第1話 不良君、覚悟する

 狸小路ギャング卒倒事件から一ヶ月前。

 四月上旬。

 札幌市清田区某町。

 高らかな青空の下、こぢんまりと広がる閑静な住宅街に、その家族は住んでいた。


「んー……、違う気がする」


 時刻は朝の六時ジャスト。

 そんな時間帯から、佐良治郎はかれこれ一時間も洗面所を占領していた。鏡に映るもう一人の自分。生まれつきの天然パーマな長髪は、繰り返されるセットによって、現代アートのような妖しさを発していた。


「なんかなァ、もうちっとだけ親しみやすさを出したいんだよなァ。これじゃあ尖り過ぎてて教室に入った瞬間、警戒されちまう」

「おい」

「大体なんだよこの髪型。ピカソのゲルニカみたいになってんじゃねェか。もしくはジョニー如月の愉快な冒険のジョニー笹塚」

「おいってんだよコラ」

「でもなァ……。こう、……なんだ。目立つ要素が一つ欲しいんだよな。個性を抑え過ぎても地味なヤツ来たなってなるだろうしよォ」


「おいッて言ってんのが聞こえねェのか馬鹿野郎ッ!!!!」

「おげェ!!??」


 響き渡る甲高い叫び声。それと同時に繰り出される、驚異の腹パン。突如として身に伝わる衝撃に、治郎は為す術なく吹っ飛ばされ、隣の廊下へと移動していった。


「ううッ、めちゃくちゃ痛いんですけど……」

「テメェが朝っぱらから小一時間も洗面所独占してっからだろうが。ふざけてんのかコラ。ここはテメェが主の家じゃねェンだぞ」


 ビキビキと額に青筋を立てながら、足踏みをして怒りを露わにする女。学生服に身を包んでいる治郎とは違い、彼女は薄いTシャツに薄いハーフパンツを纏っていた。


「次、あたしの許可なく洗面所使ったら殺す」


 佐良壱花さがらいちか、御年二〇歳。

 現役の大学生、つまりJDである。


「ひ、ひでェ」

「通るよー」

「あだァ!?」


 直後、床に寝転がりながら愚痴を零す治郎の腹に、ドスンと何かが落ちる。端的に言うと、それは足。黒のハイソックスに包まれた細い足が、治郎の体を踏み台にしてスタスタと歩き抜いていく。


