第5話 冬の準備とバカップル

 北大陸北部の冬は足早にやってくる。先日シードルたちが狩ったハイイロヒョウが既に換毛期を終えていた事からもわかるように、大自然の方は既に冬支度に入っている。人々とも同じで、冬場に備えて燃料や防寒具、食糧備蓄などの準備に勤しんでいる。しかし、それらの備蓄だけに追われるだけではないのがヒト類だ。彼らには他の生き物にはあまり見られない特異な行動をとる。即ち、祝祭である。

 北大陸では四柱神話に基づく神々への信仰が盛んだ。シュールリーが仕える風の女神フラウハミングもその内の一柱であり、四季の中でも秋との関連が深い神とされる。伝承によれば、水と太陽の武神たるティダロックが大地に居座り続けたことで猛暑となった際に、風を使って雲を操り太陽を隠し、乾いた大地に雨水を降らせ冷やしたのち、ティダロックと共に旅に連れ立つことで猛暑を鎮めたとされる。また、麦の稲穂を食い荒らすイナゴたちに対し、死と氷の守り神たるチルレクイエムを呼び寄せ氷の鎌で稲穂を刈り取らせた後、藁の山にイナゴを呼び集めてから雷を落としてイナゴを焼き払ったとも伝えられている。

 そんなフラウハミングとその信徒にとって、秋から冬への変わり目であるこの時期は特別な意味を持つ。季節が移り替わったことをチルレクイエムに伝え、祝福と加護を地上に届けてもらうように祈る「フラウチル祭」を控えている為だ。当然フラウハミングの神官であるシュールリーもその手伝いがある為、ここ数日は忙しそうにしている。

「お祭り用の藁の山は各地の農場から順調に集まってるみたい。今年のフラウチル祭の準備は早い段階から仕込みが済んでいるみたいで助かるわ」シュールリーが書類の束を一枚一枚確認し、納入の終わった箇所に印を入れる。フラウチル祭では前述の伝承に準えて、フラウハミングに扮した信徒たちが藁の山に火を放つ習わしがある。この藁の炎によって地上を守る役割がフラウハミングからチルレクイエムに移り変わり、同時に季節も秋から冬へと移り変わるとされている。

「お疲れお疲れ。毎回思うけれど、そうやってしっかりフラウハミング神官やってると"ほんとに神官なんだなー"って思うねぇ」シードルが水を入れたグラスを両手にシュールリーのテーブルに座る。コトンと片方のグラスをシュールリーのもとに置き、自分はグイッと飲んでからグラスを右肩の方へと伸ばす。すると彼の背後からもそもそとルトルが姿を現し、細い舌で水をチロチロと舐めるようにして飲み始める。

「やーねぇ、こーんなに美しくて誠実なフラウハミング神官然としたサキュバスが他にいるもんですか。節穴お目目のシー君にはアタシがどう見えているのかしらぁ?」

「おうおう、熱い自画自賛だ事。そうだな、俺の目の前には飛び切り美人で頭脳明晰な自慢の恋人がいるよ」惚気た台詞を冗談のように、だが軽くもない口調でシードルが言ってのける。こう言っておけばシュールリーは調子が良くなるのだ。

「ふふん、そうでしょうそうでしょう。もっと褒めなさい、崇め奉れ」

「はいはい。んで、その書類にある分はもうあらかた終わった感じ?」

「あー、いやちょっと待って。東の方のブルーフェザー村の方で納入遅れがあるみたい。物自体は揃ってるみたいだけど、運搬用の騎獣の手配が間に合わなかったみたい。こっちから取りに来てほしいって」

「ほぉん。ブルーフェザー方面ってイシワリウサギがいたよな。今の時期だと討伐依頼が結構出てるし、ついでに一狩りしていかねぇか?」

 イシワリウサギとは、体長1m前後の大型のウサギだ。もこもことした体毛に包まれたかわいらしい風貌とは裏腹に、その名の通り石を簡単に砕き割ってしまうほど鋭い前歯を持つ生き物で、尚且つ非常に縄張り意識が強い。不用意に彼らの生息域に足を踏み入れると、自慢の前歯であっという間に頭蓋を叩き割られてしまう事だろう。またその一方で毛皮と肉は良質で、しばしば高値で取引される。換毛期を終えたであろうこの季節は特にたっぷりとフワフワの毛を蓄えており、尚且つ冬に備えて体に栄養を溜め込んでいるため肉の味も良い。狩るには打ってつけの時期であるため、狩猟依頼も急増する。勿論、それなりの実力がある冒険者でなければ頭をカチ割られてしまう為、狩りの難易度はやや高めだ。

