晴と雨


――綴木つづきはるは駆け足をやめて喫茶店カフェドアの前に立った。


胸に手を当てる、息は乱れていない。

だがある種の緊張はあった、手を当てたのは平静さを取り戻すための仕草ルーティンだ。


3秒だけ動きを止めて平静さを取り戻す。

そっと扉を押し開いて店内に踏み込みながら視線を巡らせる。

すぐに、待ち合わせの相手を見つけた。


一番奥、入口と窓から最も遠い席に座った少女。


この辺りでは見ない、だが晴には感慨深い懐かしい制服姿。

いらっしゃいませと声をかける為に寄って来る馴染みの店員を軽く手で制し、進む。


少女の対面の椅子を引いて腰を降ろしながら、声をかけた。




「おまたせ、さめ

 ――久しぶり、かな」



少女、天塚あまつかさめは顔を上げることも、視線を投げかけることもなく。

ティーカップを優雅に持ち上げてそっとハーブティーを飲んでいる。


彼女は珈琲コーヒーが苦手て、紅茶は飲むが好き過ぎて外では滅多に飲まない。

自室にコツコツそろえた自前の紅茶道具が積み重なっているのは知っているし、なんならその中には誕生日に彼が贈ったティーポットも含まれる。


ハーブティーを飲んでいるというのは消去法による推測だが、恐らく正しいだろう。

優雅な仕草でティーカップを受皿ソーサーに降ろし、少女さめはそこではじめて閉じていた瞳を開き、視線を向けて来た。



「お久しぶりです、義兄にいさま。

 お気になさらず、待ったと言っても4分と34秒ほどです」




姿勢は相変わらずよく、背筋は鉄骨でも入っているかと思うくらい真っすぐだ。

視線は刃物のよう、瞳は翠玉のよう、顔立ちは人形のよう。

総じて美しくはあるが愛らしさは薄い。



「……それ、嫌味にしか聞こえないからやめたが良いと思うぞ」


「それなら問題ありませんね、純然たる嫌味ですから」


「ちなみにどのタイミングで遅刻カウント止めた?」


「ドア前で胸に手を当てた瞬間です」



しれっとそう言った義妹さめに、思わず苦笑が漏れる。

テーブル上にはブックカバーに覆われた文庫本が置かれていたが、それはきっちりと丁寧に栞を挟んだ上で閉じられていた。


晴が声をかける前から完全に気づいて。

本を閉じ、飲み物を一口する余裕があったという事だろう。


そつがないというか隙がないというか……。

はるの知る義妹さめ通りでむしろ安心を覚えた。


店員にカフェオレを注文し、義妹さめに向き直る。



「本日は急なお誘いを快諾いただき、ありがとうございました」



と、滑らかな動作で義妹さめに頭を下げられて困惑した。

お茶のお誘いに応じただけでそうも丁寧に謝意を示されるとは思わなくて。



「ちょ、頭なんて下げないでよ。

 お茶のお誘いを受けたくらいで感謝されても困るよ」


「――今は綴木つづきかばねを名乗っているのでしょう」



不意に鋭い刃物を突き付けられた風に身体が硬直する。

その言葉は文字通り、綴木つづきはるにとっての白刃に等しい。



「……戸籍上は〝天塚〟のままだよ」


「1年前なら、〝義兄あに〟と呼ぶことすら拒まれていたでしょう。

 違いますか、義兄にいさん」


「それは、うん。

 ……否定はできない、けど。

 今は大丈夫だよ」



 そう、綴木つづきはる

 いや、――天塚あまつかはるさめは共に天塚の血縁ではない。

 2人ともが天塚の家に引き取られた養子であり、互いの間にすら血縁はない。


 10と余年。

 2人が兄妹として過ごした時間はそれだけ。

 だがそれでも兄妹としての絆は確かにある、そう確信できる。


 それでも。

 天塚あまつかはるは課された使命を果たせなかった。


 これは、今の立場は逃避だ。

 晴自身、それを理解している。

 天塚の嫡子として求められた結果を出せなかった。

 そのことを責められたわけではない、誰一人として彼を責めはしなかった。


 それでも。

 彼自身がそのことに耐えられなかったのだ。

 だから彼は天塚を去った。


 逃げたのだ。

 義妹さめを一人置いて。



