第23話 第五章 決戦⑦
日が落ち、暗闇が満ちた校舎の廊下を、細く眩い光が時折駆ける。
それを向かうつ刃は、幽玄の輝きを空間に刻んでいく。
「フン、雷撃を放って、お前が切って。何度このやり取りをしただろうな」
「君が首を差し出せば、すぐ終わるが?」
「減らず口は慎め、人間」
境は、刀を振るいながら、眉を顰めた。
(なんで、こんな攻撃しかしてこない。人質がこれだけいるのに、盾にすらしないのは変だ。何のために学校を戦場に選んだ?)
境は教室を盗み見ると、大勢の生徒が机に突っ伏して眠っているのが見て取れた。ここに足を踏み入れてからずっと眠り続けているのは心配になるが、今のところ無事なようだ。
ホッとする。しかし、同時に不気味な不可解さがあった。
ゼウの攻撃は、むしろ人質を傷つけないような配慮がある。
境は疑問の答えを求めて、廊下の向こう側から歩いてくるゼウを睨んだ。
「……そろそろか。貴様、この前見せた目はなぜ使わん?」
「ダルいから」
「うつけが。つくならもっとましな嘘をつけ。貴様が奥の手を見せんなら、先に俺様が見せてやろう」
ゼウは攻撃を止め、指を鳴らす。
境は周囲を素早く確認するが、攻撃の類ではないようだ。その代わりといってはなんだが、ゼウの全身が黄金色に輝いている。初めは弱く、しかし時間が経過するごとに輝きは眩く強くなっていく。
「なんだこの輝きは? 何をするつもりだ」
「……とくと堪能するがいい。仇敵であると認めたがゆえ、見せるのだ。我が父、ゼウスが世に聞こえし雷撃の真なる姿をな」
ゼウは、白髪を逆立て、両手を広げた。どこか舞台役者めいた大げさな動き。違いがあるとすれば、彼の周囲に小さな光の帯が現れたこと。
それは、一つではない。数を増やしながら、ゆっくりと回遊する。
ただの演出ではない。きっとあれに触れれば、消し炭になってしまうのだ。そんな予感めいたことを、境は感じ取った。
「これ、は」
「我が計画の最終目的を明かそう。お前らが汚染兵と呼ぶ存在の真価は、戦力にあらず」
「何を言ってんだ? 数で劣る君らが対抗するために用意した存在じゃないのか?」
「違うな。本来の価値は、エネルギータンクだ」
境はハッとする。
「気付いたか。俺は、全知全能の血を引くが、いかんせん人間の血が混じっているせいで、神の権能の出力が弱い。そこでだ、他人から力をもらうことにした。
我が権能【略奪】によって、力を奪えば、俺様は強くなれる。だが、そう便利な権能ではなくてな。俺の血を受け継ぐ者からしか奪えんのよ」
「……なるほど。それで汚染兵か。血を注入することで、強引に親族だと定義し、力を奪う。君はボッチに命じて、学校の連中に自分の血を入れたな?」
「ご明察。食事に少量混ぜさせてもらった。血が少しだと、汚染兵のような兵士にはならんが、我がエネルギータンクにはなる。んー? フハハ、そうだ、狭間 境。その顔が見たかった。
わざわざお前の学校の学生を選んだ甲斐があったというものだ」
「クソ、野郎がぁあ!」
境は、手の震えを強引に抑え、血走った双眸で敵を睨む。
「嫌がらせ野郎としては一流だ。けど、人からエネルギーをもらってじゃないと、まともに戦闘できないのはダサいな」
「何だと?」
「ダサいって言ったのさ。そこらを飛んでる蚊と変わらないな」
「ほざけ。俺様が虫けらと変わらぬだと」
ゼウは人差し指を境に突きつけ、それから天を指差した。
「神の力を見てもそんなことが言えるかな?」
