第10話:労働対価の見直しの必要性 ③

 今の日本では“人材を安価な金額で雇用し、利益・効率など会社への帰属性を優先させる”という風潮が慢性化しており、個人で何かを行う人を軽視している場合も少なくない。しかも、安価な人材を確保する事が出来ると、当然人件費も安価になるわけだ。そのように安価な人件費で従事者に規定量以上の仕事量をさせることで労働対価を下回ったとしても会社には損害ではなく、むしろ利益が発生してくる。


つまり、会社側は最低賃金の中で給与を設定することで問題ないと思っているのだろう。しかし、私はこれらの概念に対していくつかの問題が生じているのではないかと考える。


例えば“労働の質の低下への懸念”だ。これは、いわゆる給与に見合った仕事だけをする事で会社に貢献することが出来ると考える人が増えていくが、会社側はそれ以上の仕事を与える事も少なくない。その影響として、仕事量に対してもらえる給与が少ないと感じることが長期化することで離職願望と自己肯定感の低下などを招き、仕事の質が下がることもある。


 現在は“試用期間”という正社員になる前に雇用形態を変更もしくは維持した状態で、給与を下げて自社の業務を一定期間行い、採用か不採用を決めることが多いが、このような部分も待遇が変わることで労働継続のモチベーションが下がってしまうこともあるため、法令上で“試用期間を設定する際には労働条件の変更等は行わない”もしくは“試用期間は研修期間として位置付けて、期間を最長で3ヶ月程度とし、諸待遇および給与等の変更は基本的には行わず、変更をする場合には最寄りの労働基準監督署への雇用契約一時変更届などを提出し、提示金額は監督署への届け出賃金の2割程度までの減額とし、それ以上の減額を認めない”という状態にすることが大事だろう。もちろん、会社としては人材を選ぶ権利はあるが、安価に労働の搾取を行うことは本人たちにとっても不本意であり、場合によっては悪い印象しか持ってもらえない状況に陥ることもあるからだ。悪い印象を相手に与えてしまった時点でその人材との信頼関係の構築は難しくなり、最悪は離職してしまっても致し方ないと思うしかない。


 なぜ、日本の偏向的思考がなかなか壊れないのだろうか?理由として、人材の高学歴化が進んでいることもあるだろう。特に都市部では大学卒業者が多く住んでおり、幼少期から“良い大学に入って、良い会社に入りなさい”という思想を植え付けられている事も1つの要因なのかもしれない。その結果、良い会社に入ることが出来なかった人を見下す人も多くなっており、これらの考えが二極化を生んだことで、ワークバランスやコンプライアンス遵守だけが先行し、肝心の相手の立場を見失う状態になってしまう。


これが、人材選別の動きに姿形を変えて、気に入らない人材を天秤にかけてきちんと事前に解雇通告せず、突然解雇する不当解雇などの違法行為に発展することもある。つまり、学歴=信用・好成績=好人材の証明・多角的視点=事業拡大への期待など人材によって得手不得手が存在しているが、それらを補填するのでもなく、結果論でどうなるかではなく、労働対価を遵守しつつどこまでその人に眠っている能力を引き出すことが出来るのかが会社の命運を握っているのではないだろうか?特に、あまり成績が良くない、仕事は早くても周囲から取り残されてしまうなど外面的には問題があると判断をしてもそのような人材の中に眠っている潜在能力を会社がピンチに陥ったときに発揮してもらい、一般的な視点では解決出来なかった会社の経営が軌道修正できたという例も少なからず報告されている。


つまり、日頃の業務に対する成績や評価があまり良くない状態であっても成績で判断せずにレアプランなどを期待することで一般的なことが苦手な人もいて、なかなかうまくいかなくて挫折や迷走をしてしまうよりも1つのスポット的イマジネーション思想が出てくることにより、それらのアイディアが何らかの事態に陥った場合に活用出来るのではないだろうか?

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