなのだが、生憎こいつらは馬鹿である。
「びゃああああぢべだびひぃいぃいぃーっ!?」一気に30歳以上加齢したような野郎の情けない濁声による絶叫が轟く。
「むっふっふっ、これぞ"氷の手"……なんてね」
「シュールリーさぁん!? 流石に怒りますよぉ!?」
「まあ冗談はさて置き」
「冗談として置かれた!?」
「そろそろ新しいウィングウォーマー欲しいかなーって思うんだけれど、どうでしょう、シー君?」
ウィングウォーマーとは、その名の通り翼が冷えないように温める為の衣類である。サキュバスや
この二人の場合、自力飛行をするシードルは(羽毛がある事も手伝ってか)使わない派、牽引されての飛行がメインのシュールリーは使う派である。
「去年まで使ってたやつじゃダメなん?」
「まぁあれも割と長い事使ってるから、ちょっとみっともなくなってきちゃってるのよね。それに最近のやつはもっとお洒落だし。ね? まとまった収入はあったんだから少しくらいアタシに投資してもいいんじゃないかなー?」サキュバス特有の魅力をたっぷり使った媚びっ媚びなアピールをする、が……やはり物心ついた頃からの長いお付き合いであるシードルには耐性があった。
「はーいストーップ、悪戯する悪い子には買ってあげましぇーん」ガキか?
「ちくせう、これだから羽毛持ちは」
「ひとまずギルドからのお呼び出しの方が大事だ。緊急な内容らしいし。……レポートの内容に不備でもあったかな」どうなのかしらねぇと話し合いながら、二人は冒険者ギルドの敷居を跨いだ。
「あっ、ちょうどいい所に! シードルさん、シュールリーさん、お二方ともお待ちしておりました!」
出迎えたのは受付嬢のエメラァである。するりするりと二人の前まで滑り出た彼女の手元には、何かの書類が握られている。
「急な呼び出しにも拘らずお越しいただきありがとうございます。こちらにかけて頂けますか?」
「それで、要件って何かしら。レポートにどっか不備でもあったかしら?」シュールリーが着座しながら訪ねる。
「いえ、そちらについては問題ありません。毎回良い内容のご報告が上がっていると好評ですよ。……それで、今回緊急でお二方を当たった要件というのが、当ギルドに加入するという新人冒険者への指導案件なんです」
「「新人の指導」」二人して同じ言葉を返す。思わず真顔になってしまう程度には衝撃的だった。
「はい。本来ならカンナさんとクレープさんのパーティが指導に当たる予定だったのですが、カンナさんがちょっとお怪我をされてしまいまして……」
カンナとクレープというのは、シードルたちと同期ぐらいの中堅冒険者だ。オーガのカンナは腕っぷしが強く、2m弱はある自分の身長と変わらないサイズの重い長剣を易々と振り回す豪傑だ。一方のクレープはカンナとは対照的にとても小柄な種族である
二人とも面倒見が良い性格であり、後継を育てる為の教育指導企画には熱心に参加しており、今回の依頼もそういった活動のうちの一つだったのだろう。
しかし、そんなベテラン冒険者だけに動けなくなる怪我とはなかなか穏やかではない。
「あのカンナが? いったい何やらかしたんだよ」
「それが、どうもぎっくり腰らしくて……先日のフラウチル祭当日、運搬作業中にやっちゃったそうで」
「「おぅっふ……」」二人同時に声が漏れた。てっきり魔物に襲われたとか、遺跡の罠にかかったなどで重傷を負ったのかと思ったのだ。原因が日常的であって安堵するとともに、拍子抜けしてしまった。
「それで、クレープさんはカンナさんの看病をされる為、今回の依頼は止むを得ず破棄されてしまったんです。なので、その代役をお二人に努められないかと。勿論、難しいようでしたらお断りしていただいても構わないのですが……」
「断るって言ってもねぇ……」シードルとシュールリーの二人がエメラァの顔色を窺う。その表情は懇願とも言っていい程には切羽詰まっていて、今から代役を探し出すのは無理だと考えているようだった。
「その様子だと、他に頼めるようなアテはないんでしょ? 顔に書いてあるわよ」シュールリーに指摘されると、エメラァは恥ずかしそうに「あうぅ」とそれを認めるような声を漏らした。
「それで、いくら出るの? 当然緊急の依頼っていう事になるから、いくらか割増料金で色付けてもらいたいんだけれど」小汚い話ではあるが、こういう際の金銭の話はきっちりしておかなければならない。むしろここで無償で受けたり通常相場で仕事を受けてしまう事は、冒険者としての価値を下げる事につながりかねない。高い料金をもらうという事は、それだけの希少価値のある信用を得ているという事の証明でもあるのだ。
「本来カンナさん達には3000ゴドお支払するつもりだったので、その2割増し……3600ゴドという事でよろしいでしょうか」
「わかった、それで代役を引き受けるよ」シードルが同意する意味を込めてポンと手を叩く。
「ありがとうございます……! あっ、そうだ、受講者やスケジュールについての詳しい話もしなければなりませんね。こちらの資料をどうぞ」