突如、大きな揺れが校舎を襲う。強く激しく、ついには立っていられないほどに。その揺れによって壁や床、至る所にヒビが入っていく。
「おいおい、んだこれ」
「フハハハハ。ああ、素晴らしいものだな」
まだ境が入学して二年しか過ごしていない校舎。しかし、思い入れがある場所だ。割れた黒板、裂け目が見える廊下、粉々になった窓。一目見れば、思い出が蘇ってくる。
けれどももう、その景色とは別れないといけない。校舎は瓦解する。
「う、うわ」
ゼウの力は、物理法則さえも無視するのか。瓦解した校舎の破片は、重力に逆らって空へ落ちていく。
それに追従するように、境を含めた校舎の全員の体が浮いた。一体どこまで高度は上がるのだろうか。眼下の街はどんどん遠ざかり、ついには雲よりも高みに達してしまった。
高い所は平気な境も、この高さには背筋がゾワゾワとして落ち着かない。
ゼウは、瓦礫の中央に浮かんでいる。まるでプールで泳いでいるような優雅さに、境は苛立ちを隠せない。
「おい、降ろせ」
「おお、済まなかった」
ゼウが指を鳴らす。
勝手気ままに浮遊していた瓦礫は、その音を待っていたように、瞬時に動き出す。瓦礫が集まって壁となり床となり、一つの建造物が形作られる。
「これは……」
境はこの建造物に見覚えがあった。中央に広場があり、周囲を円形の客席が囲んでいる。――これは、
「コロッセウム?」
「そうだ。貴様と俺の戦いを彩るにはよい場所だろう? 安心しろ校舎の連中は客席に座らせてある」
彼の言っていることは事実だ。
ドサリ、と広場に落とされた境が周囲を見渡すと、教員と学生たちがきちんと椅子に座らされている。意識を失っている全員の胸辺りから、黄金色の光が泡のように生み出され、それがゼウへと集まっていく。
金の冬景色を思わせる幻想。しかし、それが力を奪っている光景だとすれば、心中穏やかでいられるわけがない。
境は、自らの対面に降り立ったゼウに、鋭い視線を投げかける。
「そもそもだけどさ。君は僕らと敵対して何がしたい?」
「決まっている。貴様らを打倒し、俺様の国を創る。そして」
ゼウは両手を広げた。
「我が父を復活させる」
「ゼウスを? なんのために」
「神の世界をもう一度始めるためだ。なんともまぁ、ふざけた話だと思わんか? 世界は神が創るものだ。しかし、あろうことかこの世界は世界を正しく回すために、貴様のような調律者を用意し、破壊と再生の輪廻を阻害する要因となるならば、創造者である神さえも排除しようとしている」
ゼウの口調は軽やかだが、血走った彼の目は復讐者のそれだ。嫉妬、憎悪といった負の感情を抱く者だけが瞳に宿すドス黒いもの。
ゾクリ、と境は腹の底から冷えを感じた。まるで狼に睨まれた獲物のような気分。しかし、だからといってそのまま恐怖に飲まれてやる義理はない。
境は、わざとらしくアクビを噛み殺し、幽玄刀をゼウへ突き付けた。
「なるほど、神が一番で他は知らんって考え方か。全く神なんてろくなもんじゃないな」
「貴様、神を愚弄するか。やはり貴様は調律者以前の問題で好かん」
「ハ、光栄だね。君に好かれなくて嬉しいよ」
口はどこまでも軽く、しかし踏み込みは鋭く重く。
境は、残像が生じる速度で五メートルの距離を詰め、ゼウに斬りかかった。体の隅々まで、斬るという行いをするためだけに特化させた動き。芸術、といって差し支えないだろう。
しかし、ゼウが生み出す雷の剣が、行く手を遮る。
「幽玄刃で、斬れない雷、だと」
「ハハハ、父の雷はどんなものも退ける。たとえその刀であってもだ」
