22:この歩みを止めずに進むから
レイカを抱き上げたまま、私は廊下を進んでいく。
すると、廊下の先から慌ただしい気配を感じた。私の前に飛び込むようにしてやってきたのはイユだ。
「アユミちゃん!」
「イユ」
「アユミちゃん、怪我は!? それにレイカちゃんは大丈夫なの!?」
イユはしきりに私とレイカの心配をして慌てふためいている。
そんなイユの後ろからヨツバちゃんとマリアちゃんが駆けつけてきた。
「アユミさん、大丈夫ですか!?」
「ヨ、ヨツバちゃん、落ち着いて……あ、アユミさんはレイカさんをこちらに……腕の怪我が……」
「気を遣ってくれてありがとう。でも、本当に大丈夫だから」
反動で今も血が滲んでいる腕だけれど、痛みはよくわからなかった。
私よりも慌てふためいている三人を見て、なんだか思わず気が抜けてしまう。
「まずは医務室にいかないと。レイカを見て貰わないといけないし、私も腕がこれだからね」
「そうねぇ。問題はなさそうだけれど、早めに手当して貰った方がいいわよ」
「ライカ」
ひらひらと手を振りながら姿を見せたのはライカだ。
ライカが出てくるとイユたちが恐縮したように身を竦めてしまっている。
「貴方の戦いを見てたヒミコちゃんが今にも突撃してきそうだったけれど、怪我をしてたのを見てたからキョウちゃんに抑えて貰ったわ」
「それは助かったよ、ありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ医務室へと行きましょう」
ライカに促されるまま、私たちは医務室へと向かった。
医務室へと入ると既に準備を終えていたのか、腕の怪我は手早く処置をされた。戦いの後の余韻が抜けてきたのか、じわりと腕が痛みを感じ始める。
「数日、様子を見てくださいね。筋肉や骨には異常はないと思いますが、異能を使った後ですので……」
「うん、わかった。レイカの方はどう?」
「怪我は問題ないと思いますが……」
手当をしてくれた黄立の蝶妃は、私の質問に何とも言いにくそうな表情を浮かべた。
その言いにくい言葉を引き継ぐように口を開いたのはライカだった。
「アユミちゃん。治療してすぐ言うのもなんだけれど、やるなら早めに済ませた方がいいわよ」
「……何を?」
「なんとなくわかってるんじゃないの? レイカちゃんの派閥替えに必要な処置よ」
ライカの表情はいつもの微笑だ。だけど、その目がどことなく笑っていないように見える。
「派閥替えに必要な処置というと……」
「えぇ、刻華虫を染めることよ」
「染める……」
「起きて意識がある時にやっても良いんだけど、レイカちゃんは刻華虫からの侵蝕が酷いから、早めに済ませておいた方がいいと思うわよ」
ライカの言っていることは、なんとなく理解出来る。
感覚的に何をする必要があるのか、そうすると何が起きてしまうのか。
それを言葉にすることを躊躇ってしまう。だから、何も答えることが出来ない。
「……ライカ」
「何かしら?」
「あんな風に錯乱したり、記憶や意識を刻華虫に侵蝕された蝶妃はレイカ以外にもいたの……?」
私の問いかけにライカは一度、口を閉ざす。
それから少し間を空けてから、彼女は口を開いた。
「えぇ、いたわ」
「その蝶妃はどうなったの?」
「亡くなったわ」
あっさりと告げられたその事実に、思わず拳を握り締めてしまう。
「刻華虫は私たち、蝶妃に力を与えてくれる。けれど、力を求めるあまりに心を壊してしまう蝶妃もいるわ。そういった蝶妃は遅かれ早かれ、死んじゃうわね」
「……治ることはないの?」
「ないわ。或いは……」
「或いは?」
「リセットするしかない」
ライカが告げた言葉に場が静まり返る。
誰もが口を開けぬ中、最初に声を発したのはイユだった。
「あの、ライカ様……リセットとは……?」
「刻華虫は蝶妃の人格に影響を及ぼしている。その影響が悪影響になったのなら、刻華虫を塗り替えることで影響をリセットすることが出来るわ。ただし、実質別人になってしまうようなものよ」
「それって……結局、死ぬってことじゃないですか? 今までの自分がなくなっちゃうんですよね? 記憶も、人格もなくなっちゃうなんて……!」
絶句したようにヨツバちゃんが驚きの声を零した。
そんなヨツバちゃんにライカはただ淡々と答える。
「そう。そういうものなのよ、
そこでライカはふっ、と笑みの質を変えた。まるで嘲るような、そんな皮肉げな笑みだ。
「そして、これまで最も蝶妃が壊れてきた派閥は紋白よ」
「……」