エメラァがまず二人に手渡したのは、今回冒険の指導をする初心者冒険者たちの情報が書かれた書類だ。どうやら今回シードルたちが相手をするのは3人らしい。
ノミ=オイーレ、種族はオーガ、性別は女性。年齢18歳、身長185㎝、体重70㎏前後。力自慢で得物は両手斧という、わかりやすい白兵型のパワーアタッカーだ。
ブライヤ=エイジュ、種族はエルフ、性別は男性。年齢20歳、身長178㎝、体重60㎏前後。今回の参加者では唯一魔法が使えるようで、"炎の矢"、"氷の礫"、"雷光弾"の所謂「三色魔術弾」が得意との事だ。
アレグロ=アニマート、種族はワーラビット、性別は男性。年齢16歳、身長145㎝、体重40㎏前後。ワーラビット特有の聴覚の高さと敏捷性で索敵や偵察を行う斥候役だ。弓矢を得物としているらしいが、その精度にはあまり自信がないようだ。
「白兵役、魔術師、斥候役がそれぞれ一人ずつ、か。パーティとしてのバランスが整ってるな」資料を読みながらシードルが顎に手をやりながらふむふむと思案する。
「それで今回のスケジュールなのですが、ここより南にある前文明時代の遺跡での実地訓練ですね。既に下調べ済みで安全性は確保されてはいますが、今回のような初心者育成の為に施設内の罠や脅威となる魔物などを完全には無力化させていません」
「成程、教育熱心な事で。となると、遺跡で見つかるようなものも殆ど取り尽くされた後って事かい?」
「そうですね、下調べの段階で結構目ぼしいものは取られちゃってると思うので、そこは初心者たちのトレーニングの為だと割り切っていただきたいところですね」
「出没する魔物の脅威度に関してはどうなの?」
「少なくともシードルさんたちにとっては対処が容易な魔物しか見つかっていません。アラームパトローラーとか、ガーディアンキューブとか。一番強いのでバーナースティンガーでしょうか」
アラームパトローラー、ガーディアンキューブ、バーナースティンガーは、いずれも前時代文明の技術で作られた自立可動型の機械兵器だ。これら前時代の遺物は前時代遺跡内部では珍しくないものであり、こういったものを無力化・回収するのも冒険者の仕事の一つである。回収された機械類は前時代文明の高い技術を取り戻す為に解析されたり、パーツ単位でバラバラに分解され新たなものに生まれ変わったりする。勿論冒険者の中には、これらの解析結果によって得られた技術の賜物を使いこなしている者もいる。
「んー……ガーディアンキューブまでは何とかなるが、バーナースティンガーは初心者にはちょっと危なくないか? 俺とシュルなら全く問題ないけど」
「そこも含めてですね。どう対応するかはシードルさんたちにお任せします。少なくとも、ギルドはお二人の事は高く評価しているんですよ? 相応の結果を出してくれると信頼しています」
「要するに丸投げって事ね……。んじゃあもういっそアタシらなりの対処法に寄せちゃってもいいのよね?」
「えぇ、全てお任せします」エメラァはシュールリーの言葉の真意をあまり深く考えてなさそうな答えを返した。
「あとはー……探索済みって事は遺跡の見取り図とかあるよね。それは貰える?」
「おっと、渡しそびれていましたね。こちらです。但しこちらはあくまでお二方が地形を把握する為だけに所持し、初心者の三人には見せないようにしてください」
「マッピング能力の指導も含まれてる訳ね。了解よ」
「理解が早くて助かります。それで、さっそく明日からお願いしたいのですが……」
シードルが椅子からずり落ち、シュールリーがむせた。シードルが落ちたことでルトルが抗議のテレパシーを送ったが知ったこっちゃない。
「「明日!?」」
「えー、それでは定刻となりましたので改めて皆さんご挨拶をお願いしますね」
翌日……ニコニコ笑顔のエメラァだが、その直前ではシードルとシュールリーに杭でも打てそうな勢いの全身全霊謝罪をしていた。新人教育を前日に無茶振りし、実地訓練が行われる遺跡の下見を強行軍で行わせれば、誰だって口から不平不満が漏れるというものだ。なお下見の強行軍を行った馬鹿二人の口からは白い靄のようなものが漏れた。
「今回"臨時で"君たち初心者の教育を行う事になった、シードル=ショットグラスだ。よろしく」シードルは二度もやりたくはないと言いたげにことさら"臨時"という事を強調した。
「同じく臨時で指導をするシュールリー=ワインセラよ。主に神官の魔法と魔術師の魔法が使えるわ。今日はよろしくね」シュールリーは完全に外交モードにスイッチを切り替えて応対している。流石サキュバスである。
「はいっ! 自分はノミ=オイーレです! 困っている人を助けられるような、強くて立派な冒険者になりたいです! 本日はご指導、よろしくお願いします!」彼女なりに憧れがあるのだろうか、言ってくれと頼んだわけでもないのに冒険者としての理想をハキハキと語るノミは、元気のよい誰からも好かれそうな明るい性格のようだ。
「ブライヤ=エイジュ、魔法が使えます。自慢じゃないですが"三色魔術弾"はどれも得意です。他の魔法はまだあんまりなので、もっと強い魔法が使えるようになりたいです。よろしくお願いします」少し気怠げに、だが自慢げな余裕を隠すつもりもない口振りから察するに、ブライヤは初心者ながらも自分の実力に確かな自信を持っているらしい。