死神の手が肩に触れたような感触。境は、咄嗟にゼウとの距離を取るが、
「が!」
ノータイムで生じた無数の雷に打たれ、倒れ伏す。
「フ、もはや戦いにならんな」
「あ? ちょっと攻撃当てたくらいでイキがるなよ」
そう言い放ち、境は四肢に力を込めるが、筋肉は脳からの指令を上手く処理しきれていない。
しびれが蛇のように骨の髄までしみ込み、暴れまわり、胃の奥から吐き気が盛り上がってくる。
しかし、吐かない、退かない。境は苦々しく顔を歪めながら、刀を地面に突き刺し、震える足を殴りながら立ち上がる。
「ダチが見てる前で負けられねぇよ。僕が負けたら、誰がコイツらを助けるんだ」
「ほう、良いことを教えてやる。貴様の学校の者を殺せば、我が力は弱まる」
「僕ができないと知ってるくせに黙ってろ。そんな必要ないね。だって、僕は神の半端者ふぜいに負けないから」
境は瞳を閉じて、内に意識を向ける。
――ドクン、ドクン。
やけにうるさい鼓動に混じるように、巨大なエネルギーの塊のようなものを感じた。それは、触れればその指ごと粉砕するような偉大で無慈悲なる力。
使わないで済むならそれが一番だが、状況が許さない。境は、力を強引に押さえつけながら、慎重に開放していく。
「――来たな調律者の本領が」
ゼウの言葉を聞き、境はそれから緩やかに目を開けた。現れた瞳は、黒から朧気な金と銀のオッドアイへ。その変貌は、人を塵のように見下す超越者でさえも震え上がらせる。
ゼウは一瞬表情を緊張させた。けれども、すぐに不敵に笑う。まるで、前回の苦渋を忘れてしまったかのように。
「調律者がもつ固有スキル。恐らく貴様のスキルは、超越種の異能の否定と身体能力の弱体化だ。強力だが弱点が二つばかりあるな。――ひとつ」
ゼウの姿が消えた。
銃弾さえ止まって見える境の動体視力でさえ、知覚できない。
「が、は、う」
ゼウは、すれ違い様に境の体を殴っていく。
なんと重たい拳だろうか。一撃をもらうたびに、体が衝撃に震え、雷撃に筋肉と神経がズタズタに焼かれる。
境は、刃を振るう。殺意を込めて、勇ましく。しかし、殺意は空を斬るのみ。この想いは、届かない。
「その能力は視界に相手を捉えていないと意味がない。そしてもうひとつは相手が強すぎると効果が薄い」
ゼウは動きを止め、真っ正面から境の瞳を見据える。
(一体、どういうつもりで?)
境が目を細めるなか、ゼウは神の雷を放つ。くどい、と思う。これまで何度その雷撃を切り裂いたと思っている。
先ほどは不覚を取った。しかし、この瞳と刀が組み合わされば、斬れる。
境は無造作に刀を振るった。バターを斬るようないつもの感触……は手に伝わってこない。
――ギィン、と甲高い音。刀が後方へ飛んでいく。
境は震える自らの手を眺め、それからゼウを見た。
彼は、愉快だと言わんばかりに笑った。
「やはりな。五十をゼロにすれば無力だが、千を九百五十にしたくらいじゃ無力にはならん。残念だが、頼みの綱は千切れたな」
ゼウは、一歩一歩軽い足音を鳴らして歩み寄ってくる。まるでコーヒーを飲みながら朝の優雅な時を楽しんでいるようだ。
笑い声が聞こえてくる。ゼウの声だ。彼は口角を上げ、見下した目で境を見る。
「あ……」
体が硬直する。雷とダメージのせいだろうか? 当然、それもあるだろうが、これは違う。
理由は明白だ。恐怖。それが、境の体を縛っているのだ。いつもならば、戦士の心と調律者としての矜持が支えてくれる。しかし、今はなんと無力だろうか。
恐怖に立ち向かうものがない。本当に何もないのか?
