雨と雨


地図が指定した場所にたどり着く。

市街からやや離れた廃屋、駐車場。


息は乱れていない。

鍛錬は減ったが身体はさほどなまってはいないらしかった。


雨霧に煙る風景の中、周囲を見渡す。

人気ひとけはない。


呼び出された場所はここで間違いないが、さて。

廃屋に踏み込むべきかと逡巡する。


出迎えの1つもあるかと思っていたが、


――いや、あった。


気配すら発さずに視界の内に人影が現れていた。


レインコートを着た小柄な人影、1つ。

フードをかぶり、ご丁寧にも黒の狐面で顔を隠して。

諸手に双刃、刃渡りからして小太刀に類する二刀流。


立ち姿でわかる、達人だ。


抜く手も見せずにこちらも抜刀を終わらせる。

抵抗するなとは言われていない。


濡れた地面、水たまりを踏む音すらなく滑るように間合いを詰めて来る人影。


言葉を交わす暇すらなく。


左の虚刀を無造作に体軸移動だけで回避。

右の、これも虚、手にした直剣の鞘で雑に流す。


ほとんど密着の間合い、死角から折りたたんだ実の左肘が飛んでくる。

これも半歩の移動で殺す、触れた相手の肩が勁を生じる前に左手で軽く押した。


いまだ互いに致傷圏、だが。


晴は無造作に左腕で鞘を振った、水をまき上げて視界を塞ぐ。

これもむろん虚。


右腕はすでに動いている、コンパクトに畳んで刃を寝せる。

流れるように刺突。

左右どちらに逃げても横の斬撃に連動する。


滑るように襲撃者はを潜った。

掬い上げるように一刀が縦に、これも虚。

本命は足首を狙うもう一刀。


左手一本で鞘を立てて進路を塞ぐ。

鉄芯の入った鞘を打つほど愚かではなかったらしく。

襲撃者は濡れるのもかまわず転がるように後退。


降り下ろしを狙いかけていた右の刃は当然振られなかった。


晴は、直刀の峰で自らの肩を叩きながら首を傾げる。



「――茶番は止せよ。

 2刀なんておまえの流儀じゃないだろう?」




一見して互いに致傷圏の外。

だが踏み込めば良いだけの話だ。

いまだ一足一刀の間合い、攻撃は届く。


だが仕掛ける気はなかった。

相手も、自分も。

殺意はあったがまるで本気ではない。


の本気はこの程度ではない。

考えるまでもない、とうの昔にわかっている。


剣筋を見る必要すらなかった。

最初に立ち居振る舞いを見た時点でわかっている。


それほど耄碌はしていない。

鈍るほど甘えた生活をしたつもりもない。


襲撃者は無造作に二刀を放し、次の瞬間には本命を抜き放っている。

背中に、意を殺し見事に隠した直刀は白刃を雨に晒していた。



「レインコートと面も捨てろ。

 いくらなんでも俺を嘗め過ぎだ、




右手一本で直剣を握り、天塚あまつかさめは左手で狐面をはがし投げ捨てる。


何故?とは特段思わなかった。

彼女は〝天塚〟なのだから。



「――もう少し惑ってくれるかと思いましたが」


「馬鹿言うな、お前の立ち居振る舞いを見間違うかよ、侮るな」


「それはそれは」


「一応、聞いておくか。

 何のつもりだ?」



気だるげに一応、そう聞いた。

わかっている、とっくに。

だがこれは社交辞令と同じ。


無駄であっても意味はある。



「――天授十四神剣。

 双極四憮八相が内、双極を継ぐが天塚の務め」


しかり。

 承知している」


「雌雄剣双極、〝天魚〟〝地鳥〟の内〝天魚〟の継承は為されました」


「……然り。

 何の因果か正当、継承者は俺ではなかったけどな」


「何の因果もありません。

 、それだけです」



耳の痛い話だったがまさにその通り。

天塚に引き取られ十と余年を鍛錬に費やしながら彼は、


返す言葉などあるはずもなく。

綴木つづきはるは継承者ではない。



「――市井しせいに、還俗げんぞくするなら良いでしょうに。

 ですが義兄にいさんは私をと呼びました。

 即ちそれはということ、ならばこの帰結は自然でしょう。

 双極に至らずんば天塚に非ず。


 未練ですか、見苦しい」



「然り。

 返す言葉も無し。

 まさにこれは未練だよ。

 俺は天塚は捨てられても、剣とおまえは捨て難いらしい」