「アレグロ=アニマートっす。冒険者は稼げるらしいんでなってみようと思いました。まだわからないことだらけっすけどよろしくお願いしまーっす」軽薄で緊張感がない話し方をするアレグロが最後に挨拶をして自己紹介は終了した。初心者三人はまさに三者三様といった印象だ。
「自己紹介も済んだようなので、本日の実習スケジュールを私の方から簡単に説明させていただきますね」エメラァがスケジュールの書かれた書類を初心者たちに見せる。
「まず今回は、ここから少し南にあるトレーニング用の前時代文明遺跡の探索を行ってもらいます。事前調査から皆さんでも適切に対処すれば命の危険性はないとされている場所ですが、それでも油断すれば痛い目は見る事でしょう。皆さん、指導員が二人もついているとはいえ、くれぐれもご注意くださいね」
初心者一同に一通り説明を終えた後、質問タイムとなる。が、初心者も初心者なので、何を聞いたらいいべきかあまりわかってないのか、質問が出てこない。
「言っとくけどトイレは途中でやる暇ないからなー。先に済ますか、途中で漏らすかは自由だぜ」沈黙を破ってシードルが切り出す。ノミとアレグロがはっとした表情になる。
「すみませんシードル教官! 先にトイレに行ってもよろしいでしょうか!」
「お、俺もいいっすか……」
「おう行っとけ行っとけ。ブライヤ、お前も絶対行っといたほうがいいぞ」くすくす笑って二人を見送りながら、シードルが残ったブライヤに声をかける。
「っ……! 僕は事前に済ませたので大丈夫です!」
「それなら結構。後は予想外のハプニングさえなけりゃ大丈夫そうだな」
「それじゃ、トイレに行った二人が戻ってきたら早速出発ね!」
遺跡までの道のりは短く、徒歩で精々1時間半程度だった。張り切り者のノミと斥候役のアレグロはしっかり周辺警戒を行いながら歩いていたが、ブライヤは緊張しているのか二人の背中だけを見て歩いている様子だ。もっとも、近場である事もあってそこまで危険性があるわけでもないのだが。
「(ピクニック気分じゃないってだけましかねぇ)」初心者たちの様子を後ろから見守りながらシードルはぼんやり思った。なお一匹明らかにピクニック気分のやつが興奮気味なテレパシーを送っているのはシードルとシュールリーだけの秘密である。
程なくして前時代文明の遺跡まで到着すると、シードルが一旦初心者たちを集めた。
「それじゃ、ここからの注意点の説明だ。これから入る前時代文明の遺跡は、冒険者ギルドがあらかじめ調査したことがある遺跡だ。だが、だからと言って完全に無力化されているわけじゃない。罠の類は解除されてないものもあるし、魔物なんかの脅威もなるべくそのままにされてる」
「「「魔物……!」」」
シードルの言葉を聞いての反応は三者三様だった。
ノミはいよいよか、といった具合に緊張と期待が入り混じった面持ちで胸の前で両手を握りしめ、気合を入れているようだ。
ブライヤは一瞬ブルッと震えたが、すぐにそれを飲み込み、にやりと怪しい笑みを浮かべた。
アレグロはあからさまにぎくりとしている。そしてこいつらで大丈夫かと言わんばかりの不安そうな表情でノミとブライヤの方にちらりと視線をやった後、同じような顔でシードルとシュールリーを見上げる。
「そう硬くならなくても大丈夫よ。初心者でも適切に立ち回れば生きて帰ってこられるから。で、今回あなたたちへの課題は、この遺跡の地図を作成する事よ。遺跡のマッピングは探索の基礎中の基礎で、かつそういう依頼も多いわ。地図だけでもそれなりの価値があるから売れたりもするし」シュールリーが方眼紙や穴開き定規などのマッピングの道具をアレグロに渡しながら話を続けた。
「ここまでの道中と同じで、基本的に俺たちは後ろから見てるだけだ。俺たちに頼らず、自分たちだけで何とかしろ。マジでヤバい時だけ手を貸す。失敗して痛い目見るのも冒険だからな。さ、行った行った」パンパンとシードルが手を叩いて初心者たちに発破をかける。
「はいっ! それでは行ってまいります!」初心者たちは元気のいいノミを先頭に、アレグロ、ブライヤの順で遺跡の内部へと進んでいった。
「……どう思う?」初心者たちが遺跡に潜り込んでからシードルがシュールリーに尋ねる。
「ノミちゃんは元気が良くてムードメーカーな感じがするけど、ちょっと空回り気味なところがあるわね。些か勇み足というか……まだ"役割を任せる"って所に意識が向いてないと思う。わかってたら先頭をアレグロ君に任せると思うし」
「同感。ただアレグロの得物は弓で後衛タイプだからな。前衛に行こうとするのは間違いでもないからどっこいどっこいってところか。ブライヤは?」
「彼は自信家タイプでしょうね。多分戦闘狂。きっと戦闘になると猪武者みたいに攻撃魔法乱発しまくるわね。ノミちゃんとはまた別の意味で他人を頼る事を考えられてないわ」
「この手の手合いは一度痛い目見て心が折れないと駄目だろうなぁ……。で、アレグロだが……二人と比べるとモチベーションは低めだが、やる事は最低限やってる感じはするな」