「……フヨウ」
――否、そんなはずはないだろう。
「ん? 何かほざいたか。ほら、命乞いくらいしたらどうだ? それとも悪あがきをするか? 自由に選ぶがいい」
「僕は、いいや俺は、……するんだ」
「なんだ? 聞こえんぞ」
「俺はこの戦いが終わったら結婚するんだ」
ゼウは、腹を抱え大声で嘲笑った。
「それは可哀想に。夢物語で終わったな」
「勝手に決めんじゃねぇよ。まだ、終わってない」
境は、おぼつかない足取りで前へ前へ進む。不格好だろうが知ったことではない。境は拳を握り、敵を殴る。
頭の中では、ゼウの顔は粉微塵になっているはずだった。
しかし、その拳はゼウの頬を少しへこませただけで、虚しくペチンと鳴った。
「フハ、あのおぞましく調律者が……。おい、あまり笑わせるな。腹が千切れてしまう」
「黙れ、黙れ、黙れよおおお」
何度も何度も拳を振るう。無様に弱弱しい音が鳴ろうが、動きは止めない。止めたくない。
だが、ああ。だが、しかし。そんなものは空気を揺らすだけのそよ風に過ぎない。
ゼウが笑う、ゼウが黙り込む、ゼウが悲しげな瞳になる。
なんだ、なんだ、その瞳は!
「……哀れになってきたな。そろそろしまいにしよう」
ゼウは境の体を軽々と持ち上げ、投げ飛ばす。
浮遊感が体を包み、地面を何度もバウンドする。痛みが全身を貫き、口の中が血で溢れた。
ようやく止まった体は、酷いありさまだ。
痛い、痛い、痛すぎる。けど、フヨウ。彼女の下へ帰るまでは抗ってみせる。
境は、震える体に鞭を打ち立ち上がった。
ゼウは、冷めた目つきでそれを眺め、両手を前方に突き出す。
「……神の慈悲をやろう。我が雷は、万能なる光。塵もなく、その苦痛と共に消え去ってくれる【神は宇宙を焦がし破壊する。ケラウノス】」
眩い光は、かつて世界を恐怖に陥れた神の威光。
膨大な光の奔流がゼウの手のひらから生じ、境へ殺到する。
「や、めろおおおおおお」
境は刀を鞘に納め、全身全霊の力で抜刀した。
ぶつかり合う刃と光。
全てを切り裂く刃が、神雷を切り裂けない。その矛盾こそが、神が神たるゆえんであるかのようだ。
境は、力が抜けそうな足を罵倒し、ただひたすらに眼前を見つめる。背後には、クラスメイトたちの客席があった。
「があああああああああああああああ」
少しずつ、刀は後退していく。
ギリギリと噛みしめた歯の隙間から血が零れ、汗が風に乗って飛んでいった。
頭には、走馬灯のようにこれまでの記憶が駆け抜けていく。
(俺は、死ぬのか? あいつを殺せず、フヨウと結婚もできずに?)
ふとフヨウが笑う顔が、頭をよぎった。
(嫌だ。また会いたい。殴るけど可愛いあいつに会いたい。ずっと大好きだった。やっと言えたんだ。本当は手が震えて死にそうだったけど、言えた。やめろよ、走馬灯なんか。消えろ、生きたい、死にたくない、生きたい)
――境、調律者の力は自然現象と一緒なんだ。
「父さん?」
――自分一人で生きては駄目。人は弱い。だからこそ、他の存在の力を借りるの。
「母さん?」
眼前の光の中で、両親が見えた気がした。それは幻だったのか、それとも走馬灯を走らせている脳の悪戯だったのか。
だが、そんなことはどうでも良い。境は、大事なことを思い出した。
「そうだ、俺は何をしてるんだ。なんで、必死に一人で戦ってんだ。調律者の力は、俺一人の力じゃない」
境は瞳を閉じて、内ではなく世界を感じた。風と海と森と空と太陽と。偉大なものが見たいなら、それらを見つめればいい。いつでも見えるそれは、人なんか話にならないほど壮大で命を育む偉大なのだから。
「……俺は、生きる。【調律の右目よ、神の力を平たくしてくれ】【調律の左目よ、神の権能を剥奪してくれ】」
淡かった境の瞳は、ぎらついた金と銀の瞳になった。どんな宝石でさえも出せぬ、眩く麗しい輝き。