苦笑しながら俺は認める。

そうだ、俺はけん義妹あいつも捨てられない。




「――おろかしや、義兄にいさま」



ぽつり、呟くと同時流れるように雨の構えが変わる。

片眼外しの晴眼、雨の本来の構え。


俺もまた無言でそれに応える。

脇構え、俺本来の構えに剣を移して義妹さめを見る。




天塚あまつか思路発宙央團しろはっちゅうおうだん地鳥ちどり時雨しぐれ

 参ります」



 朗々ろうろう忌名いみなを発して雨が名乗る。

 天塚の剣士として全身全霊でという宣言。



「――元・天塚あまつか天衣翔刻無威てんいしょうこくむい無銘むめい天晴てんせい

 受けよう」



 俺もまた、一介の剣士として。

 捨てた、いや捨てきれなかった名を持って応える。


 

 既に得物は互いに本来の直剣、腕長リーチは僅かに俺が勝るが利があるとも言えない。

 既に一足一刀の致傷圏は踏み越えている。


 あとは機を逃すかどうか、それだけの差でしかない。


 天塚雨は天剣だ。

 俺が、天塚晴が知る限り最強の剣士に他ならない。


 愛憎怨怒の区別なく、剣下に情の立ち入る隙はない。

 もはや義兄も義妹もなく、ただ相見互いに一人の剣士。

 迷えばただ死ぬだけだ。


 じりじりと、足裏を地から離すこともなく。

 摺り足で互いに距離を詰める、派手な踏み込みは必要なく。

 またその余裕も互いにない。


 剣理をあまりに知り過ぎている。

 互いに相手の手の内を知り過ぎているからこそ駆け引きは成立しない。


 あと、半歩。


 半歩詰めれば腕長リーチで勝る俺の懐に雨が潜り込む。

 そうなれば俺は死に体だ。


 故に猶予はない。

 

 あと半歩の内に仕掛けなければ俺は負ける。

 

 だが不思議と焦りはない、斬られてもいいという諦めではない。

 恐怖はない、雨音すら既に聞こえない。

 剣界にあるのは意と機のみ。


 この十余年の剣のうち、もっとも凪いだ心持ちで俺は剣を握っていた。


 不思議と、満足感がある。

 本気で斬るの斬られるのと思ったことは過去一度とてない。

 どれほどの修練を積もうとも、俺も雨も、平穏日常の時代に生まれ落ちた剣士。


 に出会ったことはあるはずもなく。


 永劫続けばいいと思えるほどに濃密で満ち足りている。


 嗚呼、そうか。

 俺は剣が好きなのだ、と今頃理解した。


 ――そして気づけば俺は剣を


 剣線は逆袈裟。

 右脇から入って双丘の間を抜け胸を割って左の鎖骨を断つ。


 ごぽ、と血の泡を唇端から雨が溢す。



「――見事です、義兄さま」



 天塚の剣士として雨は剣を杖替わりにするような無様もせず。

 膝をつくことも拒否して胸を張る。


 どう、と仰向けに倒れてその全身が脱力していく。


 兄なら。

 世俗の兄妹なら名前を呼んで駆け寄るべき場面なのだろう。


 だが俺の心は凪いでいる。

 残心もせず剣士に駆け寄るなど相手への愚弄の極致。

 剣を捨てて走り寄るなど自殺行為にも等しい。


 天塚雨は剣士である。

 命ある限り勝負を捨てはしまい。


 ――剣を振って義妹の血をはらう。

 一寸一分の油断も無く俺は納刀し、ゆっくりと天塚雨いもうとから離れた。


 

 天塚雨が、そこいらの暴に脅かされることなどあり得ない。

 外ならぬ誰よりも、義兄あにである晴が一番それを理解していた。


 だから電話を受けた時点でこの結末は見えていたというのに。

 あるいは一つ違えば地に伏していたのは彼の方だったかもしれないが。


 それでも彼は駆けつけた。

 理由は一つではなく、また言語化できるような単純なものでもなく。


 ただ、一言でそれを称するならただごうとでも言うしかないのだろう。


 

 これは不落ふらく樹堤じゅていの歴史に名を刻む。

 剣聖、綴木つづきはるの最初の一合の逸話である。

 



 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

〝晴雨〟 アオイ・M・M @kkym_aoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る