「それは紋白が負ってる役目の所為もあるんだけど、最大の理由は女王にあるわ。トワちゃんって怖いでしょう? あれが私たち、蝶妃の頂点。どこまでも無垢で、どこまでも純真で、それ故に何者にも染まらぬ白。その顔を見るに、アユミちゃんもよく理解したみたいだけど」
「……紋白の蝶妃は強くなければトワに目にかけても貰えない。女王がそうだからこそ、その下にいる蝶妃も影響を受ける。ただ強くなって、蝶妃の力を使えるようになる。それこそが自分たちのアイデンティティになる」
思わず手を額に当てて、私は項垂れながら呟きを零す。
私が、紋白の蝶妃としてずっと覚醒することが出来なかったのはそれが理由なのかもしれない。
ただ強くあること。それが紋白の蝶妃にトワが求めたこと。その動機は何だって良い。だから、その動機に拘って、結果的に命を落としても構わないんだ。
それがまた、別の蝶妃を強くする。誰かに動機を与える。ただ強くなるために、ただ強くあるために。
私は意識を失ったまま、目を閉じているレイカの傍までいく。
静かに寝息を吐きながら眠っている顔を見ていると、さっきまでの決闘が嘘だったように思ってしまいそうになる。
「……アユミちゃん」
イユが案じるような声で私の名前を呼ぶ。その表情はどこか不安そうだ。
ヨツバちゃんとマリアちゃんも、イユと同じ表情になってしまっている。
そんな三人から目を逸らして、もう一度レイカへと視線を落としながら私は言った。
「ごめん、レイカと二人っきりにして貰えるかな……」
私がそう言うと、イユが何かを言いかけた。
けれど、その先の言葉はなかった。医務室にいた人たちが静かに去っていき、部屋に残されたのは私とレイカだけ。
「……レイカ」
レイカは目を覚まさない。
このままずっと眠って、目を覚ますことはないんじゃないかとも感じてしまう。
頬に手を伸ばして、ゆっくりと撫でる。温もりを感じるのに、心はどこまでも冷え切ってしまいそうだった。
レイカから手を離して、今度はレイカの腹部へと視線を向ける。
今となっては疎ましさすら感じる、紋白の蝶妃であることを示す刻印。
その刻印に手を伸ばすと、静電気を受けたような痛みが走った。まだレイカの刻華虫は私に抵抗しようとしているんだろう。
その痛みを無視して、私はレイカの腹部に手を置く。労るようにお腹を撫でていると、抵抗が弱まっていく。
ふと、目眩がした。まるで何かが頭に直接流れ込むような感覚。そして私は脳裏にある光景を垣間見た。
――それは、私の背中だった。
――勢い良く地を蹴り、光の中へと飛び込んで行く。
――私は一歩、また一歩と遠くなっていく。
――その私の背中に、誰かが手を伸ばしている。
『置いていかないで』
『守るって言ったのに』
『私だけが守られてる』
『約束したのに』
『こんなのは、嫌なのに』
『約束を、守りたいのに』
『――あれ……?』
『何の、約束をしたんだっけ……?』
遠ざかっていく私の背中。伸ばした手は私が消えていく光に溶けるように飲み込まれていく。
白く、白く、どこまでも白く。それ以外の色が見えなくなってしまう程に。
「――もう、いいよ」
思わず声が震えてしまった。
ぽたぽたと、私の頬を伝った涙がレイカへと落ちていく。
ずっと何者かになりたくて走ってきた私と、見失ってしまったものを追い続けていたレイカ。
私たちの道は違えてしまったけれど、その在り方はとても似通っていた。
あんなに近かったのに、手が届かない程に離れて、こうしてようやく触れあえた。
私はレイカの歩みを否定したくない。たとえ、その所為でレイカが擦り切れてしまったのだとしても。
だから、その上で歪んでしまった今の関係を終わらせよう。
「全部、忘れていいから。だから、新しい約束をしよう」
未だに眠るレイカを見つめながら、私は祈るように瞳を閉じて願う。
「最初からやり直そう。あの日の約束も改めてなかったことにしよう。レイカが叶えたい夢を抱けるようになるその日まで、私が貴方を導いてみせるから」
レイカのお腹に浮かんでいた紋様が、まるで生き物のように蠢き始めた。
薄れて溶けていくように消えた後、新たな紋様が浮かび上がっていく。その紋様をなぞるように触れると、先程まであった抵抗は消え失せていく。
「――おやすみ、レイカ。……今まで、本当にお疲れ様」
望んだ再会も、夢の続きもなかったけれど。
それでも、もう一度ここから始められる。貴方と、私と、そして皆と一緒に。
今度は、心を捨てる必要がない道を歩いていこう。
――私が導くから。黒揚羽の女王として、皆が笑っていられるように。
蠱毒の胡蝶はどんな夢を見るのか? 鴉ぴえろ @piero_bbt
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