境は柄を握る手を緩め、フウと息を吹く。たったそれだけ。万物を塵へ帰す神雷は、悲しそうに塵と消えた。
「な……え? 何を、した?」
「消した」
「ふ、ふざけたことを」
ゼウは地面を蹴った。神と化した体は、光の如く動く。……はずだった。けれども、今はもう見る影もないほど、緩慢な動きでしか歩けない。
「え?」
「何を驚くことがある。お前が言ったんだ。千を九百五十にしたくらいじゃ無力にはならんって。だったら、千をゼロにすりゃいい」
「馬鹿な。神の力を否定するだと? いくら調律者だからといって、この出力の力を否定するのは簡単なことではない。いや、不可能だ」
「いいや、可能さ。それに、簡単だ。だって、調律者の力は、自然の作用と一緒なんだ。雨が降って海へ流れ、また雲となって雨が降るように、調律者は自然が生み出した力なんだよ」
境は、身体を引きずりながら歩んだ。
「僕は勘違いしていた。僕自身の力だけを使って目の力を使えば、そりゃ弱いに決まってる。だって、ただの人間一人の力なんだから。でも、自然に満ちるマナの力を使えば、強くなる。マナは世界そのものだ。神さえも自然淘汰する偉大なる世界の力なんだから、お前の雷くらい消せるに決まってる」
ゼウは、愕然とした顔で叫ぶ。
「馬鹿なことを。人間如きが、世界の力を受け止めきれるものか」
「受け止めていない。ただ僕という体を通して出力しただけだ。……世界は、きっと困っていたんだ」
「何の話だ?」
「……ありのまま動くように世界は回ってきた。なのに、神をはじめ知的生命体は、自然の流れに逆らっていつまでも存在しようとする。
知的生命体だって、自然から生まれたものだから、許容しようと世界は頑張ったんだ。でも、世界が崩壊し、また再生する。その一連の流れさえも逆らって、超越種という存在が残ってしまった。世界にとって、それは大問題だ。
自然の流れに沿わない不自然な奴がいる。困った世界は、だから僕ら調律者を生み出した。自然の力を借りた知的生命体が、不自然を正すことできちんと世界が回りますようにって」
ゼウは、渇いた笑みを浮かべる。
「だから、自然の力も使えるって? 馬鹿げている」
「いいや馬鹿げてない。自然はお前らに優しいよ。だって、自分たちでお前らを完全排除せず、人間という生き物を通して淘汰するか、それともこの世界で生きるのか選択させてくれるんだから。
ん、わかんない? ああ、つまりさ。お前らがこの世界に馴染もうとするなら、お前らもこの世界の住人になるから討伐する必要がないってことだよ」
「……たわけが、あまり舐めるな。それは俺に世界への反逆を止めろと? 断る。俺が俺であるためには、世界と友達ではいかんのだ」
「ああ、そうかよ」
境は、刀を投げ捨て、瞳の力もオフにしてしまった。
「何をしている?」
「今のは調律者としての話。超越種と調律者、その互いの立場でだけの話だ」
境は、勢いよく走ると、前のめりにゼウを殴り飛ばした。
「こっからはお前と僕の話だ。気に入らない。仲間を切り捨てる非情さとか、俺の大事な人を殺そうとするところとか」
ゼウは、生徒たちから力を得ようとする。しかし、神なる特権は沈黙するばかりだ。
「ハ、使う余力がないのか。……よかろう。俺だって貴様が気に入らない。仲間に囲まれてチヤホヤされている貴様など。だから、軟弱なのだ」
「羨ましいのか? グハ」
技も何もない力任せのパンチを、ゼウは放つ。そこから先は、酔っ払いのケンカとそう変わりない。殴ってよろめいて、蹴って転んで。無様で情けなく、面白いくらい顔を腫らしながら二人は拳を振るう。
「すべてを犠牲にした。なのに、貴様に勝てないのはなんでだ」
「犠牲にするからだろ。一人より二人、二人より三人。簡単な足し算だ。切り捨てるより協力したほうがいい。そんなこともわからないなら、小学校に通え」
