十月二十六日⑤ 津久野太一

 本来なら、もっと入念な準備を整えてから行うべき術だった。

 相手について徹底的に情報収集を行い、得意な攻撃を分析し、それに備えた防具を用意し、術の解除後に瞬時に取り押さえることのできる複数の味方や、治療にあたる裏方まで。

 今夜は、何もかもが足りない。

 それでも、今夜やるしかなかった。


「お前を殺せば済むんだろう。俺にとっちゃちょうど良いんだよ。どうせそのつもりだったんだ」


 両足に重い衝撃。よろい越しに霊術特有の熱い痛みが身体に染みてくる。それは着実に太一をむしばんでいた。

 盾はとっくに打ち壊されていた。

 南田の力に合わせられていない防具は、いつもよりも脆い。

 南田は肩で息をしながらも、攻撃の手を緩めることはなかった。

 ヘルメットの中で血を吐き出す。太一自身の肉体は、常人と何ら変わらない弱さなのだ。

 霊術の強さも、常軌を逸した行動力も、想定を超えている。

 それでも、ケンジさえ間に合えば。


「すんません、悪い知らせが二つあります」


 右耳につけたインカムから、ミクの暗い声が聞こえた。

 同時に、南田の一撃で壁に叩きつけられた。

 怒りのせいか、攻撃力がどんどん増している。


「な……なに……?」


 ミクの早口に耳を澄ます。


「ケンジの車がエンスト起こして動けなくなったって。今からウチが急ぎで迎えに行ってきます、予定より到着遅れます」


 太一の目の前が暗くなる。心理的に、物理的に。


「嘘、でしょお……」


 小型の斧が、ヘルメットの一部を破壊した。

 何とか、顔は無事だった。


「殺す。 お前も、クソガキも、誰でも」


 続いて投げられたバットは、胸当てに命中する。


「絶対に殺す。幸恵は俺のモンだ!」


 唾を飛ばして南田が叫ぶ。その飛沫すら、全て太一に命中している。


「もう……一つは……?」


 これ以上に、悪い知らせなどあるのか。


「それが……実は……行き違いがあったようで連絡がかなり遅れたみたいで……」


 ミクの口調は、いつになく歯切れが悪い。


 その時。


 建物の外で、車の急ブレーキ音が鳴り響いた。南田の注意もそちらにれた。

 太一は身体を起こして南田から距離をとる。


「夕方、藤行奈帆さんが霊障で怪我をされて――」


 ミクの話を聞かずとも、わかった気がした。


「――それに激怒された――」


 荒々しい足音が近づくと、轟音ごうおんと共に扉が破られた。粉々になった破片が、太一の全身に降りかかる。


「――主任のお嬢様が、こっちに向かわれたそうです」


 流華が、広間の入口に立っていた。


「そう、みたいだね……」


 太一は弱々しくミクに返した。


「何だお前は! お前も殺されてえのか!」


 血走った目で南田がすごんだ。今度はノコギリを手にしていた。


「パパ」


 流華は恫喝を無視して広間に入ってくると、南田を見据えて腰を落とし、構えを取った。

 その表情はゾッとするほど冷たい。


「早くしないと、パパに当てる」


 太一は無言で術を解いた。青い縄が現れ、南田の全身を拘束した。

 それと同時にステップを踏んだ流華が、長い足を回転させて南田の顎を蹴り上げた。

 流華のつま先が青い軌跡を描く。


「んがっ」


 受け身を取ることもできずに南田は床に倒れた。

 そういえば最近カポエイラにハマってるって言ってたなあ、と太一はぼんやり思い出した。


「次は顔面にマルテーロをお見舞いするよ」


 南田の意識はとっくに途切れていたが、流華は構えを解かずに言い放った。

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