第24話 終章 君の隣で

少し暖かな風が、冬の終わりを予感させる。空は曇りなき青一色で、どこまでも突き抜けるような清々しさがあった。


狭間家と御三家が暮らす大きな屋敷。そこにある中庭は、屋敷の巨大さに釣り合ったスペースを有している。普段ならば、あまりに広くて戸惑う者もいるかもしれない。だが、今日は違った。正装の男女が大勢いて、少々手狭だ。


年齢も性別も髪型も皆、様々だが、晴れやかな笑顔を浮かべていることに変わりはなかった。


「あー、我らがヒロイン、フヨウさんが結婚かー」


間の抜けた声で嘆くピアスロン毛に、リーゼント男が同意を示す。


そんな彼らの横を、ボッチが軽快に駆けていく。


「お前らー今日はサザエもってきたぞー食え」


ボッチは、スーツをきちんと着ておらず、ネクタイは面白い角度で曲がっていた。しかし、彼は気にもしないだろう。潮の香りがする大きな網を背負い、参加者にサザエを配っては笑う。


「なんで式にんなもん持ち込んでんだよ。ったく、俺もくれ」


 リーゼント男は、ボッチに追いつくと、サザエをかっぱらうように受け取った。


「んー、牡蠣嫌いなのにサザエは食えるのか?」


「……ちょっと、苦手だぜ。でも、新しいことに挑戦したい気分なんだ。オラ、行くぜ!」


 きっと、親が見れば食い物を粗末にするなと怒られたに違いない。リーゼント男は、地面にサザエをセットし、どこからか取り出した釘バットで何度も殴打。粉々になったサザエの殻をどけ、豪快に口へ中身を放り込む。


「おお、すごい。最近の若者の流行りか? なあ、剛、飲んでるか?」


フラフラの赤ら顔で、ゴーンが何度も剛の肩を叩く。普段ロクに酒を飲まないゴーンのこの姿は、大変珍しい。千葉家の子供が、驚いた様子でゴーンを眺め、次に陽気な鼻歌を歌う剛を見て逃げて行った。


「酒弱いくせに飲むな。あ、私が飲ませたっけ? ダーハハ」


「うるせーい。あ!」


中庭のドアが開き、新郎姿の境が現れた。雲に溶けるような白いタキシード。肌が白く中性的な顔立ちの境に、その色は良く似合っていた。だが、いかんせん普段の堕落した素行の境に、ビシッとした印象のするタキシードという組み合わせは、彼を知る者からすると奇異に映るかもしれない。


「ダーハハ、似合わねえ」


大勢から笑顔で歓迎される。しかし、顔面蒼白で体を震わせている境は、気にしない。いや、気にする余裕がない。


「おい、こっちだ坊っちゃん」


壇上に登ったゴーンが、右手で手招きする。


いつもなら、ダルそうに歩く境も、この日ばかりは背を伸ばして歩いた。


「お、おい。聖書とかは?」


「ない。だいたい我らの結婚式は案外テキトーなんだから気にしない。お決まりの台詞も言わないよ」


「マジかよ……」


だが、それはそれで気持ちが楽になる。境は、そう思い直すが、表情が柔くなることはない。


ドキドキ、と心臓がやけに痛い。どうにかなってしまったようだ。


――今日、この日にフヨウと結ばれる。夢にまで見た光景。雲の上を歩くような浮遊感は、まだ夢を見ているのだろうか? 