「あと自分の得手不得手もきちんと把握しているみたいだし、案外この中じゃ一番の有望株かもね? 何かあった際の危機対応能力も見てみたいところね」
遺跡内部に入ってすぐ、初心者たちは松明に火を燈した。敵対者にこちらの存在を知らせる事にもなってしまうが、それ以上に光源を確保するのは重要な事だ。
「松明は僕が持つ。二人は両手が塞がるからな」ブライヤが松明を掲げる。
「ではお任せします! 二人とも、私についてきてくださいね!」気合十分に意気込み進み始めるノミにアレグロは何か言いたげだったが、すぐに諦めその後を追う。
遺跡内部は中央に通路が一本あり、その両サイドにいくつか部屋の入口があるような構成になっているようで、ノミが早速近くの部屋の前で他の二人(と、シードルたち)を待っていた。
「まずはこの部屋から入ってみましょう!」ノミがドアノブに手をかける。
「あっ、バカ何やってんすか!?」アレグロが制止しようとするが、ノミの手はドアノブをしっかり握り、ひねる。
がちゃん、がちゃんっ。
「……鍵がかかってるみたいですね。……アレグロさん?」大慌てでノミの手をドアノブから払い除けようとするアレグロだったが、ノミの筋力が強すぎて微動だにしない。が、その必死さだけは通じたようだ。
「はぁーっ、肝を冷やしたっすよ……。いや、今回罠とかなかったんでよかったんすけどね? こういうのは手をかける前に罠の有無を調べたり、部屋の中に何かの気配がないか探ってから開けるもんすからね?」
「罠っ……!? 迂闊でした、すみません! 今度から気を付けます!」叱責を受けてノミはすごすごと引っ込み、アレグロに場所を譲る。アレグロは「わかってもらえりゃいいんすよ」と一言だけ言うと、ワーラビット特有の長い耳をピタッとドアに張り付け、室内の気配を探る。
「……少なくとも俺の耳には何かいるような感じはしないっすね。このまま開錠しちまいますよ」アレグロは穴あけドリルを取り出すと、それをドアノブ近くでぐりぐり回してドアに穴を開けた。その後、六角レンチを取り出しその穴に挿入し数回探るようにカチャカチャ動かす。先端にカチンと手ごたえを感じたアレグロはそのまま六角レンチを回転させ、難なく扉を開いて見せた。
「これがサムターン回しってな。開いたっすよみんな」
「……随分手馴れてるが、こんなのどこで習ったんだ?」ブライヤがアレグロに疑惑の目を向ける。
「そんなのどうでもいいじゃないすか、あんまり掘り下げない方が世の為人の為っすよ」アレグロは飄々と受け流して室内に首を突っ込み、様子を探る。
埃っぽい室内は、前時代文明の居住スペースだったのだろうか。朽ち果てたベッドのようなものとテーブルのようなものとが一組ずつ置かれている。既に調べがついているという事もあって、それら以外に特に目立つものは見当たらない。
「ここは何にもなさそうだな。さっさと出よう」入り口近くで早々にブライヤが切り上げようとする。
「んー、でもマッピングもしなきゃなんないからちょっと待ってくんないっすかね。ちゃちゃっとやっちまうんで時間は取らせねぇっすよ」
「おっと、大事な事を忘れるところでした! 今回の我々の主目的は地図作成でしたね!」ノミが光源であるブライヤを引き留め、すぐにアレグロがマップを書き加える。宣言通り、時間は殆ど取らせなかった。
「オーケイ、次は向かいの扉行っちまいますか。ノミさん、また勝手に突っ走らないでくださいよ」
その様子をそれほど遠くない位置からつぶさに観察するのが、馬鹿そうには見えない顔を取り繕っている馬鹿二人である。
「……あの手口はヤバいな」シードルが小声でシュールリーと意見交換をする。
「うん、あれガチの子ね。どういう経緯でその手口を身に着けたのかはあんまり掘り下げないけれど……まあ間違いなく空き巣をやったことはありそうね」
「普通冒険者で鍵開けってなるとサムターンがないケースもあるからピッキングが主流だしな。……とはいえ、盗みをやるより冒険者稼業の方がずっとかマシじゃあねえか?」
「そうね。少なくともアタシたちに今のアレグロ君をしょっ引く必要性はないわ」
「……まぁ、いきなり仲間割れを起こすとかの凶行をしでかさない限りは静観だな」
このような調子で二部屋目、三部屋目とも同じように鍵付き扉を解除したが、同じような空き部屋ばかりだった。
「何だよ、大したことないんじゃないか? 事前調査済みとは聞いていたが、あっさりしすぎな気もするな」ブライヤがやや不満げに漏らす。
「何もないならそれに越したことはねぇっすよ。まぁ、ちょっと何にもなさ過ぎて変な感じはするっすけどね」三部屋目のマッピングを終えたアレグロが四部屋目の扉に耳を当てる。と……その表情が歪む。
「何かウォーン、ブゥーンって感じの音が中からするっすね……前時代文明の魔動兵器がいるかもしんないっす」
「何っ、それは本当か!」ブライヤの表情が期待感で膨らむ。自慢の魔法をぶっぱなしたくてしょうがないというのが表情から丸わかりだ。
「という事は、魔物退治ですね!」ノミも背負っていた両手斧を構え、戦闘準備をする。