「どこぞのキャッチコピーみたいなこと言うのね。いいんじゃない? そうなると借りる騎獣は馬よりもラウンドウルフの方がいいかしら」

「だな。足は遅くなるがイシワリウサギの生息域である岩場にも強い。何よりこの時期は乗ってて温い」

 ラウンドウルフは体長1.7mほどにまで成長する大型の狼だ。その体躯に比例するように知能が高く、更に従順で忠誠心の高い性格をしている事もあって北大陸では家畜化に成功している。馬の代わりに騎乗して荷車を引かせたり、鋭い嗅覚を生かしての索敵が行える優秀な戦力として旅のお供にしたりと、人々と関わり深い生き物だ。冒険者の中には数匹のラウンドウルフの群れを一人で統率して方々を飛び回る者もいるくらいだ。また伝承ではチルレクイエムの従えている使い魔が狼である事から、チルレイクエム信徒の間では縁起の良い生き物としても人気が高い。

「んじゃーギルドに行きましょ。ついでにルトルちゃんのレポートを提出しておきたいし」グイッとグラスの水を飲み干してからシュールリーが席を立った。


「イシワリウサギ狩りですか。今シーズンですからねぇ。毛皮と肉の依頼も来ていますし、こちらとしても是非ともお願いしたいですね」ギルドの受付でケイティにレポートを提出がてら旅の予定について話すと、にこやかに受け答えながらレンタル用の騎獣のリストを引っ張り出した。

「それで、ラウンドウルフと荷車のレンタルですね。何頭御入用ですか?」

「ニケツできる子いるなら1頭だけで。荷車引けるよね?」シードルが尋ねるとケイティが「少々お待ちくださいね」とリストを確認する。

「そうですね、二人乗り可能な子も貸し出し可能です。勿論荷車の牽引にも差支えはありません。こちらにお任せで選ばせていただいても?」

「そうね、あんまり弱い子だと困るけれど」シュールリーが脇から口を挟む。

「でしたら……こちらのウィンドブレス号は如何でしょう。今貸し出せる子の中では一番脚力が強くてタフネスにも自信がありますよ」リストをパラパラとめくった後にケイティが見せたのは、ウィンドブレス号と名のついたラウンドウルフについての詳細経歴についてのページだ。

 ウィンドブレス号、雄、現在6歳3ヵ月。父はフィールドウィンド号、母はストームブレス号。体長177㎝、体重221㎏(いずれも2週間前測定の記録)。体毛は濃い灰色。やや大人しめで真面目な性格。目立った故障の記録なし。二人乗り可能、荷車牽引可能。貸出価格は餌代込みで1日500ゴドからとなっている。

「いいんじゃね? 故障歴がないのは安心感があるし。荷車付きだと300ゴド追加で1日800ゴド、2日予定だから1600ゴドか。イシワリウサギ1匹でも狩れば余裕でお釣りがくるな」

「では準備をしますので一度騎獣小屋までお越しください。状態をご自身の目で確認されて、問題がないようでしたらそのまま貸し出しのお手続きをさせていただきますね」

 二人は促されるがままに冒険者ギルド併設の騎獣小屋まで向かった。ここではギルドが管理するレンタル用の騎獣や、冒険者から預かっている騎獣が多数存在する。騎獣小屋の奥は騎獣たちの運動用スペースになっており、待機中の常設騎獣たちが放牧されている。

「おーい、お二人さん! こっちだこっち!」

 二人が小屋に姿を見せるや否や、小屋の奥から威勢のいい男性の声が響いた。

「ショットグラスの坊主とワインセラ嬢! ケイティから話は聞いとるぞ。ウィンドブレスを借りたいんじゃろ? こいつぁいい子じゃぜ」

 そう言いながら姿を現したのは濃い灰色の体毛をしたウィンドブレス号……を、引き連れた、2m近い筋骨隆々の大男である。針金のように逞しい髭を顎にたっぷりと蓄える一方、頭の方はツルツルピカピカに磨き上げられたスキンヘッドである。歩くたびにカツンカツンとリズミカルに響くのは、彼の硬い蹄が騎獣小屋の床を打ち鳴らす音だ。

「おう、久し振りだなハゲ親父。俺たちぁ遠方に行くときは大体飛んで行っちまうから、あんまり騎獣を借りるような事がないからなぁ」

「だっはっはっ、オメェさんは相変わらずみたいだなショットグラス! ワインセラ嬢とは相変わらず仲良くイチャコラやってんのか? お?」大男が髭をつねりながらシードルを肘で小突く。

