第14話 持たざる者


「あれ? ライラの帰り道ってこっちだっけ?」

「いえ。今日は太陽の日差しも強くないし、この辺を散歩してたの」

 もちろん嘘だ。本当は十分ほど前にここに着いたばかりだ。

「宝華は帰る途中? もしよければ、少しご一緒しても?」

 私は無邪気にお願いしてみるも、今日の彼女は歯切れが悪い。

「えっと、やめといたほうが良いかも」

「あ、迷惑だったかしら? ごめんなさい。じゃあ、せめてこれだけでも受け取ってくれないかしら」

 私は彼女から借りたハンカチと同じメーカーの新品のハンカチを、彼女へ手渡した。

「あ、あれ? これ」

「ごめんなさい。洗濯に失敗しちゃって、ご迷惑かもしれないけど、新しいものを用意したの。あ、イニシャルとかはデパートで刺繍してもらったわ」

 使い古したハンカチではなく、しっかりアイロンまでかけられたハンカチを渡され困惑する姿は、女性らしい姿だった。

「う、受け取れないよ。あれ使い古したハンカチだし、気にしないで。あ、私これから用事が」

「受け取ってほしいの。お詫びとして受け取っていただけないなら、そうだ。プレゼントしますわ」

 受け取らずに逃げようとする宝華を引き留め、私は少しだけ押し問答をした。私としてはぜひ貰って、使ってほしい。

 代わりにあのハンカチは私の宝物として、大事に保管しますわ。だからそれを受け取って。そう思い提案すると、宝華の傍から私を援護する声が聞こえた。

「へえ、貰えばいいじゃん」

「そうですわ。ぜひ!って、今の声はどなた?」

 私の疑問に宝華はため息をついて肩を落としている。

「遅かった……」

「いやいや、時間ぴったりだぜ」

「そういう意味じゃない」

 私の背後から現れた長身の男と、宝華は嫌そうに会話をしている。

「俺がやったプレゼントより、こっちのほうが綺麗じゃん。貰っとけ貰っとけ」

「こういうの貰っちゃうと、私の荷物盗難にあうんだもん。気づけばシャーペンとか消しゴムが新品になってるの」

「良いじゃん。劣化しないで済む」

「良くないから」

 明らかに意見や考え方があっていないのに、二人の仲は悪くなさそうだ。

「ていうか、少しくらい空気読んでよ」

「読んでるさ。お前が困っている。かわいいお前が困ってて、見捨てる俺か?」

「……」

 男は宝華の頭をわしゃわしゃと撫でて、笑っている。すれ違う時に顔が良く見えなかったが、宝華は思いのほか嫌がった表情じゃない。言葉の節々は刺々しいが、どこか安心したような、そう、素を出せている時の私のような……。

「ご、ご兄妹?ですか?」

「あ、うん。ほら、秋兄」

 宝華は私に挨拶をするようにと、男の体を肘でつついている。

「ああ、ごめんごめん。小さくて見えていなかった」

 ひょうひょうとした様子で私の方へ振り返った男の顔は、宝華そっくりだった。思わず魅入ってしまった私に宝華は、

「今日は身だしなみ整えててくれたのだけが救い」

とよくわからないことを言っていた。

「お前が剃れって言ったんだろ」

「当たり前じゃん。女子高の前に髭面の不審者居たら、捕まるよ」

「捕まらねえよ。お前と似た顔だぞ?どこが不審者だ。というか、どちらかと言えば宝華が俺のコピーだろ」

「はぁ……秋兄はせめて心は私寄りでいて欲しかった……」

「あ、あの……」

 おずおずと私は彼女たちの会話に割って入ろうと、声を出した。だが俊敏な動作で男、いや、宝華の兄?が私の方へ振り返った。

「やあやあ、宝華にプレゼントありがとう。だが宝華もこの調子だ。悪いけど、これは君が使うといい」

 男……いや、彼はまるで婚約指輪を私に手渡すように片膝をつき、私の手のひらを包むように握った。そしてその手のひらに、私が宝華に渡したハンカチをそっと置いた。

 その手は宝華よりも大きく、柔らかな宝華の手とは異なる、ごつごつとした男の人の手だ。

「あ、あの! 秋兄? さん」

 私は何て読んでよいか分からず、秋兄と呼び、話しかけようとした。だが彼はすぐに私から手を離し、立ち上がった。そしてまるで用済みとでも言うように、宝華の方へ踵を返してしまった。

「ああ、気にするな。それより宝華、ワゴンの様子はどうだ? 上手くやれてるか?」

「そう言ってまたご飯集る気? まあ、小食二人しかいないし、助かるけど」

「協力的な兄で良かったなあ。だが慢心するなよ? 本当なら花ちゃんの美味しいご飯が食べたいが、その味の差を埋められる可能性のある妹の手料理で手を打とうと我慢してるんだ。それに食費だって不自由なく渡しているだろう?いてっ!」

「馬鹿……」

 兄のすねを蹴る宝華は、学校では見せたことの無いブラックな姿だ。そして私がいるからか、恥ずかしそうに不貞腐れた表情のレア宝華も見ることが出来た。

「で、何食べたいの?」

「うーん、俺としてはハナちゃんの作った角煮?」

「兄さん車?」

「ああ。そうだが」

「じゃあ買い物しに行こうよ」

「仕方ない。ついでに足りない消耗品も買いに行くか。舞やあずさはどうする?」

「欲しいものあるかチャットで聞いてみる。あとお米とか料理酒とかトイレットペーパーとか色々買いたいから覚悟してね」

 学校では決してみることが出来ない彼女の素顔を引き出せる『彼』を前に、私は不覚にも固まってしまった。

 柔らかい微笑みや、それと相反するごつごつする手や、低い声。宝華がたまに聞かせる低温ボイスは、彼がモデルだったのだと、本能が理解した。彼を前にした宝華からは学校で見る肩肘張った姿が一切なりを潜めている。それが彼が姉ではなく、兄であることを如実に物語っている。だが最も惹かれたのは、彼の顔、その瞳だ。

「ごめんね、ライラ」という宝華の言葉でやっと金縛りが解けたように声を出すことが出来た。

「あ、あの! もしよければ」

 学校でも出したことの無い大声で私は彼に、決死の思いでお願いをしようとした。そのおかげか彼は振り返って、私と目があった。そう、いつもならこの後の私のお願いは、何人も拒むことが出来ない魔性のお願いだった。今日もそうやって、彼らに近づこうと思っていた。

 だがそこへ不測の事態がやってきた。それはまるで学食に現れたあいつ等のように。だからこの後の結果は見えていた。

 だけど最も予想外だったのは、私がそれを前に一切抗戦する気が起きなかったことだった。それどころか私は、自分の美しさを一瞬だけだが忘れていた。そしてそれに気が付けば私は、男になった宝華のような存在に、心を奪われていた。

「あ、あの……」

 だって彼の瞳や表情は、よく見れば見るほど……、

「君はなんだかあれだね。惜しいね」

 聞いたこともない評価を前にしても、私の心は動じない。だって言葉よりも彼の目が私に全てを語りかけてきた。

「中途半端だ。性格の悪さもその容姿も。中途半端と言うより、偽物? そういう意味で言うと欲望に忠実で破滅したあずにゃんの方が面白いね。そういうことだからバイバイ。ハンカチ買ってくれたのにごめんね。えっと、まあいいや。行くぞ、宝華」

「あ、ちょっと! 兄さん馬鹿でごめんね。さっき言ってた秋兄の言葉忘れて。ライラ」

「嘘は言ってないだろ。審美眼だけは自信あるんだ」

「黙って!」

 宝華が私をフォローしようとしつつも、秋兄の力強い手に惹かれて姿を消していく。その姿を見て、私は先ほど触れた彼の手の感触を思い出し、胸を高鳴らせた。

 結局私は彼女たちに目的のハンカチを渡すこともできず、目的を一つも果たすことが出来ずに、別れることとなってしまった。

 それなのに、私は心に満ちていく気持ちを言葉にせずにはいられなかった。

「あずにゃんって……あれだよね」

 私は脳内で、あの不健康そうなオタク。通称蕁麻疹製造機だった彼女の姿を思い浮かべる。あの子に負けたのか……。あの女性としての矜持すら捨てた、あいつより私は下なの? いや、誰が負けと決めたのだろうか。他でもない私だ。