「……黙れ。俺様の計画が、貴様のせいでパアだ」
「ハハハ、ざまーみろ。そら」
境の拳が頬に当たり、ゼウは仰向けに倒れる。境はフラフラと彼の前に跪き、幽玄刀を召喚した。
「……もう終わりか」
「そう終わりだ」
「は、ははははは」
「あ、ははははは」
二人は壊れたロボットのように笑い、涙を流しながら互いを見つめ合った。
「君は、生き方を誤ったんだ。もっとスマートに生きれば、それだけで幸せだったはず」
「……貴様にはわかるまい。偉大なる血と情けない血が混じった俺は、果たして何者だったのか分からなくなった。俺は父のようになりたかったのだ。強い男になりたかっただけだ」
「やっぱお前はアホだ。血なんか関係ない。お前はお前だ。偉大さは血に宿るんじゃない。生きざまに宿るんだ」
「……生きざまに」
「そうだ。……もう気付いても遅い。お前は多くの命を奪いすぎた。だから、俺が殺してやる」
「ハ、俺だとか僕だとか、忙しい奴め。ああ、ボッチに言っておったな。仇の口調だったか?」
「盗み聞きは趣味が悪いぞ」
「フン、許せ。……確か両親を殺した深紅の瞳を持つ超越種だったか」
ゼウは、ニヤリと笑った。
「置き土産をくれてやる。深紅の瞳の正体は、サタンだ。今もどこかで生きているらしい」
ドクン、と境の心臓は高鳴る。
「サタンってあの……。そうかよ」
「さあ、やれ。躊躇して俺に恥をかかせるなよ」
「わーてるよ。……なあ?」
「なんだ」
「いや、やっぱ何でもない。ゼウ・リベの当主、ゼウよ。お前を葬る」
「……フン、つまらん幕切れだ」
そう呟いた男の心臓を、幽玄の刃が貫いた。
ゼウは、何も言わず、口から血も流さず、ただ目を閉じた。ゆっくり、噛みしめるように呼吸を繰り返し、最後にひときわ大きく息を吐いて死んだ。
「……終わった。おわ!」
地面が激しく振動している。境は、フラリと立ち上がり、周囲を見渡した。
「そうか、ゼウが死んだから崩落するのか。どうしよう。全校生徒と教師っつったら、六百人くらいいるんじゃねえか? 俺一人で降ろすとか無理なんだけど」
土くれ色の顔になっていく境の鼓膜に、騒がしい音が届いた。
上を見上げれば、空を覆う程のヘリコプターが飛んでいる。
「あれは、フヨウか!」
先頭のヘリの側面ドアが開き、フヨウが顔を覗かせた。
「境、これからロープで自衛隊と私達が降りるから皆を乗せるの手伝って。ボッチが木々を生やしてこの建物を支えてくれているから、時間はあるわ」
「え、あいつ生きてたのか?」
フヨウは、拡声器を投げ捨て、ロープを使って降りてくる。
境は、涙を流し愛しき女の下へ駆け寄った。抱きしめて、彼女の温もりと匂いを感じたい。
――だが、待っていたのは抱擁ではなく、固く握られた拳であった。
「グハ! な、なんで?」
「あなた、地上についたらボッチに謝れ」
「あ、そっか。はい」
「よし、働け」
「うす」
痛む体を引きずり、境は救出作業に没頭する。
何度も何度も、それはもう気が遠くなるほど作業して――。やっと全員を救出し終えた頃には、空が白みがかった輝きを放っていた。
「フヨウ、さん。僕はもう、無理です。だから、あと、よろ」
境はヘリに乗り込むと同時に、彼女の胸に飛び込むような形で気絶した。
フヨウは、椅子に倒れ込む形で彼を受け止める。
救出作業中、ずっと厳しい顔をしていたフヨウは、それが嘘だったかのように笑う。
細く長い指を境の頭に置き、愛おしそうにゆっくり撫でた。
「お休み。ごめんね無理言って。でもおかげで、皆助かった……」
フヨウの瞼は、重力に逆らえずに閉じる。
それをこっそり覗き見ていたパイロットは、「泣けるね」と穏やかに笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます