第46話 神帝裁判

 皇帝隊本部、専用棟にて。

 一室の前方に座す法条を境目に、片側には辻風を筆頭とした親アイリス派が、もう片側にはジャックなどの反アイリス派の隊長が並んでいる。傍聴席には副隊長に続いて第三席以下の者たちが並んでいる。隊長らに出席を命じられた者もいれば、自らの目で内部争いの行く手を見届けたいと思った者もここに集まっていた。

 部屋の最奥にある玉座はヴェールで隠されて、どれだけ王に近かろうともその顔を見ることはかなわない。

 あらゆるものを裁定するその場において、和倉五鈴とアイリスが中心に立っていた。

「本日は和倉五鈴についての裁判を執り行う。そして、あらゆる隊長が一堂に会するこの場において、内部争いの火種となったアイリスの罪について裁かせていただく。まァこんなもの、正義でもなんでもない裁判だからサ。形式に拘る必要もないが……嘘偽りのない証言をここに求めよう」

 どの口が言うのだと、アイリスは自らにつけられた手錠への苛立ちを感じるとともに、心の内で悪態をついた。

 この場において、法を司る法条は王に次ぐ権利を持っている。彼を納得させることこそ、親アイリス派の目的だった。

 はじめに話を切り出したのは桑水流だった。

「ではまず私から。現在第六隊が勾留している和倉副隊長について、本時に裁かれるべき罪を列挙します。まずサウスエンドでの大量虐殺事件。死傷者軽傷者は計百二十名です。しかし一方、彼女は解離性同一障害と壮絶な過去によって生じた殺人衝動を持っています。彼女の罪は精算しきれるものではありませんが、酌量の余地があることも事実でしょう」

 あらゆる悪を嫌う彼女が和倉五鈴に対してこれ以上の弁護を行うことはないだろう。それを初めより知っていたアイリスは事実以上に意見を述べること期待せず、他の者が和倉を救うことを望んでいた。

「だがこれだけの犠牲者を出せば、判決は既に決まっているだろう」

「私より一つ。和倉五鈴は多くの人を殺しましたし、殺人衝動は簡単に抑えられるものでもない。ですが彼女はAI戦争において、他の者が怯むような任務も率先して実行しました。彼女の手によって知らぬうちに平和を享受している者は多い。その実績を無下にするのは和倉五鈴という英雄への冒涜でしょう」

 佩いた刀は落ち着きのままに、その表情は正しく英雄だった。

 それに対してまたスタチウムが声を上げた。

「民を護るのが皇帝隊の本質的な仕事だ。民が恐れる存在を生かしておく道理はない」

 両者の意見は理路整然、それぞれの代表意見と呼ぶに相応しい。

 しかし、それ以上の意見はどの席からも出てこなかった。

 何故だ? 思考してすぐ、アイリスは簡単な答えに辿り着いた。

 これは正当な裁判に非ず。和倉五鈴は罪を裁かれるためにここにいるのではなく、からだ。何を話そうとも刑は変わらない。であれば本題に向けて思考を巡らせておくのが道理、当然だ。

 ゆえに救おうとしたのだったな、アイリスは想う。自分の信念への狂気的な従属が、彼らの裏切りを見過ごせないアイリスの人間性を作り上げていた。

 法条は表情を変えずに問うた。

「……じゃ、判決に移りましょっか。和倉五鈴、何か言うことはあるかな」

 全員の視線が、黒髪の和倉五鈴に注目する。

 両手を後ろ手に縛られた哀れな罪人は、あらゆる裏切りにも屈さぬ強き口調で言葉を述べた。

「私は自らに従って生きてきた。故に私の責任であるならば、どんな罪も甘んじて受け入れましょう。それがせめてもの、英雄としての在り方でしょうから」

 この一言が、アイリスにとって決定打となった。

 今すぐにでも暴れたいという感情を理性で抑えて、後に必ず和倉五鈴を救うと決意した。

 裏切りにも折れぬ彼女を、この場にいた多くが英雄と認めたことだろう。

 全てを聞いた法条はベールの向こうに意向を伺い、他の誰にも聞こえぬ言葉を聞き届けた。

 迫り来る現実は、和倉五鈴を完全なる英雄たらしめるものだった。

「和倉五鈴よ。我らが王の名の下に、その功績を認めた上で、残る罪を死を以て裁かせていただくものとする」

 予想しうる一言のはずだったのに、発せられたその言葉は氷のように冷たく、重機のように重かった。

 和倉五鈴は何も言わなかった。辻風に視線を送った後、すぐにその場を去っていった。


 辺りはしんと静まり返っていた。

 それぞれ自らの心情を悟られぬよう、或いは次なるについて思考をまとめるため、彼らは皆、能面のように無表情であった。

 桑水流が戻ってきた直後、本題は幕を開けた。

「では次に移ろう。第四隊隊長、アイリスによる守時晴香氏の殺害について、その罪を裁くものとする」

 親アイリス派、反アイリス派に関係なく、裁判に参加する隊長、傍聴する副隊長らの雰囲気が変わったのは言を俟たない。

 例によって、桑水流は淡々とアイリスの罪と事実を列挙する。

「アイリス氏は当時第三隊の副隊長であった守時晴香氏を殺害、罪より逃れるために逃走したとされています。同胞殺しは多くの場合死刑にあたりますが、彼女に関する情報は不確かですから一概に判断するのは難しいかと」