「まあまあお二人さん、血気盛んなのはよろしいが落ち着きなさって……この部屋の扉にも錠前が……」と言いかけてアレグロの表情が曇る。視線の先にあるドアノブには、2㎜程の小さな穴が開いている。
「うわっ、めんどくさ……」
「どうしたんですか、アレグロさん?」
「罠っすね。ほら、ここの穴……ドアノブをひねったら中から針が飛び出るようになってるんすよ。多分針先に毒が仕込んである感じっすね」
「確かにそれは面倒だな。何とかならないのか?」
「そうっすね、ちょっと任せてもらえれば何とか」そういうが早いか、アレグロはまたサムターン回しでドアのロックを解除する。その後、ドアノブをひねる前に木片を穴にあてがった。
「んで、このままひねる、と」アレグロがドアノブをひねると、木片がわずかに浮き上がる。針が木片に食い込み、押し上げているようだ。
「このまま針をこいつに押し込んで、っと」アレグロは木片をコンコンと叩き針を押し込んだ後、ぐいぐいと木片を前後させた。何度かそれを繰り返すと針の根元が曲がっていき、緩めても奥に引っ込まなくなった。
「あとはこうやってへし折れば、無力化完了っす」トドメとばかりに針に木片を当てがい、それを叩き潰すように上からトンカチを振り下ろすと、見事に針は叩き折れてしまった。
「お見事です! それじゃ早速中に入って、魔物をやっつけましょう!」
「あっ、ちょっとまっ、俺弓の準備がっ……!」アレグロの制止も虚しく、ノミがバーンと扉を開けて押し入る。
「抜け駆けはさせるものか」と言いながらブライヤが後に続いて突入する。
「あーもう、こいつら脳筋かよ……!」弓の準備が整ったアレグロが遅れて二人の後を追う。
ノミが室内へと入った瞬間、周囲にジリジリジリと大きな音が響いた。そして、その音と合わせて前方から何者かによる感情のない、それでいて大きな声が響く。
「えっ、何語……!? 何て言って……まさか魔物じゃなくてヒト類!?」困惑しているノミの隣にブライヤが追い付く。
「馬鹿、前時代文明語だ! 詳細はわからないが多分侵入者である僕らに警告を発しているんだ、来るぞ!」
そう言った傍からノミに目掛けて何かが突っ込んでくる。金属に覆われたそれはそれなりの質量を伴っており、その勢いに負けて思わずノミは尻もちを搗く。ブライヤの松明に照らし出されたのは、黄色と黒の縞模様の塗装が所々剥げ落ちた、円柱型の金属質の物体だ。足の代わりにゴム製のタイヤが左右に三つずつついており、それらが稼働するたびにシュンシュンとギアが高速で稼働する音が響く。わかる者が見れば、この魔物の事をアラームパトローラーだと断定するだろう。
アラームパトローラーは、前時代文明時代に生産された人工の魔物だ。侵入者を発見するとその名の通りにアラームを鳴らし、周囲にいる他の魔物を呼び寄せる習性がある。前時代文明ではかなりありふれた存在だったらしく、多くの前時代文明の遺跡でアラームパトローラーが見つかっている。またこの手の魔物に共通する事だが、彼らには恐怖の感情や痛覚といったものがないのか、逃げることなく完全に機能停止するまでこちらに襲い掛かろうとしてくる。
「あったた……この魔物、意外といい一撃持ってる……というか、さっきからすごくうるさい……!」
「感心している場合か! ええい、僕がやる!」ブライヤが右手を大きく突き出し、魔力を集中させる。
「ぶっ飛べぇッ!」ブライヤの右手から"炎の矢"が放たれる。アラームパトローラー目掛けて一直線に飛んだ"炎の矢"は見事に命中……したが、炎そのものはその円柱のボディに沿うような形で二つに分断され、ぶじゅうという音と共に消えた。
「なっ、効いてない!?」
とその時、ひゅんっとアラームパトローラーの足元に矢が突き刺さる。
「ったく、これだから脳筋どもは……!」アレグロだった。
「やっぱり狙ったつもりでも当たんねえもんだな……あのねえお二人さん、俺言ったっすよね、勝手に突っ走らないでって。それなのに魔物がいると聞いたら無計画に乗り込んで。犬っころ見つけたガキじゃねーんですからもうちょい頭使って行動してもらっていいっすかね?」
「むぐぅ……返す言葉もないです……」
「め、面目ない」
などと言っている間にも、アラームパトローラーは再突撃してくる。更に、部屋の奥の天井からぶぅーんという稼働音を響かせ、立方体の姿をした魔動兵器の魔物が追加で現れる。奇妙な事に、翼のような飛行用器官が見当たらないにもかかわらず、空中を浮遊している。これも前時代文明の叡智の成せる業という事だろうか。
「ちっ、お二人がもたもたしてるから警報に呼ばれて新手が来ちまいましたよ」
「ええい、なら全部まとめて相手をしよう! 先程はしくじったが、もう一発……!」ブライヤが右腕を突き出す。が、すぐにアレグロがその手に飛びつく。
「ほんっと、脳筋はこれだから……! 学習能力ないんすか!? また炎で攻めるつもりだったっしょ? ブチ当てるなら魔動機内の部品に効果がある"雷光の弾"にしてもらいたいんすけど!」