「サドルさんそういうのセクハラっていうんですよー?」

「おっと悪ぃ悪ぃ、下世話な話だったな。どうにも騎獣どもの世話をしてるとそのあたりの部分が大らかになり過ぎちまっていけねぇな」ガハハと豪快に笑ってのけるこの大男こそ、スパロウウィングの冒険者ギルドで騎獣小屋の管理を任される騎獣取り扱いのプロ、ケンタウロスのサドル氏である。

「それで、こいつがウチのウィンドブレスだ。こいつぁタフだぞ。鎧をばっちり着込んでの重装備運用にも耐えられるし、重い荷馬車を引いてもへこたれない。お前さん達が仲良くタンデムして藁束の山やイシワリウサギを積み込んだ荷車を引いたって平気で走ってくれるだろうよ。勿論、嗅覚だってばっちりだ」そう言いながらサドル氏がウィンドブレス号の顎の下をカリカリと掻く。少しの間気持ち良さそうにしていたウィンドブレス号であったが、やがてシードルの方を見ると「ウウウ、ウウウ」と唸り始めた。それに呼応するように、大興奮のルトルがシードルの翼からひょっこり頭を出しチロチロとウィンドブレス号の匂いを舐め取る。このちびっこ、めちゃくちゃにこの状況をエンジョイしている様子である。

「ホントに鼻が利くみたいだな。すぐにチビ助の存在に気付いた」

「おぉ、そいつが噂のケツァルコアトルの子供か! ほんとに小せぇんだな。普通の蛇と変わんねえサイズだ。あぁ、大丈夫、ウィンドブレスは賢いからおチビちゃんみてぇな小動物は噛んだりはしねぇよ」唸るウィンドブレス号を少しだけ気にした素振りを見せたシードルにサドル氏が付け加える。ウィンドブレス号はゆっくりと前進し、ルトルにずいっと迫りスンスンと匂いを嗅ぐ。鼻頭でつんつんと突き相変わらずウウウと唸るが、サドル氏の言うように噛み付くような素振りは見せない。これは狼全般に言える事だが、彼らは基本的に鳴かず、唸る。少なくともウィンドブレス号は、ルトルに対して威嚇や警戒の意味を込めての唸り声をあげているのではないようだ。差し詰めルトルと同じ様に、初めて見るものへの興味といった感じだろうか。

「あらまぁ、お互い気に入ったみたいね。じゃ、この子にするわ。よろしくね、ブレスちゃん」シュールリーがウィンドブレス号の顎を掻くと、ウィンドブレス号はだらしなく口角を上げて舌を出した。表情が緩み切っている。

「(あっ、落ちたな……)」シードルがやれやれといった表情の眼差しをウィンドブレス号に向ける。サキュバスの持つ容姿の魅力がラウンドウルフにも通じるとは、誰も思ってもみなかっただろう。


 ブルーフェザー村はラウンドウルフの足で約5時間の距離にある。シードルたちが飛べばもう少しは早く着くだろうが、それでは何も運べない。

「たまにはラウンドウルフに乗るのも悪くないもんだな」並足で進むウィンドブレス号の手綱を握りながら、後ろに乗るシュールリーにシードルが話しかける。

「蹄の代わりに肉球だからか、歩く時も静かでいいわねぇ。言う程馬より遅いって感じもしないし」確かに静かなものである。カラカラと荷車が引かれる際の車輪の音を除けば、ウィンドブレス号の速度で感じる風の音と、周囲の草木が揺れるザアアという音、名もよく知らぬ小鳥の鳴き声など、基本的には自然の環境音くらいしか聞こえない。ルトルも初めて乗るラウンドウルフに興奮を隠しきれないようで、仕切りにシードルとシュールリー、そしておそらくウィンドブレス号にも、興奮と喜びの感情をテレパシーにして送り続けていた。

 そんな感じにウィンドブレス号の背に揺られながらブルーフェザー村への街道を進み、やや退屈間を感じていた時の事だ。スパロウウィングを出発してから約2時間といったところで、突然ウィンドブレス号が歩みを止めた。姿勢を低くし、「グルル……」と威嚇するような強い唸り声を上げる。そんなウィンドブレス号から発せられる警戒心を舌先で感じ取ったのか、ルトルの送ってくる感情にも驚きや不安、戸惑いといった感情がまぜこぜになったものへと変化する。

「ホントに鼻が良くて賢いな、ウィンドブレスは。上手く隠れてるのか遠すぎるのか、俺にはわからん。シュル、そっちは何かわかるか?」

「やー、私の耳にもさっぱり。多分もうちょい進まないとわかんないかも」

「OK、ならこのまま警戒モードのまま速度落として前進だな。何もんが出てくるかわからんが俺たちが確認してからでも対処はできるだろ」

 それから速度を落として進む事約5分、相変わらず唸りながら進むウィンドブレス号だったが、シュールリーの耳がそれ以外の非自然環境音を敏感に察知した。

「前方1時くらいの方角で話し声、北大陸文化圏共通語。ちょっと内容は断片的だけれど、稼ぎがどうとか商人がどうとかって言ってるし、一般人じゃなさそうな雰囲気ね。シー君、目視で何かわかる?」

「あー…見えた、ビンゴ。有り合わせの装備で身を固めた、いかにも賊っぽい集団が見える。ゴブリン5人、ドワーフ2人。こっちに気付いている様子はなし。流石に連中の視力じゃ無理だな。一応身なりが悪いだけの同業者って線もなくもないが……街道より距離を取った場所にいるのは臭すぎるよなぁ」

「もうちょっと近付けば正確に聞き取れるかな。……で、プランは?」

「そりゃもう」

 二人は悪そうな笑みを浮かべた。


「お頭ぁ! 前方に荷車ぁ! 見た感じ二人組でっせ!」ゴブリンの一人がドワーフに耳打ちをする。

「よっしゃあお前ら、配置に着けぇ! スパロウウィング寄りを貼ってて正解だったな、きっちり仕留めて身ぐるみ剥ごうぜ!」お頭と呼ばれたドワーフが指示を出すと、ゴブリンたちが一斉に散開する。と、もう一人のドワーフが目を凝らし、更に様子を観察する。

「兄貴、片方は女だ! それに聖職者だぜ、きっと金目の物も持ってるに違いねぇ。男の方は武器を背負ってるがひょろっぽいし、大したこたぁなさそうだ。こっちはあんまりゴドにならなさそうだな」

「そりゃあ上々、特に女ってのはいいぜ。俺も随分と溜まってるからな。金で買った女も良いが、タダで無理矢理ってのも趣があって良いもんだ。久し振りに楽しめそうだぜ」

「兄貴、抜け駆けは良くないぜ。俺にも楽しませてくれよ」ドワーフたちが下卑た笑みを浮かべる。

 ……なお、これらのやり取りはすべてシュールリーには筒抜けであり、散開した様子もシードルに丸見えである。しかし、それでも二人は止まらない。に騎乗した二人は何も気付いていないかのように進み続け、賊どもの襲撃予定地点に到達する。そして、背後を取ったゴブリンが弓をぎぃっと引き、放つ。それを皮切りにして、シードルたちを囲むように配置されたゴブリンとドワーフたちが一斉に襲い掛かった。

 と、同時に放たれた矢は上空から吹き降ろされた猛烈な勢いの下降気流によって命中前に叩き落される。そして驚いている暇もなく、シードルとシュールリーが騎獣から飛び降り、臨戦態勢を取る。突っ込んできたゴブリンの内、一人は馬だったはずの生き物に襲い掛かるも、不意に馬ではありえない横っ飛びをされて攻撃をかわされ、逆に馬にはないはずの鋭い牙で腕を噛み付かれ、そのまま持ち上げられ宙吊りになる。激しい動きによって"姿偽り"の魔術が乱れ霧散し、ウィンドブレス号本来の敵意剥き出しの眼光が姿を現す。

「ちぃっ、不意打ちは失敗か! 野郎ども囲め! おう兄ちゃん、良くもやってくれたな! 数じゃ俺たちが圧倒的に有利だ、降参するなら今の内だ。そいつを開放して金目のモン全部出したら命だけは取らねぇでやるぜ」

 ……という台詞を言いたかったのだろう。しかし実際は……。

「ちぃっ、不意打ちは失敗か! 野郎ども囲m……ぐあぁっ!?」

 台詞を全て言い終わらないうちにドワーフの胸元にシードルの槍が突き刺さった。シュールリーの髪と肌は魔力が満ちて真っ青になっており、指先から放たれた"紫電一閃"の魔術がゴブリンを一人黒焦げにしていた。そしてウィンドブレス号の口で宙吊りになっていたゴブリンの腕は噛み千切られ、落下すると同時に前足を思い切り叩きつけられ圧死した。

「ひぃっ、ま、待ってくれ! 俺たちが悪かった! 金目のモンは全部渡すから命だけは……!」弟分のドワーフが懇願する。が、返ってきたシードルの声は冷徹だった。

「何言ってんだ、お前らも殺す気だったろ。これは正当防衛だ」シードルがドワーフの胸から槍を引き抜くと同時に、シュールリーがもう一発"紫電一閃"を放ちゴブリンを炭化させる。

「それに最終的に奪えるのなら、むしろ後顧の憂いを絶つのなら殺しといた方が得でしょ。殺さず牢屋送りにしてくれるとでも思った? 甘すぎない?」

「お、お前ら……ッ! 人の心とか、ないのか……ッ!?」息も絶え絶えに口にするドワーフだが、シードルは容赦なくその頭を蹴り上げる。

「外道畜生に堕ちた賊如きに人権があると思うなァッ!」槍ががら空きになった喉を正確に捉える。突き刺さったドワーフの体は力なくだらりと下がり、もはや息をしていないことは明らかだった。弟分のドワーフはあまりの恐怖に腰を抜かし、その場で小便を漏らした。

「ひっ……人殺しいいいいいぃーっ!」

「いや、もうお前らは人じゃない。外道畜生だっつったろ」シードルが弟分の頭に踵落としをしてそのまま踏みつける。

「安心なさい。アタシは見ての通り神官だから、後でしっかり弔ったげる。魂をほったらかしにしてアンデッドにする二流みたいな事はしないから」シュールリーがシードルたちの元へと歩み寄る。もう既にゴブリンたちは全員片が付いたようだ。

 殺される側からしたらどちらにしてもたまったものではない話だが、弔いというのは非常に重要な事である。

 ヒト類のように一定の高さの知能を持つ生き物は、きちんと弔われなかった場合にその魂が現世に留まり続けてしまう事がある。しかし、肉体という保護容器を持たない魂にとってこの世というものは過酷な環境であるらしく、徐々に汚染され醜く劣化していく。汚染された魂は永遠に尽きる事のない激しい飢餓感により、無差別に生き物を襲うようになる。これがアンデッドと呼ばれる存在だ。アンデッドがこの飢餓感から解放されるには、魂そのものが破壊されるか、魂の汚染を浄化するかのいずれかの手段を取る必要がある。魂の破壊は魔術や魔力を付与された物体による攻撃によって可能だが、浄化は神官の魔法によるものでしか行えない。どちらの手段を取った方が良いかなどの決まりは特にないが、汚染の浄化の方が楽に済む為、アンデッドへの対処法としては推奨されている。

「だから、何にも心配する必要はないわよ」

 それが弟分のドワーフが聞いた最期の言葉だった。


 北大陸での葬儀は火葬が一般的だ。

「(おお天におわします無限の旅人、偉大なる風の神フラウハミングよ。哀れなるこの者らの魂を清らかなるまま天に迎えたまえ。願わくばその旅路が安らかなるものであらんことを)」賊どもの死体の山を燃やし焚き上がる炎が煙を上げる。爆ぜる炎の上に立ち込める陽炎は、まるでそこから魂が生じているかのように揺らめき、そしてその魂が煙に乗って点を目指しているかの様に見える。

 さて水を差すようではあるが、当然ながらシュールリーが捧げている弔辞の文言はフラウハミング信徒の常として明確に定まったものが存在しない。ただ流石に適当極まるフラウハミングであっても死者の魂を無碍にすることはしない為、それなりに改まった文言を並べて厳粛に送る。シュールリーもそれなりのフラウハミング神官ではある。馬鹿ではあるが愚かではない。

 一通り祈り終えたところで、シュールリーは十分に炎と風向きに注意しながらシードルの元へと向かう。こちらはこちらで、賊どもから奪った金品の品定め中であった。

「貨幣だけで大体1000ゴド弱ってところか。それから誰かから奪ったであろう宝飾品類が3つ、これは鑑定が必要だな。後は中古で売っても二束三文にしかならなさそうな武具類が数点。ま、お小遣いとしては上出来じゃねえかな」やってる事が完全に強盗後のそれである。しかしシュールリーは高潔なる神官のような素振りなど微塵も見せず、口笛をひゅうーっと吹いて一緒になり嬉しそうにしている。

 こここそがフラウハミングの良くもあり悪い所であると言える。フラウハミングは積極的な殺しこそ推奨してはいないものの、殺しそのものを悪であると否定する事はしていないのである。それもこれも、全ては自由の名の下に、自らが責任を取る事を条件にフラウハミングが許しているからである。しかし自身が自由である事は、同時に他人の自由を奪う事があり、逆に自分が奪われる側になる事もある、という事でもある。その結末を全て「自らが負う責任」として受け入れる事で、フラウハミングは全ての自由を肯定しているのだ。

 あまりにも自由の幅が広すぎるが為、他の神の信徒からはフラウハミングを邪神のように扱う者もいる。しかしそれすらもフラウハミングからすれば「そう思う自由」をその者に与えているのであり、自分の自由の広さが生んだ「責任」として背負っているという訳である。フラウハミングは究極に自由なのである。

 そして、その教えのままに生きるシュールリーと、彼女と共に生きるシードルもまた、偉大なる自由を自己責任で握っている。

 二人の事を善人か悪人かで判断するならば、少なくとも善人ではないだろう。しかし道を踏み外した邪悪なものとは全く言えない。自由とは悪ではないのだから。

「それじゃ、焚き上げが終わったら出発しましょっか。ちょっと時間食っちゃったかしら?」


 その後は何事もなく順調に進み、夕刻となる頃に二人はブルーフェザー村に辿り着いた。そのまま二人は藁束を納品する予定だった農家のズキズキ氏(種族はゴブリンだ)の元へと向かい、そこで一晩の宿を厄介になった。

 翌朝、シードルが二日振りの排便に小さくガッツポーズをした後に藁の山を荷車に積み込んだ。ズキズキ氏は納品の遅れをこちらが申し訳なってくる程何度も丁寧に詫び、昼食分のお弁当まで渡してくれた。

「いやホントに申し訳ねえ。頼りにしていた馬の便が他の所でもたついちまったとはいえ、わざわざ神官様にご足労願う事になるなんて」

「いえいえ! こちらこそホントに何から何までやっていただいちゃって! きっとフラウハミング様も行いを見てくださったと思います。相応のご加護をお恵み下さりますよ!」神官としての外面をフルに活かしてシュールリーがズキズキ氏に受け答えをする。この手の交渉術はサキュバスの十八番である。

「そいでは、神官様と旦那様、くれぐれも帰り道にお気をつけて。イシワリウサギなんぞにやられんでくだされよ」

 ズキズキ氏に見送られ、一行はスパロウウィング方面へと進む。帰り道はイシワリウサギの生息エリアに寄り道をする為、若干北上するルートを取る事になっている。

 イシワリウサギは岩場を好んで生息しており、その自慢の前歯で岩を叩き割って穴を掘ったり、割れた岩を積み重ねる事で巣を作る。もし岩場で石を積み重ねたドーム状の物体を見かけた場合、不用意に近寄る事は避けた方がいいだろう。

 なお、この馬鹿どもはガンガン接近する。

「はいドーン!」

 シュールリーはイシワリウサギの巣穴の目の前に陣取ると、"音響爆弾"の魔術を躊躇なくその中目掛けて投げ込む。この魔術は狭い空間で特に有効な魔術師の魔法で、鼓膜と脳を劈く程の大音響を狭い空間内で響かせ、効果範囲内の対象を失神させる事ができる。

 そして"音響爆弾"が沈静化した後にシードルが巣穴に乗り込み、失神したイシワリウサギにとどめを刺し楽々討伐する、という訳だ。楽に仕留めているように見えるが、これらはイシワリウサギの生態について熟知しているからこそできているわけであって、無策で突っ込んだ場合の代償は相応に大きなものとなるだろう。

「そーれ、もう一丁! うさうさフィーバーだぜ!」


 結局うさうさフィーバーは巣穴5ヶ所で行われ、計8匹を狩る事が出来た。それらを荷車にぎちぎちに乗せた為相応の重量となったが、ウィンドブレス号は弱音を吐く様子も見せず熱心に荷車を引き続けた。

 二人がスパロウウィングに戻った頃にはまたもや夕暮れ時となった。そのままの足で荷車の藁束の山を街の四柱神神殿へと納品し、更にギルドにイシワリウサギの売却とレンタル騎獣の返却手続きを行う。

「おう、帰ったかショットグラスとワインセラ嬢! どうだねウィンドブレスは、いい子だったろう?」ギルドの騎獣小屋でサドル氏は自慢気にシードルたちに尋ねた。

「あぁ、とても役に立ったよ。たった二日間しか一緒にいなかったのに、長い旅路を共にしたかのように名残惜しい」シードルはポンポンとウィンドブレス号の頭を撫でてやると、ウィンドブレス号も名残惜しそうにウウウと唸った。そしてもう一匹、名残惜しそうにする生き物が。

「おうチビ助、ウィンドブレスとはお別れだっての。こーら、乗ろうとしない、駄目だって、あーもうこら」シードルが頭を撫でた際にルトルが飛び出し、引き戻そうとするシードルの手を掻い潜ってここが我が領地だと言わんばかりにウィンドブレス号のうなじにへばりつき始めた。テレパシーはとても満足気である。

 その後も何とか引きはがそうと悪戦苦闘し、5分程かけてようやくルトルを連れ戻す事に成功した。これにはウィンドブレス号もウウウと苦笑気味に唸った。

 ギルドでの手続きが全て完了した頃には日は完全に沈み、サミィール・ユゥディル・シルアツルの月たちがそれぞれ輝いていた。

「あぁーもう、最後の最後にルトルがやってくれやがったなぁ……これはレポートの特記事項案件だわ」ネズミの小皿亭のテーブルにだらんと着席しながらシードルが漏らす。

「おやまあ。お疲れ様です、シードルさん。よく頑張ったみたいですね」注文を受けに来たのは給仕係のワーキャット、フォカッチャである。年頃の娘という事もあり、ネズミの小皿亭では看板娘のような扱いだ。

「おうフォカッチャちゃん、俺めっちゃ頑張ったよー? イシワリウサギ8匹倒したもん。7割くらいシュルのおかげだけど」

「ふっはっは、8割5分だと思うけどアタシは気にしないぞよ」馬鹿が馬鹿を言っている。

「いつも仲良しですね。おっといけない、ご注文をお伺いしなきゃ」

「俺はウィスキーのロックね。シュルも同じでいい?」

「おっけ。それとトマトとチーズのカプレーゼももらえるかしら。シー君他にある?」

「そんじゃ鮭なんかどう? それの塩焼き」

「最高かよー、じゃああたしとシー君に一つずつ」とんとん拍子でオーダーが決まる。この息の掛け合いはやはり熟年夫婦である。夫婦じゃないが。

 程なくして、琥珀色の輝きを湛えたアルコール飲料と赤白の色合いが鮮やかなカプレーゼ、そして食欲をそそる塩の香りがする鮭の塩焼きがテーブルに並ぶ。

「「乾杯っ!」」

 かつんと響いたグラスの音の後にお馴染みの芳醇な香りが二人の喉を通り、鼻腔を擽る。アルコールが二人の体に染み渡り、疲労感を解していく。

「いやー、いい仕事した後に飲むアルコールって格別な感じがするわぁ」そう言いながらトマトとチーズを一緒に口の中に放り込むシュールリー。

「んー最高、酸味と甘みのバランスがいい塩梅! シンプルなのに完成形ってずるいわぁ、止まらないもの!」

「同感、それにこの味はフレッシュさが命だからな。女将さんいいトマトとチーズ仕入れてるわ。どれ、せっかくだから塩鮭も一緒に……」シードルが塩鮭の解し身と一緒にトマトとチーズを一緒に口の中へと運んだ。テーブルの上で最も豪勢な組み合わせである。

「あっ、これいい、合う! 天才だ俺! 完成形を超えて極まったよ! 鮭の塩味が加わるとより引き立つのに邪魔しねえの!」言ってる言葉のセンスは馬鹿っぽいが、味には間違いがないようだ。

「シー君これを予期せずに生み出せるとか、さては才能持ってるな? あ、ホントに美味しいわこの組み合わせ」

「これはぁー……っ!」グイッとウィスキーをひと飲み。

「うん、酒とも合う! 今日儲かったしもう一杯いいだろ!」

「おっ、飲むねえシー君! アタシもアタシも!」

 馬鹿どもの宴は1時間半続いた。


 そんな事があった4日後、フラウチル祭当日がやってきた。それまで連日のように入念な打ち合わせをフラウハミング神官とチルレクイエム神官同士で取り合っていたとはいえ、当日ともなると無事進行できるか多少なりとも緊張してしまう事だろう。

 意外にもそれは馬鹿どもにも例外なく当てはまるようで、シードルはフラウハミングの仮装に手間取っていた。

「シュル!? パッドつけたままブラジャーどう閉めるの!? 落ちるんだけれど!? あっ、ルトル! NO! それ触っちゃダメ!」

「わかったから落ち着いて! 翼バサバサしないの、やりづらいから!」

 そう、女神フラウハミングの仮装である。当然男であるシードルからすれば、女装という事になる。シードルの名誉の為に言っておくが、決して彼は女装趣味のある特殊性癖の持ち主ではない。フラウチル祭でフラウハミングの仮装を男性が行うのは、風習としてごく自然に根付いたものなのだ。ただフラウハミングはバストサイズがそれなりに立派な女神として描かれる事が多い為、男性は大体パッド入りのブラジャーを付けて胸を盛る事が多いのである。

「できた! 後は上着とマフラー、スカートのセットね。それはもう一人でも大丈夫でしょ?」

「おう、いやー助かった。シュルは良く苦も無く付けられるよなぁ」

「そりゃあおっぱい自前だからねぇ」シュールリーがあっけらかんと胸をバシバシ叩いた。ゆっさゆっさと見事に揺れる。文字媒体でしかこの眼福な光景の情報を知る事ができない読者諸君は可哀そうである(翻訳者も非常に悔しい)。