「てめコラ! 美彩みいろ!! なに人踏んでんだ!!」

「兄貴がそんなとこで寝てっからでしょー。ンじゃあたし朝練あるからー」


 不意に現れたセーラー服の少女。肩に掛けた大きなカバンを重たそうにしながらも、短い黒髪を揺らしながら、彼女は靴を履き替える。

 同時に、洗面所から壱花が「おーいってらー」と反応する。


「兄貴もさー、だからってあんま張り切んないでよね。キモいから」

「えェ――――…………」


 次女、佐良美彩さがらみいろ。今年で一五歳になる受験生であり、バレー部の主将。ちなみに反抗期である。


「くそ反抗期め、調子乗りやがって」

「テメェは今でも反抗期だろうがよコラ」

「ちげェよ! オレはもう」


「兄ちゃん兄ちゃん」

「あん?」


 洗顔を始める壱花に向かって反論しようとした時、何の前触れもなく真横から声を掛けられる。

 反射的に振り返ると、そこに居たのは小さな小さなゾウさんであった。


「…………」


 リトルエレファントは、プラプラと揺れながら話し始める。


「ママがね、朝ご飯できたから早く食べちゃいなさいって」

「お、おう」


 言いたいことだけ言ったリトルエレファントはくるりと背中を、というかおケツを向けて、居間へと歩き出した。


「こらこらこらこら」


 そんなリトルエレファントを、治郎は呆れながらも止める。


「なに朝っぱらからフルチンで歩いてんだよ! パンツ履け士郎しろう!!」

「やだー」


 ドタドタと足音を立てながら、お構いなしにフルチンで行動する四男。

 もとい佐良士郎さがらしろう。元気いっぱいな小学校一年生である。


「おまッ! 学校でもフルチンそれで歩いたりしてねェよなッ?」

「たまに」

「おいコラァ!」


 聞くことなくマイサン丸出しで歩く困った弟を追いかけて、居間へと向かう治郎。入った矢先に見えたのは、白飯味噌汁定食が並ぶ、大きな食卓テーブルであった。


「ちょ! なんで注意しないんだよ母ちゃん!!」

「えェ、可愛いじゃない」


 台所から、あらあらと言って淑女みたいに笑うエプロン姿の母。


「じろくんも、昔はあーだったのよ?」

「いやいーよ。急にそんな思い出話しなくても……」


 突然のお母さんムーブに、どう反応していいか分からなくなる思春期であった。


「おー治郎、こっち来いや」

「あん?」


 テーブルに着こうとした矢先、洗面所から壱花が治郎を呼ぶ。


「なに?」

「しょうがねェからあたしがセットしてやんよ」

「えッ、別にいーよ。ンな気ィつかわなくて」

「いーから黙ってここ座れや。詰められてェの?」

「はい」


 小さなプラスチック製の椅子に座る。


「さっきは言い忘れてたけど、ンだこの素敵ヘアーは」

「色々と試行錯誤してたらこーなったんだよ。わりィか?」

「わりィ。絶望的にダサいし、気持ち悪い。よくこれで行こうとしたな」

「うるせーな」

「あ?」

「なんでもないです」


 言いながら、壱花は治郎の現代アート風味な髪型を櫛で解かしていく。


「姉ちゃん、今日早いよな」

「んー……、まァ今日は一限からだからな」

「何時に帰ってくんの?」

「スナックのバイトあるし、一二時だな」

「ふーン、忙しいな」


 黒色の細長いヘアピンを、洗面台の棚から何本も取り出しながら言う壱花。そんな彼女の言葉に、治郎は人並みの反応をする。


「うちはガキ多いしよ。父ちゃん母ちゃんばっかに負担させるわきゃいかねェだろ」

「…………そうだな」


 直後、壱花は零すように力の無い笑い声を発した。


「ふッ。にしても、あの治郎が今日から公立高校に転校ねェ」

「なんだよその笑顔、気持ち悪ィ」

「はは、褒めてんだよボケ」

「…………」


 ヘアピンを刺し、スプレーを掛けながら、手際よくセットを進めていく壱花。彼女の珍しい甘さのある会話に、治郎は少し顔を赤くさせる。

 少し顔を俯かせて、治郎は呟く。


「でもよ。正直、不安だ」

「あ?」

「なんつーかよ、ほら。この間までクソヤンキー学校行ってたし、オレに普通の生活なんてできんのかなって」

「…………」


 ベシッ! と、躊躇なく壱花は治郎の後頭部を叩く。


「えあ?」

「ばーか、なに珍しく気落ちしてんだよ。キショいな」

「明らかに言い過ぎだと思うんですけど!?」


「その普通ってヤツを経験する為に、オメェは今まで必死こいて勉強して、バッチリ転校決め込んだんだろうが。今更んなって怖じ気づくのは、今まで努力してきた自分への裏切りだぜ」

「――――ッ」


 ポム、と壱花は治郎の頭に手を置く。


「一度、本気を覚悟したんなら続けてみせろやダサ坊」

「…………うん」

「完成だ。とっととメシ食ってデビュー決めてこい」


 椅子から立ち上がる。

 鏡に映ったのは、現代アート風味なオブジェを乗せた不可思議な頭などでは無く、一本、二本、三本と少しばかり前髪が垂れた、フンワリとした柔らかなリーゼント。サイドは幾つものヘアピンで留められており、良い感じにアクセントになっていた。


「寝ぐせ?」

「ちッげェよバカ。零れそうなリーゼントだ」

「な、なるほど」


 振り返り、治郎は笑う。


「あんがとな、姉ちゃん」

「おう」


 同じように、壱花も笑うのであった。

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不良君、人助け部に入る ぶっさん @bussan

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