第2話

   

 あれは確か、小学校に入ったばかりの頃、つまり私が6つか7つくらいの出来事だったと思う。

 川沿いの土手道が通学路だったのだが、天気の良いある日、いつもとは違う道で帰ってみたくなった。

 とはいえ、決められた通学路から大きく離れる度胸はない。だから河原へ降りて、そこを歩くことにした。

「わあっ、すごい!」

 土手の上と下では目線の高さが大きく違うから、通学路に沿って進む格好なのに、視界に入ってくる景色は全く異なっている。川の流れる音がいつもより身近に聞こえたり、川岸に生えた雑草の緑の匂いが強く感じられたり、とにかく全てが感動的だった。


「まるでトンネルみたい!」

 橋の下をくぐるのも、それだけで楽しかった。その時だけ太陽の光が遮られるし、頭上の青空も消えてしまう。それぞれ短い時間ではあるが、いくつもの秘密のトンネルに入っていく感覚だった。

 なにしろ、本来ならば川を渡るための橋なのに、それを下から仰ぎ見る格好になるのだ。見てはいけない裏側を見ているようなドキドキ感があり、妙な興奮も覚えた。

 そんな橋の下には、面白いものが落ちていることもあり……。


「あれ?」

 私の目に留まったのは、茶色いダンボールの箱だった。子供でも持てるくらいの、小さめのサイズだ。

「何かいる……?」

 はっきりした理由はないけれど、なぜか私は、その小箱から生き物の気配を感じ取っていた。

「きっと子猫だ!」

 漫画などで見かけるような、捨て猫を拾うシチュエーション。それが頭に浮かんでくる。

 姿も見えないし声も聞こえないのは、ダンボールに完全に隠れてしまうほど小さくて、鳴くことすら出来ないくらいに弱っているからではないか。

 そう思って、慌ててダンボール箱に駆け寄る。すると中に入っていたのは、子猫でもなければ子犬でもなかった。

 真っ赤な金魚だったのだ。


「ひどいっ!」

 思わず私は叫んでしまう。

 川の中から橋の下のダンボール箱まで、金魚が自力で辿り着けるはずがないことくらい、子供の私にも理解できていた。これは誰かの悪戯いたずらに違いない、とわかっていた。

 しょせんダンボールは紙なので、もちろん水槽の代わりにはならない。金魚の周りだけは湿っていたが、ほんの形ばかりであり、陸に打ち上げられた魚の状態だった。

 口をパクパクさせているので、まだ息はあるらしい。しかし、このままでは死んでしまうのも確実だろう。

 急いで私は、ダンボールごと水際まで運び、金魚を川の中にひたす。

「さあ、川へお帰り。もう悪い人間に捕まっちゃ駄目だよ」

 最初は体が横に傾いて、見るからに瀕死だった金魚も、やがて正常な姿勢を取り戻して泳ぎ始めた。

 ただし、方向感覚が狂ってしまったのか、あるいは、名残惜しく感じてくれたのか。少しの間、岸に近い浅瀬をぐるぐる回っていたが……。

 しばらく私が見守るうちに、川の中央へ向かって泳いでいき、その姿も見えなくなるのだった。

   

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