「なにおう、俺も負けちゃいねえぞ!」シードルが張り合うようにして偽乳をゆっさゆっさ揺らす。とても馬鹿らしい。お前のサービスタイムはいらねぇんだよ。


 着替えなどの準備が整った二人は、フラウチル祭が執り行われるスパロウウィングの広場に来ていた。広場の中央には前日に運び込まれたたくさんの藁束の山が木枠の中に積み重なっており、追加で投げ込む為の藁束や緊急消火用の放水用具などが準備されていた。また、その周囲にはフラウハミングやチルレクイエムに仮装した人々が次々と集まり、祭りの準備を行っていた。

「そろそろ着火準備入りまーす! フラウハミング信徒の方々はこちらへ並び、松明を受け取って下さーい! チルレクイエム信徒の方々はこちらの列にて鈴を貸し出しておりますので、お持ちでない方はお並びくださーい!」誘導係の神官の声によって列が整理され、それぞれの信徒が次々に必要なものを受け取る。この神官はこの時期とは真逆の頃合いの神の信徒、つまりホウガエチュードかティダロックに仕えている神官だろう。

「いよいよだなぁ。毎年の事ながら、フラウチル祭で着火するのってワクワクするよな。何ていうか、炎が燃えてるっていうだけで幻想的でいい感じがするしさ」

「わかるー。暖かいし豪快だもんねぇ」

 二人が話しているうちにも列は着々と進み、シードルたちは松明を受け取ってそれぞれ着火した。間近で燃え上がる炎を見た為か、ルトルのテンションも燃え上がるかのように興奮しているのが伝わってくる。

 やがて全員に松明が行き渡り着火が済んだ事が確認されると、松明の炎を持ったフラウハミング信徒たちが藁束の山を囲む。その後ろには鈴を携えたチルレクイエム信徒が控えている。そして定刻を告げる神殿の鐘が打ち鳴らされたタイミングで、進行係の神官が右手を上げて合図をする。

「「せーっ! のーっ!」」

 フラウアミング信徒たちが、一斉に松明を藁束の山に投げ入れる。フラウハミングが藁束の山に雷を落としたときと同じように、木枠に囲われた藁束の山は激しい炎に包まれ、天へと舞い上がった。大きな炎が上がると同時に、フラウハミングやチルレクイエムの信徒でない見物客の口から「おぉー」という歓声が広がる。

 炎が無事に藁束の山についた事が確認できると、チルレクイエムの信徒たちは一斉に手に持った鈴をリズミカルに鳴らし始めた。

 ちりりん、りん、ちりりん、りん。

 そして、チルレクイエム信徒たちが歌い始めた。


 我は死と氷の守り神、冬を司るチルレクイエム。

 我の季節は冷たき死、全ての者は我が前に平等。

 死は生ある者どもの熱を奪い、やがては我とともに眠るだろう。

 されど生ある者どもよ、我を恐れる事なかれ。

 我は生と死を明確に分かつ守り神。

 定められし生を終えるまで、我はそなたらを死から守ろう。

 それまで生きよ、生ある者ども。

 死のその先も我と共に。

 我は死と氷の守り神、冬を司るチルレクイエム。


 焚き上げられた炎とチルレクイエム信徒の歌によって、今年の秋は無事に終わり、冬が訪れる。

 フラウハミングの代わりにこの地を守る事になるチルレクイエムは、ちゃらんぽらんでいい加減なフラウハミングと打って変わって非常に厳格な神であるとされる(もっとも、フラウハミングがいい加減すぎるのだ)。全ての生き物の生殺与奪の権利を持つとされ、それ故に厳しく己を律する事でむやみやたらと権能を行使する事を避けているとされる。その為、強く生きようとする者には生きる為の困難を遠ざけ、死の危機から守ってくれる神であるとされている。また、厳格に物事を見極める性質を持つ神である為か法を司る神であるともされている。その為、基本的に裁判官や法に関する職に就く者は、皆チルレクイエム信徒であることが多い。

「ようやく今年も冬が来たって感じがするわね」シュールリーがシードルの顔を覗き込む。煌々と周囲を照らす炎によって輝く瞳が、より一層魅力的な煌めきを燈す。いつも見慣れているはずのシードルでもはっと息を飲み、胸がドキドキと高鳴るような美しい顔だ。

「そうだな。冬はとっても寒いから」シードルが翼でシュールリーを抱き寄せる。

「しっかり抱き合って温め合わないとな」

「フフッ、シー君ったら台詞が臭いよ」そう言いつつも、シュールリーも皮翼でシードルを抱きしめた。


 草木が枯れ、雪が降り積もり、寒風が体温を奪う。しかし、そんな厳しい季節であるからこそ、感じられる温もりはより尊く感じられる。

 今年も、冬が来た。

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