幸せになんかなりたくない

ひのとあかり

誕生日を来月に控えたある日、何の手違いか楽天から誕生日を祝う手紙が来ていた。その日のうちに5月から先のカレンダーは破り捨ててしまった。



しにたい、と入力して、投稿はしなかった。

3日連続で同じことを言うのも芸がない。私でも、きっとツイートを見返した時「さっさと死ね」と思ってしまうだろう。


体温の上昇を感じるのに、頭の中はひどく澄んでいた。勢いで死のうとしたあの時に似ている。

障壁が消えた安堵感の先、改めて己の無価値さに向き合った時の静かな激情。そのエネルギーを本来ぶつける相手から逃げて、もはや抑えるのも億劫になった私は、丸い輪っかの中に全部詰め込もうとしたけど、無理だった。

自分を悩ませるものが無くなって、自由を実感したはずだったのに、隙間を埋めたのは自己嫌悪という安い感情だった。


自殺の代名詞とも言える首吊りも、そこそこ失敗率が高いことを後からGoogleに教わった


タイムラインが更新されて、新しいツイートが流れてくる。


「何者にもなれない自分が嫌で死にたい」


明るい室内に舌打ちが響く。その発言主を慣れた手つきでミュートし、Twitterを閉じた。


部屋を出ようとする私に気付いたのか、ケージの中のハムスターが空っぽの餌箱を叩き、微かな音を立てた。私が何も反応せず見つめていると、彼は諦めたのかその場に丸まって動かなくなった。

彼も老いて随分元気がなくなった。大往生まであと少しといったところだろう。せめてこの小さな命だけは見守ってから、と決めていたが、どうせ時間の問題だ。

鍵も持たずに玄関を出ると、オートロックのドアが優しく私を締め出した。


普段は下ばかり見て歩いていたから気付かなかったけど、少し視点を上向けると、この町の空も意外と狭いことを知る。細長いビジネスホテル、高層マンション。蔦の絡まる雑居ビル。

背の高い建物はいくらでもあった。

塔のようなアパートを選んだのは、単に見た目が気に入っただけだった。


最上階のボタンを押した時、エレベーターの控えめな照明に反射して爪が鈍く光った。

死装束・死化粧という単語が頭をよぎる。私は俯いた。

部屋着に近いシャツルックに、落とすのを忘れただけのオフィスネイル。ただ、衝動に駆られただけ、ということがバレバレの格好に少しだけ感傷的になる。

しかし21階からの景色を眺めると、安っぽい寂寥はすぐに霧散してしまった。

目がちかちかするような町並み。小さく蠢く命。山。遠くに見える海。

真っ赤なサンダルを脱ぎ揃え、柵に乗り上げる。そのまま外壁に手をついて、背をぴんと伸ばしてみた。


悪くない眺めである。

こうして下界を睥睨していると、空の巨人にでもなったようで自然と口角が上がる。

世界で1番の開放感と爽快感の中で、走馬灯は見える気配もなかった。

陰気な部屋で首を吊った時は思いもしなかった気分だ。笑いがこみあげてきて、涙が滲んだ。

「若く、美しいまま…」

そう呟く。

桜が散るより先に、歳を重ねる前に。

我ながら良い時期を選べたものだ。低気圧が太陽を覆い隠し、残る桜を一掃せんと勢いを強めた。春ももう終わる。





「それではみなさん、さようなら」


吹き抜ける風に身を任せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸せになんかなりたくない ひのとあかり @Notdoppel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る