 説明を終えた桑水流の視線がアイリスに向けられる。アイリスは彼女が何か狙っていることを理解して、目線で同意を訴えた。

 本来の形式を取るのなら、和倉五鈴の時と同じように二つの陣に分かれての論議が為されることになる。

 しかし、放たれたジャックの一言が神帝裁判を覆すことになった。

「これ以降の裁判に意味はありません。アイリス氏が守時晴香氏を殺害するのは不可能だと、この場にいる隊長の皆様はご存知のはずだ。そうでしょう、守時隊長」

 本来、もう一つ取り上げるべきことが彼にはあった。しかしこの裁判上で語られることがないのは、それが今語るべきことではなかったからだ。

 様々な思惑と思案を頭の中に巡らせつつ、ジャックは守時に視線を送る。守時冬樹は無機質な声で彼の意見へ同意を示した。

「守時晴香はアイリスが皇帝隊に入る前、既にその生涯を終えていました。そして、アダムを生み出し、アダムに呑まれた守時晴香に関する情報は徹底的に抹消されています。第二隊の技術を以てしても元の情報は復元できないのですから、真実を知らぬ者が反アイリス派として我々と対立するのは仕方のないことでしょう。しかしこの争いはもう終わらせるべきでしょう。本当の敵は既に外にいるのだから」

 皇帝隊の、主に傍聴席に立っていた者たちの間に動揺が現れたのは言うまでもない。波状に広がっていくざわめきを前にして、法条が初めて笑みを解いた。

「じゃ、それが事実かどうかも決めきれないでしょ。……堂々巡りになるようなら、と王で再審議を選ばせてもらうケド」

 法条の思惑はアイリスにも察せられた。どこまでも彼女に敵対するこの男は、すぐにでも処刑台の上へと事を進めたいのだ。

 それを守時冬樹もわかっていた。しかし、彼を止められるだけの言葉を守時冬樹は用意しなかった。

 法条司を説得したければ、あらゆる言葉よりもまず先に、絶大な暴力が必要だと知っていたからだ。


 瞬間、裁判は事実上崩壊した。

 ジャックが指を鳴らしたのに合わせて、示し合わせていたかのように、桑水流と辻風、そしてあろうことか、この場にいるはずのない亀卦川までもが現れた。

「お前ら動くな。変な動きを見せりゃ首を刎ねる」

 場の空気を奪い取った亀卦川はアイリスの手錠を切り落とした。直後、亀卦川より主導権を引き継いだ桑水流が口を開いた。

「今、ここで全部決めろ。無辜の民がこれほど苦しみ悲観に打ちひしがれる中、こんな芝居ごっこに時間を使っていられるか。人が群れれば情報の錯綜が起こるのは仕方がない。だからこの件はソレで終わりだ。晴香氏を愛した守時隊長の言葉を信じ、私たちは本来の敵に挑まなければならない。第六隊の隊長、正義を司る者の代表として、改めてこの場で問わせていただきたい。私たちの目指す皇帝隊の在り方は何だったのか。果たして今、それは成し遂げられているのか」

 全ての者に視線を向けて、桑水流麗奈はそう告げた。

 彼女の言葉はこれまでの審議よりも強く、この場にいた未来を想う皇帝隊員の心に訴えかけた。

 一方、法条は額から一筋の大きな汗を流していた。口元に僅かな笑みこそ浮かんでいるものの、アイリスはその反応を初めて見た。法条は王の元に歩み、またその真意を窺った。

「本来の敵が迫っているのならば、アイリスの罪は罷免とする。同時に内部抗争も終結だ。王の名の下に、は次に進むとしよう」

 王の代弁が一室を満たす。紛れもなく、裁判は下準備を繰り返した親アイリス派の思惑通りに進むこととなった。

 長きに渡って彼女を苛んだこの苦しみはついに終わり、多くの血が流れた内部争いも終わりを告げる。

 

 辺りに異質とも呼べる空気が流れる中、アイリスは傍聴席に戻り、法条とスタチウムの位置が入れ替わった。

「では、次の議題に入らせてもらう」

 次なる争い、本当の敵。その詳細について、公に宣言される時が来た。


「Y国、ピスケス家。彼らの支配領域、その殲滅作戦について」

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Iris 蒼井泉 @sen_sui

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