ともだちではない

草森ゆき

恋人でもない

 生花が最も流行っているらしい。そう話しながら姉は、頭部のない人間に花を生けていた。薄桃色のこじんまりとした花だ。名前は知らないらしい。

 花や虫や犬や猫や、ペットは市場に溢れていたが、トレンドは人間だった。頭くらいなくても生きているので進化とは偉大なものだ。脳の位置が変わるわけではないので、取っ払うと動けなくなるのだが、愛玩に知能は要らないだろう。

 花を生け終わった姉は帰った。手を引かれてフラフラと歩く姉のペットは、満開の桜のように膨れ上がった花の頭部を揺らしていた。共にデコレーションしようと誘ってきたのはあちらだったが冷たいものだ。仕上がったペットを自慢して回りたいのだろうし、姉弟なんてその程度のものだ。

 静かになった自室の中で、俺は俺の愛玩動物に向き合った。頭にはまだ何もない。裸のまま座らせているが、居心地悪そうに時々足を組み替える。男と女どちらがいいか問われて、悩んだ末に男にしたのは俺の服を流用できるからだ。今はほぼ着ないスーツだとか、若い頃にうっかり買ったスカジャンだとか、箪笥で死んでいる学生服だとか、着せて歩いているやつは案外見るのだ。

「おまえ、なりたい頭とか、ある?」

 聞こえるはずも話せるはずもないのだが、つい問い掛けた。当然、反応はない。綺麗に切断された首の断面をよろよろ揺らしているだけだ。

 一旦考えるのをやめた。溜め息を吐きつつ、何かヒントがないかと本棚の雑誌を引き抜いて、ペットの隣に腰掛ける。何かに反応したらしく、真横で肩が揺れた。覗き込むような動作をするので、互いの間で雑誌を開いた。巨大な遊園地の写真が載っている特集ページだ。マスコットキャラのパレードが行われており、写真に映り込む一般客とそのペットは夢でも見ているような様子だった。

 思い立った。手首を掴むと、ペットはびくりと肩を震わせた。

「なあ、選んで」

 人差し指だけを立たせて、遊園地の写真上を指すようにする。指先は彷徨った。吟味する素振りで写真から写真へと渡り歩き、一点で止まった。

 それで、こいつの頭は決まった。


 材料は案外簡単に揃った。模型みたいなもんだしなと独り言を言いつつ、ペットの断面、多分気道か食道に土台のプラスチックを突き刺した。痛かったらしく、ちょっと暴れた。とろとろと流れ出した血を拭いてやりつつ、結合部に素早く接着剤を放り込む。

 一段階組み立てる度に、剥き出しの体が震えた。そうか皮膚感覚、触覚だけは生きているのかと俺は思った。太腿の間に置いてある組んだ両手は力を込めすぎて白い。

「痛くしてごめん、あと少し、我慢してくれ」

 組まれた両手を撫でつつ言えば、聞こえてるはずはないんだけれども、頷かれた。確かに頷いた。それで俺は、ああペットってのは可愛いもんだなと、やっと実感が湧いてきた。

 組み立てが終わったのはすっかり深夜で、俺もペットも疲れ果てていた。

 接着面が乾くようにドライヤーをかけ、熱かったらしく身を縮こませた姿を見て、とりあえず俺が着ていたパーカーを羽織らせた。それから風呂に連れて行った。血や汗が張り付いた肌をぬるま湯で洗い、きっちりと拭き上げて、今度こそちゃんと服を着せた。昔に俺が着ていたパジャマ代わりのジャージだったが、絢爛な頭部と見比べると絶妙にちぐはぐで、俺は笑った。

 ペットは棒立ちのまま、笑い続ける俺の前に立っていた。頭となった赤い観覧車はぐるぐるぐるぐる、笑い声に合わせるように回っていた。


 ペットをランと呼ぶようになった。観覧車の覧だ。名前をつければさらに可愛らしく思うようになり、貯金が結構持っていかれたが買ってよかったなと満足した。

 そもそも俺には友達が少ない。いないと言ってもいい。だからペットを飼おうとして、迷いなく人間を選んだ。人間にはしたが、同じ種族だとはあまり思わないことを差し引いても、人間にしてよかった。