「落ち着け、大丈夫。夢じゃない。鏡の前で殴った時、痛かっただろうが。だから、その」


「花嫁がくるぞー」


ピクリと境の肩が動く。


待ってくれ、心の準備がまだ――思考が止まった。


開け放たれた両開きのドア。そこに佇む彼女から目を離せない。


「綺麗……」


と呆けるように誰かが呟く。その声に反論する者はいないだろう。


光るような美白の肌に、さらりと風に揺れる亜麻色の髪。薄いピンクの口紅を塗った唇は瑞々しく、ほんのり赤い頬は初々しい。


純白のウエディングドレスが、風に揺れる。


フヨウは、この世全ての愛おしさを引き連れて現れたのだ。


「フヨウ……」


 呆けた境に、彼女はいつもよりも優しい笑みを返す。


 一歩、また一歩。フヨウは剛の腕に掴まり、壇上へと歩む。


「あ……」


「緊張してるの? 可愛い」


 剛の傍を離れ、境の隣へ来た彼女はそんなことを言う。恥ずかしくて、でも嬉しくて……うっかり衝動に任せて抱きしめそうになった。


 甘く心を解きほぐす匂いが、隣に並び立つフヨウから香ってくる。


 境の表情はまだ岩のように硬い。だが、温かな感触が胸の内から生じ、ゆっくりと体の硬直を和らげていく。


「あーゴホン」


 ゴーンは、わざとらしく咳をして、それから無駄に渋い声で若き二人に問うた。


「あなたたちは、夫婦となります。……チィ、涙もろくていけねえや。ああ、ゴホン。ゆ、夢じゃない。そう、二人が結ばれるのは夢じゃありません。


 小さい頃から二人は一緒で、ずっと前から両想いのくせに、妙に意地っ張りだから、全然仲が進展しなくて、オッサン心配してました」


 ドッと会場から笑いが起こる。


 境は顔を真っ赤に染め、ギリギリと歯を鳴らした。


 コイツ、こんな時くらい真面目にやってくれ。そんな憎悪が湧いて出たが……すぐに忘れた。眼前でゴーンの潤む瞳を見たから。


 彼は兄のようで父のようで、紛れもなく家族だ。支えられたことは数多く、授業参観に来てくれた時、これほど嬉しかった人物はいなかった。


 目頭が熱いが、もう少し我慢しよう。そう決心して、真顔でゴーンの言葉を受ける。


「でも、二人は無事に夫婦になってくれました。実をいうと、二人のことをワシは、本当の子供のように思っとりました。……実の両親には悪いが、大事に思っていた気持ちで負けるつもりはありません」


 ――ああ、駄目だ。我慢などどうしてできようか?


 熱い感情は胸の奥から目へと伝達し、涙となって頬を伝う。


 歪む不確かな視界。境は、隣をコッソリと盗み見る。彼女も泣いていた。


「……どうせ、これから先も困難があります。でも、二人は固い絆で結ばれている。その絆はダイヤより硬く、そしてダイヤより価値があるのです。


 嫌な事だらけの世の中で、真に価値あるのは打算を抜きにした信頼と愛情でしょう」


 ゴーンは、涙と鼻水で濡れた顔をもっとぐしゃぐしゃにして笑った。


「おめでとう。さあ、誓いのキスを」


 境は、フヨウと向き直る。


 式が始まる前は、カッコ良くキスをする自身を思い浮かべたが、それはもう境の頭の中にいなかった。


 境は、優しい手つきでベールを上げ、彼女の形の良い唇にキスをする。


 唇は柔らかく、肩に置いた手は暖かさを感じた。


巻き起こる拍手は高々と空に響き、止みそうにない。


 境は身体を起こし、フヨウの手を引いてドアへと歩もうとする。――だが、


「た、大変です」


 スーツを着たキラー家の女の子が、ドアを激しく開けて中庭へ躍り出た。


「なんだいったい」


 手で目元を隠しながら、剛が怒鳴る。


「そ、その、巨大な超越種が現れました。大変怒っているようで、このままでは街が危ないかと」


 境は、ポカンと口を開いた。


「え、このタイミングで?」


「はい」


「……じゃ、めんどいから後は任せ」


 た、と呟く前に、フヨウが境を引きずり走り出す。


「行くわよ」


「嘘だよね。今日は他の人に任そうよ」


「だって、でっかいんでしょ。そんなのと戦えるのあなただけよ」


「いや、でも、待って」


「うるさい」


「ゴフ! 喉を殴らない、で」


 フヨウは、中庭のドアを蹴破ると、「あ!」と後ろを振り向いた。


「これを忘れてたわ」


 フヨウは、預けていたブーケを姉から受け取ると、思いっきり放り投げた。


「皆、ありがとう。さあ、戦うわよ」


 ド、と群がる女たちを尻目にフヨウは駆け、境は引きずられた。


「僕の未来は、……多分ずっとこんな感じだ」


「なんか言った?」


「いいえ、最高にハッピーです」


 フヨウは、立ち止まり、


「ならば良し」


 と鮮やかに笑った。

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デマイズ・リスタート~転生された世界で~ 天音たかし @kkaazz

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