 なぜなら彼は、私の名前に興味すら持たなかった。

 だけど彼女は、名前どころか親し気にあだ名で呼ばれていた……。

「そっか。これが、嫉妬なんだ」

 私がモブたちに浴びせていた視線を自分に浴びせられたことで、私は気が付いたのだ。目覚めたのだ。

 一流の品だと思って数多の搦手で手に入れたものが、所詮贋作だったことに。

 本当に欲しいものは、手が届かない場所にある。だからモブたちは妥協するのだ。手に入る範囲で、我慢していたのだ。

 宝華は好きだ。自分に相応しい。唯一の欠点は、同性だった。同性でも美しいものは好きだし、集めたい。だけど、ガラスの靴が似合う女性になった時、私はきっとそれを持ってやってくる王子に恋焦がれるのだろう。

 その点でいえば、宝華は魔法使いだった。

 そして私は灰被り姫。だけど出会った。めぐり合わせてくれた。

 王子様に。私の、いえ、私と同じ価値観を持つ、宝華と同じ貌を持つ王子様に。

「でもその王子様は、悪い魔女に騙されている」

 だから、助けなきゃならない。そう思った私は、彼女たちに手紙を書いた。

 そして私の家に招いたのだ。

「この前のお詫びをしたいの」と言葉巧みに彼女たちを誘導し、タクシーを使って我が家へ案内する。

 学食のケーキや紅茶などとは比較にならない上質な菓子を用意し、私は彼女たちに宣戦布告する。

「率直に言うわ。秋様に集るのはやめなさい」

 私はいつも以上に、学校では一切見せない真剣な口調で、カステラを食べる彼女たちに宣言した。それなのにあろうことか、とんでもない反撃にあってしまった。

 彼女たちはキョトンとした様子で私を見ていた。そしてあろうことか、日村さんは食べていたカステラを噴き出して私に浴びせてきたのだった。

「秋、様? あはははは! ダメだ、俺もう、あははは!」

「な、何がおかしいんですの!?」

「だ、だってあの変態ヤローを、様付けなんて、ああ、俺もうだめ! カステラ食べてる時に笑わせんなよ」

「私は真剣よ!」

「あのなあ、あいつは初対面でセクハラする屑だぞ?」

「小生はセクハラに関しては何も言えぬでござるが、おかしいも何も、秋介さんはそんな上等な人間じゃないと思われ、ますっ、ふふふっ。ど、どこの世界線のお話ですかな?」

 出された菓子類に一切手を付けないオタクも、私に言葉の暴力を投げつけてきた。日村さんにつられたのか、あきらかに笑いをこらえていた。

「な、何よ! 馬鹿にして‼」

 顔が熱くなるのが分かる。だって、正々堂々と高らかに宣戦布告した私に対して、こいつら……。

「貴様! まさか機関が送り込んだエージェント!?」

 オタクの言葉に日村さんはさらに過呼吸のように笑い苦しんでいる。こ、こいつらぁ……。

「笑うなぁ!不細工のくせに!」

 気が付けば私は、座布団代わりにして座っていたクッションを日村さんに投げつけていた。

 今日この時この部屋で一番馬鹿にされているのは、悔しいけど私だった。歯痒さで頭がおかしくなりそうなその時、私の顔に柔らかくも衝撃が襲ってきた。

 視界が暗くなるも、すぐに視界が開ける。私に襲い掛かってきたのは、先ほど投げつけたクッションだった。投げつけた張本人は、怒りを露に汚らしい茶髪を揺らめかせている。

「何が何だか知らねえし、あの変態ヤローの肩を持つつもりもねえが、売られた喧嘩は買うぜ。あと誰が不細工だ!」

 流石不良。そう思った矢先、不良の体がオタクの手によって羽交い絞めにあっていた。

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