 さらに言えば女にすればよかった。ペットをそういった意味で愛玩する向きもあると知ったからだ。頭に水槽を添えた女のペットを侍らせた芸能人が、インタビューでそう言っていた。

 でもランは可愛かったし、嬉しいとぐるぐる観覧車を回すし、まあ別にいいか、と最後には納得した。男相手でもそういう愛玩ができないわけではないのだ。

「痛い?」

 聞こえないと分かっていても、つい聞いてしまう。ランは当然何も言わない。じっと俺に愛玩されて、頭の観覧車はしんとしている。激しく扱うとゴンドラが取れるので、かなり丁重に扱うのだが、それでも事が終わるとひとつふたつは散っていて、翌日俺は付け直す羽目になる。

 無機物は、人体との相性が然程良くない。結合面はしばしば腫れた。化膿止めの薬が家には常備されて、洗浄も緻密に行わなければならなくなった。

 案外苦じゃなかった。他にやることもないからだが、仕事が終わって疲労のまま帰り部屋の電気をつける前、薄暗い部屋の中にぼうっと座るランの姿を見るだけで、どこかの部分が満たされた。ランの観覧車は光を灯さない。誰も乗せない。俺のためだけにそこにある。外からの小さな光を反射して、ただ単に、座っている。俺だけを待っている。


「なあラン、ずっとそばにいてくれるやつが今までいなかったから、変かもしれないけどさ、俺はおまえを友達みたいなもんだと、思ってるよ」

 割れかけた部品を取り外し、新しいものへと取り替えながら、じっと耐えているランに話し掛けた。血がどうしても流れるので、また裸にしていた。寒そうだったから膝に毛布は乗せてやったが、既に血痕がいくつもついていた。

「でも寿命があんま長くないんだっけ。脳みそがないって、どんな感じなんだ? この観覧車はさ、おまえの本当の頭には、なってくれないんだろうか。例えば神経が接続して、って事例も、花とか木とか犬の頭とかを接木にしちまうと、起こるじゃん。おまえはそうならないのかな。この観覧車は一生光らないのかな。どう転がってもおまえがさ、俺の名前を呼んだりは、一生しないのかな」

 ばちんと音を立てて、ゴンドラにくくりつけた針金を切る。ぼたぼたと落ちる血を拭い、小刻みに揺れている肩を抱いた。痛くしたいわけじゃないんだよ、でも痛いんだな、俺が下手なのかな、下手なのはでも、けっこう、みんなそうだよなあ。生きてるだけでみんな何かが痛いもんなあ。

 話しながらランの肩をさすり続けた。震えはそのうちに治まったので、ランのために買った暖かそうな素材の服を着せてやる。もう寝ようと、ベッドにも連れて行った。並んで横になると、傾いたゴンドラがじゃらじゃら鳴った。

 おそるおそる、ランが寄ってきた。寒いのだろう。腕の中におさめて目をとじるが、不意に服を握られてぱっと開いた。ランの指がもぞもぞと動き、俺の腕を探り当てる。ペット化されて頭部のない状態でも、何かの欲はあるのだろうかと、じわじわ眠くなりながら考えたが、違った。

 指先が袖を捲り、皮膚を這った。規則的にゆるゆると動き、右から左に向かって移動し、また右に戻った。皮膚感覚だけは死んでいないランは思考能力も死に切ってはいなかった。

 文字だった。あるいは曲みたいに、俺の耳には確かに聞こえた。

『きみのなまえおしえて』

 ランはそれだけを何度も俺の腕に書いた。わかったと口で答えてから、急いでランの腕に名前を書いた。俺の名前を何かに書くのは久々だった。なんだか嬉しかったから、ランと呼んでいること、頭には観覧車が乗っていること、もう半年以上一緒にいること、友達だと思っていることを、順番に一気に書いた。ランはもう何も書かなかったけれど、伸びてきた両手はうろうろしてから、俺の頭を探りあてて撫で始めた。

 撫でられているうちに眠ってしまった。起きるとランはベッドにいなかった。椅子に座って、窓辺の方向を見つめていた。ただじっとそこにいた。赤い観覧車は緩やかに回り、今日も俺のために、俺だけのために、光を受けて座っていた。

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