第2話

「私ってショート似合うかな」


 女性用のアパレルや各種アクセサリーブランドの店舗ばかりが集まった商業施設の片隅、ここは私が背伸びして入ったバイト先、その休憩室だ。


 ターゲットを大人びた女子高生から社会人になる前の女子大生に絞り、プチプラと華やかさを売りにしている。色はほとんどが柔らかなシャーベットカラーで、デザインも大人フェミニンが主流。ペラペラの化繊でできた生地は軽やかにひらめいてTHEかわいいを体現する。デート服や勝負服の定番になりつつあるブランドだ。シーズンの変わり目に新作を吟味する華やかな声がそこかしこから聞こえてくる。


 そんな目がちかちかするほど眩しい店先とは打って変わって、休憩室は店の明かりのおこぼれに預かって質素に床を照らす。マネキンもなく、イミテーションもなく、必要最低限のものが静かに佇んでいるだけ。軽い机とパイプ椅子が2脚、飲み物とドレッシングしか入っていない小型冷蔵庫が1つ。この施設の中で1番落ち着く場所だと思う。


 先に休憩に入っていた咲月ちゃんは、文庫本から顔を上げて私を見上げた。天然のウェーブがかかった柔らかな髪がその拍子に揺れる。天の川のたおやかさとスズランの揺らぎを彷彿とさせる豊かな髪だ。


 彼女はそのまま私を覗き込んだ。黒目がちの大きな垂れ目にまっすぐ見つめられると、同性でも思わず緊張してしまう。彼女は魔力に近い特別な美貌をもつ女の子だった。そんなことを気にも留めず、彼女は私から視線を少しだってずらしもしない。


 気恥ずかしくなって目を逸らすと、彼女がさっきまで読んでいた少女地獄が視界に入る。私も好きな本なの、とは2年一緒にいても言えていない。だって題名からして陵介が嫌いな本だと思うから。


「美代ちゃん髪切るの?」

「いや、分かんないんだけどね」


 陵介の名前が喉まで出かかって、慌ててアイスティーでお腹の奥底に流し込んだ。空っぽの胃に甘ったるい飴色が滝のように落下していく。

 その水音を腹の内側から聞きながら、口角をゆるく上げた。

 あぶなかった。咲月ちゃんには彼氏に言われて髪を切るような女なのだと思われたくなかった。 彼女は、凛とした気品と強い優しさを持ち合わせたかわいい女の子なのだ。


 咲月ちゃんは陶器の細い指で私の髪を一束掬った。髪の先なんて感覚がないはずなのにくすぐったい。さらさらと彼女の指の動きに合わせて滑り落ちる。

 お気に入りのサロンシャンプーの甘いバニラの香りがする。


「美代ちゃんってショート好きなんだっけ?」


 どきっとした。心筋が一瞬吊り上がった。

 答えたら終わってしまう質問をされた。


「ドラマでさ、ショートカットのヒロインがかわいいって話題になってるやつあるよね。あれでショート流行ってるんだって」

 ぺらぺらと陵介が好きなドラマの話をする。勝手に早口で唇が動く居心地の悪い感触が舌の上で鳴っている。テレビの特集でヒロインのようなショートカットが流行っていると言っていた気がする、たしか。


 ふぅん、咲月ちゃんは穏やかな笑顔のまま興味なさげに言った。陵介と話題を合わせるために私は欠かさず見ているけれど、きっと彼女は見てないだろうな。同じ立場になっても好みじゃなければ見ないんだろう。

「流行ってるかどうかは知らないけど、本人が好きかどうかじゃない?顔ちっちゃいから似合うと思うけど、髪すっごく綺麗だからもったいないなぁって思っちゃう」


 咲月ちゃんは休憩時間の終わりに合わせてその場を後にした。


 手持無沙汰のままスマホの予定帳を開ける。来週の水曜日、月に1度の美容院でのトリートメントの予約が入っている。予約枠を覗くと次の時間枠は埋まっていた。

 無意識の内に片方の口角が上がる。

「あー、これはカットの時間ないなぁ」

 誰もいないからわざと言葉にした。言い訳にしないために。


 すると、同じタイミングで陵介から映画の誘いが来た。

 次のデートはセミロングのままでいい。いかんともし難い理由があるので心が軽かった。

「観たいのある?」


 咲月ちゃんが接客しているのが休憩室のカーテンの隙間から見えた。ショップのどのマネキンよりも背筋がピンと伸びている。

 背中を持ち上げて胸を開く。それからメッセージを打つ。

「駅裏のミニシアターでインド映画やってるの。お気に入りの映画」


 好きなものを好きな人と共有したい。勢いに任せてURLを送る。明るいコメディ調なのに実は重たいテーマが隠されている、そんな監督の信念が伝わってくるようで大好きな映画だ。

 しばらく時間が空いてから絵文字のないメッセージがぽつんと送られてきた。


「俺、ミヨちゃんのこと、本当に、本当に、大切に思ってるから。これからは、本当におもしろいことを、知っていってほしいんだよね。俺が、教えていってあげるから。」


 文面を読んだ瞬間、脳みそが機能を停止した。

 本当にって3回も入っててバランスが悪い気がする。句読点の数がやけに多い気がする。私の好きなものを切り捨てている気がする。

 その内に、陵介オススメの映画は週間ランキングで1位であること、バラエティの売れっ子アイドルが初めてヒロインを務めること、モルリブで撮影されたことを補足された。


 モルリブ?モルディブじゃない?

でも、訂正する気にもならなかった。


「そんなことより好きかどうかじゃない?」


 送信ボタンに手を掛ける。それから指先で1文字ずつ丁寧に消した。

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ショートカット・ハラスメント らくがき @rakugakidake

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