21:その決意は黒く塗り潰すように
レイカが変わってしまったのは、蝶妃に目覚めた時からだった。
あの時に刻華虫によって人格にまで影響を及ぼされていたと考えれば辻褄が合う。
だから理解してしまった。レイカがこうなってしまった原因は――他でもない私だった。
(置いていかないで。弱いから付いていけなかった。だから強くなりたかった。……その言葉の裏にあったのは、私に置いていかれたくなかったから)
レイカが私に置いていかれたと思った、そのキッカケに心当たりがあった。
その時のことを、私は今でも鮮明に覚えている。それが、私とレイカが決別してしまった時だったから。
その日は、私とレイカが初めて遠征に同行した日だった。
何もかもが初めてで、遠征に慣れることに必死になるしかなかった。
『大丈夫かな、明日の討伐……』
『大丈夫よ! 私がついているじゃない! それにアユミも私を守ってくれるでしょう? 二人なら大丈夫よ!』
不安を零した私に、レイカはそう励ましてくれた。
今思えば、レイカだって不安を押し殺すのに必死だったのかもしれない。
そうして迎えた討伐の日、私たちは恐怖に飲まれていた。
鎧蟲という天敵を前にして、怖じ気づけば死ぬとわかっていても身体と心が自由にならない。
私たちが動けない間に、他の候補生が襲われて倒れていく。そんな光景に心と体がバラバラになりそうだったのをよく覚えている。
――それでも、私はレイカを守るために前へと出た。
なんとか鎧蟲を一匹、不意を打って倒すことが出来た。
ただの幸運でしかなかったけれど、私は候補生でありながら鎧蟲を倒せていた。
レイカは、そんな私の背中を見ていたんだろう。
――レイカが蝶妃に覚醒したのは、その後すぐだった。
一匹倒したところで、もう状況はどうにもならなかった。死を覚悟した時、眩い光を放ちながらレイカが鎧蟲を薙ぎ払ったのだ。
その姿に私は思わず見惚れて、蝶妃に覚醒することが出来たことをレイカを見つめていた。
『レイカ! 貴方、蝶妃に覚醒出来たんだね!』
『アユミ……』
『ありがとう! 本当に助かったよ! やっぱりレイカは凄いね! 次は私も――』
『はぁ? 貴方、何を言っているの……?』
『え……?』
『見て、この姿を。私は生まれ変わったのよ』
『レイカ……?』
『貴方はまだそのままなの? それならいっそ、諦めたら?』
『ど、どうして……わ、私たち、ずっと一緒だって約束したよね……?』
『約束……? あぁ、そんなものしたかしら』
『そうだよね、約束したよね!?』
『でも――私と貴方は違ったのでしょう?』
『地を這うしかない貴方が私と友達なんてこと、ある訳ないでしょう? ――身の程を弁えなさいよ』
憧れた姿があった。
その憧れの姿になったレイカは離れていって。
ずっと届かなかった筈の彼女が、今こうして目の前にいる。
私たちが決別してしまった理由を、白日の下に晒しながら。
「……ずっと、置いていかれたのは私だと思ってた」
声が震える。視線を下げて、俯いてしまいたくなった。
それでもレイカから目を離さないようにと、私は彼女を見つめる。
「でも、あの時にレイカが私に置いていかれたと思ってしまったのなら……こんな話ってないよ」
本当は、ずっと知りたいと思っていた。
興味がないフリをしても、過去は消えないから。
蝶妃に覚醒して、変わってしまっても、それでも礎として私の中に残っていたから。
私は、レイカにもそうなのだと思っていたし、そうあって欲しいと願っていたことに気付かされた。
「あぁ……っ! 消えてよ、その不愉快な色を見せないで……! そんな色、嫌いなのよォッ!」
レイカが忌まわしいと言わんばかりに叫びながら私に向かってくる。
そうして迫った光の刃を、私は片手で掴み取った。黒と白の鱗粉が火花を散らすように弾け合う。
そして私たちは視線を合わせる。もうかつてのように視線が交わることはないのだと言うように、レイカはただ私を敵としてしか認識していなかった。
『もう、アユミったら! 頑張るのはいいけれど、無理すれば良いって訳じゃないでしょ?』
――仕方ないと言うように、レイカは私に微笑んでくれていた。
『大丈夫よ。だってアユミには私がついてるじゃない! アユミだって私を助けてくれるでしょ?』
――互いに大切に思い、支え合う関係なのだと疑っていなかった。
『一緒に夢を叶えて、蝶妃になって、これからも――』
――誓い合っていた夢は、もう名残すら残さず散っていた。
その残滓を強く握り締めながら、私は現在のレイカを見据える。
「……この手を、離すべきじゃなかった。遠ざかってしまう前に掴むべきだった。もう、遅いけど」
「この……! 離してよ……! いいから、早く、さっさと倒れてよォッ!?」
「――倒れるもんか……負けるものか、お前に! お前なんかにィ!!」
私は昂ぶる感情のままに吼える。
それが異能の力を後押ししたのか、レイカの光輝く刃を侵蝕していく。
侵蝕に気付いたレイカが勢いよく私を振り払い、距離を取る。
――あぁ、そうだ。私は負けられないんだ。
この世界で生きるには力が必要で。
その力を得るためには自分自身すら蝕まれなくちゃいけなくて。
そんな生き方しか出来ない世界の中で、そんなの理不尽だと心が叫んでいる。
私は、ずっと何かになりたかった。
一緒に夢を目指していた人は離れていって、それでも諦めきれずに進み続けた。
蝶妃に覚醒して、女王になって。その答えがようやく見えてきたように思えるんだ。
私は、何も奪われたくない。何も奪わせたくない。
皆で一緒に歩いて行ける世界を、皆で目指せる未来が欲しい。
だから、それがどんなに私たちに力を与える存在であっても、こんな風に人を歪ませるなんて許せるものか。
こんなものに染まってなんてやるものか――ッ!
「私はこの色を纏った! これが、私が選んだ色だ! 私は、黒揚羽の女王! だから、お前になど塗り潰されてやるもんかッ!!」
なら、この抗いたいという気持ちは私のものなのか、それとも刻華虫の本能なのか。
――そんなの、私の意志に決まってる。たとえ本能がそう囁くのだとしても、それをも取り込んで抗うと決めたのは私の意志だ!
力がなければ、何も守ることができない。
力を得るためには、心を差し出さなければならない。
そんなの、絶対に嫌だ。力も、心も、これは全部私のものだ。
全部抱えていくんだ。何一つ、これから失うことがないように。
だから負けられない。全てを守り抜くために必要だと言うのなら――目に映るその全てを塗り潰してでも、私は私であることを貫く!
「全力で来なさい、レイカ! 私が、今の貴方の全てを受け止めてみせるから!!」
そして、レイカとの因縁をここで終わらせるために。
歪んでしまった私たちの関係を清算するために。これはやはり必要なことだったんだ。
だから受け止めよう。すれ違って、遠ざかって、もう戻ることが出来ないと受け止めながらも、それでも前に進むために。
「あぁ、あぁああああああああああ――――ッ!!」
私の声に応じたのか、それともただの錯乱か。
レイカは私へと駆け出した。レイカの武器から放たれる光はこの戦いが始まってから一番眩くて、目が焼かれてしまいそうだ。
この一撃をまともに受ければ、もしかしたら消えてしまうかもしれない。それだけの力が込められている。
(――それでも、受け止める)
私は手を前に突き出す。突き出した片手を逆の手で掴む。
もっと強く、もっと広く、もっと遠く、どこまでも届かせるために。
手を覆っていた黒い鱗粉がどんどんと集まっていき、私の腕を大きくしていく。
そして私の腕は、大きな異形の腕へと化した。その変化に見合うように力がどんどんと削がれていく。
頭痛がする。まるで脳が警告を発しているかのようだ。けれど、歓喜するように腹の底が煮え立つように熱くなっていく。
もっと力を出せ、と言うように。私自身の身体すらも壊してしまいそうな程に。その衝動を気合いでねじ伏せて制御する。
(私の力なら、黙って、私に従えッ!)