「な、成程。では改めて……!」ブライヤは右手の指先に魔力を込め、弾き飛ばすようにしてアラームパトローラーに"雷光の弾"を放つ。バチバチという光を伴った光弾が円柱形の胴体に命中すると、アラームパトローラーの姿が一瞬小さく跳ねたような動きをした。
「隙ありです!」ノミが斧を振りかぶり、大袈裟に薙ぐ。アラームパトローラーの金属質な表面がぐしゃりという破壊音とともに破られ、中の重要部品に致命傷を叩き込む。その一撃で機能停止したのか、ジリジリジリという警報音はようやく止まった。
「まずは一匹!」
しかし、安堵する暇もなく立方体の魔物が襲い掛かる。シュウィーム、という小さなモーター音がしたかと思うと、立方体の頭から黒い筒状の物体が現れた。そして次の瞬間、ダダダッと短い音が三つ続けて鳴り響く。音がするとほぼ同時に、ノミの着ていた金属鎧がチュンチュンチュンと甲高い音を立てて何かを弾き飛ばす。……いや、その内の一発は鎧を貫通し、下腹部辺りの肉に食い込む。
「あぐっ……!? な、何か撃ち込んできました!」
「多分あれガーディアンキューブとかいう魔物っすよ。撃ち込んできたのは三連式機銃っす。これでも低威力な部類だって話っすよ」
「"低威力"で金属鎧の装甲を撃ち抜くだと!? だとしたら僕やアレグロではひとたまりもないじゃないか!」
「そうっすよ、だから呼ばれないように立ち振る舞いたかったんすよ! 無鉄砲な二人のせいで全部パーになっちゃいましたけど!」
三人の会話に「うるさいぞ」とばかりに機銃が三連射される。誰にも当たらなかったが、三人の顔のすぐ近くを掠める非常に危険なものだった。
「今はそれを蒸し返している場合じゃなさそうだ。また先程の様に"雷光の弾"で良いのか、アレグロ!」
「それでいけるっすよ。多分それでまた動きが少し止まるはずなんで、その隙にノミさんの斧で叩き落としちまってください」
「「了解!」」
承ると同時にブライヤが指先に魔力を集め、"雷光の弾"を放つ。雷の塊が直撃したガーディアンキューブはばちっと短い音を立て、空中でよろめくようにして体勢を崩す。
「そこぉッ!」狙い澄ました斧の一撃が垂直に振り下ろされ、ガーディアンキューブを叩き落とし、そのまま真っ二つにする。
「撃退成功! どんなもんです!」
「お疲れさんっす。んじゃ、ここの部屋もマッピングしちまいましょう。お二人は倒した魔物から使えそうな部品を選別して拾っといてください。いい値段で売れたら山分けっすよ」
その様子を遠くの方から、拡大視力と広域聴力で様子を窺う一組の馬鹿どもはと言えば。
「言った通りだったわねぇ。あの三人、実際の所アレグロ君がいなきゃ壊滅してるんじゃない?」
「俺もそう思う。戦闘能力はからっきしみたいだが、知識もあるし指揮も的確だ。お互い役割がきっちり明確な感じがして悪くはないんじゃねえか?」
「他二人は……少なくとも戦闘能力に関しては問題ないと思うわね」
「まあ言ってしまえば初心者だからな。せいぜい危なくない内に痛い目にあって、それを糧にして成長して貰えばいいさ」
「……そういえば、ここバーナースティンガー出るのよね? さっきの警報でも出てこなかったけれど」
「一番奥の部屋でスタンバってるのかもしれねぇな。俺たちも準備しとこう」
初心者たちのマッピングはそれ以降も順調に進み、残すは中央奥の扉一つを残すのみとなった。
「結局魔物との戦闘はあの時の一回だけだったな」ブライヤは少し落胆気味だ。
「何にもないならそれに越したことがないって言ってるじゃないっすか。ほい、ほいの、ほいっと」アレグロが鮮やかに毒針の罠を無力化し、開錠したドアを開ける。
「何にしても、ここが最後です! しっかり気を抜かず行きましょう!」ノミが前に進もうとして……止まった。
「ん、どうしたんすかノミさん?」とアレグロが聞くのとほぼ同時に。
ごごぉーっ。
超高熱の青い炎が、ノミの金属鎧の胸部に吹き付けられる。
「うわあああっ、あっ、あぁっ!」後ろによろめき、倒れそうになるが何とか持ちこたえる。しかし、炎を受けた部分は真っ赤になっており、それが継続的に鎧の下の皮膚を焼いていた。
「なっ、何だこいつは!? さっき見たやつらと全然違うやつだぞ!」
ブライヤの言う通り、彼らの目の前に対峙しているのは1m弱の中型魔動機兵器、バーナースティンガーだった。サソリのような見た目をしており、尾のような機器の先から先程の身に噴射したような高熱の青い炎を吹き付ける。幸いな事に炎の射程距離はさほど長くはないものの、バーナースティンガーは機動力が高い。あっという間に近づいてきてハサミ状の両腕でこちらの足を掴み、尻尾のバーナーで炙ってくることだろう。
「くそっ、そっちが炎だというのなら、僕は氷だ!」ブライヤが右の掌を上に構えると、そこから生じた魔力が氷を具現化させ浮かび上がる。"氷の礫"の魔術だ。ブライヤはその氷の塊をバーナースティンガー目掛けて放ち、そのついでに足を掴まれそうになっていたノミを後ろへと引き寄せる。
氷の塊はバーナースティンガーに命中……するかに見えたが、さっと後ろに飛び退き、避けられてしまう。更に言えば、その氷の塊も前腕のハサミががしりと組み付き粉砕してしまった。そしてトドメとばかりにわずかに残った氷の破片に、尻尾のバーナーによる炎を浴びせ容赦なく融かす。
