十月二十七日 藤行幸恵

 流華は幸恵に、菜帆から目を離してしまったことを詫びた。

 菜帆は夕方、参考書を取りにこっそりと家に戻ったらしい。

 そこで蟲に襲われそうになったが、流華が持たせていた御守りが蟲を祓ったので、大事には至らなかったとのことだった。

 ケガも、驚いて転んだ拍子に膝を擦りむいただけと聞いて、幸恵は安堵した。

 流華は風のように去って行った。


 流華の車を見送ってから、幸恵は陰鬱な気持ちで壁にもたれかかった。外はもう深夜だ。

 青い光を放つ縄で巻かれた南田は、記憶にあるよりもずっと小さく、老いている。

 だが。

 南田の狂気を目の当たりにして、幸恵は生きる気力を失いかけていた。

 たとえあの不可思議な能力を封印したところで、太一達は警察ではない。南田を刑務所のようなところに永遠に隔離する手立てはないのだ。

 回復すればまた、幸恵達を付け狙うだろう。

 それこそ南田の命を奪いでもしない限り、幸恵達に安息の日は訪れないと思われた。

 部屋のすみに、折り畳み式の刃物が落ちているのが見えた。怯えて逃げ暮らすのと、母親が人殺しになるのと。菜帆のためにはどちらが良いのだろうと、ずっと考えている。


「大丈夫ですよ」


 隣で缶コーヒーを開けながら、太一が小さく呟いた。

 私服に着替えた彼は、満身創痍なはずなのに穏やかに微笑んでいる。


「え?」


「彼に、術をかけました」


「はあ……」


 確かに、気絶した南田にさっきまで何かしていたのを幸恵は遠目に見ていた。

 でもそれがどうしたと言うのだろう。

 今の幸恵には興味のない話だった。


「『百発百中絶対圏ひゃっぱつひゃくちゅうぜったいけん』を応用したものなんですけどね。簡単に言うと、他人への攻撃が自分に返ってくる術です」


「えっ、じゃあ……」


「もし南田が、貴女や菜帆ちゃんにひどいことをしようとしたら、そっくりそのまま彼に返ります」


 幸恵は身体を起こして太一の話に耳を傾けた。

 少しだけ、胸に希望の明かりが灯った気がした。


「他者への攻撃性が高いほど自滅する術です。その名も、『自業自得じごうじとく』」


 真剣に聴いていた幸恵は、思わず噴き出した。


「ネーミングセンス……ダ……独特ですね」


 太一は不服そうに顔をしかめる。


「みんなにそう言われるんですけど、はっきり言って心外なんですよねえ。った横文字を使うよりもわかりやすくて、良いと思うんですけど。シンプルが一番ですって。それに……」


 太一が広間の入り口を見遣みやる。到着の遅れていたケンジという名の人が、ミクと共に入ってきたところだった。太一と同じくらい、普通の外見の青年だ。


「彼よりずっとマシですよ。その身一つで清浄な音を打ち鳴らし、あらゆる魔を祓う。強力なその術の名前は」


太一は一度、言葉を切った。




















「『びっくりするほどユートピア』」



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盾と鎧とお姉ちゃん 惟風 @ifuw

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