「俺は、天塚を名乗れない。

 名乗る資格がないし名乗ろうと思えない。

 だけど、その」



膝の上で拳を握り締めた。

これは身勝手な言葉だと重々承知の上で。



さめの事は義妹いもうとだと思ってる。

 不出来な義兄あにだけど、勝手にそう思ってる」


「本当に。

 身勝手な台詞ですね」


「ぐ……。返す言葉もないよ」


「ですがまあ、構いません。

 義兄にいさんと私も呼び続ける気でいますから」



あっさりと、顔色一つ変えずに返されて。

不覚にも泣きそうになる。



「――義兄にいさん?

 公の場で男子らしくないみっともない真似はよしてくださいね」


「時代錯誤だと思うよ、そういうの」



見透かされているが、さすがに本当に泣くほど恥知らずでもなく。

どうにか笑顔を取り繕っておもてを上げる。


ほんのわずか、義兄かれでなければ気づかない程度に義妹さめの唇端が歪む。

不器用な彼女の笑顔を見て、来てよかったと心から思った。



「では、綴木つづき真咲まさき様にもよしなにお伝えください。

 今日は会えて良かったです」


「ああ、うん。

 え、もう行くの?」


「一介の学生にお戻りになった義兄にいさんと一緒にしないでくさだい。

 これでも多忙な身なので」


「そっか、そうだよね。

 ……また時間があったら誘ってね、お茶」


「考えておきます。

 というか殿方がリードするものでは?」


「時代錯誤だと思うよ」




にこりともせず、天塚あまつかさめは席を立つ。

では、と短く発してあとは振り返りもせずに出ていくその背中。

支払い、していかなかったなと思いながら。


不器用な義妹の数少ない甘えだと思って苦笑しながらも喜んでしまう。

たぶん、あの義妹いもうとは人に奢らせようなどとはしないであろうから。



************************************





夕刻、綴木つづきの家に帰りつく前に降り始めた雨に濡れねずみ


自室に戻る前に脱衣場でバスタオルを拝借し、髪をがしがしと拭きながら嘆息する。

常日頃なら不運と不快さに愚痴の一つもこぼすところだが。


昼過ぎの義妹との逢瀬のおかげで気分は晴れやか、鼻歌をらす余裕すらあった。


と、尻ポケットに突っ込んでいた伝言機スマホが振動した。

左手一本で髪を拭きながら右手で引き抜く、発信者は――



「……さめ

 珍しいな、電話嫌いなのに。

 ――もしもし?」


天塚あまつかはるだな?』


知らない男の声、中部のなまり、天塚でも、ここらの人間ではない。

言葉尻から感じるのは相手を威圧しにかかる暴の気配。

一般人かたぎではない、と判断する。


タオルを掴んだ左手が止まる。

スマホを握る右手に力が入る。


脳の奥、神経の温度が数度下がった感覚がある。



「どなた?」


何の気もなさそうに聞き返しながら耳は通話先からあらゆる音を拾おうと集中。

ものおと、ひとのけはい。


一人ではない、複数人、おそらく武装している。

雨音、おそらくさほど遠い場所でもない、反響からみて室内、それなりの広さ。



『地図を転送した、20分以内に一人で来い。

 指示を守らなかった場合どうなるかは自分で考えろ』



通話が切れる。

暗転を挟んで待機画面に戻った伝言機スマホの表面をなでる。

メールを確認し地図を呼び出し移動にかかる時間を試算する。


5分以内に家を出てそれなりに全力で走って間に合う距離。


決断は迅速。

タオルを投げ捨てて自室に戻る、箪笥たんすの一番下を開ける。

乱雑に詰め込まれた衣服を投げ捨てて一番下に埋まっていたそれを掴む。


麻布に包まれた長物を引きずり出す。

もう握ることは生涯ないと思いながら捨てられなかった未練。

朱紐を解く、つばのない片刃の直剣、その鯉口こいくちを切って刃を眺める。


何の感慨も浮かばない自分に少しだけ驚きながら、晴は家を出て走り出した。

 







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