「ひえっ、あんなコンボ食らったらひとたまりもねえっすよ」アレグロは解け去った氷だったものが徐々に蒸発して消えていく様を見てアワアワしている。
「確かに強敵だ……あんな奴、どうやって倒したらいいんだ」ブライヤは忌々しげに下唇を噛む。
「……わ、私が引きつけます! 注意が私に向いているうちにブライヤさんが魔法を撃ち込めば……!」
「はいそこまで」シードルが割って入った。
「お前ら命は無駄にすんなー? ありゃお前らじゃ倒すのは無理だ。万が一倒せたとしても重症者が出る。今でもノミは胸元火傷負ってるしな」
「で、でもそれは頑張れば倒せるってことですよね!?」ノミが悔し紛れに反論する。
「"頑張れば倒せる"じゃダメだ。冒険者ってのは"魔物を倒して終わり"じゃねえんだぞ? 魔物一匹に全力尽くしてヘロヘロになってみろ。その後はどうするんだ。無事に帰るだけのリソースはあるのか?」
説教をしている間にもバーナースティンガーはこちら目掛けて襲い掛かってくる。が、シードルは器用に尻尾を槍出払い除けると、ハサミの追撃を受けないよう石突きで床を弾いてバックステップをする。
「ここは絶対に勘違いしちゃなんないポイントな。お前らは立派な英雄譚に歌われるような主人公の勇者様じゃねえし、正義の味方でもない。魔物を倒すのは仕事の一部ではあるが、それは必要性があるから倒すだけだ。つまり」槍を振り払い、バーナースティンガーの尾を柄で打ち据える。そして再び使を使ってバックステップをする。
「無理な相手にはきちんと逃げろ。撤退の判断ができずに死ぬのは、勇気のあるやつでも何でもない、ただの勘違いな馬鹿野郎だぞ」
シードルはそう言いながら続けざまにバックステップを繰り返し、初心者3人よりも更に後ろに下がる。
「ってことだから、お前らシュールリーのいる部屋目掛けて逃げ込め!」
反論の余地などなかった。浅はかにも自分たちと相手の力量差も図れずに、倒せるなどと傲慢な事を考えたのが失敗だったのだ。シードルの掛け声とともに、初心者たちはシュールリーが入り口で手招きしている部屋目掛けて脱兎のごとく駆け込んだ。それに少し遅れ、シードルとシュールリーも入室し扉を閉める。
「はぁーい、お疲れ様。良くできました」パチパチパチ、とシュールリーが手を叩く。
「……良くない」ムスッとして返したのはブライヤだった。
「僕らじゃあれを倒せないっていうのはわかりました。でもそれだと、今回の任務……地図の作製は最後の部屋が埋まらないから失敗って事じゃないですか」
「まあそう悲観視しなくてもいいわよ。自分たちの予想以上に手強い魔物がいるなんて状況は、決して少なくないわ。そのせいで依頼の遂行が難しくなることもあると思う。だとしても、無理をして死んだら意味がないわ。無理なら無理である事を受け入れて、最大限情報を持ち帰って、生きて帰ってくる。それが一番大事な事なのよ」
「生きて帰ってくる……」反芻するようにノミが呟く。
「今回みたいなパターンだと、一番奥の部屋にバーナースティンガーがいるっていう情報だな。まあお前らは名前は知らないだろうから、見た目の特徴や特筆すべき行動なんかを地図上の目撃地点に書き残しておく感じだな。そうすりゃ任務は完遂できなくとも、ギルドから途中までの依頼達成報酬と、想定外難易度への謝罪慰労費が支払われる。そして本件は内容を見直され、バーナースティンガーを対処できる冒険者向けの依頼として再掲されるってわけだ。そうやって冒険者への依頼は回っていくわけよ」シードルが腕を組みながらにこやかに話す。
このように話されての反応は、またもや三者三様といった感じだった。
ノミは少ししょんぼりしているが、自分の力不足や思い上がりを素直に認め、受け入れている様子だった。
反対にブライヤはまだ腑に落ちない部分があるのか、悔しそうに顔をしかめている。
アレグロと言えば「無理なら最初からそう言っといてくださいよぉ」とへなへなになりながら愚痴をこぼしていた。
「わーりぃ悪ぃ、これも指導の一環という事で許してくれって。んじゃ、最後の仕上げな。バーナースティンガーの対処法、実践編だ。俺とシュールリーで対処法を見せるから、お前らはそれを目に焼き付けて、次回から実践できるようにしとけよ」シードルがドアノブに手をかけた。
シードルはドアをほんの少しだけ開け、その隙間から周囲の様子を窺った。バーナースティンガーはまだ部屋の周囲にいる様子だが、炎の射程距離からは遠く離れている。
「いいか、ここからはスピード勝負だ。合図とともに行動を起こすぞ。1、2の……」シードルが左手でドアを開け放した。
「3!」言うと同時に、シードルはどこかで拾った瓦礫の塊を廊下の奥の部屋目掛けてぶん投げた。部屋の壁にぶち当たりドスンという大きな音を立てた飛礫はそのまま地面にもぶち当たりガラガラと更に音を立てる。すると、その音に反応してバーナースティンガーが部屋の奥目掛けて真っ直ぐに走る。