レイカが迫る。跳躍しながら大きく振りかぶり、私へと光を振り下ろした。
まるで太陽が落ちてくるようだ。その光が私を飲み込む前に、私は巨大化した腕を掲げて受け止める。
この戦いが始まってから一番の火花が散った。悲鳴のような音が響き渡り、目の前すら見えなくなってしまいそう。
私を押し潰そうとする圧力の中、吹き飛んでしまいそうな身体をしっかりと踏みしめることで支える。
「あぁぁああああああああああああ――ッ!」
「ぐぅ、ぅぁぁあああああああああ――ッ!」
レイカの叫びと私の叫びが重なる。
私を掻き消そうとするレイカと、その全てを受け止めようとする私。
光を掴むように広げた私の黒い腕。それがレイカの光によって削られていく。その度に全身に無数に針が突き刺したかのような痛みが走る。
「消えてよ……! 私の目の前から、もう消えてッ!」
「――消え、ないッ! 私は! 私たちは、決して消えない!」
「ッ!?」
「もう二度と戻れなくても! 私はずっと覚えている! 貴方と歩んだ日々を! これからも、ずっとだ! だから、消させるものか! 私は! 貴方を打ち砕いてでも! 私を貫き通す!」
受け止めたレイカの光を、そのまま握りつぶすように力を込めた。
腕が内側から弾けてしまいそうな痛みが走る。それでも、決して力を緩めない。
――そして、レイカの光がブレードごと圧壊するように崩れた。
「あ……」
呆然としながら、砕けた武器を見つめるレイカ。
私も無傷ではない。鱗粉で巨大化させた腕は剥がれ落ちて、ボロボロになった本来の腕を晒す。
そんな傷だらけの手を握り込む。まだはっきりしない視界でも、朧気ながらに見えるレイカを見据えて一歩を踏み出す。
「――私の勝ちだ。レイカ。……これで、全部終わるから」
私はレイカの鳩尾へと拳を叩き込んだ。
半ば無防備で私の拳を受けたレイカは息を吐き出して、その身を大きく震わせた。
彼女の視線が私に向けられる。そして、何かを確かめるように手を伸ばした。
「……ァ、ュ、ミ……?」
身体を震わせ、まだどこか夢の中を彷徨っているような表情でレイカが私に縋り付く。
私の血だらけになった手にレイカの手を重ねてくる。そうしながら私を見つめる彼女の目に涙が滲んだ。
「――わたしを、おいて、いかないで……」
懇願するように告げられた言葉、それを最後にレイカの意識が落ちた。
力なく崩れ落ちた彼女の身体を支える。レイカの手は私の手から離れ、力なく揺れる。
「――勝者、
いつの間にか、私たちの傍に立っていたトワがそう告げた。彼女はとても満足そうに私を見つめている。
私はそんな彼女を一瞥してから、トワを無視をするようにレイカを抱き上げた。
「……私の勝ちなら、レイカは貰っていくよ」
「えぇ」
「……トワ」
「なに?」
「――この借りは、いつか何倍にもして返す。覚えておいて」
こうなることをわかっていて、止めるどころか煽っただろう彼女にそう告げる。
いつか、この人を私は倒さなければいけない。トワが蝶妃の頂点で居続ければ、こんなことは何度でも繰り返されるだろう。
ただ人を強くするために、自分が面白いと思うような展開を見るために。ただ、それだけのために。
でも、止めるとしても今じゃない。トワを止めるには足りないものばかりだ。力も、心も、そして仲間も。だから、まだ彼女を今の座から引き摺り落とすことは出来ない。
だけど、それでもいつか絶対に叩き落としてやる。そんな私の宣言を聞いて、トワは花が開いたように笑った。
「――楽しみにしてる。アユミが、私に手を伸ばすその日を」
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