「という具合よ! わかったら走って!」シュールリーは一目散に遺跡の入口へと向かう。瓦礫を投擲し終えたシードルも反転し、同じく遺跡の入り口目掛けて猛ダッシュする。
「「「は、はいーっ!」」」
「……というのが今回の指導内容だけど、こんな感じでよかった?」
シードルとシュールリーがギルドの応接テーブルでエメラァに報告をする。エメラァは一通り依頼の報告書を読み終えると、満足気な表情で顔を上げた。
「ええ、実にシードルさん達らしい教え方ですね。ギルドにとっても生還率の高い冒険者が増える事は、それだけ経験豊富な冒険者が増える事にもなりますからね。今回は急な代役を引き受けていただき、本当にありがとうございました」エメラァは報酬金を取り出し、シードルたちの目の前で貨幣の枚数が間違ってないかを改めて確認し始める。
「……はい、合計3600ゴドです。確かにお渡しさせていただきますね」
「あいよ。しっかし、この手の依頼はあんまり受けたくねぇなぁ。どうにも人に何かを教えるっていうのは妙な責任感と緊張感を伴っちまってよくねえや」
「そうかしら? アタシはああいう初々しい感じのは嫌いじゃないけれど」
「いやー、不可抗力で勝手に死なれてでもしたらたまらねぇだろ……自分の失敗なら自分でケツ拭きゃいいから後腐れないけどさ」
「あ、あはは……。でも今回の受講者の皆さん、とても参考になったと喜んでいましたよ? どういう形にしても、シードルさんとシュールリーさんが後輩たちの為になる事を行ったことは間違いがありません。そこは自信を持って胸を張っても良いと思いますよ」
「ふふん、そうでしょうとも。もっと褒めてもいいわよ」
「出たよ。"豚も煽てりゃ木に登る"って言葉知ってるか?」
「だーれが豚ですってぇ!」
馬鹿の喧嘩漫才は10分少々続いた。
ギルドを後にした二人は、受け取った報酬を元手に消耗品類を買い揃えるために雑貨店や武具店が立ち並ぶ市場通りに来ていた。
「羊皮紙のストックがもうそろそろ怪しいな。シュル、また頼める?」
「いいわよ。ついでに他に必要な物とかある?」
「んー、歯ブラシも怪しいかも。腐るものでもないし一緒に頼む。俺はちょっと別の店で装備品とか見てきていい?」
「構わないわよ。じゃ、ここは任せなさいな」
シードルと別れたシュールリーは、以前羊皮紙を買い求めた店に足を運んだ。
「らっしゃい。おや、いつものかい?」店主とはもはや「いつもの」で話が通じる間柄である。
「ええ。あのおチビちゃん日に日に面白行動を起こすもんだから、レポートの執筆が捗っちゃってね。その分収入になるんだから悪い事じゃないんだけれどね」
「景気のいい事で羨ましいもんだ。まあウチもそれに一枚噛ませてもらえてるとなると、中々悪い気分じゃないもんだねえ」
「ふふふ、お主も悪よのう」
「はっはっはっ、別に悪い事やってるわけじゃあねえでしょうよ」
そんなやり取りをして羊皮紙と歯ブラシを買い込むと、雑貨屋の店先でシードルを待つ。程なくしてシードルがシュールリーの元までやってきたが、その手には紙袋が携えられていた。
「あら、何か買い物してきたの?」
「うん、まあな。実はこういうものをな……」紙袋をごそごそとしてシードルが中身を取り出す。
そこにあったのは、夜の闇のような深い紺色をした、羊毛で作られたウィングウォーマーだった。
「わぁっ、これっ……! シー君、いいの!?」
「寒い、欲しいって言ってたろ? ほれ、後ろ向いて。つけてやるよ」
「シー君ホント好きぃー! サプライズ最高過ぎかよー!」はしゃぎつつもシュールリーは後ろを向き、シードルにウィングウォーマーを付けてもらう。ふわふわで暖かな羊毛がしっかりと暖かい空気をキャッチし、熱を逃がさないように皮翼を保温する。
「あぁー、温かーっ! シー君ありがとう! しゅきしゅき過ぎるぅ、キスさせてぇー!」
「おわっ、さすがに往来のど真ん中ではやめろぉ!」
「いーじゃん、どうせ見せて減るもんじゃなし。アタシらの事は知れ渡ってんだし見せつけるくらいでもちょうどいいでしょ。ほら、こっち向くのー!」
「くそっ、この馬鹿ムードもへったくれもねえ! すりゃいいんだろこの駄々っ子!」
観念したシードルがシュールリーに向き直る。シュールリーは待ちかねたとばかりに両腕をシードルの首に回し、そのまま抱き寄せるようにして唇を重ねる。お互いの柔らかなものが重なり合う、とても情緒深い光景……のはずなのだが、締まりがないのがこの馬鹿どもの常である。
二人が口付けするとほぼ同時に、ばさりと何かがシュールリーの目を覆う。
「ぎにゃあああああああ!?」
そしてそれはシュールリーの右肩の方へとするすると伝い、買ったばかりのウィングウォーマーと皮翼の間にするっと滑り込む。
「びゃあああちべたいいいいいいいいいいっ!」
絶叫するシュールリーとは対照的に、ルトルはホカホカの居場所を見つけられて満足そうであった。
「ルトルーッ! お前ーっ! おいっ、出てこい、NO! 出てくるんだ! ぬおおおおん!」
馬鹿どもの冬は、暖かく騒がしい。
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